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10. 広まる噂とすれ違う過保護たち

 



「おい、あの噂聞いたか? 魔の森で、Bランクの変異種と数十匹の群れを、たった一振りで消し飛ばした剣士がいるらしいぞ」


「ああ、聞いた聞いた。黒髪でサファイアブルーの瞳の……あのSランクのゼノだろ。まるで神話の勇者の再来だって、助けられた連中が興奮して触れ回ってたぜ」


「勇者か……。いつか復活する魔王を倒すために現れるって伝説の……。あのゼノの規格外の強さなら、ありえない話じゃないな」


 辺境都市フレリアの冒険者ギルドは、ここ数日、その話題で持ちきりだった。


 円卓の隅でその噂話を耳にしながら、セレスティアはティーカップを静かに置き、ふっと優雅な微笑みを浮かべた。


(……これでいい。彼が『勇者』として世界に認知されれば、真の勇者である私の存在は隠蔽される。愛するあなたを因果の理から外すための盤面が、また一つ組み上がったわ)


 彼女の胸の内に広がるのは、騒がしい歓喜ではない。

 713回目のループにして初めて、彼を死の運命から遠ざける手立てが機能し始めていることへの、静かで深い安堵だった。


「……セレスティア様? どうかされましたか」


 正面に座っていたゼノが、不思議そうに問いかける。

 彼のサファイアブルーの瞳は、自分が「伝説の勇者」と騒がれていることなど微塵も気にしていないように澄み切っていた。彼にとって重要なのは、世間の名声ではなく、目の前にいる雇い主の安全だけである。


「いいえ、なんでもありませんわ。それより……」


 セレスは隣に座るアリアと顔を見合わせ、穏やかに微笑んだ。


「今日から私たち、晴れてCランク冒険者ですわね」


「うん! Bランク変異種とCランク魔物の討伐実績があったからね! ギルドマスターとの面談だけで特例昇格させてもらえたのはラッキーだったね」


 アリアが、真新しい銀色のギルドタグをテーブルに置く。

 そう、今日は二人のCランク昇格を祝う、ささやかな食事会だった。


「おめでとう、セレスちゃん、アリアちゃん! Cランクになれば、依頼で採取できる魔石の純度も格段に上がる! これで俺の研究もさらに捗るというものだ!」


 ラキシスが、テーブルに並んだ山盛りの肉料理をナイフで豪快に切り分けながら、我が事のように目を輝かせる。天才魔術師の頭の中は、常にお金と素材と研究のことでいっぱいだ。


「ラキシス様。あなたにはいつも通り、前衛のサポートと荷物持ちをお願いしますからね。それから、魔道具の暴発は一日一回までにしてください」


「なんだと!? 魔術の進歩には犠牲がつきものだろうが!」


 アリアの容赦のないツッコミに、ラキシスが抗議の声を上げる。

 相変わらずの平和なやり取りに、セレスは小さく笑いをこぼした。


「……Cランク昇格、僕からもお祝い申し上げます」


 ゼノが、静かにグラスを掲げた。

 しかし、その整った顔には、優秀な護衛としての厳しい色が浮かんでいる。


「ですが、ランクが上がれば、受注できる依頼の危険度も跳ね上がります。セレスティア様、アリア様。どうか慢心せず、現場ではこれまで以上に僕の指示に従い、目の届く範囲から絶対に離れないでください。あなたたちの身の安全が、僕の最優先事項です」


 それは、Sランク冒険者としての極めてストイックな警告だった。

 彼の中にある「彼女から目を離してはいけない」という魂の記憶の残滓が、彼に過剰なまでのプロ意識と安全管理を強いているのだ。


「ええ、わかっているわ、ゼノ様。あなたの足手まといにはならないようにするから、どうか私たちを守ってちょうだい」


(私が裏からすべての脅威を排除する。だからあなたは、ただその眩しい姿で、私の前を歩いていてくれればいいの)


