107/王冠に謳う鎮魂歌/1
――竜の咆哮めいた爆音と共に鋼の猛威が転移者たちを襲う。
「あ、痛ぅ!?」
「畜生、全然進めねえじゃねえか!」
「それに、なんで現地人が銃なんて持ってんだよ! 中世ファンタジー異世界だろ、ここ!?」
それは彼らにとっては馴染みのない、けれど知識としては存在する武器、銃。この世界では鉄が咆哮する武器――鉄咆と呼ばれるモノだ。
命中精度こそ弓矢に劣るものの、誰が使っても同程度の高威力、そして轟音による威圧という他の武器には無い利点があった。
轟音と共に鋼の杭が射出され、転移者の一人に掠る。
肉を削る痛みに脚を止めた彼の胸に、風切り音と共に複数の鉄の玉が叩きこまれた。螺旋を描き大気を貫くそれは、転移者の胸板に食い込み、肉を抉る。
「威力はあがっても貫通はしない、か――デレク、もっとガンガン撃って! 魔法使う前に接近される!」
カルナが周囲の敵を睨みつけながら吼える。
銀の長髪を靡かせながら激を飛ばす彼は、愛用の鉄咆に風を纏わせ、前から襲い来る転移者の集団に向け鉄の球を射出している。その度に転移者の集団から複数の悲鳴が漏れ、前進の速度が僅かに鈍っていく。
――オルシジームの小さな工房、そこにカルナたちは居た。
ドワーフの工房を意識した石造りの建物を背中を守る壁としながら、前方から襲い来る転移者と戦闘している。
中に居る戦闘とは無縁のエルフを守りながら、カルナは鉄咆と魔法を解き放つ。灼熱の炎が逆巻き、前に出た転移者を焼き焦がす。
「無茶言うな銀髪ノッポ! こっちのはそっちの魔法付き鉄咆じゃねえんだ。連射なんぞ出来るか!」
全身を焼かれる転移者の悲鳴に負けず、ドレッドヘアーのドワーフのデレクは怒鳴り返しながら鉄咆を撃つ。
轟音と共に放たれた鉄の杭は、狙い違わず転移者の胸部に直撃した。さすがに貫通はしなかったものの、痛みでうずくまる転移者を見て、「っしゃあ」と歓喜の声を上げ次弾を装填する。
「数が多いからオイラでも当てられるねー、これはラッキー」
「撃てば当たるってのは気分がいいなぁ! これは楽勝だな!」
「……数が多いと、それだけ苦労すると思うよ?」
工房サイカスの面々も怒鳴り返しながら、軽口を言いながら、正論を言いながら、しかし慣れた手つきで杭を込め、打ち出している。
弾幕というには程遠い密度ではあるが、しかし轟音と共に放たれる攻撃が、命中した際の痛みが彼らの脚を鈍らせ接近を許さない。
人数以上の敵を足止めしているのだ。傍から見れば、圧倒しているようにすら見えるだろう。
実際、工房サイカスの面々はよくやってくれている。鉄咆は数を揃えて撃つことで真価を発揮する武器だ。製作者たる彼らはそれを理解し、的確に運用してくれているのだ。
(まずいな――援軍なしで、どのくらい持つ?)
