4. 誠実な交渉と美しきすれ違いの友情
翌日の正午。
辺境都市フレリアの冒険者ギルドは、荒くれ者たちの熱気と酒の匂いに満ちていた。
セレスティア・フォン・ローゼンブルクは真っ直ぐに背筋を伸ばし、ギルドの喧騒を気にする素振りも見せず、凛とした足取りで奥へと進む。
隣には、聖女アリアが少しだけ緊張した面持ちで控えている。
二人は円卓に座るラキシスとゼノの前で、静かに足を止めた。
「……本当に来やがったのか」
羊皮紙の山から顔を上げたラキシスが、探るような目でセレスティアを見る。
その隣では、ゼノが静かに本を閉じ、透き通るようなサファイアブルーの瞳で彼女を見つめ返していた。
(ああ、今日もこの世界で一番美しいわ)
鼓動が跳ね上がるのを理性の壁で押さえ込み、セレスティアは口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。ラキシス・エドリッチ様、ゼノ・ノックスヴァイン様。あなた方お二人に、ギルドを通した『私たち二人』の護衛およびパーティー同行の指名依頼をお願いに参りましたわ」
「指名依頼、ねぇ」
ラキシスは背もたれに深く寄りかかり、腕を組んで鼻を鳴らした。
「お嬢さんたち。あんたたちがただの家出娘じゃないってことくらい、身なりを見りゃわかる。だがな、悪いがその依頼は受けられねえ」
「……理由をお伺いしても?」
「俺たちはSランクだ。ギルドからSランクにしか対応できない緊急依頼が下れば、行かなきゃならねえ義務がある。護衛依頼中に対象のそばから離れたら護衛として成り立たない」
それは、高ランク冒険者としての極めて真っ当で、ギルドの仕組みに則った正当な断り文句だった。
「だから、他を当たってくれ」とラキシスが手でシッシッと払うような仕草を見せた、その時。
それまでセレスティアの半歩後ろに控えていたアリアが、ぐっと前に身を乗り出した。
「でしたら、その緊急依頼にも私たちがついていきます! 絶対に足手まといにはなりませんから!」
「はぁ? おいおい、Sランクの緊急依頼ってのは危険なんだぞ。お嬢ちゃんたちについて来られるような――」
言い返すラキシスの腕を、アリアは両手でガシッと掴んだ。
周囲の冒険者たちには気づかれないほどの、ごく僅かな白銀の発光。しかし、ラキシスの目は驚愕に見開かれ、ガタッと椅子から腰を浮かせた。
徹夜の研究による慢性的な魔力枯渇と疲労が、触れられた一瞬で完全に消え去っていたのだ。
王宮魔導師であったラキシスだからこそ、この魔法の異常性が正確に理解できた。
「おい嘘だろ……。無詠唱で、対象にだけ絞ったこの純度のヒール。お前、神殿の高位神官クラス……いや、下手すりゃ……『聖女』?」
周囲に聞こえないよう声を潜めながらも、ラキシスの鋭い視線が二人を射抜く。
アリアは手を離し、真剣な瞳で彼らを見つめ返した。
彼女がここまで必死になるのには、明確な理由がある。
セレスティア本人は「自分は実家を追放された」と思い込んでいるが、あんなに娘を溺愛していた侯爵家が彼女を捨てるはずがない。おそらく今頃、血眼になって捜索隊を出しているはずだ。
「セレスちゃん、実家から追放されてないんじゃ……?」という相談はまだできていないが、何はともあれ、まずは『安全』を買わなければならない。魔物の脅威はもちろんのこと、女二人だけで足を踏み入れるには危険な地域が多すぎるからだ。
王城の誰もが自分を「神聖な道具」として扱う中、セレスちゃんだけが利害関係なく、ただの「友達のアリア」として笑いかけてくれた。大好きな親友が『世界を騙す』という大罪を犯すなら、最後まで共犯者になる。
(だから、絶対にセレスちゃんの推しのゼノさんと、そのパーティーの人も護衛につけて安全を確保しなきゃ……!)
