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夕方にはバイトが終わり帰宅する。
「お帰り~もうちょっと待ってて」
台所から奇麗で優しそうな声が聞こえてくる。……あぁロリスの友達かな? そういや朝に友達でも作ってこいと言ったから、クラスメイトでも連れ込んできたんだろう。
「ただいま。ロリスのお友達さんかな」
「ううん、違うよ」
台所から少女が出てくる。
少女は腰まで伸びるゆるいウェーブのかかった金髪をしている。瞳は透き通った水のような青でくりっと大きく、肌はシルクのように白かった。体型もロリスより少し大きい程度だが、胸だけはかなり大きかった。服はなぜかメイド服を着ている。本当になんで?
特に気になるのはおデコだ。前髪を短く切りそろえていてデコが丸出しになっている。どうしてだかは知らないけど、とにかくデコピンがしたくなるおデコだ
少女はトレイの上に紅茶を乗せて運んでくる。
「なんだ? 友達もどきか? ロリスのクラスメイトか? それとも恋人か?」
「ううん、メイドです!」
……そうか、俺って性的に欲求不満だったのかな。やれやれ、こんな白昼夢を見てしまうなんてどれだけ恋人が欲しかったんだろうな―――んなわけあるか! ロリスのイタズラだ!
「それで、ロリスはどこ―――」
「ただいまです。兄さん」
ロリスと俺の目が合う。ロリスの目から何かしらの感情を読み取る事が出来ない。
「やれやれ、兄さんはメイドをご所望だったのですか、すでに妹が居るのにメイドまで欲しい、しかも巨乳のメイドが欲しいだなんて破廉恥です。とはいえ、兄さんを管理する身としましては、多少なりとも要望を受け入れなければなりませんね。ですけどその胸のサイズ差に関しては――」
あぁ、これむちゃくちゃ長く語り始めるパターンだ
「ところで、この子はロリスのお友達だろ、紹介してもらえるかな?」
「兄さんのメイドでは無いのですか?」
沈黙。
誰だよこの不法侵入者。
「ほらとりあえず食べようよウエハース。カードほしさに買い過ぎちゃったから食べてくれる人が欲しいんだよね」
言ってることはぶっ飛んでるし、やってることは不法侵入したあげくに勝手にお茶会、今すぐ放り出しても問題無いのだろうけれど、どうしてだか一緒におやつを食べてしまっている。
理由はいくつかある。死んだ父さんの関連の人間かも知れないと言うのが一つ、もう一つはボルドーさんに仕えるメイドである可能性、まぁどっちもほぼゼロだけど。
少女がぼりぼりとウエハースを食べているので、食べ物に毒が入ってる可能性はほとんど無いだろう。と言うか殺す気ならもっと効率的な方法があるか。
俺もウエハースを一ついただく。
「おかわりもあるよ」
と言って少女は何も無い場所からどっさりとウエハースを出した。どんだけウエハースあるんだよ。
「自力コンプするのほんと大変だったよ」
ぼつりと呟いていたが、よく解らないし、解ってはいけないと本能がささやいたので無視。
「名前は?」
「ネージュだよ」
「偽名ですか? 四大女神だと言いたいのですか?」
俺もロリスと同感だ。ネージュは四大女神の名前であり、魔法派閥の名前でもある。火のフレム、木のルブル、風のブリズ、そして氷のネージュ。
恐れ多くて名前にするような人間はまず存在しない。
「うん。あたしは氷の女神ネージュだよ」
ネージュを名乗る少女はニコニコ顔で話す。あんまりにも邪気がなさすぎて、突っ込む気にはなれない
「どしたの? ウエハース美味しいよ。もっと食べて!」
にしても、こんなのが本当にネージュだとしたら、ネージュ派閥の人間はどんな顔するんだろうか。神話上だと知恵の女神だと伝えられているけれど、この少女からは聡明さが一切見受けられない。
「譲りに譲って一万歩ぐらい譲ったとします。どうして、その女神様が我が家にご用なのですか? 我が家にはメイドを雇う余裕はありませんし、兄さんの管理は私一人で十分です。変な事を教えないでください」
「オーシュを勇者にするために来たんだ」
1000年前、勇者は四大女神と共に闘い魔王とその眷属達を聖杯の力で滅ぼし、ブランチェ地方に平和をもたらした後、東へ旅立った。
子供の頃から何度も聞いたことのあるおとぎ話だ。
「お願いします」
美少女からの頼み、それはもう即答で了承したいぐらいだけど……
「俺より、ロリスが成るべきだろ」
「どうして~」
「俺は魔法が使えない。その点ロリスはプレクス魔法学園に通ってるし、魔法使いとしての資質も十分」
「そんなこと無いよ。オーシュは強い魔法使いになれるし、立派な勇者にもなれる。それは氷の女神であるあたしが保証する」
えっへんとばかりに胸を張っているけれど、魔法が使えないのにどうやって魔法使いになるのだか……
「まぁとにかく俺は勇者になる気なんて無い」
「そんなぁ……」
ネージュは上目使いで俺を見てくる。そんな悲しそうな瞳で見ないでくれ! 俺に女の子を泣かせたい性癖なんて無いからつらいんだよ!