だが、カルナの思考は真逆だ。ひやりとした汗が頬から流れ落ちた。
このままでは、蹂躙される。口には出さないものの、そう確信していた。
こちらが大きなミスをしでかしたワケではない。些細なトラブルはあるだろうが、大勢に影響するようなミスは何もない。
だが、それでも崩れる時は一気に崩れる。
転移者が一人、鉄咆と魔法の雨を突っ切ってこちらに接近してきたら――それだけで終わる。
ここに居る面子で戦えるのはカルナとノーラ、そして工房サイカスの面々だけだ。魔法使いと鉄咆使いの技術者、そして神官――前衛が、近づいて来た転移者を抑えこむ人材が皆無なのだ。
無論、デレクやアトラたち工房サイカスのドワーフは腕力がカルナよりも高い。
だが、彼らを前に出すことなど出来るはずもない。そもそも彼らは技術者だ。戦闘を生業とする者でない以上、下手に転移者の前に出たら対応する前にスキルで殺されるだろう。
転移者と戦い慣れていなくてもいい、せめて頑丈な前衛が防御に徹してくれたら、それだけで助かるのに――そんな無い物ねだりを打ち払い、魔法を詠唱する。
「我が望むは、鳴り響く雷光。雷鳴よりも疾く駆け抜け、我が敵を穿て!」
落雷を放ち、その威力と音、そして派手な光で相手の脚を鈍らせ瞳を眩ませる。
カルナは雷、火、氷――様々な魔法で瞳を晦ませ、視線を遮る壁を作り、魔法スキルによる遠距離攻撃を防いでいた。
鉄咆も同様に、大きな音と痛みによって相手を恐怖させ、僅かに足を鈍らせることに成功している。眩んだ目では遠距離からこちらを視認することは叶わず、魔法のスキルで狙い撃ってくる者も、こちらを上手く視認できないのか今のところは居ない。
だが、恐怖には慣れるモノだ。
特に鉄咆は、魔法と違い直撃しても当たりどころさえ悪くなければ死にはしない。ダメージ覚悟で詠唱の隙を突いて突貫されたら、それで終わりだ。
そんな結末になる前に、ニールか連翹、連合軍の誰かが気付いてこちらの援護に来てくれるのを待つしかない。
(後衛の宿命とはいえ、情けないな)
確かにカルナは鉄咆で転移者相手に魔法を使えるようになった。
だが、それは前衛が一人も居なくても問題なく戦い続けられるという意味ではない。魔法に特化したカルナは前衛と連携しなければ真価を発揮できないのだ。
前衛の間合いになる前に蹂躙出来るならまだしも、相手は転移者だ。そう簡単にはいかない。
「カルナさん――」
どうやって持たせる? そう思考する最中。
唯一、遠距離を攻撃する手段のないノーラが、こちらに向かってくる転移者の集団を見つめながら言う。
「――もし突破されたら、オルシリュームで使ったアレを使います。何人も来られたら無理ですけど、一人か、二人なら……!」
「ば――」
馬鹿なことを言うんじゃない、と怒鳴りかけて口ごもる。否定する材料を持っていなかったからだ。
オルシリュームでノーラが行った、いいや、行ってしまった力。それは転移者と素肌で接触しながら奇跡を使用することで、彼らの規格外の力を吸い上げ、その力を流用し強化された奇跡を扱うというモノだ。
神官の奇跡と、転移者の規格外。それらが同じ創造神ディミルゴの力であるからこそ成立する力。
相手の力を封じ、こちらの奇跡を倍以上に強化するのだ。言葉にすれば一石二鳥とすら言えるだろう。
しかし、普通の人間の体は転移者が持つ多量の力に耐え切れない。結果、体に流れ込んだ膨大な力に耐え切れず体が破裂する。治癒の奇跡を用いることで破裂する前に体を修復することも出来るが、それとて体が破裂するような痛みを受け続けるというリスクを伴う。良くて失神、悪ければショック死すらあり得るかもしれない。
(心情としては馬鹿なことはやめろ、と言いたいところだけど……ッ!)
