98/白と黒は互いを映えさせると思うの
走る、奔り、疾走る。
体を前傾させ、転倒するかのように重力に引き寄せられながら。ニールはただ、前進し、加速し、駆け抜ける。
疾く、そして肉食獣めいた獰猛な動作であり、同時に人間らしく技術に裏打ちされた動作だ。前傾すれば体が地面に叩きつけられるのは自然であり当然の理だろう。しかし、その力を利用するのは人間の技なのだ。
人間の力には限界がある。人間の爪ではモンスターの皮膚を裂けないから武器を扱うのと同じように、身体能力が上位の存在に及ばないからこそ、他の力を借りる。
重力が背中を抑えつける。地面に倒れ、無様に転べと笑う。ニールはそれに対し知った事かと吐き捨て、両足を動かした。
前傾し地面に倒れようとする力と地面を蹴る力。それらを前進のエネルギーに変換し、ニールはジグザグに駆け抜ける。
想定する相手は――カルナだ。
剣士と魔法使い、習得した技術は違えども、自分が認めた相手であり、きっと相手も自分を認めてくれていると信じている相手。ニールは一人で鍛錬をする時、仮想敵として度々用いる存在だ。
認めているからこそ強いし、怖い。どうやってこいつに勝とうと考えれば考えるほど、自分の可能性が開花していくのを感じるのだ。
――イメージの友が動く。
遠距離武器である鉄咆でこちらを牽制し、間合いを維持しながら高威力の魔法でこちらを攻撃してくる。
それを回避しながら接近しようとも、仮想のカルナの詠唱を終え、鉄咆に風を纏わせる。風の魔法を筒の中に満たし、内部で加速させた杭をこちらに向けて乱射する。
一発一発の威力は、さして大きくはない。持続性を重視したためか、威力に関しては初弾の火吹き蜥蜴の粘液の爆発を利用したモノに比べて低い。
だが――
(やっぱり、中々近づけねぇな)
回避それ自体は、そう難しくないのだ。なにせ、カルナは魔法使いであり、遠距離武器に精通した戦士ではないのだから。
問題は、回避しながら前進する難しさと、カルナの真骨頂は魔法を使ってからだということ。ただただ回避しているだけでは、広範囲の魔法によって一撃で戦闘不能にされる。
――だからこそ、多少のダメージを必要経費と割り切り、突貫するしか道がない。
無論、ニールにだって獅子咆刃や破砕土竜などといった遠距離攻撃は存在する。だが、このタイミングでそれを使うのは悪手だ。
鉄咆を持つ前のカルナなら、それでどうにかなっただろう。だが、ニールの遠距離攻撃には溜めが必要であり、その上カルナの鉄咆はニールの遠距離攻撃よりも射程が長い。溜めの瞬間に狙い撃ちにされて終わりだ。
ゆえに突貫だ。
想像の弾丸が四肢、髪、頬をかすめて行く。だが、この程度なら問題ない。体は動く、剣は振れる。
「オ――ラァ!」
踏み込み、剣を薙ぐような動きで素手を振るった。想像の刃は、同じく想像の中のカルナに届き、胴を両断。ニールの勝利が確定する。
はあ、と荒い息を吐いた。
呼吸を整えながら、額の汗を拭う。
「至近距離でスタートするならともかく、ある程度距離を置いちまうと、3:7くらいで俺が不利――だな、きっと」
確かに、想像のカルナには剣が届いた。
しかし、しょせんは想像だ、現実のカルナではない。今現在完成しているかはともかく、相手に接近された時の対処法ぐらいは考えているはずだ。あんなに簡単に剣が届くとは思えない。
だからこそ、既知の技しか使ってこない想像の相手くらいには完勝しておきたかったのだ。
(なにせ、これから戦う相手も、既知の技を使ってくる強敵――転移者なんだからな)
転移者のスキルは、皆が皆、同じ動作だ。
体格によって間合いなどは前後するが、剣を振るう軌跡から踏み込みのタイミングまでほぼ完全に一致している。
だから楽勝――と言えたら楽なのだが、実際は当然の如く否だ。
こちらを下に見て、適当にスキルを使ってくる相手なら迎撃は可能だ。発声からどのタイミングで剣が振られるかを理解しているのだから、対処出来ない道理はない。
問題は、スキルを戦術的、戦略的に使ってくる転移者だ。
オルシリュームで出会った血塗れの死神のように特殊な使い方をしている相手や、単純にスキルの隙を熟知した上で使ってくる相手。
