114/早朝訓練と珍しい姿
小鳥がさえずりが耳に届き、ニールの意識はゆっくりと覚醒していく。
瞳を開くと、まだ太陽は登りかけた状態――早朝だ。
多少の疲労が残っていても、多少酒を普段より多く飲んでも、誤差はあれど大体このくらいの時間に目が覚める。長年の習慣――というにはまだ若造過ぎるだろうか。
「っと……」
ベッドから降り、腰に剣を差す。同室のベッドからは未だ寝息が聞こえてくるため、出来る限り音を出さないように注意しながら。
目指すは宿の近くの広場だ。そこを目指す足が普段より軽やかなのは、腰で揺れる長剣のせいだろうか。
霊樹の剣。
エルフの国であるオルシジームで採れる木材から作り上げられた意思持つ剣。
ニールはそれを欲しいと思い、剣もまたそれに応えてくれた。
ならば自分もまた、その剣に相応しい状態を維持しなくてはならない。いや、現状維持などでは駄目だ、もっともっと強くならねばならない。
そう思い、足早に広場へ向かい――
「……ん?」
――珍しい姿を見た。
長い黒髪に黄色い花の髪飾りを付けた少女だ。紺の水夫服にスカートを掛け合わせた特殊な衣服を身に纏っている。
その少女は、剣を持って珍妙な舞を踊っていた。いや、違う。あれは一応、剣を振っているつもりなのだろう。体の使い方が全くなってないから一瞬理解が出来なかったが、たぶんそうなのだろうと思う。
「ううん……やっぱ一朝一夕じゃ無理よね。でも、上っ面取り繕う程度でもなんとかしないと……」
早朝とはいえ街中で遊びで剣を振り回すようなら叱りつけるつもりだったが、真剣に刀身を眺める姿に言いかけた言葉を飲み込む。
ニールからみて遊びのような動きではあるが、彼女なりに真剣な行動なのだと理解できた。ならば、それを馬鹿にすることは出来ない。
「珍しいな、何やってんだよ連翹」
だから、今この瞬間に連翹を見つけた――そんな体で声をかける。
くるり、とこちらに視線を向けた連翹は、軽く微笑みながらこちらに向けて手を振った。
「あ、ニールおはよう。何って、剣の練習よ練習。他の何に見えるってワケ?」
「おう、おはよう。……剣を使った踊りには見えたな」
「え、なにそれ、剣を振るうあたしが美しすぎて舞に見えたとかそういうアレ? まあ、そこら辺はさすがレンさん圧倒的にさすがですね、とか言ってもいいのよ?」
「剣の練習には見えねえって皮肉だよ、そのくらい分かれ。……つっても、なんでまた突然、こんな時間にやってんだよお前」
元より、連翹は朝に強いタイプではない。むしろ弱い、朝に弱いカルナ以上に弱い。
だというのに、わざわざまだ日が登りきってないこの時間に居るというのは珍しいにも程がある。
気まぐれか何かだったとしても、普段早く起きる習慣が無い者がこんな時間に体を動かすのは苦痛なはずだ。
だというのに、彼女はここに居る。慣れぬ早朝に、スキルを使わずに剣を振っている。それが疑問だった。
「……あたしは、自分が強いと思ってたの」
ぽつり、と。
水面に水滴が滴り落ちるような、小さな声。しかし、彼女の心に波紋を広げる感情だ。
「でも、それはあたしに特別な力があったから。実際、それがあったから、あたしは負けることなんて無かったもの。モンスターにも、人間にも。だから、自分は頂点で、最強で、無敵だと思ってた」
自分は強くて、なんでも出来て、どんなピンチだろうと困難だろうと壁だろうと粉砕して前に進めると。
それは傲慢な物言いではあるが、しかし理解は出来る感情ではあった。
勝利を重ねれば自信に繋がるが、過ぎれば慢心に至る。それが自身の努力に裏打ちされたモノでないのなら、尚更だ。
「けど、そんなのただの空想で。転移者が数多くいるのもそうだけど、この『特別な力』だってただの『力』でしかなくて、そういうのの使い方を知らないあたしは自分で気づいてないだけでずっと前から弱いまま――言葉にしちゃえば、何を当たり前のこと言ってるんだ、ってなるけどね」
そう言って、ぶんっ、と剣を振るう。
その動きは拙く、剣も持ったことのない子供が歌劇の剣士を真似て剣を振るっているような不格好さだ。
だが、それを笑うことはすまい。ニールとて、最初はそんな子供の一人だったのだから。
「だから、もうちょっと強くなりたいの。少なくとも、もうちょっと皆の役に立てるぐらいには」
そう言って剣を握る連翹を見て、ああ、と納得する。
(王冠に謳う鎮魂歌に抑えこまれ、カルナやノーラを危険に晒したのが堪えているんだろうな)