実際問題、一人二人に突破されたらみんな死んでしまう。カルナはもちろん、ドワーフの面々もノーラも、剣を使ったスキル一発で終わるのだ。
無論、カルナ一人だけならば、身体能力強化の魔法で走力を上昇させて逃げ出すことも可能だろう。幸い街中だ、囮になる人材には事欠かない。自分一人だけが生き残りたいなら、大した難易度ではないのだ。
だが、そんなことは出来ない。自分勝手な思考をしてしまう自身に腹が立つ。
ならばここで立ち向かうしか選択肢は存在せず、援軍が来る前に接近されたら誰かしらを殺される可能性を考えれば――
「――ごめん、タイミングは任せたよ!」
――こう返すしか、ない。
実際、それしかこの面子で接近して来た転移者を押し留める手段がないのだから。
「はい……!」
そう言ってノーラは懐からハンカチを出し、右手で握りしめた。デレクやアトラが怪訝そうな目で見ているが、カルナにはノーラの行動が理解出来た。
(痛みで舌を噛み切らない用にするため、か)
自分では耐えられない痛みだと分かっているから、その時に舌を噛みちぎらないように、歯と歯の間で噛みしめるつもりなのだろう。
「――ふ、ぅ……」
背後で感じるノーラの吐息は荒く、しかしそれを必死に抑えこもうとしているのが分かる。初めての痛みを思い出し、恐怖を抱いているのだろう。
それを見て、カルナは強い苛立ちを抱いた。ノーラではない、自身に対するモノだ。
カルナという男が現状を打破できる実力が無く、かつノーラが一時的とはいえ対処する能力を持っている。理屈としては簡単過ぎる程に簡単で、悩む必要などないくらいだろう。
だが、それでも鉄咆を握る手に力が篭ってしまうのは、そんな理屈などどうでもいいと思う燃える感情があるからだ。
――――ああ、なぜここで「そんなことをする必要はない」と、「君は後ろに居るんだ」と言えないのか!
女が危険な選択肢を選ぶことに怒っているのではない。
ノーラは危険を理解し、自分が出来ることを理解し、それゆえに力を使うこと選んだのだ。その決意を女だからだとかいう理由で汚すつもりはない。
だが、それでも自分は男であり、親しい女くらいは守りたいという想いがある。女に守られて、女に危険を強いて何が男だ、という感情があるのだ。
カルナは直接前に出て守るワケではないが、魔法で、鉄咆で、降りかかる火の粉を払うように努めてきた。
だからこそ、悔しいし、苛立つ。
積み重ねた力を使い、けれど理想に手が届いていない現状に腹が立つのだ。
「我が望むは灼熱の焔! その腕で眼前の敵を抱きしめ、永久の眠りへと誘え!」
苛立ち紛れの叫び声と共に灼熱の腕を解き放つ。接近してきた転移者を炎で握り潰しながら、魔法に気付いて接近してきた転移者に鉄咆を撃つ。
敵の数が減らないのは、誘蛾灯に誘われる羽虫の如く転移者がこちらに向かってくるからだ。魔法の破壊は、どうしても剣や槍と比べれば目立つ。燃え盛る炎と瞳を眩ませる雷光は、敵にも自分たちの位置を教えてしまう。
だがらといって出し惜しみしていたら突破される。しかし、使い続けていたら数が減らない。じわりじわり、と追い詰められている感覚があった。
(身体能力強化の魔法で僕が前衛に。逃げ回りながら魔法を使って掃討――駄目だ、できるとは思えないし、すぐに息が上がる!)
ニールに使った身体能力強化の魔法は、文字通り身体能力を強化するだけの魔法だ。
技術は変わらないし、何より肺や心臓などを強化しているワケでもない。すぐに息が上がり、心臓が早鐘を打つのは目に見えている。脱兎の如く逃げために使うならまだしも、自分が戦闘で使うにはリスクが高すぎる!
