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「兄さん!兄さん!」
目を覚ますとロリスが泣いていた。最近ロリスの泣き顔をよく見るなぁ、とぼやけたことを考える。
ええと、何してたんだっけ?
「ここはアリーナの医療室です」
「俺決闘に負けたの?」
記憶は無いけど、バスティアに負けてしまったらしい。バスティアなら闘わない選択をしてくれると賭けていたけれど、賭に負けたか。
しょうがないか。その場で殺されなかっただけマシだ。
しかしロリスにもネージュにも迷惑かけたな。
「決闘は中止になったよ」
ベットの脇で座っていたネージュがしょんぼりとした表情をしながら語った。
服装も替わってるな。前にも着ていたメイド服を着ている。奴隷ルック気に入ったんじゃ無いのか?
「中止? 何で中止するんだ? あぁでも延期じゃないから一応俺たち助かったのか?」
「もっと酷い状態になった。これはあたしのミス」
「決闘なんてするんじゃなかったって?」
「眷属ユイットが復活したの」
どこかで聞いたことがあるような……って
「精神と記憶の聖杯で倒したって言われていた眷属か」
「こっちだとそうやって伝えられているね。本当は封印しただけ、だから精神と記憶の聖杯を表舞台に引っ張り出して、その合間に聖杯の機能と一緒に滅ぼそうとしてたんだ」
「聖杯が必要だったのって」
「ユイットを倒す為に必要だったの。でもあたしが想定していなかったミスが三つ起こった。
一つはバスティアが聖杯を定期的に使っていたこと、これでユイットの封印がかなり弱まっていた。
もう一つが、末裔が聖杯を盗み出そうとしていた事、これで、ユイットを滅ぼすのに必要な精神と記憶の聖杯がどこにあるのか解らなくなっちゃった。聖杯を使って何をしでかすか解らないからこっちも放っておけないよね。
そしてその二つのミスが重なったことによってもう一つのミスが起こったの。
ユイットがバスティアちゃんの体を乗っ取った」
「バスティアごとユイットを滅ぼすとか言うなよ」
「それは大丈夫。でもユイットがバスティアを道連れにするかも」
「それで、俺は何をすれば良い」
結局どうしてこうなったかなんてのは意味が無い。何時だって問題や苦難は向こうから前触れ無しで来るんだ。女神が来た時も、両親が殺された時も、そして今だってそうだ。 大事なのは行動だ。
「まずは精神と記憶の聖杯が必要なんだけど……どこにあるか解らない」
「意外だな。ユイットは無視しても良いのか?」
伝承での眷属と言えば、魔王の忠信であり殺戮に喜びを見出す残虐な存在として伝えられている。今すぐにでもここを破壊し回っていてもおかしくない
「ユイットと言っても復活したてであれほど派手な魔法を使ったから、力はほとんど残ってないよ。当面はバスティアの体が無いと自分を保てないはず」
「その合間は大丈夫って事か」
「うん。それにユイットは勇者を殺そうとするだろうから、探さなくても向こうから会いに来てくれる。それより問題は聖杯だよ。どこにあるか解らないし、眷属であるユイットに聖杯を献上しちゃうかも知れない」
魔王を信奉する眷属達が、魔王の忠信であったユイットに忠誠を誓い、その印として聖杯を献上する。
ありえそうだ。
「あるいはあたしの知らない場所ですでに他の眷属が目覚めてたり、新しい魔王が誕生している可能性だってある。だから先に聖杯を取り戻さないと、でもどこにあるか解らない……」
なら寝てる場合じゃ無いな。さっさと起きて聖杯を探さないと、思って上半身だけ起き上がったところでロリスが自らの目頭を手で押さえながら俺を止めた。
「兄さんは寝ていてください」
「寝てる場合じゃねえだろ」
「兄さんはさっき死んだばかりですよ?」
「体に不調な部分なんて無いぜ? よく解らんが失神しただけだろ?」
「バスティアにとりついたユイットが会場ごと吹っ飛ばそうとしたのです。アリーナに居た人間はネージュさんがかばったので全員無事ですが、バスティア先輩を抱き留めていた兄さんに関しては直撃を喰らいまして」
話だけ聞いていると生きているのが不思議な状態だな。
「そのため服が消失しました、兄さんは全裸です。可愛い妹に汚らしい物を見せつけて興奮するのですか?」
俺は自分の体を触る。服の感触など一切無しで、生まれたままの姿だ。
「ところで俺を運んできたのは?」
「は~い」
ネージュが元気よく手をあげたのでデコピンしておいた。大丈夫、痛くはしていません。
「見たって減らないもん! それに汚く無かったよ。可愛かったよ!」
ネージュは親指を立てていた。
「それは男が言う台詞だ! あぁ! 俺の純情が! 俺の純情がぁあああ!」
制服を用意してもらったのでとりあえず着替えた。