アリアの必死な行動を引き継ぐように、セレスティアが一歩前に出た。
実はセレスティアもまた、内心で猛烈な危機感を抱いていた。
(私は問題ないとしても……国宝級の存在であるアリアが、このまま私と一緒に『勇者プロデュース』に付き合ってくれるなら、王宮が血眼になって彼女を追ってくるのは火を見るより明らかだわ)
だからこそ、Sランク冒険者という強固な盾が必要だった。愛するゼノのそばにいるための完璧な大義名分でもあるが――何より、国を敵に回してでも私と一緒にいると決めてくれた彼女の意思を尊重し、守り抜くには、私一人の力ではどうしても足りないのだ。
(セレスちゃんのために、絶対にこの人たちを雇わなきゃ!)
(アリアのために、絶対にこの人たちを利用させてもらうわ!)
互いを思いやるあまり、完全に明後日の方向へすれ違っている二人の激重な友情空間が展開されていることなど露知らず。
セレスティアは、ラキシスに向けて毅然と微笑んで首を振った。
「ご心配には及びませんわ。私は家を追放され、完全に縁を切られた身。自立するため、冒険者としての経験を積みたいのです。彼女という最高の治癒手はいますが、決定的に実戦経験が足りない。だからこそ、最高峰であるお二人の下で、安全に経験を積ませていただきたいの」
切実で合理的な提案。
そしてセレスティアは、ダメ押しの決定打を放つ。
「もちろん、指名依頼の報酬とは別に、私個人の口座から『魔術研究のための予算』と『希少な魔石の優先提供』をお約束します。……いかがかしら?」
「…………魔術研究のための、予算。希少な魔石の、優先提供……っ」
その単語を聞いた瞬間、飄々としていたラキシスの目の色が変わった。
彼はワナワナと震える手で机に突っ伏し、ブツブツと何やら恐ろしい速度で数式や素材の原価計算を呟き始めたかと思うと、ガバッと勢いよく顔を上げた。その目は完全に血走っている。
「これだけの腕を持つヒーラーがいて、おまけに俺の研究のパトロンになってくれるだと!? 悪くない、いや最高だ! 乗った! 俺はその指名依頼、命に代えても受けてやる!!」
魔術研究バカが、完全に予算の魔力に屈した瞬間であった。
ラキシスがあっさり陥落し、セレスティアとアリアは密かに安堵の視線を交わした。
あとはゼノが頷くだけだ。セレスティアは期待を胸に、静かに座るゼノの方へと視線を向けた。
「……確かに、理にかなった提案です」
ゼノはゆっくりと立ち上がり、セレスティアの目の前まで歩み寄った。
彼が見下ろしてくるサファイアブルーの瞳は、どこまでも理知的で、そしてなぜか、微かな戸惑いを帯びていた。
「ですが、僕からも一つ、同行の『条件』を追加させてもらいたい」
「条件、ですか?」
「ええ。緊急依頼の戦場に同行する以上、当然危険は伴う。だから……現場では、必ず僕の指示に従うこと。そして、常に僕の視界が届く位置から絶対に離れないこと」
ゼノの言葉は、Sランク冒険者として彼女たちを引率するための、極めて真っ当で厳しい警告だった。
「実戦経験を積みたいというあなたの意思は尊重します。ですが、僕の目の届かない場所で怪我をされるのは困る。……約束できますか?」
(あ、あああぁぁぁ……っ!)