「ハッハァー! ぬるいんだよテメエら、こうやりゃすぐにぶっ殺せるだろうがぁ――!」
「ち、い……!」
現状維持に務めるか、それとも多少無茶をしてでも敵を減らすか? そう考え始めた矢先に、一人の転移者が鉄咆の直撃を受けながらこちらに突貫し始めた。
「く――そ……!」
「お前がリーダー格だなぁ!? うぜえんだよ、とっとと死んどけぇ! 『ファスト・――」
詠唱と並行して鉄咆の玉と杭を叩き込むが――止まらない。痛みは与えているのだろうが、肌を軽く傷つけるに留まっている。
「――創造神ディミルゴに請い願う!」
詠唱が間に合わない! そう思った矢先に、ノーラがカルナの後ろから転移者に跳びかかった。
転移者はそれに気づきつつも反応しない。動きの鈍さから戦闘に慣れていないことは素人でも分かっただろうし、転移者の障害になり得ないと踏んだのだろう。実際、カルナを殺しさえすれば、ノーラなどどうとでも出来る。
その考え自体は間違ってはいない。
だが、今回に限っては――致命的な間違いだ。
「――エッジ』!」
「――失われ行く命を守る力を、癒しの奇跡……を!」
ノーラを無視してカルナにスキルを放とうとする転移者に、ノーラは抱きつくような形で飛びついた。
右手の手の平を相手の頬に押し当て、祈りが済むか済まないかのタイミングでハンカチを噛みしめる。
――――生成される、焼けるような、光。
太陽の光を間近で見たような暴力的な発光に瞳を眩ましながら、ノーラの力がちゃんと発動したことを理解する。
「ぃ――ぁ――ぉ、が、ぎ――!?」
いいや、発動してしまったというべきか。
歯と歯の間のハンカチを強く強く噛み締めながら悲鳴にすらならない掠れた叫びを上げるノーラの声を聞いて喜べるはずもない。
「あ……? なんでスキルが途中で止まっ……え、あ、鎧が、重てえ……?」
「そこ、かぁ!」
未だ定まらぬ視界の中で、呆然と呟く声を頼りに鉄咆を力任せに振るう。
両腕に鈍器で誰かを殴った鈍い感触と共に、近くから「がぁ!?」という悲鳴が漏れた。鉄咆から、頭蓋を叩き割る感触が生々しく伝わってくる。
だが、そんなことはどうでもいい。問題はその力を使ったノーラだ。
「……ッ!」
無力化転移者の近くで、涙と涎を垂れ流しながら、しかし必死に意識を保とうとする彼女の姿があった。
激痛ゆえか呼吸も掠れ、全身から脂汗が流れている。体の自由が利いていないのだろうか、四肢は痙攣し、スカートが内側から漏れだした生暖かい液体で濡れていく。
とっくに失神していてもおかしくない状態だ。
だが、ノーラはおぼつかない足で立ち上がると、噛んでいたハンカチを外し、言った。
「来るなら――何人でも、来てみなさい。貴方たちの力は、わたしが全部、無力化してみせますから……」
掠れた声音で、しかしそれでも最大限大きな声で、少女は叫ぶ。
その姿は、正直に言えば弱々しい。激痛によってこぼれた涙と涎、振るえる足とそこから滴る尿――強者には程遠い。
「……ッ!」
「おい、あいつただの鉄砲で撲殺されやがったぞ……!?」
「チートを消す能力とかそんなのありかよ、GMか何かが転生してんじゃねえのか!?」
だが。
それでもノーラの弱々しい叫びに足を止める転移者が多かったのは、能力を奪った現場を見たことと、彼女が放つ気迫の強さからだ。
何が何でも皆を守るという想いと、転移者を脅かす一振りの刃、その二つが彼らに恐れを植えつけた。
下手に近づけば自分が信頼する規格外の力が奪われ、殺される。
そう確信したがゆえに、転移者たちはは接近できない――――
「――――なるほど、分かりやすいハッタリだな」
―――そう、思った矢先のことであった。
「神官の奇跡と転移者の力の根本は同一だという。それを強奪することで、自身の奇跡を強化しつつこちらの能力を奪う――か」
かつ、かつ、と足音が響く。
「なるほど、強力だ。強力ではあるが――我の敵ではないな。いや、我どころか、そこらの凡夫でも攻略できるだろう」
現れたのは白地に金の装飾を施された詰め襟の衣服に、同色の外套を羽織った男であった。伸びた艶やかな黒髪をポニーテイルにした彼は、整った顔立ちを真っ直ぐにカルナとノーラに向ける。
(こいつ――ニールとレンさんが言ってた……!)
