115/溶け落ちぬ蝋の翼
「俺はこの剣を渡してくれたノエルってエルフに会いに行くけど、お前らはどうすんだ?」
カリカリに焼けたパンの上にマヨネーズを塗りたくり、その上に目玉焼きを載せつつ皆に問う。
ニールとしてはここで更に醤油をかけたいところなのだが、オルシジームではまだ醤油はマイナーな調味料らしく、宿の食堂では取り扱っていないようだ。
深い悲しみを抱きつつ胡椒をかけ、口に運ぶ。
カリッ、としたパンの食感と柔らかい目玉焼きの食感が口の中に広がる。次いで、胡椒の香ばしさとマヨネーズ独特の甘みに近いうま味が舌を伝い脳を殴りつける。
とろり、と滴り落ちようとする黄身を舐め取りながら、胡椒と合わせるのも悪くないと一人頷く。マヨネーズと卵は材料的に親戚であり食い合わせが良いのは当然だが、胡椒も中々の親和性だ。
無論、ナンバーワンは醤油なのだが、別のモノと掛け合わせてどれだけ美味しいのかを調べるのは重要である。
好物の別の側面が見えてきて楽しいし、自分の知らない食い合わせが場合によってはナンバーワンの座を奪い取るかもしれないのだから。
だが、醤油の味が恋しいのは事実。大陸では港町ナルキや女王都リディアで見かける程度だが、日向ではメジャーな調味料らしいし、いつか行ってみたいものだ。
「聞いておきながらすぐに自分の世界に入るのはいかがなものかと僕は思うよ――昨日、デレクたちに聞きそびれた新兵器について聞きに行こうかなって思ってるよ」
なんでも、鉄咆の構造を大体流用しているらしいよ。そうカルナは言うが、ニールはそもそも鉄咆の構造自体を知らないので、「そうなのか」と曖昧に頷くくらいしか出来ない。
「ふーん、ということはノーラもそっちに行くのね?」
「いえ、わたしは今日、ミリアムちゃんと一緒に出かける用事があって――あれ? なんでカルナさんが行くとわたしも一緒、ってことになってるんですか?」
「だってノーラ、大体カルナと一緒じゃない。女王都でもアースリュームでも、昨日だって一緒に居たし」
「そんなことは――あれ、でも確かに男の人で一緒に居るのは一番多いような?」
首を傾げるノーラを見て、カルナとの方が過ごしやすいんだろうな、と思う。
ニールも特別仲が悪いワケではないが、二人きりで一緒に何かすることはない。せいぜい、早めに起きた者同士で朝食前に軽く雑談する程度だ。
(カルナも悪くは思ってねえみたいだし、もう付き合っちまえば良いんじゃねえの?)
整った顔立ちに優しげな立ち居振る舞いで勘違いする女も多いが、カルナはけっこう勝手な男だ。
必要が無いのに辛辣な態度を取ることはないし、仲間を気遣うこともする。だがそれは必要ならいくらでも辛辣な態度を取るということでもあり、仲間で無ければ気遣う気もないということ。
整った顔立ちであり、かつ初対面の相手にも優しいのに港町ナルキでは冒険仲間が男ばかりだったのはそういうことである。
要は自分の目的を阻まれるのが嫌いなのだ。別に女に興味がないというワケではないが、もっと強くなりたいとか、趣味に古書を読みたいとか、そういった欲求の方が強い。だというのに、それらを遮って色目を使う女が、カルナにとってはただただ邪魔だったワケだ。
そういう意味では、ノーラは彼にとって良い女なのだろうなと思う。
実力的には寄りかかってはいるものの、それを良しとしない精神性。そして、カルナのやりたいことを邪魔するどころか世話を焼く行動。
カルナ自身あまり自覚はないかもしれないが、そういうのが積もり積もって彼女に好感を抱いているように思える。
「あたしは――観光したいけど引きこもっとくわ。そろそろ普通のエルフも起きてくる頃だろうし」
