表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
血に濡れ、血に飢えた死神
107/288

104/血戦

 疾走、疾走、疾走。

 地面を駆け抜け、人の波を縫い、時に跳躍し木を蹴り飛ばしながら、ニールは走り続ける。

 森から響く轟音は、連翹と別れた時点よりも近くから、そして複数の地点から聞こえてくる。

 近づいて来ているのだ、複数の集団が。体力の温存など考えている暇はない。

 

(転移者は俺より身体能力が高い――無手の状態で出会ったら、そのまま逃げられねえかもしれねえ!)


 だから、転移者と出会う前に修練場に到着し、ノエルから霊樹の剣を受け取らなければならない。

 幸い、転移者は未だ森を破壊しながら直進している段階だ。急げば、剣を手に入れる時間くらいはあるはずだ。

 だが、修練場に居るはずのノエルが迎撃のために外に出ている可能性はある。

 その時は――修練場にある手近な霊樹の剣を、緊急措置として使わせてもらうしかない。幸い、霊樹の剣には意思があるという。ならば、説明すれば問題ない――かもしれない。

 無論、そんな確実性のないことも、代用として意思のある剣を使うこともしたくない。

 だから走るのだ。

 昼に来いと言った以上、ノエルは修練場で準備をしているはず。彼が痺れを切らして外に出るよりも先に辿り着く!

 

「見え……た!」


 都市の外れ、巨大な切り株を円錐状に抉って闘技場のように改築された建造物、修練場。

 ニールは地面を蹴り跳ばし加速。勢いのままに扉を蹴破り、転がり込むように侵入する。

 それと同時に、外から一際大きな炸裂音が響いた。森の城壁を完全に穿たれたのだろう。


(幸い、修練場近くで戦闘の音は聞こえねえ。まだ、ここに転移者連中は来ていな――)


 瞬間、首筋に凍えるような感覚が走った。

 すぐさま回避行動を取らねば問答無用で意識を死という闇に落とされる――そんな確信を抱くほどに冷たく、そして鋭い殺気。


「……ッ!」


 足先で扉の残骸を跳ね上げ、盾にしつつ背後へと跳躍。

 床に靴跡を刻みながら、凍えるような殺意の主から距離を――


「――ニール・グラジオラス、貴様か」


 ――白髪のエルフ。霊樹の剣を抜き放ったノエルが、呆れたように嘆息した。

 木製の鎧――恐らく、これも霊樹なのだろう――を身に纏った彼を見て、ニールもまた息を吐く。


「……ノエルか。驚かせるなよ」


 正直、死んだと思った。

 武器を持たずにあの殺気の持ち主に襲われたのだ、それも致し方無いことだろう。

 だが、ノエルはむしろこちらを非難するように、表情の少ない顔に明確な怒りを載せ半眼で睨む。


「それはこちらの台詞だ。なにせ、この騒ぎの中で扉を蹴破るという狼藉をしたのだ、不埒な襲撃者と誤解しても致し方あるまい」


 ぐうの音も出ない正論であった。同じ状況だったらニールだって襲撃者だと思うし、先手必勝で殺しにかかる。


「それに関しては言い訳できねえな……悪い、急いでたんだ」

「だろうな――そら」


 頭を下げた瞬間、ノエルは何かをこちらに向けて放った。

 慌ててそれを受け取ると、程良い重さが腕に伝わる。重すぎず、けれど軽すぎるワケでもない、腕に馴染む重さだ。

 それは、鞘に収められた剣だ。

 鉄の重さとは違う――けれど、木製ではありえない重さを持った剣だ。


「こいつは――」

「認めた剣の中で、一番貴様の戦闘スタイルと合致した剣だ」

 