血塗れの死神を倒す直前に現れたという転移者だ。
そう確信したのは彼が纏う衣服が特徴的だということもあるが、何より自信に満ち満ちた整った顔立ちがカルナに同一人物であると確信させた。
転移者たちの多くは平均的な顔立ちであり、表情も自信に満ちてはいるものの生来の気の弱さを感じられる者が多い。自室で本を読む気弱な男女に近い、とカルナは思っている。
だが、彼は違う。
元来自信に満ち溢れていた男が、他の者と同様に規格外の力を得て更に飛翔した――彼の姿を見て、そんな印象を抱く。
そして、その印象は決して間違いないだろう。転移者が彼――王冠に謳う葬送曲に向ける視線に込められた感情は怖れであり、嫉妬であり、羨望である。好悪の感情の差はあれど、皆が皆、王冠が上で自分たちが下であると認めているのだ。
「力の消失が一時的なモノか永続的なモノかは現状判断出来んが――問題ない。全身鎧などで素肌を隠している者は前に出ろ、肌を露出している者は後ろに下がり魔法スキルで援護だ。問題ない、それだけで蹂躙できる」
「――ッ、我が求むは鋭利なる無数の氷槍――」
あのまま指示を出させるのはマズイ。
確信したカルナは魔法を詠唱し、氷槍を転移者たちへと解き放つ。
「全員、散開しろ。魔法使い相手に密集するのは悪手だぞ」
「お……おう!」
「い、言われなくても!」
「――……! 疾く駆け、敵を穿て!」
だが、一手遅かった。王冠の命令により散開した転移者たちに氷槍の雨が突き刺さるが、先程までと比べ魔法が命中した者の数が目に見えて少ない。
(まず――い)
烏合の衆であったから、今まで食い止められたのだ。手柄や女という欲望に群がる連中だからこそ、行動が直線的で、直情的だった。
だから鉄咆で足止めし、魔法で突出した者を殲滅するということが出来たのだ。相手に戦術も戦略も無いがゆえに、実力と人数に差があってもなんとか耐え忍べた。
そのアドバンテージが、今ここで消失してしまったのだ。
「ふむ、先程突貫して死んだ者は凡愚だったが、目の付け所だけは他の凡愚と比べればマシだったようだ。全員、あの魔法使いに攻撃を集中させろ。奴さえ殺せば、この場に我々を殺傷出来る者は居なくなる」
だが、指揮官が現れたことで、散発的な攻撃をしていた烏合の衆に攻撃の指針が与えられた。
無論、転移者たちの多くは戦いの素人だ。騎士や兵士などといった訓練を受けた戦士の集団に比べれば拙い陣形であり、指示から行動に移るまでの時間も長い。
――だからといって、それが突破口になるわけではないのだが。
「仕方ない、か……デレク! ノーラさん連れて今すぐ逃げて!」
ノーラを掴み、後方へ乱雑に放り投げる。体に力の入っていないノーラは抵抗も出来ず、微かな悲鳴と共に地面に転がった。
勝利どころか耐え忍ぶことすら不可能になった現状、被害は最低限の犠牲に収めるべきだ。そして、現状一番狙わているカルナこそが死を想定した囮――最低限の犠牲に相応しい。
幸い、転移者たちは指揮官の命令を聞いて戦うことに慣れていない。先程命令した直後に命令を変更すれば、末端は混乱するだろう。
だからこそ、他の皆が逃げ出してもすぐには追撃できない。デレクやアトラ、ノーラたちを追撃できるのは最初の命令――カルナを殺せという命令が完了してからだ。
なら、問題ない。僅かではあるが、逃げるための時間くらいは稼げる。
「魔法使――ッ、おい、カルナァ!」
「ノーラさんは任せた! 追いつかれて皆殺しにされてたら、あの世で魔法叩き込むからな!」
魔法――は無理だ。詠唱している暇がない。