前者が厄介なのはもちろんのこと、後者も馬鹿には出来ない。自身の隙――弱点を知っているということは、逆にそれを利用してくる可能性があるからだ。
こちらがスキルの動きを把握し反撃が出来るように、相手もニールたちがそういう手段を取ること把握し罠を張れる。そうでなくても二人で連携でも取られたら、罠などなくても隙を突くのが難しくなるだろう。
「なまじ、どういう動作かって知っちまった分、油断しちまうかもしれねえな。気合入れ直さねえと」
自身の頬を軽く叩きながら宿に向かう。
正直、今すぐにでもエルフの修練場に行って、剣はまだかと催促したい気分ではある――が、ニールだってさすがにそこまで非常識ではない。
新たな剣との出会いを想像し、高揚する心を落ち着かせながら、皆と朝飯でも食べるかと思う。
「……なんだ?」
ぴたり、と足を止めた。
オルシジームの中にいくつかある広場の一つ。そこで、騎士たちがテントの設営をしていた。すぐ近くでは筋骨隆々とした女神官マリアンが他の神官たちを集めて何事かを話している。
ニールはその中で暇そうにアクビをしている知り合いを見つけ、近づいていく。
「よう、ファルコン。どうしたんだこれ、一体何やるんだ、これ」
「ふわあぁ……おっ、ニールか。早えな、こんな時間に。お前は別に呼ばれたワケじゃねえだろ」
伸びた黒髪を背中で束ねた、細身で小柄な男――ファルコン・ヘルコニア。
アクビを何度も漏らしながらも準備運動をする彼は、既に武装を身に纏っていた。緑を基調とした動きやすそうな衣服に、胸元を覆うレザーアーマー。腰には短剣を一振り差している。
「お偉方に言われて、エルフの若い奴を仲間に引き入れる時に試験するんだとよ。なんでも、なまじっか寿命長いから鍛錬は積んでても実戦経験ない奴が多いから、最低限の痛みや恐怖に耐えられるかどうか――ってな」
「おっ、なんだそれ、面白そうだな。俺も混ぜ――」
「あ、お前真っ先に除外されてたぞ」
沈黙。
俺も混ぜてくれよ、と笑いかけようとした口元が、そのままゆっくりと引きつったように歪んだ。
「……な、なんでだよオイ? 除外されるのは仕方ないかもとは思うが、さすがに真っ先に、とか言われるとショックなんだが」
「お前、女王都での試験でテンション上がって超無茶やらかしたらしいじゃねえか。下手に実力ある奴と当たって両者テンションマックスで共倒れ、とかになりかねない――みてぇなことをアレックスが言ってたぞ」
ぐっ、と言葉に詰まる。
これが他人が言った言葉ならまだ反論できただろうが、剣を交えたアレックス本人がそう言っているのだから黙るほかない。
「……まあ、言われても仕方ねえ気はするけどな。けどよ、俺だって冒険者だぞ。仕事だったらちゃんと依頼者の言うとおりにするっての」
「そうだろうが、前科があると心配らしくてなぁ――」
「最低限の痛みって話だったよな。とりあえず神官居るし、腕の一本や二本は両断すべきだよな? すぐに治癒を始めりゃ簡単に繋がるし。それとも腹に穴空けた方が……」
「お前を除外したアレックスは慧眼だったとオレは思うぞ」
解せぬ。
そう思いながら宿へと戻る。
自室に着くと既にカルナは目覚めていたようで、魔道書の記述を真剣な表情で書き加えていた。
「……ああ、おはようニール」
「おう、おはよう。お前にしちゃ早いな。なんか用事でもあんのか?」
「うん、デレクたちが設備借りられたから、鉄咆の整備もしたいから顔出せってさ。ついでに何か作るらしいから、それの手伝いとか見学とかするつもり。朝ごはん食べたら、たぶん夜までこっちには戻らないと思うよ」
僕の知識じゃ限界があるからね、とカルナはベッドに置かれた8の字に連なった鉄の筒――鉄咆に視線を向ける。
筒内部の掃除などといった簡単なことは出来ても、細かな部品の整備は荷が重い。無理して見よう見まねでやっても壊してしまいそうだ。
「いずれは自分だけでやるつもりなんだけどね。今は本職が居るんだし、任せるついでに勉強することにするよ」
「下手打って壊しても、代用品なんざねえからな――っと、ちっと連翹の奴起こしに行くわ。ノーラ居るから大丈夫だと思うが、お前より朝弱いからな、あの馬鹿女」