自分自身が思っている以上に弱かったという実感と、
友人のために大したことが出来なかったという落胆。それが今、彼女に剣を構えさせているのだ。
無論、ニールは彼女が役立たずだったとは思わない。
あのタイミングで連翹が前衛を務めねばカルナは敗北していたはずだ。彼は頼りになる相棒で実力のある魔法使いだが、前に出て武器を振るうことも敵の攻撃を受け止めて耐えることも出来ないのだから。
「一応言っておくが、お前は弱いワケじゃねえぞ。少なくとも、俺がお前と戦っても勝てるかどうかは微妙だしな」
他人の目が気になるからなのか、連翹は相手のやりたいことを察知するのがそこそこ上手い。
相手の動きや味方の動きを見て、そこから使うべきスキルを選択するという技術は決して低くないと思うのだ。
事実、王冠戦で使おうとした『バーニング・ロータス』も悪い手ではなかった。味方を巻き込まないように距離を取り、高速移動する敵の足を止める――基本に忠実で、堅実な選択だとニールは思う。
だが、連翹には自分と同格の敵や自分よりも強い敵――そんな相手との戦闘経験が少なすぎるのだ。
彼女は転移者だ。身体能力も高く、スキルによって鋭い技を放つことを可能とし、毒などという搦め手も自動で防御する。
現地人やモンスターと比べ異常なほどにハイスペックで、よっぽど油断をしない限り、敗北どころか実力が拮抗する場面すら無い。
だから、本気で相手を倒そうとして放った攻撃が避けられる、回避される、カウンターされる――そんな普通の戦士が当たり前に経験する部分がごっそりと抜け落ちているのだ。
相手を舐めて反撃を喰らうことくらいはあっただろう。だが、全力で相手を倒そうとして動けば転移者の力が相手を圧殺出来る。
――現地人の中でも頂点に位置する存在や、同じ転移者でなければ。
「けど聞く限りじゃ、レゾン・デイトルの幹部連中は一度は王――無二の剣王とかいう奴に負けてるっぽいからな。お前とは経験が違うんだろうよ」
だからこそ、彼らは幹部を名乗る者たちは他の転移者に比べて強いのだとニールは思う。
一度失敗し、けれどそこで諦めず再び立ち上がった者は倒れたことのない者よりもずっと強い。折れた骨が繋がると硬くなるように、挫折から立ち直った者は強いのだ。
「……じゃあ今回の負けで条件としては対等ってことになるわね! これで次に負ける要素はないわ……!」
ニールの言葉に、連翹が得意げに胸を張って叫ぶ。
理屈になっておらず、若干わざとらしい声音のそれは、きっと自分すら騙せてはいないのだろう。
だが、問題ない。強がりでも立てているなら前に向かって歩くことは出来るのだから。
「おう、そうだな――けどよ、正直、そんな適当に剣を振り回したところで役には立たねえぞ」
見る限り連翹は剣術を学ぶ下地が出来ていない。
剣を振るうという単純そうな動作であっても、構え、足捌き、踏み込み、全身の力加減――様々な前提条件をクリアすることによって『正しい斬撃』を放つことができるのだ。
それを全く知らない状態で剣を振っても変な癖を体に植え付けてしまうだけだ。
「……じゃあどうすりゃいいのよ。魔法の勉強でもする? 興味はあるけど、そっちこそ一朝一夕じゃあ無理じゃない?」
「そりゃな。レゾン・デイトルに着くまでに実戦レベルの魔法を使えるようになりたいとかぬかしたら、笑顔のカルナがお前の腹をぶん殴るぞ」
そうじゃなくてだな、と連翹を指差した。
「お前は転移者なんだろ、鍛錬でもスキルを使えばいいだろ」
「は? 何いってんのニール? スキルは確かに強力だけど、体が自動で動くのよ? 何発ブッパしたって練習にはならない、なり難い、って顔になるわ」
使うだけで練習になるんならとっくにあたしはナイトかござるになってるわよ、と怪訝そうな目でこちらを見つめてくる。
「ナイトはともかくござるってなんだよ馬鹿女――たとえばだ。転移者が良く使う『ファスト・エッジ』があるだろ? それを使った後、自分自身で真似て剣を振ってみろ」
「ござるはござるよ、サムライよ、こっちでいうところの日向の剣士よ――うん? まあ、やれって言うならやるけど……?」
ファスト・エッジ――早朝の冷たくも澄んだ空気の中にスキルの名称が響き渡る。
瞬間、先程まで出来の悪い踊りめいていた素振りをしていた人間と同一人物とは思えぬ鋭さで刃が奔った。
「ええっと、そこから……あれ? 腕とか脚とか全然違うわね……? ええっと、どうやって体を動かしたんだっけ……?」
