99/自身ほど見えぬモノ
――食器が鳴る音が淡々と響く。
近くのテーブルから話し声や笑い声は響くものの、このテーブルは無言。沈黙を保つ女性陣と、それに対し言葉をかけられない男性陣という図がそこにあった。
カルナがちらちらとニールを見つめる。何があったんだよ、お前説明しろよ――そんな声なき声が聞こえてきそうだ。
「……わたしとしては、ですね」
不意に、ノーラが沈黙を破った。
提供された紅茶で口の中を湿らせ、しかし香りを楽しんだ風でもなく。淡々と、真顔で。
(――やっべえ、怖ぇんだけど)
ノーラは普段ニコニコと微笑み、それ以外でも表情は基本的に柔らかい少女だ。
だからこそ、柔らかさが取り除かれ、怒りという刃を研いだその表情は、下手に常日頃から顔を顰めている者よりもずっと恐ろしい。
「別に、中に入ってしまったのはいいと思ってます。ええ、女性が居る部屋に突然入るのは頂けないですし、それはそれで問題ではありますけど、『着替え中だから待っていてください』とは言いませんでしたし」
カルナの視線が痛い。『ニール、君一体全体何やってんのさぁ!』という想いが言葉よりも雄弁にニールに突き刺さる。
普段なら『仕方ねえだろ!』などと適当に反論するところだが、今回ばかりはそれも難しい。なにせ、自分でもやらかしたという自覚があるからだ。
「でもですね……椅子に座って鑑賞し始めるのはさすがに予想外でしたよ。……レンちゃんが蹴り飛ばさなければ、わたしが適当なモノ掴んで顔面を殴りつけてたと思います」
「君さぁ本当に何やってんの!? 僕が想像したやらかしよりも、ずっとずっと斜め上だよコレ!?」
ついに視線だけではなく叫びをニールに突き刺してくるカルナだが、怒鳴り返すことも出来やしない。冷静に考えると、入室してからの行動はツッコミ所しかなかったからだ。
(マジで、なんであんなことやらかしたのかね……?)
普通に考えれば、走れずともドアから出れば良いだけだ。
だというのに、『立っている、もとい勃っているから走れない』という理論にもなっていない理論で足を止め、部屋に留まった。
色々言い訳を並べつつ、あそこに留まる理由を探したのだ。それが、解せない。
「まあ、見られたのはわたしじゃないので、わたしが怒るのは筋違いでしょうから――レンちゃん、言いたいことあるなら言っちゃってください。
ええ、遠慮無く、全部、余すことなく。多少の罵倒だって今回は許されます、というかわたしが許しますから。ニールさんが『許さない』とか言い出したら、二度と口聞きませんから。
なので――」
「……うん、怒りはあるっちゃあるんだけど――実を言うと、こういうラッキースケベイベントを体験できて、怒り以上になんかワクワクしてるのよねあたし」
「――思いっきり文句とか……え、ちょ、レンちゃあぁぁんっ!? 字面で言葉の意味はなんとなく分かりますけど、それがラッキーなのは男性だけですからね!? 女性にとってはアンラッキー以外の何物でもないですからね!?」
「いやね、でもねノーラ! こういうシーンに遭遇すると、なんか自分が物語のヒロインになった気がして興奮するのよ! やっぱ着替えてる部屋に突入されるのってヒロインの特権よね! ヒロイン的には、ここらで一つ決闘でもしておくべきなんじゃない!?」
「そんなのがヒロインの特権なら、わたしはヒロインなんかになりたくないですよ! というか、転移者の考える物語のヒロイン像っておかしくないですか!?」
