116/巨竜咆
(こうやって一人で歩くのは随分と久しぶりな気がするな――)
デレクたち工房サイカスのドワーフが借りている工房へ向かいながら、カルナはふとそんなことを思考する。
港町ナルキでは一人で休日を過ごすことも多かった。ニールやヤル、ヌイーオたちとは仲が良かったが、彼らは古書には興味は無かったし、カルナが熱中しているところを邪魔する無粋な人間でもなかったからだ。
しかし今は、仕事のない日でも誰かと関わることが多い。
西に向けて行軍している途中で古書の解読をする時間があまり取れないというのもあるが――一番の要因はあの見習い神官の少女、ノーラ・ホワイトスターの存在であろう。
家事好きで世話焼きな彼女。写本などの仕事をしたいたためか、書物の話がそれなりに合う。無論、カルナと比べれば知識量は少ないものの、それを良しとしない勤勉さがあった。
気づけばいつのまにか近くに居る彼女が、今は居ない。
その事実が、少しだけカルナに寂しさをもたらした。
(……まったく、寂しがり屋の子供か、僕は)
はあ、とため息を一つ。
ノーラとは仲が良いものの、別に親兄弟や嫁でもなく、それどころか恋人ですらないのだ。自分と関わらない時間の方が多いのは当たり前だろう。
ニールや連翹だって同じだ。仲間であり、仲は良いとは思うが、しょせん他人なのだから。
益体もない、そう呟きながら工房の前まで行くと、窓越しにドワーフたちと視線が合う。
「おっ、デレク、カルナの旦那来たぞー」
「ん? ああ、よう魔法使い。昨日は災難だったな」
まあ大した怪我はないようで何よりだ、とドレッドヘアーのドワーフ、デレク・サイカスは笑う。
「おはよう、デレク、皆。昨日は災難は災難だったけど、五体満足で生き残った上に収穫もあったんだ、大した問題はないよ」
中に入りながら、彼の言葉におどけたように応える。
心配しているであろう彼を安堵させるためという意図もあるが、実際言葉通り大した問題ではないとカルナ自身は思っていた。
幹部クラスの敵の技を間近で見て生き残れたという幸運によって――いや、違う。あの時は連翹に助けられたのだ。
友人の援護のおかげで、生き残れた上に情報まで得られた。襲われ、敗北同然だったのは事実だが、次に繋ぐために必要なモノは手に入ったのだ。
「お前がそういうなら深くは聞かねえよ。おれは戦士でも魔法使いでもねえからな、戦いのことなんざ分からねえしな――それより、これを見てくれ」
デレクが指差す方向に視線を向けると、、巨大な鉄筒であった。
巨大な棍棒めいた見た目のそれを、鉄の台座と車輪が支えている。横には、巨大な鉄球がごろりと無造作に転がっていた。
「鉄が咆哮するから鉄咆。なら、これは巨大なドラゴンの咆哮――巨竜咆だ」
一見して、カルナは港街ナルキで仲の良かったヌイーオの装備を思い出す。
巨大で、無骨で、しかし頑丈で中々壊れない――そんな金属の塊めいた剣と鎧。そういった設計思想を鉄咆に落とし込んだのだろうと思う。
「……構造はほとんど鉄咆と同じだね。けど、大丈夫なのかい、デレク」
鉄咆ですら一丁作るのに苦労するのだ。
だというのにこんな巨大な代物だ。苦労することが目に見えている。
そう思ったのだっが、デレクは「はあ?」と的はずれな意見を聞いたように間の抜けた声を漏らした。
「何言ってんだ、そりゃあ鉄を沢山使う分、材料費はかかるぜ。だが、作るだけなら鉄咆よりもずっとずっと楽だ」
「……いや、ごめん。僕は鍛冶とかには無知でさ。大きいモノの方が大変なような気がして」
「そこがまず間違いだ。細かい部品の方がよっぽど手間なんだぜ? 特に鉄咆は熱と衝撃が切っても切り離せねえ武器だ。適当に作れば、細かいところから駄目になる」
例外はあるが、どんなモノだって大きい方が頑丈で強ぇんだ――とデレクが巨竜咆を手の平で思いっきり引っ叩く。
「剣と同じだ。細く鋭い剣で頑丈なのは作れる奴が限られるが、バカでけえ剣なら鋳造でもそこそこ頑丈に出来る。デケェのを頑丈にするのは楽だが、小さいのは鉄の質と鍛冶師の腕が必要ってワケだ。もちろん、俺はドワーフだ、その程度で音を上げる気はさらさらねえが――」