めんどくせえからとっとと恋人関係にでもなっちまえばいいんじゃねえの? そんなことを考えながら卵に舌鼓を打っていると、連翹がそんなことを言い出した。
「あ? 引きこもりてぇなら止めねえけど、なんでそんな不満そうなんだ?」
「何って――あわっと、ととと、とっ!?」
言いながら皿に滴り落ちようとする黄身を受け止めようとして――失敗。口元を黄色く汚す。
慌てる連翹に、ノーラが小さく笑いながらそっとナプキンを手渡した。口元を拭いながら、ため息を一つ。
「だって、下手に昨日の今日よ? 大手振るって出歩けないでしょ」
「お前何言って――ああ、そういうことか」
オルシジームが転移者に襲われたのは昨日のことなのだ。
無論、巡回するエルフの戦士には『連合軍に所属する味方の転移者』として周知されていることだろう。
だが、一般市民はそうもいかない。
ここオルシジームで暮らす普通のエルフにとって、連翹は『黒目黒髪、そして特異な服を着ている人間』――昨日、この国を襲った連中と同じ人間に見えるのだ。
「女王都みたいに一人の転移者が、ってのなら別よ。けど、あんな大勢に襲われた後、同じ容姿のあたしが町を歩いたら怖がられるでしょ」
夜や早朝なら、まだ人通りも少ないから良い。
だが、これから人通りはどんどん増える。その度に怖がられ、場合によっては通報されたらたまらない、と連翹はぼやく。
無論、連合軍の一員として戦ってると弁明することは出来る――が、それを何度も繰り返すのも疲れるし、疑われるのも良い気分ではない。せっかくの観光、どうせなら楽しい思い出を残したいのだろう。
「間違っちゃいねえが――どうしても外に出てぇんなら俺に言え。それなら問題ねえからよ」
「は? なに? さっきの話聞いてたの? 馬鹿なの? 汚くて忍者なの?」
「馬鹿じゃねえし忍者でもねえよ。昨日の功績で名前が売れたんだよ、俺は」
無論、ニール・グラジオラスという男はごくごく一般的な冒険者だ。全くの無名というワケではないが、知名度で他人を黙らせる程に名前が売れているワケではない。
だが、今現在のオルシジームなら話は別だ。
ニールという男の名前は知られて無くても、『転移者のリーダー格の一人を叩き斬った人間』がいるという情報は出回っている。
もちろん、それは不安を紛らわすだけの噂話だ。ニールよりも活躍し、ニールなどよりずっとエルフたちを守った者も多い。
だが、分かりやすい功績に、分かりやすい武器――霊樹の剣を持っているため、戦闘に関わらない普通のエルフの話題に上がりやすいらしいのだ。
「霊樹の剣は使用者を選ぶし、エルフの神官なら剣の声だって聞こえるんだろ? だから問題ねえ、成り済ますことができねえんだからよ。下手に人間の兵士と一緒にいるより、俺と一緒の方が敵じゃねえって納得させられる」
霊樹の剣の柄をとんとん、と叩きながら連翹に視線を向ける。
どこか呆然とした顔でこちらを見つめる彼女に対し、小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「それに、一人でグダグダしてても益体もねえこと考えるだけだろ。剣にゃ興味ねえだろうが付いて来い、帰り道に飯屋くらいは寄ってやるからよ」
「ねえ、なんかそれ、あたしが食べ物にしか興味ないって聞こえるんだけど。そういうのはノーラに言って、ノーラに」
「……えっ!? あれ、なんでこのタイミングでわたしに攻撃が来てるんですか!?」
「いや、だってノーラ、食いしん坊っぷりじゃあたしたちの中で随一でしょ? ニールもカルナもよく食べるし飲むけど、小柄なのにけっこう近い量食べてるじゃない」
今は大丈夫でもあと何年後かに丸々太るパティーンよ、と連翹がドヤ顔で言い放つ。