 鞘から滑らせるように刀身を抜き放つ。

 現れたのは木製の刀身だ。木目があり、木材特有の温かみも存在し、けれど鉄剣めいた光沢と剣呑さを持っている、霊樹の剣だ。

 じっと刀身を見つめるニールだが、しかし同時にこちらも見られているような感覚があった。剣自身もまた、ニールという剣士を見つめているのだ。


 ――認めてやったのだ、失望させるなよ。


 そんな風に囁かれた。そんな、気がした。

 無論、ニールはエルフの神官ではない。草木の声を聞くことは出来ない以上、その囁きはきっと錯覚なのだろう。

 だが、そんなことはどうでもいい。


「ハッ――見てろよ、すぐにでも『俺を選んで良かった』って思わせてやるからよ」


 にい、と口元を釣り上げる。

 そうだ。その囁きが幻聴だったにしろ、本物だったにしろ、どうでもいいのだ。確かなのは、この剣が意思を持っていて、ニールを使い手として選んだということだけ。

 ならば、やることは一つ。

 お前の目に狂いなどなかった、と磨いた剣技を以って証明するだけだ。


「ふむ、性格の相性も悪くは無さそうだ。ならば――」


 不意にノエルはゆらりと、流れるように――けれど矢のように鋭く剣を突き出し、扉の外へと勢い良く踏み込んだ。

 会話の最中の何気ない動作に見えて、しかし鋭く研ぎ澄まされた必殺の一撃。ゼロから最高速まで瞬時に到達した剣先は、いつの間にか入り口まで来ていた転移者の男の喉に突き立った。


「ご……が……な、ぎ……」


 自分の喉を見下ろし、くぐもった困惑の声を漏らす転移者に目もくれず、ノエルは愉しげに笑った。


「――好きなだけ試し切りして来ると良い」


 剣を引き抜き、蹴り飛ばす。

 喉から血を噴出しながら吹き飛んだ男は、こちらの様子を伺っていたらしい転移者集団の元に転がっていく。


「……そうさせてもらうぜ。だが、その前に一つ」


 喉を抑え、声にならぬ声で同じ転移者に助けを求める男の顔面が踏み潰される。

 邪魔だ、と。

 無能は引っ込んでいろ、と。

 そうやって口汚く罵るように。

 きっと、元から仲間意識など皆無なのだろう。


「どうした、ニール・グラジオラス」

「昨日俺と戦った時だ。お前、だいぶ手加減してやがったな」


 先程の転移者の喉を穿った刺突。

 それは、昨日修練場で戦った時に放ったモノよりも、鋭く、研ぎ澄まされていた。

 昨日、それを使われていたら自分は勝てたのか? 内心で自身に問いかけるが、応えは否だ。自分の技量では、あの突きを螺旋蛇で絡め取ることも、踏み込んでカウンターをすることも不可能だろうと思う。

 そんなニールの考えに気付いたのか、ノエルは小さく口元を緩ませた。


「当然だ。殺す戦いではなく、試す戦いなのだからな。一撃で倒れられては、実力を測れん」

「そりゃ当然なんだろうが、手加減に気付けなかった自分の間抜けさ具合に腹が立つんだよ。おい、落ち着いたら本気で戦わせてくれよ。勝つにしろ負けるにしろ、侮られたままってのは納得いかねえんだよ」

「ふむ――互いに生きていて、なおかつ貴様が相応しい相手だと判断したらな。状況次第だが、考えてみよう」

「マジか!? っしゃあ! 言質取ったからな! 後で反故にすんじゃねえぞ!」

 

 鞘をベルトに繋ぎ、こちらを伺う転移者に視線を向ける。

 数は五。遠くで暴れる者は見えるが、しかしニールたちに敵意を向けるのは五人だ。

 彼らは皆、嘲るような笑みを浮かべ、こちらを見ている。

 即ち、自分たちが上であり、お前らは下だ――と。

 敗北の未来など欠片も考えず、剣をこちらに向けていた。


「長い長い身内同士の話は終わったか? まあ、傍から見ていて退屈はしなかったよ。敵の前でだらだらと会話するなんて軍場いくさばを理解していない劣等っぷりを観察させて貰えたのだからな。やはり貴様らは劣等であり、おれたちに勝てないという事実が証明されたわけだ。その理屈がお前らの低能な頭脳で理解でき――」


 抜剣し、突貫する。

 剣を右肩に担ぎ上げるようにして構え、疾走、疾走、疾走。前へ、前へ、前へ!