ノーラは頭のおかしい――男のニールが聞いてもワリと頭おかしい――言葉に拳を思い切り机に叩きつけ……小声で治癒の奇跡を使い始めた。
「の、ノーラさん、大丈夫? ノーラさんは別に体を鍛えてるワケでも、転移者みたいに頑丈になる能力があるワケでもないんだからさ。木製とはいえ頑丈な机に手を叩きつけたら、そりゃ痛いよ」
「大声出したり机を叩いたりしない方がいいわよ、ノーラ。みんなこっちを見てるじゃない」
「ううぅぅぅぅ……! なんでわたしが変なことした風になってるんですかぁ……!」
「お……おい、大丈夫かよノーラ。気持ちは分かるが紅茶でも飲んで落ち着けよ」
「この流れでニールさんに慰められるのが一番腑に落ちないんですけどぉ!?」
荒い息を吐きながら机に突っ伏し、うーうー、と呻き声を漏らす。
その背中を気遣わしそうな顔で連翹が擦っているが、彼女の現状の半分くらいはお前の責任だと言いたい。言いたいが、もう半分はニールの責任であるのは明らかなので、知らぬ顔でサラダに手を伸ばす。
「……分かりました。レンちゃん自身、そこまで怒っていないなら、わたしが怒るのも筋違いですから。でもですね、ニールさん」
のそり、と顔を上げ、ニールを睨む。
「お、おう」
「さすがに何もしないってのはどうかと思うんですよ。たしか、剣を取りに行くのは昼過ぎでしたよね? それまでの時間、レンちゃんを連れて買い物でもしてあげてください――もちろん、ニールさんのお金で」
「えっ、なに? タダで買い食いとか買い物とか出来る流れ? あたし、貢がれる美女的な感じで超圧倒的にさすがって感じ?」
ふふっ、と小さく笑って前髪をかき上げる連翹。
当人は格好良い動作のつもりなのかもしれないが、他人の奢りと聞いて輝きまくっている瞳が印象をちぐはぐにしている。大人ぶりたい子供みたいだ。
「念のために言っておくけど、常識的な範囲でお願いね。宿代とかは騎士団が持ってくれてるけど、自分用の消耗品や武器の整備代まで出るわけじゃないんだからさ」
「分かってる分かってる。それより善は急げね――ニールとっとと朝ごはん食べて準備しなさい! あたしもすぐ準備するから! はむっ、はふっ、あつっ! ……じゃあねノーラ、また後でぇ!」
パンやサラダを口に詰め、紅茶で一気に流し込んだ連翹は、そのまま自室へと駆け出した。
「ばっ……お前、もっと落ち着いて食えよ! ……悪ぃなカルナ。ちょっと先に出るわ」
「うん、早く出るのは構わないけど、それ以外が悪いところだらけだからね君。ま、それはともかく、ちゃんと機嫌取っておいで。こんなくだらないことでパーティー空中分解とか、さすがにごめんだよ」
「お、おう、ノーラも悪かったな――行ってくる!」
二人に謝りながら連翹の背中を追う。
その最中、財布にどれくらい入っているのかを思考する。目減りしているもののレオンハルト討伐で入った金はまだまだあるので、常識的な範囲でなら痛くも痒くもない――はずだ。
(問題は、あいつに常識があるかって話だな……)
こちらに非があるため、多少無茶な要求をされても出来る限りは聞かねばならないだろうと思う。
さすがに、『家が欲しい』などと言われたら金が足りないので無理だと言えるのだが、『宝石が欲しい』と言われたら、ギリギリ払える程度なら払うしかないだろう。
連翹がどんな要求をしてくるのか、想像すると胸が弾んで仕方がない――
(……ん? あれ、おかしくね?)