セレスティアの頭の中で、歓喜のファンファーレが鳴り響く。
本人はプロの冒険者としての厳しい条件を突きつけているつもりなのだろうが、セレスティアの重度なオタクフィルターを通すと、それは『僕の目の届かないところに行くな』という極上のファンサービスにしか聞こえなかった。
「……ええ。お約束しますわ、ゼノ様。現場では、あなたにすべて従います」
セレスティアが淑女の微笑みで頷くと、ゼノは「わかりました」と短く応え、ふっと表情を和らげた。
(……不思議だ)
ゼノは内心で、小さく息を吐き出した。
昨日会ったばかりの、素性も知れない貴族の令嬢。警戒して当然の相手なのに、彼女と目が合うたびに、なぜか胸の奥がひどく安らぐのだ。
理由は分からないが、ただ「この手を離してはいけない」「彼女を守らなければならない」という、強烈な既視感のようなものが魂に刻み込まれている気がした。
かくして。
美しき友情のすれ違いと、魔術バカを釣る無尽蔵の予算。そしてゼノの静かな既視感により。
「指名依頼」という名目のもと、実質4人での行動が約束されたのであった。
***
その日の夜。
ギルド周辺で最もセキュリティが硬く、清潔だと評判の冒険者宿『暁のふくろう亭』。
四人が隣り合うように取った個室の一つで、セレスティアは少し硬いソファに座るアリアに声をかけた。
「……ねえ、アリア。明日からの依頼の前に、少し状況の整理をしておきたいのだけど」
「うん、どうしたのセレスちゃん?」
温かいハーブティーの入ったティーカップを見つめながら、セレスティアは静かに切り出した。
「今日、ゼノに再会でき、Sランクという最高の護衛――一緒にいられる関係を手に入れることができたわ。……そこでアリア。あなたは、本当に王宮に帰らなくていいの?」
「えっ?」
「私は実家から縁を切られた身だからいいけれど。あなたは国の宝である『聖女』よ。今頃、王宮は血眼になって捜索隊を出し、国境を封鎖してでもあなたを探しているはずだわ。このまま私と一緒に旅を続ければ、いずれ王宮の人間と衝突することになる」
セレスティアの言葉は、極めて現実的な危機感に基づいていた。
彼女がゼノを雇ったのは、王宮の理不尽な追手から逃げる際にアリアを守るためでもある。しかし、アリア本人の意思を確認しておかなければ、この先の『世界を騙す計画』には進めない。
「私と一緒に『勇者プロデュース』なんていう大罪に付き合えば、あなたはもう元の聖なる場所には戻れなくなるわよ」
試すようなセレスティアの視線を真っ直ぐに受け止め、アリアは小さく息を吐いた。
「……あのね、セレスちゃん。私、王宮にいた頃、息が詰まってしんどかったんだ」
「アリア……」
「誰も私の顔なんて見てなかった。『聖女様』っていう、都合のいい奇跡を起こす道具としか思ってなかった。でも、セレスちゃんだけは違った。ただの『アリア』として接してくれた。それだけじゃないよ。共犯者として選んでくれたでしょう? セレスちゃんといると毎日楽しいんだ」
アリアはスイートルームの上質なクッションを、ぎゅっと両手で抱きしめた。
「だから、帰らない。セレスちゃんが世界を騙すっていうなら、私は喜んでそれに加担する。捜索隊が来たら、ゼノさんたちに守ってもらいながら一緒に逃げよう?」
「……本当にいいのね? 神に仕える聖女が、悪役令嬢と一緒に国から逃げ回るなんて」
「いいじゃん、そういうのも! それに……」
アリアはふと、イタズラっぽく笑ってセレスティアを見つめた。
「セレスちゃんのご家族だって、今頃セレスちゃんのこと血眼になって探してると思うし。いざとなったらお母様たちに助けてもらおうよ」
「えっ? 何を言っているの、アリア。私は公衆の面前で婚約破棄されたのよ? 当然、実家からは勘当されているわ」
キョトンとするセレスティアを見て、アリアは「あ、やっぱり本気で勘違いしたままだ」と内心で天を仰いだ。
過保護な侯爵家が娘を捨てるはずなどないのだが、この完璧主義でどこか抜けている親友は、その可能性に全く気づいていないらしい。
(……まあいっか。今はとにかく、この楽しい時間を続けよう)
「なんでもない! とにかく、私は絶対にセレスちゃんのそばを離れないからね!」
アリアの屈託のない笑顔に、セレスティアは少しだけ毒気を抜かれたように目を細め、やがて優しく微笑み返した。
「……ええ、わかったわ。あなたには最後まで付き合ってもらうわよ、共犯者さん」
ランプの優しい灯りが、二人の少女の秘密の契約を温かく照らしていた。
それぞれの追手への警戒と、勘違いを抱えたまま、令嬢と聖女の、後戻りできない逃避行はつづく。
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