113/襲撃の日の終わりに
事情聴取を終えアレックスと別れたニールたちは浮遊床で下へ下へと移動する。
その最中、ニールは同じ床に立つ友たちに視線を向けた。
「……治癒が弱点……いや、それは考え難いな。なら、なぜだろう……?」
隣でカルナが思い悩むような顔で呟く。先程戦い、追い込まれた相手の、王冠に謳う鎮魂歌の弱点――治癒の奇跡を嫌うという事実。
直接的なモノではないとしても、嫌悪し、避けようとするモノだ。その理屈を知れば、戦いでも優位に立てると思考しているのだろう。
そんな彼の近くで、連翹もまた、似たような表情で黙り込んでいた。
(こいつの場合は、幹部云々っつーよりも、呼び込まれる転移者の法則性についてか)
――創造神は、『異世界チートの物語を読む人間』を狙ってこちらの世界に転移させている――どうやって判別しているのか、なんのために転移させているのかまでは、不明だがな。
先程、アレックスが纏めた言葉を思い返す。
どういう意図があるかは分からない。だが、一つだけ理解できることはあった。
創造神ディミルゴは何か目的があり、『異世界チート』を知る人間をこの世界に呼び出しているということ。
「……要はマリオネットか何かよね、これ。意識があるか無いか。自分で行動出来ないのか、自分で行動していると思い込んでいるか。そんな違いだけで」
物語の主人公が如く振る舞うことによって、何か利があるのだ。
その利が世界全体に与えられるモノなのか、創造神だけに与えられるモノなのかは知らないが。
けれど、分かることは一つ。
多くの転移者は掌の上で踊っている。自由を与えると言われ、自分で思考しているつもりで、けれど創造神の思惑通りに。
「……そう沈んだ顔すんじゃねえよ」
あまりに沈んだ顔をするものだから、肩にとんと手を置いた。
アースリュームで話を聞いた時にも思ったが、この女は思考が下に向くと、どんどん沈んでいく傾向がある。内に内に、そして下へ下へ、延々と。
だからこそ、深くに沈む前に引きずり上げるべきだろう。ニールは強くそう思う。
「そんな風に振る舞うことが思惑通りだとしたら、お前はとっくにそこから外れてるだろうが」
無論、そういう欲求はあるのだろうと思う。
そうでなければ二年前、そして再会した時にあのような傲慢な振る舞いはしなかったはずだ。
ニールが剣士物語などで単身で敵の軍勢に突貫するのを好むように、彼女もまた異世界チートと呼ばれる物語を好んでいる。レゾン・デイトルに所属する転移者に近い精神を持っているのは確かなのだろう。
だが、ニールは単騎駆をしても集中攻撃で殺されることは分かっているし、連翹もまた他者を踏み潰すような傲慢さを良しとしない善性がある。憧れと現実に線引をしているのだ。
物語はしょせん物語、
そして現実は現実――と。
好みがあり、主人公の姿に影響されることはあっても、それは限定的であるべきだろうと思う。
「でも、あたしは昔――わぷぁ!?」
それでもぐだぐだと言う彼女の背を叩いた。強く、けれど痛みを与えない程度には優しく。
「昔は昔、今は今だ。別に反省するなとは言わねえけど、ぐだぐだ悩んで立ち止まる意味はねえだろ」
そう言って強引に打ち切る。そのくらいがちょうどいい。
悩んでどうにかなる問題ではないのだから、とっとと切り上げて別のことを考えた方がいいだろう。悩み過ぎるのなら、なおさらだ。
「それより二人とも、提案があるんだけどさ。仕事はこなしたワケだし、ノーラさん探してどこかで食事にでも行こうよ。さすがに僕も疲れたよ」
こんな状況だけど、やってる店が皆無ってことはないだろうしね――と。
ニールの意図を察したのか、ことさら明るい声音でカルナが笑う。
だが、それは口実でありつつ事実でもあった。戦闘後に瓦礫の撤去、そして先程の事情聴取――さすがにニールも疲労を実感している。
他にも転移者の残党が潜んでいないか街を警邏する必要もあるが、そちらは戦闘の働きで免除されている。
(ありがてえことだ。さすがにここから更に警戒しながら歩き回るのはな)
