10/依頼書
ダンジョンを脱出した頃には茜色だった空も、ナルキの町に戻る頃には夜の帳が世界を覆い始めていた。
朝が早い漁師の家などが多い区画は寝静まり、逆に冒険者たちの宿が多い区画には喧騒と光を圧縮したように騒がしい。
近場の宿から一儲けしたらしい冒険者の笑い声が響く。やかましく、下品な声だ。しかし楽しそうで、自分が祭りのまっただ中にいるような気分にさせる。
宿や酒場から香ってくる料理の匂いに、ニールの腹がぐうと鳴った。ああ、やはり冒険の後は腹が減る。体が栄養を欲するのと同じくらい、心が旨いメシを欲しているのだ。
「卵も魚もいいけど今日は肉が食いたいな、肉気分全開だ。それも硬くて食いちぎり甲斐のあるやつ」
骨付き肉を食いちぎるジェスチャーをするニールに、カルナたちは笑う。コイツ剣が関わらなければ子供みたいだなぁ、と。
その視線に気づき少しだけ気まずそうにするニールを見ながら、カルナはメニューを思い返すように顎に人差し指を押し当て考え込む。
「僕は一度、日向のサシミってのに挑戦しようかな。生魚って正直どうかと思うんだけど、好きな人は凄い好きでしょアレ」
「カルナ、見た目によらずチャレンジャーだよな、常識的に考えて。……俺は無理だわ。火の通ってない肉とか腹下しそうだろ。他人の好き嫌いは自由だとは思うが、俺にゃゲテモノにしか見えないだろ」
だよなぁ、とニールが頷く。
焼き魚や白米はニールも大好きだ。味噌汁という独特のスープも癖はあるなぁと思うものの嫌いではない。
が、生で魚を食べるというのはどうにも馴染めない。食わず嫌いなのかもしれないな、とは思うのだが、どうしても二の足を踏んでしまう。
「日向は生で色々食べる文化があるからおねー。他人が食ってたのを見る限り、魚の生肉は透き通ってて綺麗ではあるおね。盛りつけたら花みたいで」
楽しげに語るヤルに視線が集中。
会話が止まる。
「おっ? どうしたんだお、みんな?」
ニールが困惑の表情を浮かべながら口を開いた。
「えっと……ヤル、お前……彩りとか理解できたんだな」
「どういう意味だおテメェー!」
「ああ、うん。なんというかね、あれだよね、うん。お腹の中に沢山入れば満足そう、というか。肉とフライ物と酒があれば何一つ問題なさそうな人種というか……」
「すまん、ヤル。フォローできそうにないだろ」
「人をなんだと思ってやがるお! ムシャクシャついでに超メシをムシャムシャしたくなってきたから一皿なんか奢れおテメェら!」
そんなんだからこんな印象なんだよ、と三人は思いつつもツッコミを放棄する。
ぐうぐうと鳴く腹の虫たちが、そんなことは瑣末だとっととメシ食おうぜとニールたちを急かしているからだ。
会話を打ち切り、ヤルを先頭にして『黄色の水仙亭』に入る。
クエスト後に鬼ごっこをした昨日に比べ、まだ食事をしている冒険者たちは多い。笑い声と食器と食器がぶつかるカチャカチャという音が重なり、乱雑な音楽を奏でている。
ジョッキを片手に騒ぐ連中と忙しなく駆けまわる従業員の間を泳ぐようにすり抜け、女将の元へと向かう。
(……ん?)
その最中。不意にニールが辺りを見渡した。
いつも通りの日常。冒険後の食事を楽しむ宿の空気が――若干、固い気がするのだ。
辺りの会話に耳を澄ますと、今日の成果を祝う声に紛れて何やら思い悩むような声が聞こえてくる。
「女将さん、ダンジョン攻略終わったよ」
「はいはい、カルナ君もニール君もお疲れさま。ついでにダルマのお二人さんもお疲れ」
「おいおい女将、筋肉が抜けてるだろ常識的に考えて」
カルナとヌイーオが女将に報告しているのを小耳に挟みながら、他のパーティーの会話に意識を向けた。
「で……お前らはどうする?」
「無理無理。んな危ない橋渡ってでも有名になりたきゃ、海洋冒険者になって新大陸探してるさ」
「俺は、どうすっかな。たぶんメインは騎士団の連中だろ? なら、仕事はそいつらのサポート程度だろうし、危険はさほど大きくねぇんじゃないかな」
「どうだかな。なんにせよ俺は行く気はないね。小銭稼いでここで酒飲むのが性にあってる」
(……なんだろうな)
一つのパーティーならば、このような会話が交わされるのは珍しいことではない。
今後どのようなクエストを受けていくのか、安全を重視するのか稼ぎを重視するのか、などなど意見を交わして方針を決定するのだ。
だが、今日はそれとは雰囲気が違う。
この食堂にいる冒険者のほぼ全てが、『何かについて』相談していた。
「なぁーんか、変な空気だおねー」
ヤルも丸い顔を引き締めて辺りを見渡しいる。
ああ、とニールは頷いてカルナたちの元に向かった。
報告をし終えたらしいカルナとヌイーオだが、しかしその表情は一仕事終えた後の爽やかなモノとは言い難い。思い悩むように眉を寄せていた。
「……やっぱ、なんかあんのか?」
