9. 空間分断とブラッドエイプ
「とにかく、一刻を争います。案内してください」
ゼノが冷静に場を切り詰めると、彼らの足元に淡い光の陣が展開された。魔法を一切持たない純粋な剣士であるゼノに代わり、ラキシスが即座に移動用の術式を起動したのだ。
「救出に向かいますが、僕の最優先事項はあなたたちお二人の安全です。ここに置いていくわけにはいきません」
ゼノは腰のミスリル剣に手を添え、極めて真剣な、それゆえに有無を言わさぬ丁寧な口調で告げた。
「ですから、あなたたちも一緒に群れの中心へ行きます。現場では絶対に僕の目の届くすぐ隣にいてください」
(推しに守られながら戦場を駆け抜けることになったわ!! VIP待遇すぎる!!)
***
数分後。
森の開けた場所では、凄惨な光景が広がっていた。
3人の傷ついた冒険者たちが、20匹を超えるCランク魔物『ブラッドエイプ』の群れに完全に包囲されていた。さらにその群れの後方には、一回り以上も巨大な、禍々しい気を放つ変異種――Bランク相当の個体が悠然と控えている。
「ああっ……もうダメだ……!」
冒険者の一人が絶望に目を閉じた、その瞬間。
「状況は把握した。まずは彼らを群れから分断する!」
「任せておけゼノ! 喰らえ、新作『対象指定・絶対空間分断結界』!!」
ラキシスが自信満々に巨大な魔力障壁を展開した。
空間そのものを切り取るような不可視の壁が出現し、戦場を真っ2つに分断する。
――しかし、数秒後。
戦場には奇妙な沈黙が落ちていた。
「……ラキシス」
分断結界の『内側』から、ゼノの極めて低い声が響いた。
「はい! なんでしょうかゼノ!」
「なぜ、我々2人と、あの『変異種』と群れの大多数が、この透明な箱の中に閉じ込められているのですか? なぜ、負傷した冒険者たちと、アリア様、セレスティア様が、結界の『外』に取り残されているのですか? 群れの全てをこちらに閉じ込めるならまだしも、向こうに3体残っている」
ゼノが、絶対に壊れないという新作の空間結界を、内側からコンコンと叩きながら尋ねる。
「おかしいな!? 術式の対象指定座標が反転しているぞ!? ちょっと待ってくれ、今すぐ解除の術式を……」
「ラキシス様!? 致命的な欠陥ですわよ!!」
セレスが結界の外から悲鳴を上げた。
天才魔術師の痛恨の術式エラーにより、戦力となる2名が、ボスの魔物と群れの大半と共に、戦場から完全に隔離されてしまったのだ。
『グルルゥゥゥ……ッ』
さらに不運なことに、結界の外側――セレスたちと同じ空間には、分断された3匹の『ブラッドエイプ』が取り残されていた。
凶悪な眼差しが、最も弱そうなセレスとアリア、そして負傷した冒険者たちへと向けられる。
「セレスティア様! アリア様! 今すぐその結界を破ってそちらへ向かいます、下がっていてください!!」
内側からゼノの悲痛な叫びが響く。外側にいる彼女たちを助けようと、彼がミスリルの剣を上段に構え、強引に結界を物理的に両断しようと膨大な剣気と闘気を練り上げ始めた。
(ダメですわ! ゼノ様が本気で斬りかかれば、展開しているラキシス様の魔力回路が焼き切れます!)
セレスは瞬時に状況を計算し、結界越しにゼノを真っ直ぐに見つめた。
「ゼノ様! 結界を壊さないでくださいませ! こちらの3匹は私とアリアで対処します、あなたは内側にいる『群れ』に集中して!!」
「しかし……ッ!」
「私を信じて!」
セレスの強い言葉に、ゼノはギリッと奥歯を噛み締め、結界の内側で悠然と構えるBランク変異種と20匹の群れへと鋭く向き直った。その背中から、かつてないほどの凄まじい闘気が立ち昇る。
(よし。ゼノ様の意識が目の前の敵に向いた今がチャンスですわ。……私のプロデュース手腕、お見せします!)
セレスは誰にも気づかれないよう、『真の勇者』としての規格外の神聖魔術を無詠唱で連続発動させた。
『隠密偽装』『聖域の腕力』『英雄の俊敏』――。
不可視の光の粒子が結界をすり抜け、ゼノの身体へと吸い込まれていく。同時に、結界の内側にいるBランクの変異種には『重圧の呪縛』をそっと付与した。
「……!?」
ゼノが微かに目を見開く。
彼の身体は、まるで羽が生えたように軽く、そして内側から底知れない力が無限に湧き上がってくるのを感じていた。魔法を持たない彼にはそれが何なのかは分からないが、最高純度ミスリルの剣が、彼の闘気と共鳴して激しく輝き出す。
「……行くぞ」
ゼノが踏み込んだ瞬間、周囲の景色が置き去りにされた。
音すらない。
ただ一瞬の閃光が走った直後。放たれた絶大な剣圧は、間に群がっていた20匹以上のブラッドエイプを一瞬にして暴風のように吹き飛ばし、そのさらに奥にいた強固な毛皮を持つBランク変異種を、背後の岩壁ごと綺麗に十字に両断して崩れ落としたのだ。
(あああっ! バフ全開の推しの剣撃、最高にカッコいいですわ!! これぞ勇者!!)