 長々と何事かを語っていた男は、ニールの突貫に気づきつつも、こちらを見下すことは止めない。

 当然だ。転移者の体は屈強で、よっぽどの名剣でもなければ斬ることは叶わない。だから、男は動かないのだ。


「――ああ、理解できないようだな。というより、錯乱しているのか? 木刀……いや、木剣か? そんなモノで斬りかかる、いいや、殴りかかるなんて! まあ、一山いくらの雑魚が俺のような実力者を直視したら、SAN値が一気にゼロになっても致し方がないと思うけどね! 戦わずした相手の精神を殺すとは、さすがはおれだな! ははははははは――」


 踏み込み、振り抜く。

 速度と体重を乗せた全力の一撃は、高らかに笑う男の肩を食い破り、胸を両断し、腰まで走り抜ける。

 ザン、と。

 肉と骨を切り裂いた重く、しかし鋭い音が辺りに響き渡った。


「――はは、は、は?」

「……すげぇな、俺が使ってたような鉄剣の比じゃねえぞ」


 呆然とした声を聞きながら、自分が握る剣を見つめる。

 切れ味の鋭さ――だけではない。

 ニールの力と剣の刃がカチリという音と共に噛み合い、互いを引き立てている実感。

 剣の軽さはニールの速度を活かし、ニールの踏み込みの鋭さが剣の刃を研ぎ澄ましている。


 剣に使われているのではない。

 剣に足を引っ張られているワケでもない。

 互いが互いを支え、一つ上のステージに押し上げている――剣を振った感覚が、ニールの全細胞にそう告げているのだ。


 ああ、これなら誰にだって勝てる。

 今なら、誰にだって負けない――


(馬鹿か、俺は!)

 

 ――そんな全能感を引きちぎり、勢い良く跳躍する。


「『ファスト・エッジ』!」


 瞬間、複数の叫びと共に先程までニールが居た場所に連続して斬撃が通過して行った。

 舌打ちをする転移者たちから視線を外さず、ニールはスキルによって放たれる技の冴えを肌で感じ取る。

 やはり、転移者は強い。

 元々の身体能力もそうだが、スキルによって放たれる技の冴えはニール程度の剣士を上回っている。


(俺と剣の相性が良くて、前よりも強くなった――だからどうした、馬鹿か! 俺の身体能力が奴らに比べて劣っているし、転移者のスキルに比べて俺の剣は鈍いだろうが!)


 慢心するな。

 ニール・グラジオラスという男は、別に剣の天才でもなんでもない。

 剣で致命傷を与えられるようになった程度で、何を得意になっているのだ。

 剣で斬って相手を殺せるようになった――つまりは、ようやくスタートラインに立っただけではないか!


「隙だらけの馬鹿を殺した程度で得意になるなよ、劣等」

「ぼくは強いんだ」

「おれは最強なんだ」

「たかだか現地人けいけんち風情が調子に乗るなよ、とっとと糧になれ」


 鳴り響く独尊の輪唱を前に、ニールは油断なく剣を構える。

 無闇矢鱈に突貫することはしない。確かに自分は前に前にと進んで剣を振るうのが得意であるし、それが一番自分の持ち味を活かせる方法だとも思っている。

 だが、どんな技にだって効果的なタイミングというモノが存在するのだ。戦いとは、自分と相手とのせめぎ合い。自分が得意だからと同じ動作しかしなければ、見切られ、狙い撃ちにされるのは自明だろう。


「……」


 ピリピリとした空気が肌を切り裂く中、ニールから少し離れた位置で、ノエルが油断なくニールと転移者たちを観察していた。

 それは、ニールが危険ならばすぐさま援護をしようとする意思であり、同時に力量を見極めようとする眼差しである。

 

(つまりは、すぐに手を出さない程度には強いと思ってるワケか)


 ――上等だ。

 獣じみた笑みを浮かべ、ニールは相手から距離を取った。

 それを逃走と判断したのか、転移者たちは獲物を追い詰める狩人の余裕を表情に浮かべて追いかける。


(道中に出会ったデブの転移者が女王都で戦ったレオンハルトよりも動きが鈍かったのと同じだ)


 一斉にニールを追いかけた転移者たちだが、足の速さに差があるためか、密集隊形が崩れ始める。

 よし、と内心で頷く。

 うまい具合にバラけているし、上手に走れている奴は少ない。


(――体型、元々の筋肉の差で、転移者の身体能力にも差がある)

