泥沼のループ:夢の賞味期限
恵美は、あの朝の決意を忘れたわけではなかった。
夜勤明けの眠気を無理やり押し込みながら、中古のノートPCを開く。
画面に映るのは、自分が作ったキャラクター。丸い目、やわらかい輪郭。
「これならいける」
そう信じて、何度もプロンプトを打ち直した。
申請が通った日の夜、彼女は何度も販売ページを開いた。
リロード。
変化なし。
もう一度リロード。
それでも、数字は動かない。
——誰かが見てくれているはずだ。
そう思って、スマホを握ったまま眠りに落ちた。
⸻
一ヶ月後。
通知音が鳴る。
胸の奥が、わずかに跳ねた。
画面を開く。
分配金額:240円
一瞬、意味が分からなかった。
スクロールする。
見間違いかと思って、もう一度ページを開き直す。
通信エラーかもしれないと思って、Wi-Fiを切って、もう一度読み込む。
240円
変わらない。
頭の中で、勝手に計算が始まる。
夜勤明けにやった時間。
休憩中にスマホで考えた時間。
眠い目をこすりながら修正した時間。
——全部で、たぶん三十時間は超えている。
「……時給、いくらだよ」
口に出した声は、驚くほど乾いていた。
⸻
試しに、自分のスタンプを検索してみる。
出てこない。
キーワードを変える。
それでも出てこない。
代わりに並ぶのは、似たような顔、似たような色、似たような言葉。
スクロールしても、スクロールしても、終わらない。
「……どれが私のだよ」
指が止まる。
画面の中で、自分の作品はもう、区別のつかない“何か”になっていた。
⸻
「頑張っても、結局これか」
胸の奥に空いた穴に、冷たい風が吹き込む。
その風を止めるものは、どこにもなかった。
⸻
帰り道、コンビニに入る。
無意識に手に取ったのは、ストロング缶だった。
プルタブを開ける音が、やけに軽い。
一口飲む。
さっきまで頭に張り付いていた「240円」という数字が、少しだけ遠くなる。
——これでいい。
そう思った瞬間、自分で気づく。
これが、いつものやり方だ。
⸻
非常階段の踊り場。
煙を吐き出す。
一本で終わるはずだったのに、二本目に火をつけている。
スマホを開く。
売上ページ。
0円。
更新。
0円。
もう一度。
0円。
「……やめろよ」
誰に言っているのか分からないまま、画面を閉じる。
⸻
その夜。
気づけば、パチンコ屋の前に立っていた。
「勉強代、取り戻すだけ」
口に出すと、少しだけ筋が通った気がした。
自動ドアが開く。
強い光と音が、頭の中を一気に塗りつぶす。
席に座る。
ハンドルを握る。
玉が弾ける。
——こっちは、すぐに返ってくる。
当たれば、すぐ分かる。
外れれば、それもすぐ分かる。
画面の中のキャラクターみたいに、無言で無視されることはない。
「……こっちの方が、まだマシだ」
小さく呟く。
⸻
PCの画面の中では、自分が作ったキャラクターが静かに並んでいる。
誰にも押されないスタンプ。
誰にも見つからない顔。
「明日こそは、新しいの作るか……」
そう言いながら、もう分かっている。
明日も同じことを繰り返す。
⸻
一度「光」を見てしまったからこそ、暗闇は以前よりも深くなった。
決意は、現実に触れた瞬間、音もなく崩れる。
「0から1」
その言葉は、甘くなかった。
それは、壁だった。
爪を立てても、滑り落ちるだけの、何も引っかからない壁。
⸻
恵美は、またハンドルを握る。
玉が、音を立てて弾ける。
その音だけが、今の彼女にとって唯一の“反応”だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この話は、うまくいく人の物語ではなく、うまくいかない現実に触れてしまった人の話です。
それでも、完全にやめきれない、その曖昧な場所にいる人間を描いています。
もしどこかで「分かる」と感じたなら、きっとそれがこの物語の入口です。
続きを、静かに見守っていただけたら嬉しいです。