鉄咆で時間を稼ぐのも不可能だ。一人や二人の足止めをしても、他の連中の攻撃がカルナの命を奪う。
ならば、せめて急所だけは外し、可能な限り生き足掻いてみせよう。即死さえしなければ、逃げる時間くらいは稼げる。
(……ああ、くそ。嫌だな)
覚悟は決まった。だが、だからといって死にたいワケでは断じてないのだ。
どうせなら勝利を掴みたいし、生き残りたい、当然ではないか。だが、それが叶わないのなら、せめて無駄死はしたくないと思う。
鉄咆を強く握りしめる。恐怖を握りつぶすように、強く強く。
さあ、ただでは死なないぞ、と転移者たちを睨みつけ――
「『バーニング・ロータス』!」
――上空から何者かが転移者たちに突貫し、土煙と共に赤色の蓮が咲き誇った。
「これ、は……?」
敵陣が炎の檻に囚われた。その光景を見て、カルナが最初に思ったのは転移者の誰かがスキルの選択を誤った、というモノであった。
大技で仕留めようとして、周囲に味方がいることを失念したのではないか、という間の抜けた思考をしていたのだ。
だが、その声はどこか聞き覚えがあって――
「間に、合った……カルナ、魔法お願い! 転移者はこの炎だけじゃすぐに死なない!」
――敵陣を閉じ込める檻の中心で剣舞を踊る黒髪の少女を見て、我に返った。
ああ、見覚えのある人物だ。
紺色の水夫服にスカートを合わせ要所を金属鎧で守っている特殊な出で立ちもそうだが、自分の顔を見て安堵の息を漏らす転移者など、一人しか居ない。
片桐連翹。
カルナの知り合い――――否、頼りになる友人だ。
「我が望むは狙い撃つ紅玉。その炎熱を持って眼前の敵を侵略し、輝ける命を強奪せよ!」
礼の言葉を告げずに詠唱を開始する。せっかく彼女が作ってくれたチャンスだ、フイにするワケにはいかない。
魔導書の図面を確認しながらイメージするのは、燃え盛る炎の球。
詠唱と共にカルナの背後に浮かび上がった火球はカルナの意思に従って動き、炎の檻に囚われた転移者たちへと殺到する。
「くそ、誰だバーニング・ロータスなんぞ使いやがったのは! 俺のスキルでぶっ殺――」
炎の檻の中でスキルの使用者を探す転移者の脚に着弾する。火球が炸裂し、爆散し、その体を焼き焦がす。
だが、命を奪うには至らない。魔法の威力を高めるよりも、狙った敵だけに当てることを目指した魔法だからだ。普通の人間やモンスターなら十分過ぎる火力ではあるものの、転移者に対しては非力に過ぎる。
「あ……熱っ……あ、あああああ!」
けれど、問題ない。動きさえ封じれば、連翹の『バーニング・ロータス』が彼らを焼き殺す。
連翹は言っていた、このスキルでは転移者は『すぐには死なない』と。ならば、自分がやるべきことは一人二人を殺すことではなく、複数人の足を奪うことだ。
一人また一人と奪う中、炎の蓮が、灼熱の檻がゆっくりと狭まっていく。足を奪われた転移者が悲鳴を上げて地面を這いずるが――遅い。追いついた花弁は地を這う虫を焼き斬る。
「これで――終わり!」
炎の花が散り、連翹の動きが止まる。
舞いの慣性でスカートを翻しながら、彼女は油断なく剣を構えた。
「こ――これで終わりでいいのよね? と、というかカルナ、ノーラたちは無事よね?」
「ああ、後者に関しては問題ないよ」
視線を後ろに向け、デレクたちドワーフと彼に担がれるノーラの姿を見る。
恐らく、逃げかけた途中で連翹が出現したのだろう。戦いの流れが変わったため、自分たちだけで逃げるよりも一緒に留まった方が安全だと踏んだのだ。
カルナの視線を目で追った連翹は、大きく安堵の息を漏らした。
だが、駄目だ。
それはまだ、早い。
