117/願う少女と霊樹
朝食と身支度を終えたノーラはミリアムと合流し、街中をゆっくりと歩く。
転移者を無力化しつつ強化された奇跡を使う技――それを安全に使用するために、神官の霊樹の木が必要だからだ。
「ふふっ、しかしなんだか新鮮だな。こうやって同年代の女と歩くのは久々だからね」
「そうなんですか?」
少しだけ弾んだ足で歩く彼女の背中を追いながらノーラは問いかける。
「ああ。昔から男の子と遊ぶことが多かったからかな、交友関係も酒場にたむろする馬鹿共が主なんだ」
昔から広場を駆け回ってる方が好きな性質でね、と微笑む彼女は、立ち居振る舞いもあってかボーイッシュな印象を抱く。
あまり大きくないが膨らんだ胸元や、靭やかでありつつも柔らかそうな脚は明確に女性的ではあるのだが、話していてあまり同姓という気がしないのだ。
もう少し胸が薄かったのなら、女顔の男性と言われても信じたかもしれない。
そんなことを考えていると、近くの木々ががさりと揺れた。
慌てて体をそちらに向けて音がした方を警戒するものの、そこに居たのはただの野鳥。ばさり、と翼を広げていずこかへと飛び去っていく。
(地下の街とか森の街とか――新鮮で楽しいですけど、やっぱり異種族の街ですね)
先導してくれるミリアムの背中を追いながら、ノーラはふとそんなことを考えた。
別に馬鹿にしているわけでも、不便なわけでもない。ただ、平地に住まう人間としては、森の中や地底が『安全な街中』というイメージを抱き辛いのだ。
ノーラが住んでいた村の近くにも森はあった。さして大きくもなかったが、それでも女子供だけで行ける場所ではなかったのを覚えている。凶暴なモンスターが存在していたワケではないものの、女子供よりもずっと強い動物は多数存在していたから。
だから少し、警戒してしまう。突然獣に襲われてしまう、そんなイメージが抜け切れない。女子供が住んでいる街中なのだから、心配はないと頭では理解しているのだけれど。
森林国家に来てからすぐにそんなことを考えなかったのは、きっと見たことのない街並みに興奮していたから。そして、皆が居たからだ。
カルナに連翹、ニールたちが近くに居れば大丈夫――そんなことを無意識に考えているのかもしれない。
(一人で頑張ろうって村の外に出て女王都を目指したのに――結局頼ってばかりですね、わたし)
無論、自分一人で全てを成せるなどとは思っていない。
ノーラという少女は特別体を鍛えているワケでも、魔法が使えるワケでもない、ちょっとした治癒の奇跡が扱える程度の存在だ。だから、なんでもかんでも自分でやれる、と思い上がっていたワケではない。
けれど、それでももう少し自分の身は自分で守れると思っていたのだ。今思えば、随分と間の抜けた思考なのだけれど。
「目的地まで少し暇だね――そうだ、人間は森の中を怖いと感じると聞くが、実際のところどうなのか聞かせて貰っても良いかな?」
そんな不安と共に沈んでいく思考を読まれたのか、ミリアムがくるりと振り向き、問いかけた。
「え、ええっと――」
「なに、エルフの前だからと遠慮しなくてもいいよ、ちょっとした異種族間の世間話さ。ぼくはオルシジームから出たことが無いからね、人間の一般常識について外に出る前に色々知りたいっていう気持ちがあるんだよ」
ミリアムの言葉は真実なのか、それとも僅かに不安そうなノーラを気遣ったゆえの言葉なのか。
……恐らく両方なのだろうな、とノーラは思う。
自分が知りたいことを聞きつつ、会話でノーラの不安感を和らげようとしているのだ。
「……そう、ですね。森の中で暮らす人が居ないわけじゃないですけど、人間の多くは平地で暮らしますから。ずっと森の中っていうのは、ちょっと慣れませんね。少し、怖いです」