 

 それに加え、走るための体の動かし方を理解しているかしていないか――これにより、チートと彼らが呼ぶ力を持っている者同士でも走る速度に差が出る。転移者どころか、現地人相手ですらも。

 実際、ニールは彼らに比べて身体能力が高いワケではない。筋力も体力も半分以下だろう。

 だというのに僅かな時間とはいえ距離を保って走れているのは、ニールが走るのが得意であり、かつ目の前の転移者がチートを持つ前は走り回ることが不得手だったからである。力の大部分をロスしているため、ニールに追いつけないのだ。

 無論、このまま逃げ続けても逃げきれるはずがない。スキルなどで追撃されずとも、先にニールの体力が尽きるのは明白なのだから。

 しかし、問題ない。

 そもそも、ニールはこのまま逃げ切るつもりなどないのだ。


人心獣化流じんしんじゅうかりゅう――」


 体を捻りながら急停止。

 ギチギチ、と。さきほどまでの疾走のエネルギーを体に伝え――

 

「――鰐尾円斬がくびえんざん!」


 ――剣を振りぬきながら高速回転。真後ろに迫った転移者の胴を両断する。

 追撃する姿勢のまま宙を跳ぶ転移者の上半身に対し、ニールは鰐尾円斬の勢いのままに回転蹴りを叩き込む。血煙と共に吹き飛ぶそれが、後続の転移者集団に飛び込み――命中。相手の足が僅かに止まったのを見る間もなく、ニールはまた駆け出した。

 まずは、一人。


(俺はカルナみてえに魔法で一掃できるわけじゃねえ、英雄リックみてえに無双が出来るほど剣に秀でてるワケでもねえ。そんな俺が、誰かの援護も無しに複数人の強者と戦って、勝てるはずもねえ)


 一人を斬っている間に、他の転移者のスキルで殺されるだけだ。

 ならば、どうする?

 

 ――簡単だ、たった一瞬でいいから、一対一の状況を作り出せばいい。


 そうなれば、後は経験と剣でねじ伏せることが出来る。

 

「この野郎、ちょこまか駆け回りやがって! とっとと死ね、クソが! 『スウィフト・スラッシュ』!」


 先頭の一人がスキルを発動し、一気に間合いを詰めてくる。

 スキルの使用中は素人であっても達人の技量を得られる――その技量には、間合いを詰める技術も含まれていた。

 体の動きが変わる。腕や足の動かし方、体重の位置。それらが理想的な形に修正され、転移者の速度が加速する。

 この瞬間、ニールとその転移者の速度が逆転した。当然だ。元々、身体能力に差があるのだ。相手が正しい走り方をすれば、間を詰められるのは道理である。

 追い上げる転移者を確認すると、ニールは振り向きながら立ち位置を調整し始めた。

 可能な限り、襲い来る転移者の体が後続の転移者に対する壁になるように。対処をしている間に剣や魔法で追い打ちをかけられないように。

 足を止めたニールの姿を見て観念したのだと思ったらしい転移者は、大口を開けて笑みを浮かべる。俺の勝ちだ、と。


「死ねぇええ!」

「人心獣化流――」


 剣を握る手を右頬の辺りまで引き、待つ。

 正直、この技はあまり得意ではない。相手の動きを待ち、反撃するという動作があまり気質にあっていないのだろう。やはり、自分は駆け抜けながら剣を振るのが性に合っている。

 だが、必要な技であるのも事実。

  

(スキル、スウィフト・スラッシュは――)


 剣が振り下ろされる。

 その速度は鋭く、重く、疾い。ニールどころか騎士よりも、ずっと、ずっと。

 本来ならば、ニール程度の剣士が対処出来るモノではない。

 そう、本来なら。


(――右からの切り下ろし――こっちの視点なら左上からの斬撃で始まる三連撃だ!)