尊さが限界突破した歓喜と、途方もない愛への執着を胸に秘め、セレスは振り返った。その背後で、結界の外側に取り残されていたCランク魔物、ブラッドエイプ3匹が、一斉に襲いかかってきたからだ。
「セレスちゃん、来ます!」
アリアが前に出て、強固な防御結界を展開する。表面上はDランク相当に出力を抑えているように見せかけているが、その本質は神聖な力に裏打ちされた絶対防壁だ。
結界の内側でその光を見たラキシスは、一人納得したように頷いていた。
(やはり、アリアちゃんは本物の聖女か。あの純度の結界、並の神官に張れるものじゃない。……面白い)
ドンッ! と鈍い音が響き、魔物たちの突進が完璧に弾き返された。
「体勢が崩れましたわ!」
セレスが扇子を振り抜きながら、『風の刃』を放つ。
それは、魔物生態学に基づき、ブラッドエイプの強靭な毛皮が唯一薄くなる首元の急所を、ミリ単位の狂いもなく正確に切り裂いていた。
鮮血が舞い、3匹の魔物が同時に地面へと倒れ伏す。
アリアの完璧な防御と、セレスの無駄のない弱点攻撃。それは初心者として理想的すぎる、洗練された連携だった。
「対象指定の修正完了だ!」
そのタイミングを見計らったように、ラキシスの空間結界がパリンッと音を立てて消滅した。
「セレスティア様!! アリア様!!」
結界が解けるなり誰よりも早く駆けつけたのは、やはりゼノだった。
彼は血相を変えてセレスの前に膝をつき、彼女の小さな両手をその大きな掌で、すがるように包み込んだ。
「ご無事ですか!? どこかお怪我は!? あなたたちに危険を強いてしまった……っ! 次は絶対に、僕の目の届かない場所へは行かせません……!」
「だ、大丈夫ですわ、ゼノ様。アリアの結界のおかげで、かすり傷1つありませんのよ」
(推しが私の手を握って震えているわ!! 至近距離のサファイアブルーの瞳が最高に尊いですわ!!)
セレスが顔を真っ赤にしている横で、助けを求めていた若い冒険者たちが、ふらふらと立ち上がりながらゼノへと歩み寄ってきた。
「す、すげえ……」
「あの数いた群れを剣圧だけで吹き飛ばして、さらに巨大なBランクの変異種を、結界の中でたった一瞬で……目で追うことすらできなかった……」
「あんた、まるで……勇者の再来のようじゃないか……」
冒険者たちは腰を抜かしたまま、ただただ圧倒的な畏敬の眼差しをゼノに向けていた。
(計画通り!! これでゼノ様を『世界が認めた勇者』に仕立て上げるプロデュースの第一歩は大成功ですわ!!)
セレスはプロデューサーとして、内心で完璧なガッツポーズを決めた。
その横で、一部始終を一番近くで見ていたアリアは、岩壁ごと両断された変異種と、息1つ乱していない親友を交互に見比べた。
(……ええ、完璧な隠蔽工作よ、セレスちゃん)
アリアは、親友の鮮やかな立ち回りに、心からの温かい微笑みを浮かべた。
創造主に選ばれた『真の勇者』である最愛の親友が、どれほど過酷な運命を背負っているのか。彼女はすべてを知っている。
だからこそ、国が定めた聖女の枠組みになんて収まるつもりはない。セレスが世界を騙し、システムに抗うというのなら、自分は唯一にして最強の『共犯者』として、最後まで彼女の隣でこの戦いを見届ける。
「……まあ、ゼノ様の圧倒的な力のおかげで助かりましたね。あなたたち、怪我の具合を見せてください」
アリアはいつもの明るく思いやりのある声で、座り込んでいる若い冒険者たちに治癒魔法をかけ始める。もちろん、一般的な治癒魔法の威力で。
「さて、感動のところ申し訳ありませんが」
冒険者たちの傷が塞がったのを確認し、アリアはナイフを取り出しながら抜け目のない声で告げた。
「そこのブラッドエイプ3匹、トドメを刺したのは私たちなので、討伐実績と素材の所有権は私たちでいいですよね? Cランクの魔物を3匹もノーダメージで倒した実績があれば、私たちもすぐにCランクへの昇格試験が受けられるはずですから」
「も、もちろんです!!」
彼女たちがランクを上げたいのには理由がある。
冒険者ギルドの規定では、ランク差の大きい者同士は正式なパーティーを組むことができない。今は「護衛と雇い主」という関係で同行しているが、セレスとゼノが真の意味で肩を並べるためには、彼女たち自身も高ランクへ駆け上がる必要があるのだ。
親友の恋路と計画を支えるため、実績と素材だけはちゃっかりと回収する。アリアの真骨頂である。
「おぉ! ならそのブラッドエイプの魔石は私が買い取ろう! セレスちゃんから貰っている研究費で――」
「ラキシス様。あなたには素材の解体を無償で手伝ってもらいます。先ほどの結界ミスの慰謝料ですわ」
セレスもスッと立ち上がり、令嬢のドレスの泥汚れなど一切気にせず、解体作業へと意識を切り替えた。
勇者の如き畏怖を向けられているゼノ。
それを満足げに見つめながら、倒した魔物を容赦なく解体し始めた初心者2人と、ブツブツと文句を言いながらそれに従わされているSランクの天才魔術師。
助けられた冒険者たちは、そのあまりにもアンバランスで異常なパーティーの光景に、ただただ口を開けて呆然とするしかなかった。
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