モンスターが存在しなくても、凶暴な動物が現れそうで――と。彼女の内心を察しつつも、ノーラは何気ない世間話の体で会話を繋ぐ。
ノーラの推測が合っていても間違っていても、ここで会話を滞らせる意味はないし――何より、肉体年齢の近い少女と色々話したいという気持ちがあった。
そんなことを思いながら空を仰げば、柔らかな木漏れ日が降り注ぐ。
オルシジームでは一部の広場を除き、直接太陽の光が降り注ぐ場所はない。背の高い木々の枝葉が光を遮っているためだ。
エルフの肌が白いのはそういう理由なのだろうな、と思う。きっとオルシジーム周辺で暮らすのであれば、日焼けなどとは無縁なはずだ。
「やはりそうなのか――安心していいよ、居住区には動物もモンスターも来ない。彼らも他種族の縄張りで暴れるほどの無能ではないからね」
侵入したとしても、自分が敵地に侵入した異物だと理解しているのさ――とミリアムは安堵させるように優しく言った。
エルフは森の中で縄張りを作る生き物の一つであり、それを大きく逸脱しない限り他の動物やモンスターたちも襲ってくることはない、と。
「しかし……ふむ。逆に、ぼくは一面の青空の方が想像し辛くて、少し怖いかな。時々旅に出たエルフが戻って来た時に肌が赤くなってたり黒くなってたりするから、日差しが強いんだろうなってのは想像出来るんだけど」
でも、しょせん想像で自分で体感したことではないからね、とミリアムは少し困ったように微笑んだ。
「夏ならともかく、今の時期なら日焼けはしないと思いますよ。ただ、町中に木が少ないので、それに違和感を覚えるかもしれないですけど」
「らしいね。話には聞くし、頭では理解しているのだけど、中々上手くイメージできないよ――っと、ここだ」
辿り着いた場所は大きな木造の倉庫であった。
ミリアムは「失礼するよ」と言いながら扉に手をかける。ぎい、という音と共に開くと、そこには大小様々な材木が棚に積まれているのが見えた。
室内だというのに風通しがよくカビ臭さの無いそこに、エルフの姿は見えない。
だというのに、ミリアム以外の視線を感じた。誰かが、倉庫に入って来た自分たちを見つめている――そんな気がする。
「弓の材料を探しに来た時以来かな――うん、よく手に馴染むよ。なるべく軽く仕上げて貰ったから、女の細腕でも使いこなせる……ああ、まあね。鍛えてはいるから」
ノーラには気づけぬ声を聞いたのか、ミリアムは友と語らうような口調で虚空に対して言葉を放つ。
そこでようやく、ああ、と思った。
ミリアムはエルフの神官だ。草木の声を聞くことができ、そして霊樹は切り落とされた後でもその意思を保つという。
ゆえに、彼女が声をかけたのはエルフや人間といった生き物ではなく、木材。ここは加工前の霊樹の保管場所なのだ。
「……霊樹は貴重な資源なんですよね? 見張りとか居ないんですか?」
人の営みから僅かに外れているから、街の喧騒もどこか遠い。
見張りもいないし、もしも泥棒がここに来ても誰も気づけないのではないだろうか。
「盗人なんかが来ても倉庫や木材が大声で叫ぶから問題ないよ。仮に倉庫の外にいくつか持ち出せたとしても、エルフと違って霊樹は口を塞げないから」
大声で助けを求める霊樹を抱えて逃げるのは至難だよ、というがどうもピンと来ない。
ノーラから見たら霊樹も普通の木材と一緒で、とてもではないが意思を持った存在と思えないのだ。
「……疑問なんですけど、どこから声を出してるんですか?」
「厳密には声じゃないんだ。ぼくらエルフの神官は、彼らが伝えたいことを理解できるってだけさ」
木々が伝えたくないことはどれだけ近くに居ても読み取れず、何が何でも伝えなくちゃならないことは遠くの神官にも思考が届くのだという。
人間と同じで、言葉にしなければ伝わらず、大声を出せば広い範囲の人間にも伝わる――と、いうことなのだろうか?