ニールが問うと、カルナは「そう……だね」と重々しく頷いた。
女将の方に視線を向けると、無言で壁に掛けられたコルクボードを指さす。
「なんだってんだ?」
そこに近づき、そこに貼られた依頼書を眺める。
それは傭兵の依頼だ。
それ自体は珍しい話ではない。少し前にヤルとヌイーオが行った商人の護衛も傭兵としての依頼だし、貴族がパーティーを行う際に信頼のできる冒険者を傭兵という形で雇うこともある。
だが、ここに書かれた依頼内容はそのどちらでもなく、かつ一つ二つの冒険者パーティーを雇うモノでもない。
「依頼は王都騎士団。雇う冒険者の人数に制限は設けない。多ければ多いほどいい――か」
それだけならば奇妙な話だ。
この大陸を統べる国家、アルストロメリア女王国の騎士団は強く『民を守る』ことに誇りを持っている。
そんな彼らは冒険者を快く思っていない。
しかしそれは、しょせんならず者集団と見下しているから――では断じてない。
彼らにとって冒険者も自分たちが守るべき民であり、そんな彼らが自分たちの手が届かない町村を守っているという現状を歯がゆく思っているのだ。
(こっちとしちゃあ余計なお世話とも思うが――マジでそんなこと考えてるのが大多数だもんなぁ、あの騎士団)
俺らは守られるほど弱くない。
ニールは昔、王都で仕事をしていた時に出会った騎士団にそう言ったことがある。
しかし、返って来た言葉は呆れや見下しなどでは断じてなく、
(『強い弱いは関係ない、我々が民を守るのはかつて魔王を打ち倒した勇者リディアから受け継いだ義務なんだ』か)
全員が全員そういう人間ではないと思うが、しかし十人に対して別の場所、別の時間に同じような言葉を投げかけて返って来るのが同じような答えならば大多数とも言いたくなる。
無論、ニールが話しかけた者たちがたまたま使命感に満ち満ちた者たちだった、という可能性もあるにはあるが――他の冒険者に聞いてもニールと同じような感想が返ってくるのだから、その可能性も低いだろう。
だからこそ思うのだ。
良くも悪くも真面目で正義感に満ち溢れた騎士団が冒険者に依頼を出すなどおかしいと。
(何か、ある。そんな連中が守るべき者たちに助けを求める何かが)
じっくりと依頼書を眺め――
「ああ……そういうことか」
ニールは苛立たしげに呟いた。
『最西端の港街、ナルシスを占領した集団。目的はその討伐』
(たぶんだが、昨日ヤルが話してたアレなんだろうな)
騎士団が西に出兵しているらしいという話だ。
食事時の会話の種であり、大事になることなどありえないと思っていた話である。この大陸において、騎士団の出兵はイコール騎士団の勝利で終わるからだ。
『先行部隊はほぼ壊滅。しかし、生き残った騎士がとある情報を伝えてくれた』
だからこそ、ここに書かれた文字に。
正義と秩序を重んじる彼らが、守るべき者たちに助けを求める現状に震える。
(いいや――それだって瑣末だ)
絶対に負けない存在などありえない。
生物はこの世に存在する限り何かしらの制約を持つ。何かしらの弱点を背負うのだ。
ゆえに、負けたことそれ自体はいい。想定外の敵に助けを求めることも、まああり得るだろう。
しかし、
『占領した者たちは異世界の人間――転移者の集団だ。彼らは西の港街ナルシスを占領後、いくつかの町村を支配し英雄の国レゾン・デイトルを名乗りこの大陸の支配を宣言した』
転移者。
その言葉、その単語が全ての意味を無に帰す。
連中に常識など存在しない。無秩序で、傲慢で――そして全ての反論をねじ伏せる力を得た者ども。
『冒険者たちも彼らの力をよく知っているだろう。だからこそ無理強いはしない。だが、勇気ある者は名乗りでて欲しい。民を救うため、力を貸して欲しいのだ』
後は報酬やクエスト受理の期限、女王都の騎士修練場で実力試験があるなどが紙に書かれているのみだ。
「連中が、国をねぇ」
自分の強さのみを信奉するあの連中が一つに纏まるなんてな、とニールは吐き捨てた。
気に入らないことがあれば力でねじ伏せる、力を得た駄々っ子のような存在がよく一つに纏まれたモノだと逆に感心する。
「……大変なことになったね、ニール」
ニールの後ろで依頼書を読んでいたらしいカルナが言う。
しかし、その表情に悲壮感はない。
むしろ、「ああ、やっとチャンスが来た」と歓喜にふち震えているように見えた。
そしてそれは、ニールも同様だった。にい、と口元を獰猛な笑みに歪める。
「ああ――大変だ。真っ向から連中を叩き潰せるチャンスが、こんなに早く来るなんてよ」
嬉しくて嬉しくて、たまらない。
無論、恐怖はある。
自分が鍛え上げてきた剣技が、剣を握ったことすらない少女に敗北した時のことは今でも夢に見るくらいだ。
だが、それ以上に連中と再び戦えることを喜んでいる自分がいることをニールは強く強く感じていた。