「……量産するのは難しい、ってワケか」
カルナが考案した鉄咆は英雄に持たせる名剣ではなく、複数の人間に持たせる凡人のための武器だ。その思想は、鋳造で量産する剣に近い。
だというのに、一丁ごとに一々名剣を打つ労力を裂いていたら時間も掛かるしコストもかさむ。
それは、数を揃えて運用する武器にとって明確な弱点だ。コストが高ければ複数購入するのは難しいし、製造に時間が掛かれば必要な時に必要な数が手に入らない。
「ああ。最初にお前が提案したのをダウングレードさせた理由もそれだ。小さくて細かい部品が沢山、その上頑丈にしなくちゃなんねえ。一本だけ全力で作るならまだしも、数揃えるのは絶対に無理だ」
で、これに至ったワケだ、と。
デレクは再度、巨竜咆を手の平で叩いた。
「これだって楽ってワケじゃねえが、大きけりゃ部品の質がバラけてもそこまで致命的にはならねえ。個人用の鉄咆より取り回しが悪いのは難点だが、その分、威力はあるぜ」
「まあ威力は高いのは分かるけど、どうやって使えば――ああ、そうか」
さすがに転移者には命中しないんじゃないか、と思ったが、違う。そもそも、転移者に直接当てる必要はないのだ。
街を守る防壁に向けて撃つのも良いし、転移者との戦闘時に真っ向から戦えない冒険者なども、これを使うことで相手にプレッシャーを与えられる。
大きな音と共に放たれる大威力の攻撃は、大なり小なり戦う者の心を揺さぶるのだ。
味方は頼もしい武器の存在に士気を上げ、
敵は命中すれば一撃で叩き潰されかねない武器の存在に恐怖を抱く。
個人に命中させる必要はない。これは相手の拠点を叩き潰し、士気を砕くための武器なのだ。
「理解したようで何よりだ。さすがにデケえし重えしかさばるから、人間の騎士に許可取るためにサンプル見せに行くつもりではあるんだがな」
「そうだね。突然そんなモノ馬車に載せるなり引かせるなりしたら、馬が死ぬよ」
試しに持ち上げようとしてみるが――やはり無理だ。
ぐっ、と腕にかかる重さに眉を顰めていると、ふとデレクが「そういえば」と口を開いた。
「あの桃色髪の神官は一緒じゃねえのか? 珍しい」
「ノーラさんね。っていうかデレク、名前はちゃんと覚えてるんだから名前で呼びなよ」
「ああ? 何言ってんだ、おれは名前が覚えられねえだけで――」
「昨日の襲撃の時、ちゃんと僕の名前呼んだ癖に何言ってるんだか」
言葉に詰まるデレクを見てニヤニヤと笑う。
カルナは基本いじられるからなのだろうか、こうやって時たま攻勢に移れると凄い楽しい。
「というかさ、別に家族でもなんでもないんだから、別々に行動するのが普通だよ。というか、家族だって別行動くらいするだろ。現に今、アトラさん居ないじゃないか」
「あいつは工房の仮眠室で寝かしてる、昨日は疲労が溜まってたみたいだからよ。……っと、そうじゃねえ。まあ、いい機会だ、ちょっと聞いてけよ魔法使い」
デレクに促され近くにあった椅子に座る。
「実際んところ、お前あの女に好感持ってるんだろ? んで、あっちもそこまで悪感情は持って無さそうだしな――とりあえず、とっとと愛の言葉でも囁いて子作りに励めよ」
「ちょっと待って、ちょっとどころじゃなく盛大に待って。なんか色々過程とかすっ飛ばしてると思うんだけど!」
「そうかぁ? おれから見りゃ、人間やエルフがぐずぐずしてるだけだと思うぞ」
昔アトラの読んでたエルフ同士の恋愛小説読んでみたが、あれマジ話進まねえのな! と腹を抱えて笑う。
「……まあ、感情ってのは最短距離を走れるものじゃないから」
「だからって互いに好き会ってるくせに作中時間で三十年近く関係に踏み込めないのはただのヘタレじゃねえか?」
「いやまあ、エルフの寿命は長いからなぁ……」
寿命が長いということは時間があるということ。
けれど、時間に余裕があるということは焦らないで済むということだ。堅実に、慎重に、ゆっくりと進むだけで問題はない。
恐らくそういった気質が、寿命の長いエルフが大陸の覇者になれない原因なのだろう。
一か八かの賭けをしなくて済むから安定はしているが、劇的な進化がないのだ。