 セレスは静かに頷き、彼の誠実な言葉を胸の奥で大切に反芻した。

 こうして『暁のフクロウ亭』での昇格祝いは、あたたかく穏やかな空気の中で更けていくのだった。



 ***



 その頃。

 フレリアから遠く離れた王都。

 豪奢な調度品で統一された、ローゼンブルク侯爵家の重厚な執務室。


 セレスティアの父であるローゼンブルク侯爵は、辺境から届いたばかりの密偵の報告書を握りしめ、ワナワナと肩を震わせていた。


「……間違いない。この『扇子を持った、銀色の髪の美しい魔法使いの令嬢』は、我が愛しのセレスティアだ!!」


「おお……セレスティア! 無事だったのですね……!」


 執務室に集まった侯爵家の家族たちが、報告書を回し読みしながら次々と安堵の涙を流す。


 あの忌まわしき卒業式の日。馬鹿な王太子によって公衆の面前で理不尽な婚約破棄を突きつけられ、傷心のあまり姿を消してしまった愛娘。


 侯爵家は即座に国中の諜報網を使い、大々的な捜索を行っていた。


「まさか、王都から遠く離れた辺境都市フレリアにいたとは。しかも貴族が泊まるような高級ホテルではなく、荒くれ者が集う一般の『冒険者宿』に潜伏していたとはな……。我々の捜索網から見事に外れていたわけだ」


 侯爵が悔しげに、しかし娘の無事にホッと息を吐き出しながら呟く。


「旦那様。報告書には続きがあります」


 老練な執事が、報告書の後半を指差した。


「セレスティア様は現在、勇者と噂されるSランクの剣士、そして天才魔術師のラキシス殿と行動を共にしているようです。……そしてもう一人。セレスティア様の隣には常に、『高度な治癒魔法を操る、金髪の神官の少女』が付き添っていると」


「……やはりな」


 侯爵が深く頷く。

 その特徴は、この王国でただ一人しか当てはまらない。


「聖女、アリア様だ」


 数日前。王宮から、本物の聖女が忽然と姿を消した。

 自室に残されていたのは『推し活の旅に出ます』という、意味不明な一枚の置き手紙のみ。


 国の根幹たる聖女の出奔など表沙汰にできるはずもなく、王宮の面子に関わる大問題として、王家は今も極秘裏に血眼になって彼女を捜索している。


 当然、情報網を持つ侯爵家はその事実を把握していた。娘のセレスティアと聖女アリアが以前から親しくしていたこともあり、「もしや二人は一緒にいるのではないか?」と推測はしていたのだが、それが今、確信に変わったのだ。


「王宮の連中は、聖女様が謎の言葉を残してご乱心されたなどとほざいておるが……真実は全く違う!!」


 侯爵はバッと立ち上がり、執務机を力強く叩いた。その目には、大粒の涙が浮かんでいる。


「『推し活』などという不可解な言葉は、王宮の目を欺くためのただの暗号! 聖女様は、理不尽に婚約破棄されて傷ついた我が娘を放っておけず、王宮の庇護も地位もすべて捨てて、一緒に辺境へ逃げてくださったのだ!!」


「なんて慈悲深いお方だ……! 我が娘の友人が、これほどまでに清らかで優しく、自己犠牲に溢れた方だったとは……!」


 執務室の全員が、聖女の深き愛に感泣した。


 ただの『限界推し活』であることを誰も知らない王都において、アリアの株は本人の全く預かり知らぬところで天元突破していた。


 これぞ真の聖女。ローゼンブルク家は未来永劫、アリア様に足を向けて寝られない。


「しかし、旦那様。事態は一刻を争います」


 執事が鋭い声で進言する。


「フレリアに『伝説の勇者の再来』が現れたという噂……。これほどの大事となれば、いずれ王宮の耳にも入り、大々的な調査隊が辺境へ派遣されるのは時間の問題です。そうなれば、王家の捜索隊が、セレスティア様とアリア様を見つけてしまう!」


 そうなればどうなるか。


 国の沽券を守るため、聖女アリアは無理やり王宮へ連れ戻され、愛娘セレスティアはあの馬鹿な王太子の手によってさらなる理不尽な罪を着せられるかもしれない。


 あんな連中に、愛しの娘と恩人たる聖女様を渡してたまるものか。


「王宮が動くより先に、我がローゼンブルク家の私兵と精鋭騎士を総動員してフレリアへ向かう! 何としても、王家の連中より先に、セレスティアと聖女アリア様を我々の手で保護かくまうのだ!!」


「「「ははっ!!」」」



 過酷な運命に抗う令嬢の思惑とは全く別のところで。

 勘違いをこじらせた過保護すぎる侯爵家の総力が、王家を出し抜くべく、辺境都市フレリアへ向けて猛然と動き出そうとしていた。





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