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2. 再会したら感情がバグりました

 



 王都を出発して十数日後。


 セレスティアとアリアを乗せた馬車は、国境近くの辺境都市・フレリアに到着した。


 魔物の脅威と常に隣り合わせであるこの街は、荒くれ者の冒険者や傭兵たちが集い、むせ返るような鉄と酒、そして乾いた土の匂いに満ちている。


「うわー、お城とは全然違う空気! なんか冒険って感じがするね!」


「ええ、そうね」


 馬車を降り、無邪気に周囲を見渡すアリアに短く応えながら、セレスティアはそっと目を閉じた。


 探るまでもない。彼女の魂に深く根を下ろした執着が、強烈な引力となって『彼』の居場所を正確に告げている。


 セレスティアは迷いのない足取りで、街のメインストリートを突き進む。


 たどり着いたのは、剣と盾の看板が掲げられた『冒険者ギルド』だった。


 重いスイングドアを押し開ける。


 昼間から酒を飲み交わし、獲物の自慢話に花を咲かせていた筋骨隆々の冒険者たちが、一斉にこちらを振り返った。


 最高級のシルクドレスを纏う見目麗しい令嬢と、神聖な気を放つ清楚な神官。むさ苦しいギルドには、あまりにも場違いな二人組だ。


「おやおや、こりゃあずいぶんと上玉の――」


 ニヤニヤと近づいてくる柄の悪い男たち。しかし、セレスティアは立ち止まりもしなかった。


 彼女が纏うのは、魔法による威圧などではない。王都の社交界で培われた、絶対的な『身分差』と『他者への無関心』からくる、隙のない優雅な歩みである。


 扇子を片手に、路傍の石ころすら視界に入れない徹底した令嬢の所作に、絡もうとした男たちは本能的に「あ、これ絶対に関わっちゃ駄目な本物の貴族だ」と道を譲ってしまった。



 セレスティアはそのままギルドの奥、窓際にある円卓へと真っ直ぐに進んでいく。


 そこには、二人の青年が座っていた。


 一人は、深いローブを羽織ったひょろりとした体躯の青年。


 テーブルの上には食事ではなく、複雑な術式がびっしりと書き込まれた羊皮紙と、いくつもの希少な魔石が無造作に散らばっている。

 彼こそが、最高位たる王宮魔導師の座を「研究の邪魔になるから」という理由だけで蹴り飛ばした稀代の異端児、ラキシス・エドリッチだ。


 そして――セレスティアの視線は、その隣に座るもう一人の青年に、完全に縫い付けられた。


「……ん? なんだ、お嬢さんたち。俺たちに何か用か?」


 怪訝そうに眉をひそめ、言葉を発したラキシスの声など、セレスティアの耳には一音たりとも届いていなかった。


 深い漆黒の髪。意思の強さと知性を感じさせる、透き通るようなサファイアブルーの瞳。

 使い込まれた冒険者の武具が、彼の引き締まった体躯にひどく馴染んでいる。


 ゼノ・ノックスヴァイン。


 この713回目の世界において、セレスティアと彼は『全くの赤の他人』である。


 彼女の記憶にある彼は、泥だらけになりながら花壇を手入れする不器用な少年であり、あるいは魔人との凄惨な戦いで無数の傷を負った歴戦の戦士であり、またある時は、すべてを包み込むような穏やかな微笑みを持つ三十代の青年だった。


 しかし。

 目の前で静かに書物に目を落としている『今のループの彼』は、そのどれとも違っていた。


 市井の冒険者としての野性味と、隠しきれない生来の気高さ。

 数多の死線を潜り抜けてきたであろう、完成されたSランク冒険者としての洗練された身のこなし。


(ああ――……)


 セレスティアの胸の奥で、カチリ、と何かが弾ける音がした。


 713回、彼を愛し抜いた。彼のすべてを知り尽くしていると自負していた。

 それなのに、目の前にいる彼は、セレスティアの知らない『真新しい美しさ』を纏ってそこに存在している。


 まるで、擦り切れるほど読み込んだはずの愛読書に、見たこともない最高に美しい挿絵のページを見つけてしまったかのような、脳を焼かれるほどの圧倒的な衝撃。


 この世界に存在する、この瞬間のゼノ・ノックスヴァインという奇跡。


 頭の中で完璧に構築されていたはずの、「行く当てのない令嬢を演じ、護衛として巨額の契約を結ぶ」という理路整然とした交渉のシナリオが、一瞬にして白紙に戻っていく。


「……おい、聞いてるかお嬢さん。なんでうちのゼノの顔をガン見して固まってんだ?」


 無視されたラキシスが、呆れたようにテーブルを指先で叩く。

 その音に反応するように、本を読んでいたゼノがゆっくりと顔を上げ、セレスティアを正面から捉えた。


 冷ややかで、射抜くような青い瞳。


 その視線と交わった瞬間、セレスティアの呼吸が完全に止まった。


(生きて、動いている。少し泥に塗れただけの、気高く美しい私の光……っ)


 彼に声をかけなければならない。計算し尽くした令嬢の微笑みを作らなければならない。


 そう分かっているのに、彼という存在の引力が強すぎて、喉が干からび、唇が微かに震えるだけで言葉が形にならない。全身の血が沸騰したように熱く、ただ彼を見つめることしかできなくなってしまったのだ。


「お、おい……顔が真っ赤だぞ。お前、大丈夫か?」


 完全に言葉を失い、彫像のように固まってしまったセレスティアを見て、ラキシスが本気で引き気味に身を乗り出す。


 その異様な空気を察知し、背後に控えていたアリアが「あちゃー」という顔で、慌てて二人の間に割って入った。


「あ、あはは! ごめんなさい、この子、ちょっと人見知りというか……ずっとお会いしたかったSランクのお二人を前にして、緊張で頭が真っ白になっちゃってて!」


「……は? 貴族様がわざわざこんな辺境まで、俺たちに会いに?」


「そ、そうなんです! 実は私たち、お二人に正式な『依頼』をしたくて王都から来たんですけど……見ての通り、今日はちょっと情報処理が追いついていないみたいなので!」


 アリアは、未だにゼノから視線を外せないセレスティアの肩をガシッと掴み、強引にくるりと反転させた。


「ごめんなさい、また明日! 明日のこの時間に、もう一度ここへ来ますので、その時に少しだけお話を聞いてくれませんか!?」


「おい、ちょっと待てって。依頼の内容も言わずに――」


 ラキシスが止める間もなく、アリアは「ほら、セレスちゃん行くよ!」とセレスティアの背中をぐいぐいと押し、ギルドの出口へと踵を返した。


 スイングドアがバタンと閉まり、外の冷たい空気に触れて、ようやくセレスティアは小さく息を吐き出した。


 震える両手で、熱を持った自分の頬を覆う。


「……もう、セレスちゃんたら。完璧な悪役令嬢の顔、完全に崩れてたよ?」


 呆れたように笑いながらも、どこか楽しそうなアリアの声。


 セレスティアはゆっくりと首を横に振った。


 ――崩れて当然だ。


 あの美しく完成された、新しい彼。


 今すぐこの手で触れて、囲い込んで、頭の先からつま先まで、自分の色に染め上げてしまいたい。


 713回目のループ。


 明日こそ、絶対に彼を盤面に引きずり込んでみせる。



 セレスティアの重く暗い愛情は、静かに、そして確実に、新たな段階へと足を踏み入れていた。




面白そうと興味を思っていただけましたら、ブクマしてくださると嬉しいです!

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