治癒の奇跡も失った血液や体力は補充できない。仕事をしろ、と言われたら賃金分くらいは働くつもりだが、出来ればとっとと休みたいというのが本音だ。
ふう、と吐息を吐きながら宿の外に出る。
ノーラはどこに居るのか、軽症の者の治療はだいぶ前に終わったと聞くから、別の場所に居るとは思うのだが――
「みんな、お疲れ様です」
そう思って外を見渡した時に、見慣れた桃色のサイドテールの娘と視線が合った。微笑みながらこちらに手を振る彼女は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
見慣れた姿に安堵したのか、連翹もまた微笑んで彼女――ノーラに駆け寄った。たんっ、と彼女らの掌が音を立てて重なる。
「ノーラもお疲れ! でも、待っててくれてたみたいだけど、どうして場所が分かったの? 待ち合わせしてたワケでもないのに」
「兵士の人がレンちゃんが事情聴取に行ってるって話してましたから。だったら、ここで待っていたら会えるだろうな、って」
そうでなくても宿付近で待つのが一番じゃないかとは思ってましたけど、とノーラは微笑む。
それを見てカルナもどこか安堵したような息を吐いた。やはり、身近な人の笑顔は良い。散々疲れた後ならなおさらだ。
連翹もまた、そう思っているのだろう。同姓であり、かつ先程の事情聴取に立ち会ってないノーラだからだろうか、先程まであった暗い雰囲気はどこへやら。女同士でかしましく笑い合っている。
「さて――立ち話するほど元気が有り余ってるワケでもねえし、とっとと開いてる店探すか。さすがに俺も座ってのんびりしてぇよ」
とは言ってもこの状況だ、店が開いていても席が空いているとは限らない。
店主や従業員が怪我をしていて閉めている店もあるだろうし、その分、客が開いてる店に集中する。
この都市で暮らす者なら自宅で料理でも作れば良いのだが、ニールたちのような外来の者はどこかで店を探すしかない。
「あ、それなんですけど」
出来ればとっとと座りたいし、宿の食堂に行くか。でもあそこは冒険者用じゃねえから酒があまり無いんだよな――そんな思考をノーラが遮った。
「昨日行った店、あるじゃないですか。ミリアムちゃん――店主さんが席を取っておいてくれてるんです、四人分」
色々お世話になって申し訳ないんですけどね、と微笑むノーラに対し、ニールは親指を立てた。よくやった、助かるぜ、と。
◇
オルシジームギルド。そこは人間の町に存在する冒険者の酒場の内装を真似た酒場だ。
冒険者の酒場めいているがどこか歌劇の書割を連想させるのは、人間の冒険者が主な客層ではなく、それに憧れる若者のエルフが客の主体だからだろうか。
ニールたちは先日と同じように、しかし先日よりも早い時間にそこへ訪れた。
「お、けっこう繁盛してるんだな」
「言いたいことは分かるけど店主には聞かれないようにね。場合によっては罵倒とも取られかねないから」
窘めるカルナの言葉に「それもそうだな」と頷きながら店内を見渡す。
昨夜は遅めの時間だったために客はニールたちだけだったが、現在はカウンターもテーブルもその多くが埋まっている。
ビール片手に笑い合う者たちの多くは十代の――いいや、百代の若者のエルフたちだ。
ドワーフ風の肉料理を食み、ビールを呷る姿は魔王大戦中をモチーフにした物語に出てくる神秘的なエルフと同種族とは思えない。一部のエルフは肥満しているし、なおさらそんな気分になる。
「いらっしゃい、ノーラ。その友人もお疲れ、席は取っておいてあるよ」
入店したニールたちに気付いたのか、店主であるエルフ、ミリアム・ニコチアナは作業の手を止めてこちらに微笑みかけた。
先日来た時には居なかった他の店員に仕事を任せると、彼女は軽い足取りでノーラの元に歩み寄る。
「はい、ありがとうございますミリアムちゃん!」
「ううん……やっぱりちゃん付けは少し気恥ずかしいな。いや、自由に呼べばいいと言ったのはぼくだけれどさ」
照れるような、困ったような、そんな顔で頬を掻く。
