第三話:正当性の剥離(後半)
数日後、街の至る所で、異様な光景が繰り広げられていた。
浩二郎たちが密かに印刷し、配布した「逆・六法全書」の断片が、市民たちの手によって読み上げられているのだ。そこには、裕一郎がこれまで「社会の安定」として語ってきた法案の、具体的な利益誘導の構造が、誰にでもわかる残酷な例え話で記されていた。
「裕一郎の言っていることは、結局、自分たちが安全な場所に座り続けるための椅子を、市民の骨で組み上げているだけだ」
そんな声が、SNSや街頭インタビューで繰り返される。
金融庁の執務室で、裕一郎はその熱波を肌で感じていた。
彼がどれほど厳格な条文を書き上げようとも、大衆はそれを「次なる搾取の宣言」として受け取っている。彼は、自分が「法」という言葉を吐くたび、周囲に誰もいなくなっていくような、言いようのない孤独を感じていた。
そんな中、裕一郎の元に、一台のモニター越しに浩二郎の姿が映し出される。二人は、直接会うことを避けていたが、浩二郎はあえて、庁内の重要会議の回線を乗っ取った。
「兄さん、もうやめたらどうだ?」
浩二郎は、皮肉な笑みを浮かべていた。
「あんたの言う通り、法は大切だ。だからこそ、あんたが汚したその場所から、法を取り戻さなきゃいけない」
「貴様に何が分かる……! これは国家の秩序を守るための、避けては通れぬ過渡期なのだ!」
裕一郎は声を荒らげた。かつての冷静な助言者はどこにもいない。そこにいたのは、自分という殻の中に閉じこもり、己の正しさを叫び続ける、哀れな門番だけだった。
「過渡期? 違うな。これは終わりの始まりだ。明日、国民全員が、あんたが隠し続けていた『特別口座』の真実を知ることになる」
浩二郎は静かに告げた。
「父さんの帳簿には、あんたが今守ろうとしているその『正義』が、誰の資金で買われたものかが、すべて記録されているんだよ」
裕一郎の顔から、血の気が完全に失せた。
「……そんなものは、ただのゴミだ」
「そうだな。でも、そのゴミが、あんたの城の最後の柱を食い破る。楽しみにしていろ、兄さん。正論に酔いしれた支配者が、どれほど無様に地面に這いつくばるか……それを証明するのが、この物語の最後の審判だ」
通信が切れる。
裕一郎は、デスクに突っ伏した。彼の周囲には、彼が構築したはずの「完璧な法」の山が積み上げられている。しかし、そのすべてが、彼を支えるのではなく、彼を押し潰そうとする巨大な重力となってのしかかっていた。
外では、雨が降り始めていた。
その雨は、裕一郎が積み上げてきた嘘と驕りを、少しずつ、しかし確実に洗い流そうとしていた。
支配者側の最後の砦が、今、音を立てて崩れようとしている。次の物語が、この街を飲み込むまで、あと少しだ。
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