9/ダンジョン2
探索は順調そのものだった。
ヤルの探知能力とヌイーオの盾役としての力量、そしてニールとカルナの殲滅力が合わされば、そうそう大きなダメージを追うことはない。
一つ一つと部屋に巣くうモンスターを蹴散らし、最後の部屋に辿り着いた。
「……」
ヤルは唇に人差し指を当て、「ちょっと静かに」とジェスチャーをすると、そっと部屋の中をのぞき込んだ。邪魔にならぬよう、ニールたちも覗きこむ。
部屋の中に居たのは十匹のコボルトである。毛並みの悪い犬めいた毛皮の上に、黒くべたついた皮で作られた鎧を纏っている。
「ウェット・ウルフの皮で鎧作ってるみたいだおね。あれって分厚くってぶにぶにしてるから、打撃に対してかなり耐性があるんだお」
「けどよ、コボルト如きがウェット・ウルフなんて倒せるのか? コボルトの方がずっと格下じゃないかよ」
「あれを見るお」
ニールの疑問の答えだとばかりにヤルは指をさした。
そこには彼らが装備してる武器があった。槍が三つ、剣が二つ、そして――弓矢が五つ。
そういうことか、と背後のヌイーオが納得したように頷いた。
「槍と剣の奴らで囲んで、弓矢で殲滅してるわけだ。……コボルトにしちゃあ頭のいい連中だろ」
「だね。下手に突っ込むと僕らも革鎧にされちゃうかも」
頭がいい。それは場合によっては身体能力が高い敵よりも厄介だ。
自分たち人間がいい例だ。身体能力や魔力だけを見れば、人間よりも優れている種族など山ほど存在する。
その差を埋めたのが武器であり、技術であり、知恵である。戦略、戦術を組み立て、自分たちよりも圧倒的に強い敵を屠ってきたのが人間という種族なのだ。
「……そこそこ部屋は広いな」
ニールが部屋の中を見渡して言う。十匹の獣人が寝床兼生活の場として利用しているためか、走り回れる程度には広い。
俺の実力を発揮するには申し分ないな、とニールは笑う。
その言葉を聞いて、考え込んでいたヌイーオが「よし」と大きく頷いた。
「ニール。お前が最初に突っ込んで引きつけて欲しいだろ」
「そういうのはお前の役目じゃないか?」
「全部前衛なら剣振り回して蹴散らせるんだが、飛び道具持ちがいるからなぁ……たぶん、部屋に入った瞬間に亀みたいに防御に専念するハメになるだろ」
ヌイーオを足止めするのに五匹必要だとしても、まだ五匹残っているのだ。
それらはまず倒しやすい人間――ヤルやカルナを集中的に狙うはず。ニールが駆けまわって数匹のコボルトを倒したとしても、その間に盾役の居ない二人が落ちる可能性がある。
故に、
「奇襲からの短期決戦だろ、常識的に考えて。ニールが飛び込んで一匹倒して……いや、ちょいと傷を付ける程度でも構わない。とにかく派手に突っ込んでダメージを与え、視線を集める。その瞬間、カルナが範囲魔法で殲滅。撃ち漏らしがいたら俺やヤルも突入する」
これでいいか? と問うヌイーオに、ニールとカルナは力強く頷く。
走り回って殲滅するのは二人が得意とする所だし、何よりも――
(心が踊る)
己の剣で敵を屠るのだ。そう思考するだけでニールの口元が笑みの形に歪む。
戦闘狂――というワケではない。
剣とは武器だ、武器とは殺す道具だ。そして、剣技とは殺すための技術なのだ。
刹那の攻防の果てに己の刃が敵の命を刈り取ることは、『敵よりも己の剣技の方が上手だったのだ』という証明である。
それが嬉しい、それが心地よい。
ああ、自分は剣に恥じない技術を身につけているのだと、他のどんな行動よりも鮮明に実感できる!
「んじゃあ行ってくる。カルナ、しくったりするなよ」
「ニールこそ。下手打って矢の的にならないようにね」
言ってろ! と叫ぶとニールは一気に部屋に飛び込んだ。
突然の来訪者に驚愕するコボルトたちだが、すぐさま武器を構え始める。
早い。やはりこのコボルトはダンジョンの支配者だ。そこらのモンスターよりもずっと洗練されている。
だが、
(俺の方が早いし、速い!)
コボルトたちが弓を引く。
きりきりと鳴る弦が「お前を狙っているぞ! お前を殺害するぞ!」と叫びニールに敵意と殺意を叩き込む。矢の先端がニールを「早くお前を喰らいたい」と心臓、頭蓋などを見つめている。
(……やっぱ、怖いな)
敵意。害意。殺意。
それをたっぷりと塗った武器で狙われているという実感にぞくりとする。
怖い。下手を打てば容赦なく矢が自分の体を穿ち殺害するという実感に、僅かに冷や汗が出る。
だが、
(それがどうした!)