仲良さそうに会話する二人を見て、一体いつ親しくなる機会があったのだろうか、と首を傾げる。
だが、まあいいだろう。他人と仲が悪いより、良い方が良いに決まっている――そう思って店主、ミリアムというエルフに視線を向けた。
細身な肢体の上に緑色のジャケットを羽織りショートパンツを履いた姿。細くありながらも鍛えられたすらりとした脚が露出していて、中々に目の保養になる。エルフらしく胸も薄くて、母親を連想させないところもまた良い。
(……ロングスカートから覗く脚ってのも良いが、こういう健康的に露出してるのも、中々悪くねえな)
基本的には隠された神秘の方が好きだが、手が届きそうな宝というのも悪くないと思ってしまう。
脚自体も、ある程度肉があるのがニールとしてはベストだが、ああいう細い脚もまた良い。ゆっくりとさすりたくなってくる。
「いっ!?」
そんなことを考えていたら、思い切り脚を蹴り飛ばされた。
視線を向けると、眉を寄せて怒ったように、しかし呆れたようにため息を吐く連翹の姿があった。
「超分かりやすい視線だったわよ。……さすがにそういうのは止めた方が良いと思うの。相手にバレたら親とか呼ばれて一巻の終わりってやつよ」
「成人してしばらく経ってんのに今更親なんぞ呼ばれねえよ。それに見るだけならセーフだろセーフ」
触ったら兵士や騎士のお世話になることは確実だが、最初から露出している肌を見る分には問題ない。無理矢理覗きこんだりしない限りは。
ノーラがだいぶ白い目を向けているが、きっとそうだ、たぶん、メイビー。
「さて、どうかな? ファッションで肌を晒すのと、じろじろと見られるのを良しとするのは同義ではないからね。けれどまあ、ぼくは気にしないけれどね。そもそも、動きやすいからと脚を出しているのはぼく自身なんだから」
見られたくなかったら隠しているさ、とミリアムは小さく微笑む。
なんというか、手馴れている感がある。ニールぐらいの――エルフと人間の寿命は違うが、精神年齢的な意味での――歳頃をあしらうのが。
「さて、立ち話もなんだし、席に案内しよう。この店の中でも特に新しいモノと者が好きなテーブルだ、君たちを歓迎してくれるはずだよ」
そう言って先導する彼女の背の先には、賑わったテーブルで唯一空いたテーブル。その上に『予約席。常連どもは勝手に座らないこと。お客が来てもグラスを無闇に投げつけないこと』という張り紙があった。
(勝手に座るなはともかく……グラスを投げる?)
よくよそ者と喧嘩しているのだろうか? 確かに、店の内装は荒くれ者揃いの冒険者の酒場に似通ってはいるが。
「……なんか意思があるとか何度も言われると椅子とかに座りにくいんだけど。ねえ、お尻で踏まれるのが好きな椅子とか無いわよね……?」
そんなことを考えている横で、連翹がミリアムに耳打ちしていた。
何を馬鹿な、と苦笑するような言葉であったが。
「――――……」
まさかの無返答。
彼女はそっと視線を明後日の方向へと向けた。
「えっ? ちょ、待って、黙らないで! 目ぇ逸らさないで! あたし座れなくなるんだけど! オルシジームで椅子に座れなくなるんですけど!」
「ははは、ごめんね、冗談さ。あまりにも不安そうな顔をするものだからね。人間やエルフが木々の受粉に興奮しないように、霊樹の木々も人間の体に興味はないよ」
大慌てでテーブルとか椅子などから距離を取り始める連翹に、ミリアムは悪戯好きな子供のような笑みを浮かべた。
「そ、そう? それなら良いんだけどね」
「おや、君が座ろうとしているその椅子は――ああ……」
「やめてぇ! 座ろうとする瞬間に意味深なこと言い始めるの止めてよぉ! 座れなくなっちゃうって言ったでしょぉ!」
「ミリアムちゃん、あんまりレンちゃんを虐めないであげてください。……反応が良くてちょっと楽しそうだなー、とは思いますけど」
「そうよ、ありがとノーラ――ねえ待って!? 最後の方もっかい言ってみてよノーラ!」
「え……レンちゃんを虐めないであげてください……? この言葉に何か変な要素とかありましたっけ?」