 初太刀を少し下がることで回避すると、ニールは踏み込みながら剣を突き出した。

 手元を捻り、螺旋を描くような刺突。それが二撃目を放とうとする相手の剣を絡めとり――


「――螺旋蛇らせんへび!」


 ――弾き飛ばす。

 へ? と転移者の男が間の抜けた声と共に空手となった己の両腕を見る。ありえぬ出来事を目撃し、困惑するように。

 だが、それはニールが奇跡を起こしたワケでも、転移者が目を覆うような不運に見舞われたワケでもない。

 当然だ。

 剣を振る、という動作は常に力を入れているワケではないのだから。

 力むのは剣を加速させる最初と、相手に刀身をぶつけた時――即ち最後だけだ。その中間、そして剣を振るう前などは筋肉を弛緩させている。

 その弛緩した瞬間を突き、絡めとった。ただ、それだけだ。

 お手本道理の動作ではあるが、しかし本来ならばそう上手く決まるモノではない。攻防の一瞬一瞬から相手の弛緩した瞬間を突くのは、それこそ熟練の剣士の技だ。ニール程度の剣士に届く領域ではない。


「な、なんで――おれの必殺技が」


 だが、ニールには対スキルの経験がある。恐ろしさを知るのと同時に、弱点もまた理解しているのだ。

 熟練の剣士の技を呼び出し、それをトレースするスキルという力――だが、そこには大きな弱点がある。

 それは、同じ動作しか出来ないということ。

 どれだけ疾くても、どれだけ鋭くても、どれだけ重くても――誰が使おうが、必ず同じ動作。

 

「うるせえ、何度テメェらの技見たと思ってやがる!」


 剣を相手の顔面に叩きつけ、一刀の元に股下で振り切りながら吠える。

 そうだ。本来対処出来ない技量の技であっても、返せる、防げる、崩せる、カウンターが決められるのだ。

 無論、スキルを上手く使って来たのなら話は別だが、先程のように適当に放ったスキルならどうとでもなる。

 血に濡れた刀身を軽く振ることによって払いつつ、残った二人に視線を向けた。すぐ側に迫っているようなら、退避なり反撃なり、何かしらの対処をする必要があるからだ。

 

「剣は強いらしいが、魔法ならどうだ!」

「三人も転移者斬った現地人を殺せるんだ、これは功績もデケェな!」


 だが、二人はその場で動かず、距離を取ったまま右の手の平をこちらに突き出している。

 恐らく、三人も斬り捨てられたことから接近戦は不利と考え、使用するスキルを魔法に切り替えたのだろう。

 しょせん剣士、間合いさえ取れば何も出来ずに焼かれて死ぬ――そう確信しているらしい二人の転移者は、嘲るような笑みを浮かべこちらを見つめている。


「さあ、泣け、叫べ! 慈悲を願うといい!」

「惨めに足掻けば、場合によっては殺さないかもしれないぞ?」

「――はっ」


 馬鹿が、と鼻で笑う。

 そんなセリフを長々と語る暇があれば、魔法のスキルを何発か撃つべきだったのだ。そうしたら、勝利の可能性は多少なりともあったろうに。


「――撃つならとっとと撃てよ、ノロマ」

「馬鹿が――『ファイアー・ボール』!」

「無様に死ね、『ライトニング・ファランクス』!」


 レオンハルトが使った火球の魔法が、ニールが知らぬ雷光の槍の群れが、標的に向けて解き放たれる。

 それを確認するよるよりも疾くニールは剣を鞘に収め、体を肉食獣めいた前傾姿勢にし――駆ける!

 ニールの体を地面に叩きつけようとする重力、それすらも前に進む力とし、前へ、前へ、前へ。

 魔法使いでなくても分かる、その魔法には現地人の魔法を超える威力が内包されていると。

 直撃すれば死は確定するであろう魔法の壁を前に、ニールはただただ進む。前へ、前へ、前へと。


 灼熱の炎? 

 雷の槍衾?