「でも、前者の答えはノーかな。まだ残ってる」
連翹の『バーニング・ロータス』の中に、白い詰め襟姿の男――王冠は存在しなかった。
見逃したという可能性は無い。衣服も佇まいも目立つ男だ。仕留めたのなら、その瞬間に分かる。
「――ふむ。現地人の連合には転移者が居ると雑音や死神から聞いてはいたが」
声は上から聞こえてきた。
見上げると、王冠が大樹の塔の枝に腰掛けている。
彼はこちらを――いいや、正確には連翹をじっと注視していた。探るように、そして愛でるように。
「中々愛らしい顔立ちだ、殺すには惜しい――我の女になれ」
「……ど、どうしようノーラ。あたし、こんな風に口説かれたの初めてなんだけど……ど、どうしたらいいの!?」
「わ――けほっ、わたしに聞かないでください。というか、そんな場合じゃないですよ……」
「ノーラさん無理して突っ込む必要なんて無いから、安静にしてて。というかレンさん、君ってどうして株を上げた瞬間にわざわざ下げるかなぁ……」
「……うん? なんかその台詞、最近あたしも言ったような――と、ともかく! 返事はちょっと待って欲しいんだけど!」
「――ふむ、君は何か勘違いしているようだな」
枝から跳び下りた王冠は、外套を靡かせながら右手をこちらに突き出す。
腰の剣は抜かない。魔法のスキルを主体に戦う転移者なのだろうか。
「我は言ったぞ、『我の女になれ』と。命令したのだ、君に選択権など最初からないのだよ――――男を殺し、女を奪う。これは決定事項だ」
優しく口説く遊びは他の装飾品でしていてね――そう言って、彼は微笑んだ。
(――こい、つ)
ぶるり、とカルナの体が震えた。王冠の笑みに恐怖を抱いたのだ。
笑みそれ自体は柔らかく、少女の心をときめかせるモノである。春風の如く爽やかな笑みとすら形容できるだろう。
だというのに――瞳だけが凍えるように冷たくて、けれどどこかねっとりとしている。
カルナたちを一欠片だって人間扱いしていないのが、瞳を見るだけで分かった。まるで小説や絵本などのキャラクターを観察しているように思える。
ああ、だからこんなに冷たいのか、とカルナは思う。
物語の登場人物がどれだけ好きでも、様々な壁に隔てられた状態で観察しているに過ぎない。それは物語と現実であり、人間と書物であり、三次元と二次元という埋められない距離がある。
彼らは、精神的にその距離を保ったまま、ここに居る。実在の人間を、創作のキャラクターを眺める精神性で見つめている。だから感情はあっても温度を感じない。心と心が遠すぎるから。
「――ふんっ、冗談じゃないわよ……!」
ああ、だからこそ、際立つのだ。
彼女の暖かさが、
心から友人と思ってくれているという感情が。
「ノーラは奪わせないし、カルナだって殺させない――あたしの友達にひどいことなんてさせないんだから! カルナ、調子に乗ったこいつをこの世界でひっそりと幕を閉ざすわよ!」
「ひっそりって……ああ、またあの訛りか……」
苦笑しながら鉄咆と魔導書を構える。
連翹と連携して戦うのは初めてであり、正直上手い連携はあまり期待できない。
だが、それでも不安は抱かない。絶対に勝てるなんて慢心は抱けないが、しかし絶対に負けないという想いが胸に灯る。
(全く、馬鹿みたいだ。でも――)
矛盾した感情だ。絶対に勝つなど不可能と思いつつ、けれど負ける気は皆無。カルナ自身ですらそう思う。
「気負う必要はないよ――僕らが強いのは、そう、確定的に明らか、だからね」
彼女の口癖を真似つつ鉄咆を発射する。
(――頼れる友人と肩を並べて戦って、負ける気になんてなれないさ)