「なっ――れ、レンちゃんは食べなさすぎなんですよ! だからほら、その――胸だって可哀想なことになってるんじゃないですか!」
「あああっ、言ったわね、言ったわねぇ! ちょっとそこに直りなさい、その豊かな胸でお手玉ごっこしてやるから覚悟なさいよ!」
「なるほど、それはいい具合に弾んで――あ、僕のことはいいから、どうぞ続けてレンさん。ほら、早く、はよう!」
「カルナさぁぁん!? なに煽ってるんですかぁ!」
「――はっ、しまった、つい本音が……!」
お前ら、何やってんだ。
そう思わなくもないが、しかし連翹の沈んだ雰囲気は霧散しているので、これはこれでありなのだろう。
仲の良い友と馬鹿騒ぎするのは、一種精神の食事めいたものなのだろうと思う。
人間の体が食事を摂らねば餓死してしまうように、精神もまたそれと近い状況になってしまうのだ。
「さて、じゃあ俺は連翹の脚でポールダンスでもやるか」
だからまあ、自分もあの中に混ざりたいと思うのは料理を目の前にしてそれを食べたくなるのと同じであり、やましい気持ちとは無関係。きっと、たぶん。
「え? ねえ待って! 待ってお願い! 何が『じゃあ』なのか分からないんだけど! 脚でポールダンスっていう言霊も意味不明なんですけども!」
「あっ? 大丈夫だ――実践で教えるからすぐに意味なんて理解できる」
「ちょ、待っ、スカートめくらないで、脚触んな――ふわあああ!」
スライディング気味で連翹の脚の間を通り抜けながら、掴んだ脚を中心にくるくると回る。
なんだろうこれ、手の平からはすべすべとした感触が伝わってくるし、上を見上げれば薄暗い中でも映える白が見える。
転移者が伝えた物語に『青い鳥』というモノがあるが、つまりそういうことなのかもしれない。大切だったり素晴らしいモノは案外近くにあったりするのだ。
剣士の傍ら女の脚を使ったポールダンスを極めるのも案外悪くないんじゃね? そんな非常に頭の悪いことを考えながら踊り狂うニールに、カルナがすごい冷めた視線を向けた。
「ニール、さすがにそういうのはどうかと思うよ、僕は」
「ちょ、カルナ、なんかノーラの時と態度違っ!? んっ……いや、嫌らしい目で見て欲しいってワケじゃないけど、すごく負けた気ぶ――ふわあああ! ああああっ、もう怒った、このまま引きちぎってやるから覚悟しないよ! 転移者の筋力なめんじゃないわ!」
会話の最中も延々と踊っていると、ついに連翹がキレた。残念でもなく当然である。
脚の間を潜ろうとした瞬間、思いっきり太ももで挟まれた。
あれ、これはこれでご褒美なんじゃねえの? そう思った矢先、挟まれた腹部辺りの骨が激痛と共にめきめきという悲鳴を上げ始める。
「痛っ!? ……ちょ、ばっ、やめろ! マジで骨がギシギシ言ってやがるぞこれ!」
「問題ないわよ、折れたら折れたでノーラに治してもらいなさい……!」
「ええぇ……もう折れたら折れっぱなしでもいいと思いますよ」
「ノーラ辛辣だなオイ! 神官としてそれでいいのかよ!?」
「さすがにあの絵面見た後に優しく出来るほど人間ができてませんし、ディミルゴ様もきっと放っておけと言うと思うんです」
それに、と。
ニールの腰の剣を指差し、ノーラは微笑んだ。
柔らかく、魅力的で、しかし怒りを滲ませながら。
「その剣をくださったのはエルフの神官なんですよね? ……その人に治癒して貰えば良いと思いますよ」
「ちょ、待っ――」
ごぎぃ、と。
なにか硬質な棒がへし折れる音と、男性の悲鳴が宿の中で響き渡った。
◇
オルシジームの町外れに存在する修練場。
複数の霊樹の剣が戦士を見下ろすその場は、戦士にとって神聖な場であった。
「……治癒して欲しいというから、潜んでいた転移者にやられたのだと思ったが」
治癒の光がニールを癒やす。