「自分のセリフを華麗に無かったことにしないの! あたしは覚えてるんだからね!」
「ああ、ぼくも覚えているよ。困った顔のレンの顔を見ると胸がドキドキしてしまって困る――だったね」
「ええ、そのとお――え、ちょっとまって、さっきの言葉ってそんなんだったかしら……? いやでもノーラはアースリュームの時それっぽいことがあったし、そっちの気があっても不思議じゃないような……」
「ああああっ! レンちゃんあれは誤解だったって分かってたじゃないですかぁ! 忘れかけてのに蒸し返さないでくださいよぉ!」
「調子に乗ってるからそうやって痛い目を見るのよっ! 撃って良いのは打たれる覚悟がある奴だけ、そして弄って良いのは弄られる覚悟がある奴だけって名台詞を知らないのかしら!」
「ふむ、その理屈なら今ノーラを弄った君は自分が弄られる覚悟があるというわけだね」
「え? あ、あれ? そういうことになっちゃう……?」
――お前ら机の前で何やってんだ、とっとと座れよ。
そう、ニールが思ってしまうのは短気だからなのか、それとも女の気持ちが分からないからなのか。
後者に関しては詳しい自信はないものの、この場合はどちらでも無いと思う。
「女三人寄れば……ってやつだね」
柔らかく、そしてどこか困ったように微笑むカルナに頷く。
連翹はともかく、ノーラは一人で大騒ぎするようなタイプではない。恐らく、ミリアムというエルフの店主も。
だが、例外こそあれど、基本的に女は話し好きで喋り好きなのだ。冒険者が複数人のパーティーを組み連携することで戦闘能力を上げるのと同じように、女は徒党を組めば話力が上がる。
少し辟易する面もあるが、しかし仲の良い女が楽しそうに色々と話している姿は、まあ嫌いではない。ここに来るまでに沈んでいた顔を見ていたから、余計にそう思う。
だから、少しくらいなら長話に付き合っても――
「――そしたらその謙虚なナイトは『九枚でいい』と言って三つ返してあげたの。さすがナイトは格が違ったわね!」
「ふんふん……うん? いや、待ってくれないかなレン。さっき君、同じ道具は一ダースずつに纏めて持てるって言ってたような……?」
「ですよね。三つだけ返されても迷惑なんじゃあ……?」
「聞いてない間に話題がすげえ別次元に跳んでるなお前ら! さすがにそろそろ座って酒飲みてぇぞ俺は! せめて料理とか来てからにしろよ!」
――駄目だこれ、付き合っていたら飯とか酒とか永遠にお預けされる奴だ。
そう思って拳を地面に叩きつけたのはニールが短気だからではないと思いたい。
「……それもそうね。喋りすぎて喉が凄い乾いてきたわ……ミリアム、どうするの? このまま仕事に戻る?」
「いや、迷惑で無ければこのまま一緒に食事をさせて貰っても構わないかい? 店に関してはあの子たちに任せるよ。ぼくが連合軍と一緒にオルシジームを出る以上、彼らだけでもちゃんと店を回せるようにならないと」
厨房で料理を作る者とホールで注文を取る者に視線を向けた後、ミリアムは男性陣に問いかけた。
「僕は構わないよ。断る理由もないしね」
「俺も構わねえぞ」
そう言ってから、ああそうだ、と思いつく。
「せっかく店主が同じテーブルに着くんだ、なんかこの店でおすすめのうめえ飯とか教えてくれよ」
「おすすめか、そうだね……」
言いながらちらり、とノーラに視線を向ける。
その視線に気付いた彼女は、無言で首を横に振った。やめといた方がいいですよあれは、とでも言うように。
(……どこで仲良くなったのかと思ってたが。ノーラ、俺らが事情聴取してる間に軽く飯食ってたんだな、これ)
それに関しての文句はない。
事情聴取がどれだけ時間がかかるのかは未知数だったし、それなのに飲み食いせず待ってろ、というのは酷だろう。そして何より、この客が多い時間帯に席を取っておいてくれたことは素直にありがたいと思う。
「なら、ビーフシチューなんか良いんじゃないかな。温まるし、仕込んであるからそれなりに早く出来る。何より、オルシジームの冬では定番のメニューだ。食べておいて損はないとぼくは思うよ」