うん、任せたよ。
そう言って頷くカルナと別れ、連翹とノーラが泊まっている部屋に向かう。
「おーい、そろそろ朝飯行こうと思うんだが、どうだ?」
扉をノックしながら問いかける。中ではごそごそと動く気配があるので、眠っているワケではなさそうだ。
「あ……ごめんなさい、ニールさん。ちょっと待って下さい……ほら、レンちゃん」
「んー……んん……」
「ほら、寝ようとしないで。別に夜更かししてたワケじゃないんですから、朝はちゃんと起きましょう。ほら、手を上げて――」
「うん……ん……うん……ごはん……たべる。たべるから」
「はいはい、ちゃんと動いて。朝ごはん食べられなくて寂しい想いをするのはレンちゃんなんですからね」
中から「お前は母親か何かか」と言いたくなるようなノーラの声と、半分以上眠りの世界に居るような連翹の声が聞こえてくる。
はあ、と溜息を一つ。
正直、やり方が手ぬるいと思う。起こしたいのなら顔に水ぶっかけるなり、近くでデカイ声を出すなりするべきだろう。
ニールはドアノブに手をかけ――勢い良く開いた。
「オラァ連翹テメェ、起きるならとっとと起きろ、寝るなら一人で根腐れこの馬鹿おん――」
声が、途中で止まった。
声を止めた光景は、視線の先にある。
半分瞳を閉じた連翹。両手を上に上げた彼女は、下着以外に何も身につけていなかったからだ。
隣に立つノーラの手には、部屋着用のワンピースが一着。たぶん、先程まで連翹はこれを着ていていたのだろう。そして、寝ぼけて着替えようとしない連翹の服を、ノーラが脱がしていたわけだ。
――視界の中で、白と黒が映えている。
日向人のような若干黄色がかった白い肌に、透き通るような白の下着が映える。
パンツは大きめの臀部やさしく包み、リボンやレースといった装飾が健全な、されど背徳的なエロスを表現している。
控えめな胸元を抱きとめるブラジャーは、赤子を支えるように優しく連翹の乳房を包み込んでいる。しかし右と左の乳房の間の隙間――谷間と呼ぶには浅すぎる空間が確かに存在し、露出している。白いレースの中には確かに柔らかな胸があるのだと強く、そう強く実感できるのだ。
それらを引き立てるのが、鴉の濡れ羽のように黒く艶やかな長髪だ。既にノーラがとかした後だったのだろう、窓から吹く風で靡き、自身の肌や下着を撫でていく情景は下手な全裸よりもずっと官能的に見える。
ああ、肌や下着と対照的であるからこそ、両者は互いの存在を際立てるのだ。
「……ニール? ああ、おはよ……というか、朝から大声出したりしないでよ、頭に響く。」
未だ状況を理解していないらしい連翹がアクビ混じりに呟き、隣に立つノーラはどうすべきか混乱しているのか、ニールと連翹を交互に見つめている。
(――あ、なんかすげぇまずい気がする)
逃げるのは悪手だ。すこしばかり色々な事情があって、全力で走ることが出来そうにない。理由は察して欲しい。
だが、このまま立ったままなのもマズイ。ニール以外にももう一人立ったままな奴がいることに気づかれる。
「……え? あれ……ニール? ……えっ、ちょ――」
(マズイ――!)
ぼんやりと俯いた連翹が自分の姿を確認し、凄い勢いで覚醒し始めている!
だが、どうする――?
部屋の中を観察し、この事態を打破出来る存在を探す。
だが、そんな都合の良いモノがこんな場所に――
(いや、これだ!)
――ニールは無言で部屋の扉を閉めると、
「俺は気にしねえから続けろよ、待っといてやるからよ」
ぎしり、と。
近くにあった椅子に座った。
まるで今の状況が自然であるというように、自分がここに居るのが当然だとでも言うように。
これなら走る必要もないし、ニール以外で立った存在に気づかれる危険性も少ない。何より見物を続けられる。完璧だ。
ああ、なんてクレバーな選択なのだろうか――――
めぎり。
――――腹部辺りを、思いっきり蹴り飛ばされた。
勢い良く椅子ごと吹き飛んだニールは、半開きだったドアから廊下に投げ出される。
「――あたしが気にすんのよ! 何、平然と覗き――どころじゃなく凝視してんのよ!」