折れた肋骨が繋がり、痛みが引いていく。
「いや、助かったぜノエル。知り合いの神官には凄ぇ蔑んだ目で治療を拒まれたからよ」
「正直に言うと私もそうしたかった――貴様は一体何をやっているのだ、ニール・グラジオラス」
阿呆か貴様は――ノエル・アカヅメが表情の薄い顔に呆れの色を滲ませた。
「何言ってやがる、名誉の負傷だ」
「なに? 貴方の言う名誉って変態行為のことだったの? 変態という名の紳士みたいに変態行為という名の名誉なの? 今度は首をへし折るわよ」
連翹が両手でジェスチャーをするが、それはへし折るというよりねじ切る動作だと思う。
その様子に恐怖を抱きじりじりと後ずさりする途中で、ノエルが大きくため息を吐いた。
「けれど、訪ねて来たのはこちらとしても都合が良い。来なければ貴様を探さねばならなかったから」
「なんだ? やっぱり剣についてなんかあるのか?」
「ああ。あの時は緊急事態であったためにあのような形で渡したが、本来は受け取るためには重要な儀式があるのだ」
霊樹の剣をこちらに――そう言ってノエルが手を伸ばす。
(……取り上げられたりはしねえよな?)
ああ、と剣を差し出しながらそんなことを思う。
今朝やらかしたことで取り上げられるとは思わないが、しかし昨日の戦いが期待はずれで霊樹の剣にそっぽを向かれた可能性もある。
あの時の戦いはニールの中では冴え渡ったモノであったが、他人が必ず同じ意見を抱くとも思っていない。泥臭い、汚らしい戦い方だ、と見下される可能性もないワケではないのだ。
「……案ずるな、今更取り上げたりはせんよ。むしろ、貴様はよくやった。剣も見立てに狂いは無かった喜んでいる」
そんな不安を抱いたニールに気付いたのか、剣を受け取りながら安堵させるように僅かに微笑む。
「ただ、この剣に名を授けて欲しいだけだ」
「名? 剣にか?」
「ああ。霊樹の剣は人間やエルフといった種族名のようなものだ。貴様とて、命を預ける戦友に『人間』呼ばわりされて良い気分にはならんだろう」
つまりはそういうことだ、そう言って受け取った剣を胸元で掲げるように持つ。
刀身が陽光を照り返し、淡く輝く。ニールに対し「良い名を付けてくれよ」と囁くように。
その期待には応えたいとは思っている。
だが、突然名前と言われても困る、というのが正直な感情だ。
「……これって他人と相談しても構わないのか?」
「ああ。担い手が選択し、決定したものであれば構わんさ」
なるほど――頷き、ニールは視線を後ろに向ける。
「へえ、こんな剣が沢山あるのね……あれ、どうしたのニール? もう終わったの?」
「いや、まだだ。けど、お前に頼みがあってな」
物珍しげに辺りを見渡す連翹を手招きする。
怪訝そうな顔をしてこちらに近づいてくる連翹に見えるよう、ノエルが掲げる霊樹の剣を指差す。
「剣に名前をつけてくれ、って言われたんだが――ぶっちゃけ全然思いつかねえんだよ。お前の世界の剣でいいから、候補を上げてくんねえか?」
期待はしていないが、しかし参考にはなるだろう。
「え、剣の名前? それなら、三日月宗近、一期一振、明石国行、燭台切光忠、和泉守兼定、あとねあとねぇ――」
「ストップ、待った、止まれ」
すらすらと剣の名前らしきものを羅列しだした連翹の言葉を思わず遮った。
「……なによ、まだあたしの刀剣のストックはあるわよ」
「いや、なんでそんな剣の名前知ってんだ。大して剣が好きってワケでもねえだろお前」
適当言ってるんじゃねえだろうなと睨むが、連翹は無い胸を張って自信に満ち満ちた態度で答える。
「何いってんの、これはあたしの故郷にある名刀たちなの。こんなの常識の範囲よ」
「どうだか。刀剣を美男子化した物語とかあって、それで覚えただけなんじゃねえの?」