「エルフなのに肉の入った料理が定番とか言われると違和感あるわね――でも美味しそうだからそれにしましょうよ」
了解。そう言って料理と四人分のビール、そして連翹の分のジュースを店員に注文すると、ミリアムはゆっくりとこちらに視線を戻した。
「さて、注文の品が来るまで少しばかり講釈を垂れてみようか……昔のエルフだって野菜ばかり食べてたワケじゃないのさ、レン。小動物とか川魚とかを焼いて食べたりしていたし、野菜多めのシチューの具にしたりとかね。もっとも、野菜や果物がメインだったのは確かだったようだけれど」
そのためか、ドワーフとの交流直後は中々肉食文化が根付かなかったらしい。
食べたことのないモノに食いついたエルフも居たには居たが、多くのエルフは保守的で、中々新たなことを試せなかったという。
「そんな中、ドワーフは思ったらしいよ。『焼いて食うのが苦手なんだったら、食べ慣れてるモノの具材の一つにしよう』ってね」
突然ステーキにかぶりつく食生活にはなれなかったが、普段の料理に少し肉が使われる程度の変化なら許容出来たのだという。
そうやって食わず嫌いを慣らして行った結果が今の若いエルフたちの肉食っぷりらしい。
「だから肉の入ったシチューっていうのは定番も定番さ、ビーフシチューは昔と比べると若者好みの味だけどね――さて、多少堅苦しい話だったけれど、飲み物が届くまでの暇くらいは潰せたかな?」
ミリアムの話を聞いている間にビールが届く。それを掴み、宙に掲げる。
「ま、どこ行っても肉食えるっぽくて何よりだと思ったぜ」
「大都市ならともかく、小さな村や町じゃエルフの情報は中々流れてこないからね。個人的には興味深くて楽しかったよ」
「それは何よりだね」
笑い合いながらジョッキとジョッキを重ね合う。澄んだガラスの音を聞きつつ、中に注がれた黄金色の液体を呷った。
疲労した体が、乾いた喉が、ビールという存在を求めている。飲み込んだ喉から全身に広がり、全身に行き渡っていくような錯覚すら抱く。
やはりこれだな、と思う。
これこそだな、と思う。
冷えた酒はあるし、喉で弾けるこの感覚を味わえる酒も他にはある。
が、それでも、乾いた喉を一番潤せるのはビールという飲料だと思うのだ。無論、そんなモノは酒飲みの錯覚で、本当はもっと別の適切な飲料があるのだろうと思う。
だが、そんな小難しい理屈など知らぬ。ニールにとっては冷えたビールこそ最強無敵であり、英雄の剣めいた最強武器なのだから。
他の理屈や正論など全て全てどうでもいい。
「……さて、ニール。ちょっといいかな」
喉の乾きを潤し、連翹が「そんな苦そうなの本当に美味しいの? 男たちはともかく女にとっても美味しいの?」とノーラとミリアムに話しかけている様子を眺めていると、不意にカルナが囁くような声音で話しかけてきた。
「なんだ? なんか聞かれたくねえことか?」
空になったジョッキを口元に寄せながら、こちらも小声と問いかける。
「まあね。今でなくても良いけど、早めに聞いておきたかったんだ。戦闘後は事情聴取とレンさんの顔色なんかで話しそびれてたから」
いいかい? と前置きをし、
「ニール、君は一人で王冠に謳う鎮魂歌に勝てるかな? 即答しなくて良いから、色々考えて答えて欲しい」
カルナの言葉にふむ、と頷き考える。
王冠に謳う鎮魂歌。華美な白い服を着た青年。魔法の反動、爆風を利用し空を跳び、駆ける転移者。
実際ニール自身が戦ったワケではないが、それでもそのくらいの情報は聞いている。
そこから相手の行動を予測し、自身の動きを想像し、対処方法を模索していく。
「……狭い場所なら確実に勝てる、森の中でもそこそこ行ける――そんな感じだな」
ビールの苦味が今更気になった――そんな顔でニールは呟く。
王冠のスキルの使用方法、竜印章飛翔爆撃<Dimension.Destruction.Dragoon>は前提として開けた場所でしか使えない。
開けた場所で、上空に飛び上がり、眼下へ向けて魔法を放つ。それが彼の戦闘方法だ。だからこそ室内ではその能力はまともに発揮できない。