なんとなく想像は出来るが、しかしそれが正解なのかどうか、少し自信がない。
きっと、それが人間とエルフの奇跡の違いなのだろうな、と思う。
森で生きることを選び共生する相手との意思疎通を望んだエルフと、生き延びることに必死だった人間の差だ。
「そうなんですか――あ、挨拶が遅れました、ノーラ・ホワイトスターと言います」
訪ねに来たのに挨拶をしないのはさすがに申し訳ない――と、とりあえず目につく木材に対し頭を下げる。
返事は無い、というかノーラには聞こえないため、どうも人形に話しかけていた子供のころを思い出す。無論、そのころだって木材に話しかけることは無かったのだが。
「ええっと……それでわたしはどうすればいいんでしょうか……?」
昨夜の食事の時、ニールから霊樹の剣の入手経緯は聞いている。
だが、それは剣に加工された霊樹を手に入れるための方法だ。加工前の木材を前に、何をすべきか検討もつかない。
「剣の霊樹は他の道具に比べて若干厳しい部分があるけれど――やるべきことは大きく変わりはしないよ。この倉庫の中で、自身をアピールすればいいんだ」
何が出来るのか、何をしたいのか、何を求めているのか。
それらを言葉にし、行動にし、霊樹の木材を納得させればいいのだという。
そうすればノーラに力を貸してくれる霊樹が出てくるかもしれない。
ミリアムの説明に、なるほど、と頷く。
要は、これは面接なのだ。
仕事の募集をしている近所のお店で店主と色々と会話をし、互いの人柄や出来ることを確認するのと同じ。
店主が認めたら、給金を貰って店番などをする。それと大差はない。人間と人間でやっていたことを、人間と霊樹でやればいいだけだ。
「ただ」
言葉を区切り、ミリアムは言う。
「逆に言えば、納得させられなければ絶対に使えないという意味でもある。若い世代のエルフが鉄剣を持ちたがるのもそれが原因と言ってもいい」
冒険者の真似事をしたい、メインは魔法だけれど接近戦用の武器として一応軽めの剣も持ちたい――程度の熱意では霊樹が納得してくれないのだ。
けれど、前者のような若者も、後者のような魔法使いも、エルフ用に調整された鉄装備の登場でわざわざ霊樹を納得させる意味が薄れた。
そのため、昨今では霊樹の剣に認められるための場所、修練場に閑古鳥が鳴いているのだとか。
「……そんな人たち――いえ、木材さんたち? ……ともかく、それがわたしなんかを認めてくれるのでしょうか」
卑屈になっているワケではない、とは思う。
けれど、色々な人が認めさせることが出来ず諦めたそれを、自分がすんなりと出来るようになるのか、という疑問があった。
「問題ない、とまでは言わないけどね。けど、霊樹だって意思を持つ存在だ。厳しいのもいれば、優しいのもいる。理屈っぽいのもいれば、感情的なのもいる――その中の誰かが納得すればいいんだよ」
そもそも、ここに存在するのは加工されたがっている霊樹だからね、とミリアムは安堵させるように表情を緩ませた。
ここに存在する霊樹たちは加工されたがっている。ただ、まだどんな職業になるのかを決めかねているだけで。
だからこそ、目的と性格が合致すれば、優し目の判断をするはずだ。
「わかりました」
ミリアムの言葉に頷き、一歩前へ。
「初めまして、先程も挨拶をさせて頂きましたが、ノーラ・ホワイトスターと言います」
ぐるり、と辺りを見回す。
返答はなく、ノーラの視界には何一つ変化のない倉庫の中。けれど、明確に変わったモノがあった。
視線だ。体に突き刺さるようなそれの濃度が増した。語りかけたノーラを見極めんと、一挙手一投足すら逃さんとばかりに観察されているのを肌で感じる。
こんなに注目された経験などないから、少しばかり緊張してしまう。
「今日は、お願いがあって来ました。神官の霊樹さんはここに居ますか?」
「大丈夫、けっこう存在するよ。安心して話を続けるといい」
「ありがとうございます、ミリアムちゃん。……まず最初に、どういう用途で使用したいのかを説明しますね」
そう言って、先日ミリアムに教わったことを語る。
転移者の力は神官の奇跡と根っこは同じことと、神官であれば素肌で接触している時に限り彼らが規格外と呼ぶ力を吸収し奇跡に転用できること。
しかし、転移者の力は絶大で、吸収した力が大きすぎて使い方を誤れば最悪体が破裂してしまうこと。
そして間に神官の霊樹を挟むことにより、そのデメリットをクリアできるということ。神官の霊樹を転移者に接触させ、霊樹に力を流し込み力の大部分を散らす、最後に霊樹に接触したノーラがその力を吸収し奇跡を使う。
そうすることによって、ノーラは転移者との戦いに積極的に参加できる。少なくとも、友人たちの後ろで戦う姿を眺めている現状よりは、ずっと、ずっと。
