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カルカソンヌは肩をすくめる。
「……交渉決裂か。なら直接聖杯をいただくか」
「聖杯?」
いや、お前自分で聖杯を握ってるだろ? ネージュに同意を求めるように振り向くと、露骨に視線をそらしてきた。
どういうことだよ。
「あれだけやってお前は気づいて無いのか。笑えるな」
そう言いつつもカルカソンヌは一切笑わない。
「バスティアの起こした爆発後、お前の居た場所には聖杯が現れた。その聖杯からお前の体が生えてきたんだよ。ここでお前をばらしてもう一度見てみたいもんだ」
バスティアって言っているからユイットとはまだ接触しいないはずだ。それよりも。
「……ネージュどういうことだ?」
「オーシュの体の中には誕生と終焉の聖杯が入ってるの」
どうやらカルカソンヌの言うことは本当らしい。
「意味はさっぱりわからんが、カルカソンヌ、お前が俺を狙う理由だけはよくわかったぜ」
俺の中に聖杯が入っていようが、俺は俺だ。
「どうやって殺せば面白い蘇生が見れるかな?」
カルカソンヌは精神と記憶の聖杯の中身をスライムに垂らした。
心臓が締め付けられる。
自分の中に異物が進入してくる感覚がある。自分が引き裂かれる幻覚、今まで繋がっていなかった感覚が繋がっていく。
「逃げるよ!」
ネージュが俺の手を取る。
スライムが突如として意思を持ち始め、徐々に人のような形を取っていき、末裔の姿に変わっていく。
「どうして逃げなきゃ……」
「今の私じゃ聖杯を相手にするのは無理だよ。それにこのままだと誕生と終焉の聖杯が逆に取られちゃう。あいつ、原始の水に精神を入れ込んで支配しようとしてる」
ネージュは引っ張るが俺は動かない。
大人数の末裔達が俺を追いかけ始める。
何で……俺が末裔達から逃げなきゃいけないんだよ……
あいつらが父さんも母さんも殺したんだろ!?
「俺は逃げない」
「オーシュまさか!? 駄目!」
俺は体の中にある聖杯を使う。聖杯は俺のイメージをそのままくみ取り、聖杯はそのイメージを水に変換する。俺はその水を受け取る受け皿になる。
俺の右手に終焉の水が握られている。
それを未だにスライムの形を保っている液体に落とす。
末裔達は一瞬にして蒸発した。
元々聖杯から生まれた身だ。生まれた聖杯に帰るべきだ。どんな物であろうと、どんな精神と記憶を持っていようが、定められた死から逃げることはできない。
精神に錯乱を感じる。
どうやらカルカソンヌは俺の精神に直接干渉しようとしているらしい。
聖杯その物である俺と、聖杯の力を使ってるだけの人間、例え専門分野で無くても、勝負にはならない。
カルカソンヌは頭を抱えながら床に倒れ込む。
「オーシュ止めてよ! 死んじゃうよ!」
「俺は二年前に死んでるんだろ! さっきも死んだだろ! 何回だって死んでやるよ!」
ようやく俺は思い出した。
オーシュのオリジナルは間違いなく死んでいる。
二年前、末裔達の襲撃を受けた時に父さんと俺と母さんの三人は殺された。生き残ったのはボルドーさんに預けられていたロリスだけだ。
襲われた理由は生誕と終焉の聖杯だ。
ったく笑えない冗談だよな。聖杯のおかげで俺が居るのに、聖杯が無ければまず死ななかったんだからな。
襲撃を受けたときに、父さんは俺の体の中に入れた。聖杯の力で俺を生き延びさせたかったのか、末裔達から聖杯を隠したかったのか、俺は知らない。
俺はカルカソンヌに近づこうとする。
さてどうやって殺そうか?