そして森の中なら、木々の合間を縫って移動する程の制御能力があったとしても、ニールは木々を足場にして跳兎斬を用いて追いすがることが可能だ。
「もっとも、んなことは相手が一番分かってるだろうがな」
だからこそ、王冠は戦場を開けた場所に限定するはずだ。
初見の敵なら油断して――という可能性もあるが、既に技を晒した相手にそこまで油断してくれるとは思えない。
ゆえに、戦場の場は障害物の少ない平地。
ゆえに、ニールの勝ち目は消滅してしまう。
ニールは剣士だ、上空で滑空しながら魔法をばら撒いてくる相手と戦う手段は多くない。
一応、獅子咆刃という遠距離剣技はあるが――一発で当てられるとは思えないし、乱発出来る技でもない。命中させる前にニールが力尽きてしまう。
「僕もだ。僕の鉄咆じゃあ空中を高速で飛び回る相手を上手く狙うなんて不可能だし、相手もそれが分かっているだろうから、詠唱が完成する前に間合いを詰めてくる――完全に詰んでいる」
他人事のように語るカルナに「そうか」と短く頷く。
ニールと違い実際に戦ったカルナがそういうのだ、その言葉はきっと事実なのだろう。
そして、共に転移者を倒すと誓った友がこうもあっさりと『敗北』を語るのだから、どうあってもひっくり返しようの無い差があるのだろう。
他の者ならともかく、カルナ・カンパニュラの言葉だ。相棒の言葉なのだ。簡単に諦めて適当なことを言っているワケではないことくらい理解できる。
糞、とジョッキをテーブルに叩きつけ――
「だけど、二人なら問題なく勝てる。相手がどれだけ一般転移者を引き連れていようともね――ああ、一応言っておくけど、精神論の類じゃないよ」
――ようとした腕を止めた。
「……あれだけ完全に積んでる発言してやがったのに、いきなり前言翻しやがったなお前」
どういうことだ、と睨みつけるがカルナはどこ吹く風と言った顔でそれを受け流す。
「翻してないよ。実際問題、僕一人じゃどう足掻いても勝てないのは事実だしね。でも、それは一人で戦ったらの話さ」
一人では駄目でも、二人なら勝てる。これはそれだけのことさ。
そう言ってジョッキに僅かに残っていたビールを啜るカルナの横顔を見つめる。
「なんか新しい連携でも考えついたのか? それなら明日の朝にでも一緒に鍛錬を――」
「いや、遠慮しとくよ、ニールに合わせて朝に起きられない。それに、新しい連携を習得する必要もないんだ。前に習得した連携を大規模に発展させるだけでいいんだから」
その言葉に、ニールはようやく得心が行った。
すぐさま王冠との戦闘を空想し、相手の技を想定し、自分たちの実力と比較し――大きく頷いた。
「だろう? 前使った時よりも大規模にする必要はあるけど、根本は変わらない。実力を十全に発揮すればそれだけでいい」
前に一度失敗した――いいや、成功したが通じなかった技がある。
だが、今は、今のニールとカルナはその時点の二人ではない。
前以上に経験を積み、武装を整えた――剣技も、魔法も、その時点よりも冴え渡っているのだ。
ならば、負ける道理はない。そのはずだ。
「楽勝とまでは言わないけどね。けど、今までの積み重ねで十分対処できる範囲だ。」
だから、やるべきことは一つ。
「『たかだか付け焼刃如きで僕らには勝てない』――そう思い知らせれば良いのさ」
「なるほどな――ああ、なるほど、分かりやすい。楽しくなってきやがった」
自信に満ち満ちた、そしてどこか剣呑な笑みを浮かべる相棒を前に、ニールも同じ笑みを浮かべた。
(あいつは竜を名乗ってる――ああ、確かに人型の竜って言えるくらいの能力だった)
だが、竜とは本来一人で倒す存在ではない。そういう英雄は存在するが、自分がそこまでの天才ではないことくらい分かっている。
多くの竜討伐は、複数人の精鋭たちが連携で圧倒し、軍勢によって圧殺するというモノ。
ならば、自分たちも同じようにすればいい。
己の剣で、相棒の魔法で、上空で笑う絶対強者を地面に引きずり下ろす――!