「……わたしは、皆の助けになりたいんです。戦うために努力してきたニールさんやカルナさん、転移者として強い力を持っているレンちゃん。そんな人たちに、ただの神官のわたしが追いつきたいだなんて分不相応な願いだろうというのは分かっています」
けど、それでも手を伸ばしたいのだ。
戦いの度に思う。自分には何が出来るのか、何が出来ないのか、何をしてしまったら皆の迷惑になってしまうのか。
だから、可能な限り皆を助けつつ、無茶をして足を引っ張らないように行動してきたつもりだ。
けど、その結果が今のノーラだ。戦いの度にほとんど何も出来ない、自分自身。
「別に、活躍したいワケでも、有名になりたいワケでもないんです。ただ、頑張って戦ってる友達を、ほんの僅かでも助けられたらなと思うんです」
だから、どうか力を貸して欲しい。
未熟で弱く、そのくせ理想だけは高い愚かな女だけれど。
それでも前に進みたいと思うのだ。ゆっくりでもいい、皆が傷つき倒れそうな時、少しでも支えられる自分であれば、それで。
「現状を打破するため――どうか、わたしに力を貸してくれないでしょうか……?」
声は静かに、けれど確かに倉庫の中に響き渡った。
それを確認したミリアムは、小さく拍手しながらノーラに歩み寄る。
「――うん。ノーラ、良かったね。君の声に応える霊樹が――――」
「いえ、まだ、駄目です」
言葉を遮り、床に跪く。
胸元の銀に輝く十字聖印を両手で掴み、ゆっくりと目を閉じる。
「力を貸して貰うだけでは駄目なんです。それでは、カルナさんたちに助けられっぱなしの現状と変わりませんから」
確かに、それでも前と比べれば活躍出来るようになるかもしれない。
だが、しょせん前と比べて、である。
これからレゾン・デイトルで幹部を名乗る転移者と多く遭遇するはずだ。前と比べて活躍できる、程度では駄目なのだ。
「見ていてください――連合軍がオルシジームを出立するまでに、新たな奇跡を体得してみせます」
「ちょ、ちょっと待つんだ、落ち着くといいノーラ」
慌ててノーラの前に回りこんだミリアムは、噛んで含めるように語りだした。
「神官は創造神ディミルゴとの繋がりの太さで使える奇跡の種類やその効能が上昇する――だから祈りを捧げようって考えは間違いじゃない」
でも、と言葉を区切る。
「そんな簡単に体得できるモノなら、世の中にはもっと神官は多いはずだろう? 一朝一夕で奇跡が使えるようになったり、力が増さないからこそ、高位の神官は貴重なんだ」
「ええ、分かってます、そんなこと」
そんなことは百も承知だ。
けれど、力を貸して欲しいと頼んでおいて、自分は何もしないだなんて――そんなの、ノーラ自身が許せない。
それに、
「わたしが守られるだけの女なんじゃなくて、自分の力で前に進める女なんだって、ちゃんと伝えないといけませんから」
ノーラの言葉に、ミリアムは口を噤んだ。
(ああ――やっぱり。そういうことなんですね)
きっと、ミリアムが『君の声に応える霊樹』と言ったそれは、か弱い女を守るために立ち上がったのだろう。
一緒に頑張る者としてではなく、自分一人では何もできない女を守ってやろうと、そう思ってノーラの道具になることを選んだのだろう。
それは、きっと正しい。実際、ノーラは弱くて世間知らずな村娘だ。
(けど、それでも)
ノーラは、自分を認めてくれる霊樹と共に先へ進みたい。
それはきっとワガママなのだろうな、と思う。弱いくせに守られるのは嫌だと駄々をこねているようなものだ。
だが、それでも。
それでも、自分の足で歩かない限りは、届かない気がするのだ。
前を歩く皆の背中に、親しい友人たちの隣に。
だから、せめて自分が出来る範囲で全力を出す。
その結果として大した効果はなくても、自分は目標のためにこれだけやれる人間なのだと霊樹に示せるのだから。
「分かった。君の友人にはぼくから伝えよう」
「ありがとうございます、ミリアムちゃん。ごめんなさい、色々と迷惑をかけて」
「いや、構わないよ。お詫びも兼ねているからね」
お詫び? と怪訝な声が漏れる。
ノーラがミリアムに迷惑をかけた覚えはあるけれど、しかし逆はとんと検討がつかない。
「ぼくもさっきの霊樹と同意見で、どうにか守ってあげようと考えてたから。……ごめんよ、失礼な考えだった」
倉庫の扉が閉まり人の気配が失せる。
しかし、視線は消えない。霊樹たちは祈りを捧げようとするノーラをじっと観察していた。
「ミリアムちゃん……謝ることなんてないのに」
それが現状なのだから、そう見られるのは仕方のないことだ。
それに――その現状を打破するために、今ここで全力を出すのだから。