さっきはもっと腕を上げて、あんまり右足に力を込めて無かったような――と、もたもたとした動作で体の動きを修正していく。
その動作は見ていて苛立ち、剣を扱う者として色々口出ししたくなるが、ぐっと堪えて見守る。
師匠に他人に剣を教えるなと釘を刺されたのもあるが、この手の鍛錬は自分で試行錯誤した方が覚えやすい。あまりに大きな間違いを犯そうとしているなら口の一つや二つは挟むが、そうでないなら見守るのが良いだろう。
「分からねえならもう一回使って確認しろ。そんでもって試しに何度か剣を振って、しばらくしたらもう一回スキルを使って答え合わせをすりゃあいい」
「う、うん、ちょっと待ってね……こうやって踏み込んで……うーん? 全然違うことだけは分かるんだけど……『ファスト・エッジ』……ああ、そっか、もっとこう重心は左足に……」
時折スキルを交えながら、ぶん、ぶん、と剣を振るう。
相変わらず動きにキレはないものの、基礎をゆっくり、ゆっくり体に馴染めせるように剣を振るっている。その様子を見て、ニールは大きく頷いた。
「ああ、それでいい。お前の体には『一流の剣士の動き』が入っていて、『お前の体を使って最適解を何度も実演してくれる』んだぞ。お前が好きな時に、技名叫ぶだけでだ。剣の鍛錬したいなら、それを利用しない手はねえだろ」
それは剣の師匠にマンツーマンで修行をつけてもらえているようなものである。
しかもその師匠は体の中に居て、自分の体を操り最適解を好きなタイミングで教えてくれるのだ。握りや足運びから、細かな力加減まで全て全て。
そして、転移者の身体能力は高い――多少鍛錬した程度では疲労も感じなければ、筋肉痛だって感じない。時間が許すのなら、いつまでもマンツーマンの鍛錬を行うことが出来るのだ。
(……なんだそれ、俺も欲しいぞ)
スキルそのものより、その環境こそがよっぽどズルいではないかとニールは思う。
「ああ、なるほど、剣道もやったことないあたしでも、自分の動きがなんか絶望的に違うことは分かるもんね……でも、この程度でいいの?」
脚はこんなものかしら……? と。
最適解には程遠いが先程よりもマシな構えをし始めた連翹が、ニールに視線を向けずにぽつりと呟く。
「この程度って――これから剣を習おうって奴が悔し涙流しながら羨ましがる環境にいるんだぞ、お前」
「そりゃ分かるけどね……でも、仮にこれを完全にマスター出来たとしても『ファスト・エッジ』の動きじゃ、ただ剣を斜めに切り下ろすのが上手くなるだけでしょ? それであんな派手な技を使う――王冠に敵うのかしら?」
あんな空を飛び回る奴を相手に剣なんて当たらないわよ、と。
なるほど、確かにそれ自体は正論だ。実際、『ファスト・エッジ』の動きを完璧にトレースできただけでは意味がない。
だが、
「無駄じゃねえよ。俺が見る限り、ファスト・エッジの動きは基礎中の基礎だ。そんでもって、その手の基礎をしっかり体に刻み込めば、その他の動きも自然と良くなる」
転移者のスキルが流派なら、『ファスト・エッジ』は基本にして極意だ。
基礎を学び、その流派の効率の良い体捌きを習得すれば、他の動作も自ずと洗練されていく。
それは、頭と体が『効率の良い動き』と『効率の悪い動き』を理解しているためだ。
そうすれば意識的、無意識的に関わらず拙い『効率の悪い動き』を修正し、『効率の良い動き』へと変化する――素人の動きから熟練の戦士の動きへと変わるのだ。
「……サッカー部の癖に野球とかバトミントンもそこそこ上手い男子みたいなものかしら? 体を動かす基礎があるから、他のスポーツもそこそこ出来るみたいな」
「俺はアースリュームで見たサッカーしか知らねえんだが――ま、おおよそそんな感じだな。そりゃ連中が使う大技は強えし、俺から見て脅威だとは思うぜ。自分が最強だなんてうそぶくのも分かるが――最強は最強であって、無敵でもなんでもねえからな」
確かに幹部連中の大技は強力であり、他の転移者と一線を画する存在だとは思っている。
だが、基礎面では一般転移者と似たり寄ったりなのだと思うのだ。戦闘慣れしていて、多少相手の動きが分かるのだろうが――幹部とて戦闘技術を学んだワケではないのだから。
ニールがレゾン・デイトルの幹部である血塗れの死神に勝利できたのも、相手が最後に悪手を打ったからだ。
確かに死神はスキルを用いて接近戦で敵を圧倒する技術には長けていた。
だが、それが破られた後、餓狼喰らいの間合いで発動までに時間のかかる大技を放ってしまった――相手の間合いを読む技術の欠如が、致命的な隙を生んだのだ。