「ねえねえいつまで男二人で話してんのよ、ビーフシチュー来たわよビーフシチュー! 牛肉すっごく柔らかくて超美味しいわよビーフシチューッ! 美少女三人ほっぽって男二人でこそこそとホモホモしく会話してないでとっとと食べましょう!」
と、テンションが上がりに上がっていたというのに、なんだろうこの馬鹿女は。
「なあカルナ、さっき言った連携は先にこの女にブチ込むべきじゃねえか?」
「うん、気持ちはすごく分かるけど、こんな場所で手札晒したくはないなぁ……」
だがまあ、連翹が言うことも正論と言えば正論だ。
料理が来たら温かい間に食う、それはもはや義務とすら言ってもいい。熱々で美味しい食べ物ならば尚更である。
「よしっ、んじゃあ酒のお代わり頼んでとっとと食うか!」
「もう頼んでおきましたよ、まだビールで良かったですよね? 他のお酒を飲むつもりだったら、そのままわたしが貰っちゃいますけど」
「お、ありがとうノーラさん。もう僕らのジョッキ空だもんね」
ごとり、と店員が新たに差し出してくれたビールを受け取りながらノーラに礼をする。
ビールは最初の一杯が最強に美味いのは既に周知の事実であるが、しかし二杯目だって十分過ぎるほどに美味い。それに喉で味わう酒はしゃべり疲れた喉を適度に冷やし、潤してくれる。
「ぼくらの話が終わっても長いことこそこそと話してたからね。ああ、聞き耳は立てなかったから安心してくれていいよ。内緒話を盗み聞く趣味はないからね」
「でも、あたしとノーラ、そしてミリアムっていうどこのゴルゴーン三姉妹だってくらいの美少女を前に男同士で長話ってどういう了見よ? そんなに夏と冬の薄い本を分厚くしたいの?」
そう言って両腕を胸の下で組み始めるが、それはもしかしてセクシーポーズのつもりだろうか。
確かにやる人間によってはセクシーなのだろうが、連翹がやっても組んだ腕の上に胸が載らないので胸の無さを無駄に主張しているだけだ。
「そういえばレンさん、その薄い本って時々言ってるけど、どういう意味なのかな?」
「例外は多いけど、この手の話題で言う薄い本はエロ本よエロ本。普通の異性同士が絡むのもあれば、女同士とか男同士で絡んでるのもいっぱいあるらしいわ。あたしはノーマルの方が好きだけど、荒っぽい剣士と銀髪イケメン魔法使いのコンビって案外売れるんじゃないかしら?」
ねえ、どっちが攻め? どっちが受け? どっちが男役で女役なのよ、とこちらを指さしながら笑う馬鹿女。
「その喧嘩買った。よし連翹、テメエそこを動くなよ!」
「泣いたり笑ったりできなくするから覚悟するんだね!」
アイコンタクトは一瞬、反撃は速攻!
ホモ扱いした馬鹿女に鉄槌を下す――!