――なぜか、なぜだか、無性に楽しみで仕方がない。
彼女に振り回される未来を想像しても、気が滅入るどころか、無性にワクワクとして仕方がないのだ。
他人の邪魔にならない程度に駆ける両足も、連翹を追いかける義務感というよりは、自分もまた早く準備をしたいと言っているように思える。
(……まあ、俺もオルシジーム初めてだしな。昨日だって大した街を観たワケじゃねえし)
相方がどれだけやかましい馬鹿女でも、初めての街を観光するのが楽しみなのだろう。
ニールはそう結論づけて、足を早めた。
◇
そして。
残された二人は、小さくため息を吐きながら朝食を再開した。
「なんというか――レンさんも現金というか、女の子としてどうかと思うんだけど。奢られるだけで覗かれたの許すなんて」
もちろん、やらかしたニールが一番どうかと思うんだけどね。そう言ってカルナは紅茶を啜る。
剣呑な空気が霧散したため、ようやく香りを楽しめる。爽やかな香りが鼻孔を満たし、先程の空気で疲弊した精神を慰撫する。
「いえ、覗いたのがカルナさんとかファルコンさんとか、別の人だったらもっと怒っていたと思いますよ」
起き上がったノーラもまた、大きくため息を吐いた後、紅茶に口をつけた。
「いや、僕はそんなことやらないよ。もう懲りてるし」
「実際にやるやらないじゃなくて、過程の話――懲りてる? カルナさん……前にやったんですか?」
「あっ……まあ、うん。冒険者になりたての頃、友人たちに唆されてね」
思い出す。
黄色の水仙亭の女将が着替えている部屋を指差し、『仲良くなった記念に、一緒にあの豊満なバストの中身を拝みに行くぉ!』と誘ったヤルという太った友人の姿を。
当然、カルナは反対したし、そもそも覗きなんて男らしくないよ、とも言った。
「だけど、『じゃあ、男らしい女の裸を見る方法てなんなんだぉ』と言われてね」
口説いてデートして結ばれてベッドに、なんて何をちんたらしてるんだ、それこそ男らしくないじゃないか。
それなら、パッと見て、さっさと逃げて、ガーッと抜く方が男らしいに決まっている。
――そんなことを真剣な表情で言われ、丸め込まれてしまったのだ。
「なんでそこで丸め込まれてるんですかぁ!? ツッコミどころしかないですよその理論!」
「し、仕方ないじゃないか! 村から出たばかりで世間知らずだったってのもあるけど、丸め込むのが上手かったんだよ!」
それにまあ――カルナもまた、男だったわけで。ヤルの誘いには大変心惹かれていたため、簡単に丸め込まれてしまったのだろう。
そして、ヤルの先導の下に女将が着替える部屋に近づき――気配に気付き、待ち伏せていた女将に捕まったのだ。
「そしてヤルはアバラをへし折られて教会に放り込まれ、僕は唆されたのが丸わかりだったのか、懇々と諭されるように説教されるだけで終わったんだ。
……もちろん、次同じことやろうとしたらヤルと同じ目に合うって言われたし、説教されてるところを見てたニールに『お前って頭良さそうなのに馬鹿だよな』なんて屈辱的なこと言われたりしたけど」
個人的には、アバラへし折られた方が気が楽だった気がする。
覗こうとした相手に優しく教え諭されて良心が傷んだというのもあるが、馬鹿に馬鹿と言われたのも非常に心が抉られた。
「……言いたくはないですけど、友達は選んだ方がいいですよ、カルナさん」
「いやまあ、言いたくなる気持ちは分かるけど、別に悪いだけの人じゃなかったから――っと、話がズレたね。レンさんがニール以外ならもっと怒ってたはず、っていうアレ」
「え? そんなに不思議なことですか?」
きょとん、とした顔でこちらを見るノーラだが、残念ながらカルナには理由が思いつかない。
ニールが連翹に向ける感情なら、オルシリュームで多少は分かった。それは分かってしまえば単純で、しかし当人にとっては複雑怪奇極まりない心の揺れ。
女王都でノーラが『今言ってもニールさん否定しかしませんよ』と言ったのも納得だ。なまじ最初の出会いで敵意を抱いてしまった分、自分でその答えに至らなければ理解も納得も出来やしないだろう。
「だって、レンちゃん言ってたじゃないですか。物語のヒロインみたいだ、って」
ヒロイン。連翹が言ったのは、普段から演じている主役の女性としての意味ではなく、男の主人公と結ばれる女の登場人物の方だろうと思う。
物語によって主人公と結ばれたり、好意を伝えられずただの友達のまま物語が終わったり、場合によっては途中で死んでしまったり――ストーリーによって過程と結末は様々ではある。
だがしかし、一つだけ変わらないモノがある。
「ヒロインっていうのは、主役あってこそ成り立つ存在なんですから」
「――ああ、そういうことか」
小さく苦笑したカルナは、ぬるくなり始めた紅茶で喉を湿らせながら思う。
二人とも、面倒な部分だけがよく似ているな、と。