恐怖を踏みつけ、潰し、砕き、前進する!
弦を握るコボルトの手が離れた。ヒュン、という風を切る音と共に矢はニールの命を貫くために疾走する。
「跳兎斬!」
それとほぼ同じタイミングでニールは地面を蹴り飛ばし、跳躍する。先程までニールが存在した場所に矢が通過していく。
跳躍の勢いで壁まで跳んだニールは、それを足場にすぐさま天井へと跳ぶ。そこから壁、床、壁、天井――と縦横無尽に跳ねまわる。撃ち落とそうと矢が放たれるが、ニールを捉えることはできない。
全てのコボルトが矢を放ち、新たな矢をつがえるその瞬間。ニールは一気に攻勢に出た。
「ラァ――!」
天井を蹴り飛ばしながら剣を振り下ろす。落下の速度によって威力が跳ね上がった刃は、無慈悲にコボルトの頭蓋から股下まで両断する。
コボルトたちの視線が全て着地したニールに集まると、ニールは背後へと跳躍する。その動作とカルナが詠唱を開始するまでの間に大した時間差はなかった。
「我が望むは灼熱の焔。その腕で眼前の敵を抱きしめ、永久の眠りへと誘え!」
歌い上げるように発声した詠唱を、宙を漂う無数の精霊たちが感知する。
カルナが編んだ魔力に精霊たちが殺到し、炎によって形作られた一対の腕が作られた。その腕はゴウゴウという全てを燃やし尽くす暴力的な音を鳴らしながら、コボルトの群れに向かう。
「――!」
コボルトたちはようやくそれに気づき、視線をニールからカルナへ向けるが、遅い。文字通り致命的なまでにだ。
灼熱の腕は我が子を抱くようにしてコボルトたちを抱きしめる。腕の中で響く悲鳴、悲鳴、悲鳴。だが、それすらも炎が燃やし尽くし、永遠に沈黙する。
コボルトたちが完全に絶命していることを確認すると、ニールたちは武器を構えながら辺りを見渡し、安全だと確認すると武器を収めた。
ふう、と安堵の吐息が漏れる。
ニールが額の汗を拭っていると、ヌイーオが「二人とも、お疲れだろ」と微笑んだ。
「お前ら二人でも絶対一匹二匹は撃ち漏らすと思ってたんだが……過小評価だったみたいだな」
「当然だ。俺らの目標を知らないわけじゃないだろ?」
微笑みに対し、ニールは親指を立てることで応える。
(そうだ。まだだ、まだ)
記憶に焼きついた姿は、未だニールを弱者と笑っている。その無駄な努力では届かぬと囁いている。
それらは心が生み出した幻影と幻聴であるのはニールは理解している。しかし、同時に事実だろうとも思っていた。
だからこそ、ニールは駆け抜けて来た。事実を覆すために。しょせん幻影は幻影であり、幻聴は幻聴なのだと笑うために。
「……そうか」
ヌイーオは微笑んだ。しかし、それが肯定の笑みではないことをニールは知っている。
『そこまでして勝つ必要があるのか? あんな化物連中とわざわざ争う理由なんてないだろ、常識的に考えて』
かつて、ニールが己の夢を語った時にヌイーオが言った言葉だ。
馬鹿にしているワケではない、彼はただ心配していた。無茶な目標を掲げひた走る後輩をやさしく諭してやろう、そう思って言った言葉なのだろうと今のニールなら理解できる。
だが、当時はそういった心遣いを理解できるほどの余裕がなかった。会話は徐々に言い争いになり、最終的に剣を交えた大喧嘩へと発展した。買い出しから戻ってきた女将の物理的仲裁が行われなければ、どちらかが大怪我をしていただろう。
(馬鹿だったな、俺は)
ドラゴンの巣に裸で突っ込みたいという馬鹿がいれば、無理だ、無茶だ、やめとけ、などと全力で止めるはずだ。
そう、『ドラゴン』ではなく『ドラゴンの巣』だ。転移者をたとえるのに、ドラゴン一匹程度では生ぬるい――故に巣なのだ。
転移者が言うところの規格外の力を相手取るのは、そのくらいに無謀なのだと誰もが言う。
そんな無謀をやりたいと声高に叫ぶ馬鹿を諌めるのは当然。そんな彼に剣を向けるなど最低最悪な愚か者だ。
だから、
(――諭す必要がないくらい強くなればいい)
そういうことじゃない、馬鹿かお前は――などと、百人いれば九十九人が口をそろえて言うだろう。
だが、いくら無謀とはいえニール自身がそれを諦められない以上、道理を蹴っ飛ばすしかあるまい。
「ニール、ヌイーオ。喋ってないで早く帰ろうよ」
「そうだおそうだお。とっとと帰ってメシ貪って酒飲んで酒飲んで酒飲むんだお!」
急かす二人の声に、ニールとヌイーオは小さく笑った。