どうして俺は覚えていなかったんだろう。両親は惨殺されているのに現場に子供が無傷で残ってるなんてあり得ないだろ。
「オーシュ駄目! 今すぐ聖杯を使うの止めて!」
ネージュは俺の体に抱きついて止めようとする。
その合間にカルカソンヌは立ち上がり、精神と記憶の聖杯から流れ出る水を飲み続ける。
全てが口に入りきらずに垂れていく。垂れていく水は黒く濁り始める。
カルカソンヌの肉体も変貌していく。徐々に体が黒い液体に変貌し初める。
「聖杯が暴走してる! 危ないから逃げるよ!」
「逃げない方が良い」
懐かしい感覚がある。千年ぐらい前に感じた凍てつく感覚。
天井からバスティアが槍を地面に叩きつけながら落ちてくる。
「お邪魔だったかな?」
バスティアの声は壮年男性のような低い声だった。前に見たとき同様に赤い目をしており、未だユイットに憑依されていることを示していた。
それは同時に未だにバスティアの体が無ければこの世界に居られないことを意味している。
「我が眷属ユイットよ、奴らを殺せ!」
カルカソンヌは獣の咆哮のような酷い声を発した。
今のカルカソンヌは黒い泥になっており、人間と認識することができない。
「精神と記憶の聖杯から千年前の記憶を引きずり出し、我が主のように振る舞うか。聖杯に食われたクセして我が主を真似るなど、ふざけるなよ塵芥」
ユイットは地面を一蹴りして、カルカソンヌの体に手を突っ込もうとするが、ネージュのケリで飛ばされてしまう。
カルカソンヌは苦しそうに息を吐き、ネージュはユイットからカルカソンヌを守るように立ちふさがる。
蹴られたユイットは受け身を取って着地をした後、服についたホコリを払っていた。
「女神達の野蛮さには付き合いきれませんね」
「野蛮じゃなくてお転婆」
俺はカルカソンヌの方に走る。ユイットに気を取られている今しかあいつを殺すタイミングは無い。
カルカソンヌはネージュを殴ろうとするが、ネージュは知ってか知らずかユイットに走り込みその攻撃を回避する。ユイットもまた肉弾戦で相手をしようと構え始める。
人々が突如としてカルカソンヌ邸に入り込んでくる。プレクスの学生達が十数名と先ほど逃げた警備員だ。
「何をしている!」
学生の一人が叫んだ。人間の戦いなら物量でどうにかなるかも知れない。
しかしこれは人間の戦いを超えている。眷属と女神と聖杯の戦いだ。
人間は力を使うための燃料にすぎない。
少なくともユイットと、カルカソンヌはそう判断している。
「逃げろ!」
「逃げて!」
俺とネージュは叫んだがそれでも彼らは歩みを止めない。
カルカソンヌは人間を狙い振り向いた。が、遅かった。
ユイットの手には精神と記憶の聖杯が握られていた。
ネージュの一瞬の隙を突いて、ユイットはカルカソンヌの泥の中に手を突っ込んだからだ。
ユイットは聖杯の水を一気に飲もうとする。
俺は終焉の水を津波のようにしてユイットに押し当てる。
ありとあらゆる物が水の中に消えていく中でユイットには効果が一切見られない。
常軌を逸した状況に学生達は足をすくませながらも逃げていく。
「ネージュどうする!?」
ネージュは俺と対面する位置に立つ。相手の瞳で自分を見ることのできる距離まで顔を近づける。ネージュは顔を赤くして、目をきょろっとさせる。
「目、つぶって」
弱々しい声、どうやらユイットに勝てるかどうか確信の無い策があるらしい。
俺は言われたとおりに目を瞑る。
女神様が俺に賭けてくれたんだ。
俺だって女神様に賭けるさ。
唇に柔らかい物が触れた。
思わず目を開くと、とろんとした表情のネージュが居た。
ネージュの髪色が伝承と同じサファイアブルーに変わり、背中から左に三つ、右に二つ、純白に輝く翼が生えていた。
「聖杯の本当の使い方、見せたげる」
ネージュの手が光り輝き始める。
右手には漆黒の弓が、左手には純白の矢ができあがる。
「飢餓の弓と饗宴の矢だよ。これでユイットを打ち抜いて」
「バスティアは?」
「ユイットだけ打ち抜けるからそれより早く」
俺はネージュから弓と矢を受け取ると、ユイットに狙いを定めた。
弓なんて使うのは初めてだが、弓と矢の方が俺に会わせてくれるように自然と体が動いていく。
ユイットは手のひらサイズの深紅の球を作りあげている最中だった。
深紅の球は周囲の空間をゆがませ、きしませながら徐々に巨大化している。どうやら空間を食べて巨大化していくらしい。
ユイットが言葉にならない何かを叫びながら深紅の球を投げつける。
ネージュが俺の腕に手を添える。
心は決まった。
「いっっけえええええええええ!!!!!!」
矢は放たれた。