 そんなモノどうとでもない、と言うように。

 ただただ、前へ。


 魔法の壁が、近い。

 炎が、雷の槍が、ニールに迫る。


「おおおおらァア!」


 咆哮し、両足に更に力を込め、ニールは更に前傾する。

 地を這うように、飢えた狼が獲物を捕捉し、だただ前に進んでいるかのように。


 ――単純な話だ。


 適当に石を投げたとして、面より線の方が、そして線より点の方が当たりにくいに決まっている。

 魔法だって遠距離攻撃の一種だ、その理屈は大きく変わらない。

 なら、『線』の状態――二足歩行した状態で魔法を使わせ、その後に前傾し相手の視点から見て『点』となる。

 魔法は多少狙った相手を追尾する特性があるらしいが――問題ない。魔法がニールの狙いを修正するよりも疾く、相手に斬りかかればいいだけの話だ。単純だ、分かりやすい。


「人心獣化流――――」


 じりっ、と背中が焼ける感覚。

 炎で、雷光の熱で、肉が炙られる痛みを知覚する。

 だが、それで終わりだ。

 灼熱がニールを燃やし尽くすワケでもなければ、雷光の槍が体に突き刺さることもない。

 目の前の男たちの表情から、余裕が消滅した。


「う――そだろ、くぐり抜け――」

「ひ、やめろ、こっちに来ん――」


 鞘から剣を引き抜き、振りぬく。

 シャン、という鞘走りの澄んだ音と共に二人の転移者の脇をすり抜ける。


「――――餓狼喰がろうぐらい、居合いだ。本来は雑魚を散らすためのアレンジだが、この剣なら――」


 背後で鳴り響く魔法の音。ニールという目測を失い、地面に向かって放たれた破壊の音色を聞きながら、ゆっくりと刀身を鞘に収める。


「――必殺の一撃になるみてえだな」


 チン、という硬質な音と共に、転移者の胴がずるりとズレる。僅かに遅れ、血が吹き出した。

 二人分の悲鳴と、一人分の呻き声、そして音を発しなくなった二つの死体。

 三つの音と二つの無音を感じ取りながら、ニールは荒れる心臓と呼吸をゆっくりと整える。あれだけ駆けまわったのだ、息も上がるし、心臓も跳ねる。

 だが、それ以上に――


(いける、やれる――俺は、戦える)


 ――心を揺さぶる高揚があるのだ。

 正直に言うと、不安があった。

 新しい剣を手に入れて、それでどうしようも無かったら? という考えても仕方のない、けれどどうしても考えてしまう不安だ。

 だが、勝てた。

 相手は油断していたし、慢心だってしたいた。だが、五人。転移者を、五人、この剣で切り捨てることが出来た。自分は、夢に近づいている。


「終わったか」


 歩み寄ってくるノエルに、ニールは歓喜の表情を隠さずに問いかける。

 

「どうだ、ノエル! お前から見て俺はどう見える!?」

「ふむ、そうだな中々悪くは無かった。点数を出すなら八十点だろう。もっとも――」


 瞬間、ノエルは鋭く踏み込んだ。

 鞘から剣を走らせ、勢い良く突き出す。

 剣先が指し示す場所は――先程、ニールが餓狼喰がろうぐらい居合いで両断した転移者の口だ。

 

「ファ、い、あ、ご、ぼ、ぼ、ぅる」


 口内を霊樹の剣で陵辱され、意味ある言葉を発せなくなったが、それでも断片から何を言おうとしたのかは分かる。

『ファイアー・ボール』

 転移者が使うスキルであり、火球を放つ魔法だ。

 その事実を理解した瞬間、胸を燃やす高揚は、一転して全身を凍えさせる寒気となった。


「――残心の拙さで四十点といったところだな。攻めている間は熟練の戦士と言ってもいいが、それ以外がまだまだ未熟だ」

 

 返す言葉もない。

 もし、自分一人で戦っていたら、いい気になっている間に死に損ないに殺されていた。

 