「だぁからそういう即座に連携する仲の良さとか特に――ふわあああああ痛い痛い痛い! ごめん悪かったって、悪かったから髪の毛引っ張るのやめてよぉ! 女の髪は命だって言う名台詞を知らないワケぇ!?」
「はいはい、レンちゃんも悪かったですけど二人も左右からレンちゃんの髪を引っ張らないでください。そんなことやってると料理は冷めるし、ビールはぬるくなっちゃいますよ」
それもそうだな、と固結びにして遊んでいた連翹の髪から手を離してジョッキに注がれたビールを呷る。
会話で適度に乾いた喉を潤す心地よさはやはりビールが最上だと思うのだ。そこそこ喉が潤ってきたら別の酒も良いのだが、乾きを潤すという特性はビールが一番強いと思う。
「やめるならほどいてからやめてよぉ! あたしの位置からじゃどんな結び目になってるのか見えないのよこれぇ!」
「ああもう、女の子の髪の毛にこんなことするニールさんもニールさんですけど、レンちゃんも怒らせるようなこと言わないの。ほら、じっとして、今ほどきますから」
涙目になる連翹の髪の毛をため息を吐きながらほどき始めるノーラ。それを視線の端に入れつつ、ニールは自分のビーフシチューの皿を手元に引き寄せた。
やや赤みがかった茶色のスープの中に、メインの牛肉の他にじゃがいも、にんじんと言った野菜がごろごろと入っている。
手頃なサイズのじゃがいもとスープをスプーンで一緒に掬い、口の中に運ぶ。
(……なるほど、確かに良い感じだな、こいつは)
ワインベースに肉と野菜の味が染みこんだスープの味を堪能しながら、煮こまれ柔らかくなったじゃがいもを喰む。
これが中々美味い。サラダなどの野菜がメインの料理はあまり好きではないのだが、このように味がしっかりしみたモノは好みだ。
温まった口を冷やすようにビールを軽く飲みながら、次は本命を狙う。そう、肉だ。牛肉だ。
なにせ『ビーフシチュー』という名称の料理なのだから、肉がメインであることは疑いようもない。しっかり煮こまれ、味の染みた肉が一体どれほどのものか、と期待をしながら口の中に運ぶ。
口の中に収めた肉を喰む。すると、繊維がゆっくりとほどけるように、軽い力で噛みきれる。
(柔らけえな! 硬い肉もあれはあれで肉食ってるって感じで良いんだが、柔らけえのもまた良い)
煮崩れているワケでは断じて無い。形を保ち、味が染みこみ、程良い食感を維持しながらも柔らかいのだ。
単品で食べるに少し濃い目の味付けだが、パンと一緒に食べたり、今のように酒と一緒に食べるのであれば正解だろうと思う。この濃い味のスープにパンを浸して食べたらどんなに美味しいだろうな、と考えてしまうのだ。
濃厚な味に程良い柔らかさの具材たち――なるほど、確かに店主がおすすめするのも分かる。寒い今だから美味さが倍増しているが、しかしこれは夏に来た時もあれば頼むべきか否か迷ってしまいそうだ。
「次、僕はワイン頼もうかな。この手の料理ならそっちの方が合う」
「あ、じゃあ次はわたしもワインにします。実はワインってあんまり飲んだことないんですよね」
「女の子でそれはどうなんだろうか――まあいい、それなら良いのがあるよ。もっとも、ぼくの店は若者がメインだからあんまり高いものは置いてないけど」
「その方が助かるよ。財布もそうだけど、あんまり値段が高くなると普段飲んでいる味と違いすぎて美味しいのか不味いのかも分からないから」
「そういうものなの? ああ、だから格付けチェックなんかで安いワインを美味いって言う人が多いのね……」
「なんだそれ、高いのと安いのを出されて高い方を当てろってクイズの類か? 確かに、俺とか当てられる気がしねえな。自信満々で安いのをうめえって言いそうだ」
ゆるやかに談笑しながら、口の中でとろけて行く肉のように――オルシジームの夜はゆっくりと、溶けるように更けて行った。