失礼な物言いをしつつも、実際のところニールは関心していた。
正直、そこまで剣に関して知識があるとは思っていなかったら、歴史に名を残したであろう名剣の類であっても名前をスラスラと言えるのは予想外だったのだ。
だからすぐさま、「いや悪い、中々知識あるんだなお前」と――
「え、ちょ、な――なんで分かったの!? ニール、貴方じつは転生者とかなの!?」
――謝ろうとしたのだが、謝らなくて良かったと心から思った。
「適当言ったらまさかの大当たりかよ馬鹿じゃねえの!? お前の住んでる国はどうなんてんだ、つーか剣の擬人化した物語とか俺も読んで――っと、違う違う、そういう話じゃねえ」
背中に突き刺さる『そろそろ怒るぞ貴様ら』というノエルの視線に、話の筋を強引に戻す。
「まあ、お前が色々知識があるのは分かった。なら、俺が使う剣に相応しい名前とか考えてくれねえか?」
「え、そりゃ構わないけど――いいの?」
そのいいの? は「あたしが決めていいの?」という意味合いだ。
連翹はニールが剣を大事に思っていることを知っている。良き剣を求め、その剣に相応しい自分であろうと鍛錬を続ける努力家であることを理解しているのだ。
だからこそ、名付けるのなら真剣にやると思っている。その剣が意思を持っているのなら、尚更だ。適当に名付けることなど良しとしないはずだ。
「だからこそだ。俺一人が考えても大した名前なんぞ思いつかねえからな」
正直、ネーミングセンスに自信はなかった。
切り裂き丸とかそんな名前が思い浮かぶが、絶望的にしっくりしない。
「うん、それじゃあ……エクスカリバーとかバルムンクとか、そっち方面じゃないわよね。伝説上のきらびやかな名前は似合わないだろうし」
傍から聞けば悪口にすら聞こえることを呟きながら、連翹は思考の海に潜っていく。
ニールはそれに文句を付けない、むしろ喜ばしいとすら思っている。確かに自分に歴史上の聖剣だとか魔剣だとかの名前の剣を授けられても名前負けしてしまうだろう。彼女はニールのことをよく理解している。
「じゃあ同田貫正国とか? ……似合ってるとは思うけど、ニールが使うのは木製とはいえ見るからに西洋の剣だし、日本の刀剣の名前は似合わないかな」
けど、西洋剣で英雄っぽくない名前の剣……? と眉を寄せて唸る。
「剣の名前そのままよりも……それじゃあ……うん、これかな」
短くない時間悩んだ連翹だが、うんっ、と力強く頷いた。
「『イカロスの剣』――普段呼ぶ時はイカロス、って略した方がいいかもだけどね」
「イカロス? なんだそりゃあ」
聞き覚えは無くはない。
転移者の世界にある伝説も、彼らの口伝で大陸にいくつか広まっている。
だが、ニールは別に転移者世界の伝説に詳しいワケではないのだ。突然固有名詞を出されても理解出来ない。
「まあ、色々すっ飛ばしつつ、かつ誤解を恐れずざっくり言うと――『熱で溶けるから太陽に近づくな』って言われたのに蝋で出来た翼で太陽を目指して墜落した男の名前よ」
――一瞬、馬鹿にしてるのかと怒鳴りそうになった。
それは、重ねてしまったから。イカロスという太陽を目指して堕ちた男と、転移者を目指し剣を振るう自分を。
相手は強い、無理だ、勝てない、やめておけ――そんな言葉を振り切って、ニールは今ここにいる。それは、まさに蝋の翼で太陽を目指した男と同じではないか。
「……なんで剣にそんな男の名前を付けなくちゃなんねえんだ?」
すぐに怒鳴りつけなかったのは、信頼しているからだ。
確かに連翹はふざけた物言いも多いし、適当なこともよく言うが、相手が真剣ならそれに応える女だと思っている。
だからこそ、その男の名にも意味がある――そう思ったのだ。
もしその信頼を裏切るようなら、二年前の決着をこの場でつけるのも良いかもしれない。