「……くそっ、なにを勘違いして舞い上がってんだ俺は」

「そう落ち込むな。生きているのなら次に繋げられる。二度、同じ失敗をしないように心がけろ」


 それに、と。

 ノエルはニールの肩を優しく叩いた。


「未熟だが、見込みはある。約束だ、互いに生き延びたら本気で戦ってやる」

「――本当か! 二言はねぇよな!?」

「無論だ。だから死ぬな――――!?」


 談笑を断ち切る刃のように。

 重厚で、濃厚で、硬質で、憎悪で鍛えた刃めいた殺気がニールたちに突き刺さった。


「見ぃ、つ、け、た」


 赤い、赤い斑色。

 それは、右袖が半ばで切断された、血塗れのパーカーを身にまとった少女だった。

 フードを目深に被っているため、表情を伺うことは出来ない。

 けれど、けれど想像出来る。出来てしまう。


「現地人、ニール、アタシの勝利の証に、アタシの敗北の証を染み込ませた奴の、一人」


 憎悪、怒り、殺意――そして、歓喜。

 憎くて憎くて仕方のない仇を前にして怒りを燃やし、けれどその仇を処刑できることを心の底から喜んでいる。

 そんな、怒りと喜びが同居した、混沌の笑みを浮かべていることだろう。


「レゾン・デイトルの幹部――血塗れの死神グリムゾン・リーパー……!」

「久しぶりね、不敬な劣等。殺しに来てあげたわ」


 パーカーの裾から古びたショートソードを取り出しながら、死神グリムは憎々しげに口元を歪める。

 

「ああ、いやね、いやだわ。アンタを見てると思い出すのよ。敗北を、命乞いする弱い自分アタシを、この世界に来るまでの弱い弱いアタシの全てを!」


 よく見れば、彼女の体からは液体が滴っている。

 それはどす黒い赤色の雫。

 錆びた鉄の臭いを発する、人間の命の赤だ。びた、びた、と滴るそれは、彼女自身のモノでも、ましてや返り血でもない。

 それは、体を裂き、血管をちぎり、心臓を握り潰しながら体に塗りたくった――言うなれば浴び血。死神グリムを名乗る少女の臭いを全て押し隠す、他者の死の香だ。


「ねえ、なんで? なんでアタシの邪魔するのよ。アタシはただここで好き勝手に生きたいだけなのに、全てを踏み潰して、好きなように生きたいだけなのに。なんで邪魔するのよ!? ねえ! 死んでよ! 死んで! お願いだから死になさいよぉ――その血でアタシの敗北を拭ってよ! 取れないのよ! アタシの血の臭いが! アタシの弱さが! 敗北の全て全て全て全てが! アンタとあの女が生きてる限り消えてくれないのよ! だからねえ、死んで? 死んでよ、死になさいよ、今、すぐ、ここで、アタシの手で!」


 狂乱。

 その一言に尽きる。

 考えて喋っているのではなく、感情のままに言葉の羅列を吐き出しているだけなのだろう。

 まともに聞く必要などない。そう理解したニールは、すぐさまノエルに囁いた。

 

「悪い、ノエル――他の連中任せてもいいか?」

「それは構わんが――貴様こそ、あの狂人の相手が出来るのか?」

「当たり前だ。見てろ、さっきの減点消し去るくらいの大金星あげてやるからよ」


 抜剣し、剣先を死神グリムに向ける。

 相手がその気なら丁度いい。

 なにせ、雑魚の転移者なら騎士たちも倒している。

 それと同じことをした程度では彼の――相棒カルナの隣に立つには相応しくあるまい。

 前衛をサポートする魔法を発明し、鉄咆てつほうという武器すらも開発しどんどん強くなっていく彼と釣り合うには――こちらも一騎打ちで敵将を倒す剣士にならなくてはいけない。少なくとも、ニールはそう確信していた。

 にいっ、と獰猛な肉食獣めいた笑みを浮かべる。


「よう、久しぶりだな。あれだけ無様に命乞いしてたってのに、随分と元気じゃねえか。今日は死にたくないの、って言わないのか?」


 ぎちり、と軋む音が聞こえた。

 心が、体が、全て全て、怒りと憎しみと羞恥でギチギチと軋み――爆発する。


「あっ――あ、あ、あああ、あああァァァァアアアアアアア! 許さない、許さない許さない許さない! 殺してやる、殺してやる、殺してやる、死んじゃいなさいよ劣等がぁあああ!」

「はっ、語彙が貧弱になってんぞ」


 だが、上等だ。

 少なくとも、この瞬間だけは互いの気持ちは一致しているのだから。


「いいぜ、来いよ。俺だってテメェを許す気もねえし、ぶっ殺してやりてえと思ってんだよ――見下してんじゃねえぞ糞女がァ!」


 ヒステリックな叫びと共に突貫してくる死神グリムと同様に、ニールもまた猛りながら間合いを詰める。

 戦いの火蓋は、切って落とされた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