もちろん着替えている合間はロリスとネージュには退出してもらった。
着替えるときに自分の体を動かしてみたけれど、やはり異常と思える部分は無い。あえて言うなら全裸だった事だ。
着替え終わったので廊下に居るネージュとロリスに声をかける。
「自分が元気だと証明したいのなら運ぶの手伝って欲しいです」
ロリスとネージュの座っているベンチには資料が多量におかれていた。俺はそれを医療室に運び込んだ。
「何でこんなにあるんだよ……」
「プレクス学園は治外法権になっていて、学内の問題は学内で対処しないといけないのです。聖杯資料盗難事件だけでも面倒なのに、魔法使い襲撃事件に、今回のアリーナ爆発事故、おまけにバスティア先輩が居ないのでネージュ派閥が混乱しきってるのです。これでは兄さんを看取っている時間も無いのです」
「俺も手伝う」
と言っても何をすればいいんだか、とりあえず一番近くにあった資料に目を通す。襲撃者に襲われた名簿リストだ。見知っている名前だと、ロリス、バスティア、アンジェ三名の名前がある。
俺の友人襲われすぎだろ…っこのリストに載ってないだけで俺も襲われているし、さすがに偏り過ぎてる。
「お前も襲われているのか…兄さん凄い心配するんだけどなぁ」
「怪我もしていませし向こうもすぐに退散したので報告しませんでした。それに……」
「それに?」
「心配、かけたくないです」
ロリスはぼそぼそ呟いた。ったく心配かけさせてくれよ。可愛い妹に何かあってからじゃ遅いんんだって。
にしてもこの三名か……
「では兄さんは聖杯資料盗難事件を担当してくれますか?」
ロリスから渡された資料に目を通すと、盗難された資料とその所在が書かれている。その大半はアルベール家にあるらしい。
アルベールと言うと、ひたすらフられていて、未だに借金を返さない。あのカルカソンヌアルベールの実家と言うことで良いのかな?
これはすでに犯人がバレているようなもんじゃないのか? 付属の資料には業者から購入したって書いてあるけど、嘘にしか聞こえない。
それにしてもカルカソンヌか……
何か思い出せそうなんだけど……
「私は? ねぇねぇ私は!?」
つまらない雑用なのにネージュは目を輝かせながらロリスの肩を揺すっている。
「そのまま肩を揉んでもらえますか?」
「ひどいよぉ! オーシュも何か言ってよ!」
「それより少し聞いてくれないか」
ネージュが膨れ顔で抗議しているが無視だ。
「襲撃事件で襲われた人間のリストあるよな」
「それがどうかしたですか?」
「あのリストってさ、カルカソンヌがナンパしてた人間と被るらないか?」
「……私の知っている限りでは一部重複します。しかし偶然の一致では無いでしょか?」
「俺もそう思って流そうとした」
カルカソンヌがひたすらナンパしまくっていたから被っただけ。そう考えるのが自然だ。何より俺たちはカルカソンヌがどれだけナンパしていたのかを知らない。
「襲撃された人間って全員聖杯と何かしらの関わりがあるんじゃないのか?」
一つだけの一致なら偶然の一致で済む。しかし二つならどうだ? 偶然と言うにはあまりにも奇怪な確率になる
「いえ、それは違います。ロリスと聖杯には関連性が――」
「生徒会室に火と氷の聖杯があるだろ。アンジェから聞いたぜ」
「そうですね。そう考えれば襲撃された全員に聖杯との関連性があります」
「そして、聖杯を盗んでいった末裔と、襲撃を繰り返していた末裔、カルカソンヌが同一人物だとすれば……」
「興味深い考察です」
しかもこの考えだともう一つの問題も解決する。
どうして俺をリリアナと知っていたか。
バスティアを襲った後に調べたと考えればつじつまが合う。
「うんうん。それぐらい解ってもらわないと勇者失格だよね」
ネージュが"あ~"と感心した声を出していたのは、彼女の名誉の為に黙っておく。
「カルカソンヌの家に聖杯がある。今すぐ取り返そう」
「無理ですあきらめてください」
「どうしてだよ。早く手に入れないとバスティアがどうなるか解らないんだろ!?
「貴族特権で簡単には捜査できないのです。全派閥から承認を受けて三日前に通知してからようやく調べられます」
「ロリスはどう思うんだ? 派閥がどうとかじゃなくて、ロリス自身は今の話どう思ってくれる」
「……聖杯を探す価値は十分にあります。でも動けないです。私が動くと生徒会が勝手に動いたと判断され、無派閥の人間が頼るべき場所が無くなってしまいます」
「そうか、なら俺とネージュで行く」
「バレたら極刑にされますよ?」
「大丈夫だよ。策はある。ただ一つ聞いておきたい事がある。ネージュ、聖杯って壊れるのか?」
「魔法ぐらいじゃ壊れないね。せいぜい封印するのが限界」
「なら大丈夫だな」
俺はにやりと笑った。借金の形として聖杯をいただかないとな。