「この伝説の解釈は二つあってね。一つは今ニールが感じている通り、『身の程を知らない若者の末路』っていう見方」
そしてもう一つは、と言葉を区切る。
「『危険だと分かっていても理想を目指す若者』っていう見方――あたしのいた世界では、前者の方が一般的なんだけどね」
けど、ここは異世界だもの――そう優しい声音で言う。
「こっちの世界はあたしが居た世界とは違う。だから、伝説だって別の結末があっても良いと思うの」
なにより、ニールが使うのは蝋の翼じゃなくて霊樹の剣だもの、と連翹は微笑む。
熱で勝手に溶けるモノで無い以上、太陽の近くでも問題なく扱える、と。
「あたしの知る伝説通りに大海原に叩きつけられて死ぬのか、その伝説を塗り替えて太陽に到達するのかは――」
「使い手次第、ってことか――ああ、おもしれえ」
そう言って空を見上げる。
青い青い、澄んだ空。どこまでも広がるそれを見て納得する。
ニールは別に空に大して理想を抱いているワケではないが、しかし空の想いを剣の想いと置き換えれば想像するくらいは出来る。
(それがどれだけ無謀だろうと――高みを目指したくなったんだ、抑えられるワケねえよな)
賢しい者ならば愚者の行動だと侮蔑するのだろう。
だが、ニールは深く深く共感する。無理だの何だのと言われても、空を目指す欲求は止められない。
「ノエル、決めたぜ――その剣の名はイカロス……イカロスの剣だ。俺の相棒で、俺が理想に羽ばたくための翼だ」
「了解した――私も、イカロスと名付けられたこの剣も先程の会話を聞いていた。理想の熱に溶かされぬように、励めよ、ニール・グラジオラス」
堕ちるなよ――そう言って差し出される剣を受け取り、短く言い放つ。
「言われるまでもねえ」
柄を強く強く握りしめる。
すると、手の平から熱が伝わってくる感覚。その期待に応えよう――そう言ってくれているような、そんな気がした。
無論、ニールはエルフの神官ではない。
「ふっ……」
だが、どこか眩しいモノを見るようなノエルの笑みが、ニールの感じ取ったモノが間違っていないと確信させる。
ああ、ならばより一層、己を磨かねばならない――理想を目指す最中で地面に堕ちるのは御免だ。
「よし、じゃあルビの方は完成したことだし、名前の方も決めましょうか! あたしは『飛翔する理想の剣』と書いてイカロスって読ませるのに一票なんだけど!」
連翹の言葉に思わず思考が停止する。
せっかく決意を新たにしていたというのに、なんで空気を読んでくれないんだろうか、この馬鹿女は。
「……む、最近はそういう名称が一般的なのか?」
「違えよ、ノエル騙されんな。……つーか連翹、それ口で言っても伝わらねえだろ。それとも一々二種類の名前言えってか?」
「そうね。『これこそが俺の剣――飛翔する理想の剣だ』みたいな感じにすれば両方伝わっていい感じじゃない?」
「斬り合う前にンな悠長なことしてられっかよこの馬鹿女ぁ!」
「いや、ここは『これは我が理想を貫く翼にして、阻む者を蹴散らす曲がらぬ理想――羽ばたけ、飛翔する理想の剣!』……これね! 完璧だわ!」
「余計長くしてどうする気だこの馬鹿女! 使いどころがねえんだよその語り!」
「さっきから文句ばっかりねニール! 何が不満なのよ!? やっぱり理想とかいてツルギって読ませるより、剣って書いてリソウって読ませる方がいい!? あたしもだいぶ悩んだんだけど!」
「そういう細かい部分に注文付けてんじゃねえっつってんだろうがぁ!」
なんですってー!? と怒鳴り返す連翹に、言い合いは更にヒートアップしていく。
それを見て呆れるように、苦笑するように、イカロスは陽光を反射させ優しく刀身を輝かせた。