転移者は確かに強い。
幹部を名乗る転移者は、更に強い。
強いが――誰も彼も基礎をすっ飛ばして一流の戦いの場に立っているのだ。
そのため、どんな実力者でもどこかで歪な部分が出てくる。普通の戦士ならとうに矯正しているであろう弱点が、そのまま残っているのだ。
なら、今更大技を編み出すことを考えるより、自身の弱点を潰し相手の弱点を突く方向性で鍛えた方がいい。
(それに、こいつ連携はそこそこ得意みたいだからな)
転移者になる前は他人の視線が気になり、もっと気弱な女だったとアースリュームで打ち明けられたことを思い出す。
他人に嗤われるのが嫌で、だというのに心の中で同じことをやった自分が嫌で――そんな、根は善性の気弱な少女としての片桐連翹。
それは彼女にとって見たくない、思い出したくない過去なのかもしれない。
けど、そんな彼女だからこそ、下手な現地人冒険者よりも『味方がどう動きたいのか』というのを察するのが上手いのかもしれない。
他人の視線が気になって、どう思われるかが気になって――だからこそ我の強い冒険者よりも、ずっとずっと連携に向いている。
ならば、なおさら大技を覚えさせるより基礎を固めさせた方が輝くと思うのだ。
連翹は単騎で駆けて戦場を切り開く英雄のような存在よりも、仲間を気にしながら皆が実力を発揮できるように動いていた勇者の方が似合っている。
「第一、連中はその大技を使うのに慣れてやがるんだろ? なら、いまさらお前が覚えたところで付け焼刃にしかならねえよ」
「付け焼刃でも無手よりはマシ、って考え方もあるわよ――というか、この基礎練習だって立派な付け焼刃じゃない? さすがにレゾン・デイトルに着くまでに完璧に出来る自信とか無いんだけど」
「別に短期間で基礎を完璧にしろだなんて無茶は言わねえよ。足りない分は転移者の身体能力でゴリ押しちまえ。その程度でもゴリ押ししかしてない連中に比べりゃずっとマシになるはずだ」
ニールが知る範囲では、転移者は一から何かの技術を得るために鍛錬するという者は居ない。
だからこそ基礎を身に着ければ他の転移者と比べて飛躍的に強くなれる。身体能力が互角な以上、一対一での戦いで勝敗を分かつのスキルを使うタイミングや体捌きだ。
「ん――分かった、とりあえずやってみる……けど、すっごい地味な作業ね」
「当然だ。鍛錬なんぞ基本、単純作業の繰り返しだからな……分かんねえことがありゃ誰にでもいいから聞け。俺は師匠に言われてるから無理だが、冒険者や兵士、騎士と色々居るんだからよ」
そう言って剣を抜き放つとニールもまた剣を抜いた。
自分もまた鍛錬のためにここに来たのだから、連翹に口を出してばかりではいられない。
(――けど、俺は一体何やってんだ?)
一通りの技を軽く試すように振るいながら、ふと思う。
連翹はいずれ戦いたい相手だ。二年前、初めての転移者として出会い、傲慢さを隠しもせずに剣を振るった女なのだ。
別に、いますぐ戦いたいとは思わない。
あの時のことを思い出すと腹は立つものの、怒鳴り散らしながら再戦を言い放つような気分でもないからだ。その手の怒りは連翹に対してではなく、あの時の連翹の精神と近しいレゾン・デイトルの転移者に向いている。
だが、剣を交えずに終わってもいいのか、と言われると否と答えざるを得ない。
あの時戦った転移者、日向人に似た黒髪の細くて綺麗な女、自分を見下した女、再戦した時に認めさせてやると誓った女、再び会いたいと願った女――そんな風に想い続けた相手と戦わない、というのは嫌だ。己の剣で、もしくは相手の剣で、きっちりと白黒をつけたいと思っている。
だというのに、ニールは今、そんな相手に剣を教えた。強くなる方法を伝授したのだ。
なんだろう、何かが非常に咬み合っていない気がする。倒したい、認めさせたいという願いは本物だという確信はあるのだが、どこか致命的な部分でボタンがズレている奇妙な感覚。
もやもやとした胸の衝動に首を傾げながら、まあいいか、とニールは剣を振るった。
(考えても分からないのなら悩んでも無駄だ、鍛錬に集中するか――)
ニールはあまりじっくりと悩まない。
必要なことなら考えこむくらいはするが、しかし考えても答えが出ないと思えばすぐに思考を撃ち切って、悩みを頭の隅に閉まってしまう。
じっくりと一人で悩み続ければ答えが出るかもしれないそれも、再び思考の奥底へと沈められた。