「それで、ネージュは泊まる場所あるのか?」
「見ず知らずの人間を泊める気ですか?」
「んなこと言ってもなぁ。治安が悪いから出歩かせちゃ悪いだろ」
普段だと魔法使いのロリスが一緒に行ってくれるなら安全なんだけど、最近は魔法使いを専門に襲撃する奴がいる。夜は出歩かないに限る。
「どこに住んでいるのですか? 私が送ります」
「あのなぁ……」
「末裔ぐらい私一人で余裕です」
「ロリスの身に何かあったら心配だから止めろ」
「そうですか。兄さんがどうしてもと言うのでしたら、ネージュさんを泊めてあげるのもしょうがありませんね」
「あ! そうだ。これをやってみよっと」
ネージュは手をぽんと叩くと一気にお日様みたいな笑顔になった。表情がころころ変わる忙しい奴だ。
「ルブルちゃんにもらったのなら一発解決」
そう言って、ネージュは何も無い空間から本を取り出した。
背表紙には"七倍信仰されるたった三つの女神法則 "と書かれている。
めっちゃ不安だ!
「勇者になれと言われて不安になる方も多いでしょうが、いきなり伝説になるような偉業をする必要はありません。気持ちとしても、勇者ってかっこいいなぁ~程度の気持ちで大丈夫です」
むちゃくちゃ棒読みだった。ところで、ネージュはゼロにどんな数字をかけてもゼロになるのを知っているのだろうか?
「そう言うわけで大丈夫! 軽い気持ちで勇者になろ~!」
「余計不安になるわ!」
「勇者になればお金に苦労しないよ! 誰もがオーシュを尊敬するよ! 何よりモテモテだよ!モテモテ!!」
………………モテモテ……だと……
その一言だけで、朝の夢がフラッシュバックしてくる。
もしかしてアレは俺が勇者になった時の正夢なのか!?
「やらせてください」
「兄さん、最低です、最悪です、極悪です、極刑です、死ねば良いのです。やはり可愛そうなので去勢で我慢します。兄さんがどんなにクズでも私の愛は変わりません、家族愛ですから安心してください姉さん(予定)」
「去勢がすでに確定事項になってる!」
「どうかしましたか? 姉さん」
「俺がいかがわしい理由で勇者になろうとしていると思っているのか」
俺はロリスを見つめる。ロリスの瞳には真剣な表情をしている俺が映る。
「はい。ロリスの兄さんはクズで、どうしようも無い人間です」
即答だった上にビンタされた。ビンタって言っても全然痛くないけどね。ほほを触られたのと同じようなものだ。
「良いか、女神様が直々に頼んできたんだ。それをただのの人間が無碍に断って許されるとでも言うのか?」
「先ほどまで拒否していたのは誰ですか?」
「四大女神とは絶対に仲良くなれるから、四人の女の子と仲良くなれちゃう事は絶対に保証する!」
ネージュの残念っぽさはもうどうしようも無いが、後三人もいるなら絶対一人ぐらいはまともな女神も居るはずだ!
「そう言うわけでネージュさんよろしくお願いします」
「ありがと~!」
ネージュはにっこりとほほえむと俺の手を使ってブンブン振り回した。
「ところで、勇者って何をすれば良いんだ?」
「今の所はとくに無いかな? 無いよね?」
「……何でネージュさんが私に聞いてくるのですか? ……伝承通りですと契約をするのでは無いのでしょうか」
勇者は元々魔法不能者であり、ネージュと契約して魔法を手に入れた。と言うのが伝承ではあるけれど、その契約ってのがどういう物かについては特に伝わって無いんだよね。
「そっか契約しないとね。でもあんまり意味無いかなぁ? オーシュは元々魔法使えるから」
「だから魔法使えないから」
恥ずかしいし、ロリスの睨みが怖い。
ネージュは立ち上がると深呼吸をした。
ちょいちょいと手招きされたので、俺はネージュの対面にたった。
「手の甲を出して」
言われたとおりに右手の甲を差し出すと、ネージュは左手でにぎり、右手をかざした。
「ネージュの名の下に奇跡を」
右手に冷たい感触があったかと思うとそれが全身に染み渡っていく。体すべてが新品になっていくような大きな力を感じる。
「これで契約かんりょ~」
体からは未だに大きな力を感じ続けている。呼吸をするたびに力も一緒に脈動しているような不思議な感覚だ。
「ほら、手に紋章が出来たでしょ」
俺は右手の甲を見ると複雑なネージュの紋章が描かれている。
「……バイトする時に目立ちそうだな。これ消せないのか?」
体に紋章を刻むのは熱心な女神の信奉者と相場が決まっている。魔法が使えない人間がやっていいことでは無い。
それにコレ滅茶苦茶奇麗に描かれているからかなり目立つ。普通は簡略化された紋章だし、これはさすがに差別されても文句言えない!
「それより早く魔法を消してください」
そう言われてロリスを見るとロリスにスライムが絡まっていた。と言うか少し服が溶けている。
「魔法を使ってまずやりたいことがロリスにスライム姦ですか? モテると聞いて勇者になろうとした兄さんはひと味違いますね。そんなにスライムがお好きでしたら、去勢するときもスライムを使った方法にするですか?」
「女の子がはしたない単語を使っちゃいけません!」
「使わないといけないシチュエーションにしたのは誰ですか?」
「すみませんでした」
「そんなに女の子にイタズラしたいなら、言ってくれれば少しぐらいはさせててもいいのです……」
「魔法の暴走だからね?」
スライムが消えるように念じると、ロリスにくっついていたスライムが消えた。あと、スライムが食っていた服の部分も元に戻った。
「兄さんが魔法をあっさり使いこなすとは……ネージュさんはどうやら本物です。現代の魔法では魔法不能者に魔法を使わせる技術は未だに開発されていませんし、何より」
ロリスは俺の手をつかんだ。
「伝承でも勇者は右手の甲にネージュの紋章をつけていました」
「思い出した!」
ネージュはきらめく笑顔で腰に手を当てる。
「勇者に最初の試練を与えます! あたしを養って!」
ふふんとドヤ顔する女神がそこには居た。