(……デレクから見れば、僕もエルフと大差はないのかもなあ)
人間が『まだ焦らなくても大丈夫』と思う時間は、彼らにとっては『全力で走り抜けるべき』時間なのだろう。
「……とまあ、言ってはみたがおれは人間の気持ちは分からねえしな。無理にとは言わねえさ」
ただ、不思議なんだよな、と。
デレクは訝しむように呟いた。
「人間だろうとエルフだろうと、死ぬときゃ寿命関係なくおっ死ぬだろ。なのになんで、そんな悠長にしてられるんだ?」
「死ぬときゃ死ぬ、か――確かにそうか」
昨日だって、連翹が助けに来てくれなければ死んでいただろう。
いや、昨日だけではない、これから先も、そういうタイミングは増えていく。
なにせ、カルナは敵対する転移者を生かしてやるつもりはないのだ。相手の命を奪うつもりで戦っているのだ、相手からも同じことをされる覚悟は出来ているつもりだ。
つもり、だが。
いざ死にかけた時に、自分は後悔せずに死ねるのだろうか。
「……ま、実行するかしないかは別として、覚えておくよ。やらないでする後悔よりやってする後悔とは言うけど、僕としてはどちらも遠慮したいからね」
首を振りながら、後悔のない死など不可能だなと結論付ける。
まだまだやりたいこともあるし、魔法使いとして大成したい。道半ばで倒れて満足など出来るはずもない。
(けど、それでも――)
後悔の総量を減らすことくらいは出来るのだろうな――そんなことを思う。
「んむ――おはよう、お兄ちゃん、皆」
そんな決意を新たにしていた時に、扉が開いた。
半ば閉じた瞳のドワーフの少女は、寝癖のついた髪の毛をそのままに、瞳をごしごしと擦っている。
アトラ・サイカス、デレクの妹だ。
「ああ、アトラさんおはよ――――」
視線が無意識に固定される。
寝間着なのだろうか、丈の長いシャツを羽織っているがそのボタンのいくつかは外れ、本来隠されるべき下着が大きく露出していた。
紺色の飾り気のないそれだが、だからこそ本来見えるはずもないモノを見てしまったという高揚感と背徳感が交互にカルナの心に去来する。
そして胸――ゆれるそれには、なんと下着がつけられてないではないか! 女性は寝る時に胸の下着はつけないという話は聞いたことはあるが、まさか本当だとは!
「ん――着替える、ね。待って、て」
辺りをぐるりと見回したアトラが、シャツのボタンに手を伸ばし、一つ一つゆっくりと外し始める。
一つ外すごとに谷間が大きく露出していく。そして、ボタンを全て外せば谷間どころの騒ぎではない神秘が開帳されるのではなかろうか――!?
「――うん、待ってる。どうぞ、出来れば手早く、特にボタン外す動作を手早くやってくれると僕は嬉しい」
「おい魔法使いガン見してんじゃねえぞコラァ! アトラも寝ぼけてねえで仮眠室に戻れ、いつもの服もそこにあっからよぉ!」
「……うん? ……うん、行ってくる」
首を傾げながら、まだ寝ぼけているのかふらついた足取りで仮眠室に戻るアトラ。
ぱたん、と扉が閉められた。
「ちょ、なにするんだ勿体無い後ちょっとだったのに! ああ、これちょっとニールの気持ちが分かったなあ! そりゃ見たくなるよなぁこれ!」
「何があとちょっとだ、お前表出ろぉ! 妹の着替え覗くとか何考えてやがんだ!」
「覗いてはないよ! あっちが寝ぼけて見せたワケだからね! つまり――僕は悪くない!」
「悪ぃに決まってんだろ、男が女の体を見るなとは言わねえが、脱ぐのを急かすんじゃねえよ馬鹿かお前は!」
「……? カンパニュラさんの、声……? ……、あ、……!」
「おっ、なんか仮眠室で悶えてる空気を感じる」
「目ぇ覚めちゃったかー……オイラ、部屋出た時に落ち着けるようホットミルク作っとくねー」
「やっぱ人間ってデケえ胸好きだよなー。オレも胸は好きだけどエルフくらいの小さいのが一番なんだが」
「ドワーフには中々居ねえよな、そのくらいの胸の子」
「そんな細い美人はとっとと売れ切れちゃうからねー……工房長ー、暴れるなら外でやって欲しいなってオイラは思うよー。備品壊したら貸してくれたエルフに悪いからねー」




