第7話
その日、私は悩んでいた。
屋台「ひだまり亭」の評判はうなぎ登りだ。騎士団の方々や、冒険者の常連さんも増えた。
けれど、だからこそ突き当たる壁がある。
――マンネリ化だ。
豚汁、おにぎり、唐揚げ、生姜焼き、ハンバーグ。
どれも大好評だけれど、そろそろ「新しい風」を吹かせたい。
それも、この極寒の空の下で、通りがかった人の足を強制的に止めさせるような、破壊力抜群の「匂いの爆弾」が必要だ。
「うーん……やっぱり、アレしかないかなぁ」
私は市場の乾物屋で、腕組みをしていた。
目の前にあるのは、黄色がかった乾燥した麺。
この国では「保存用麦麺」と呼ばれ、クタクタになるまでスープで煮込んで食べるのが主流だ。コシも何もない、離乳食のような食感で食べられている。
でも、私の【神の舌】は知っている。
この麺、小麦の配合とカンスイ(に似た成分)のバランスが、前世の「中華麺」に限りなく近いことを。
「おじさん、この麺、あるだけちょうだい!」
「へいよ。また変わったもんを買うねぇ、嬢ちゃん」
私は麺を買い占めると、次は薬草店へ走った。
狙うは、数種類のスパイス。
そして八百屋で、完熟しすぎて売り物にならないトマトやリンゴ、玉ねぎを大量に安く譲ってもらう。
私の脳裏には、日本の縁日の風景が浮かんでいた。
鉄板の上で踊る麺。
焦げるソースの香り。
青のりが歯につくことさえ気にならないほどの、あの中毒性。
今日のメニューは、B級グルメの帝王。
――『鉄板ソース焼きそば』だ。
◇
屋台に戻った私は、早速「命の源」となるソース作りから始めた。
この世界には、ウスターソースも中濃ソースも存在しない。
だから、作るしかないのだ。
寸胴鍋に、ざく切りにした野菜と果物を放り込む。
玉ねぎ、人参、セロリ、トマト、リンゴ、そしてドライプルーンのような果実。
これらを水と酢で、形がなくなるまで煮込む。
部屋中が、甘酸っぱいジャムのような香りで満たされていく。
ドロドロになったら、布で丁寧に漉す。
抽出された野菜と果実のエキス。ここに「魔法」をかける。
塩、砂糖、醤油(黒豆の醤)。
そして、私が調合した十種類以上のスパイス――シナモン、クローブ、ナツメグ、黒胡椒、唐辛子などを投入する。
グツグツ……。
鍋をかき混ぜる手が重くなる。
色は漆黒に近い、艶やかな茶褐色へ。
香りが変わる。甘酸っぱさの中に、鼻を突き抜けるスパイシーな刺激と、奥深いコクが生まれる。
「……味見」
小皿に一滴垂らし、舐めてみる。
――カッ!
舌の上で花火が上がった。
最初はフルーティーな甘み。次に酢の酸味。そして最後に、複雑なスパイスの辛味が喉を刺激する。
濃厚だ。これだけで酒が飲める。
「完璧。これぞ『秘伝のソース』よ」
次は麺だ。
乾燥麺を、たっぷりの湯で茹でる。
ただし、クタクタにはしない。芯が少し残る「アルデンテ」の一歩手前で引き上げる。
そして、すぐに油をまぶして広げ、風に当てて冷ます。
こうすることで、表面がコーティングされ、炒めた時にベチャッとならず、モチモチの食感が生まれるのだ。
具材はシンプルに。
豚バラ肉(オーク肉)の薄切り。
キャベツのざく切り。
もやし(に似た豆菜)。
準備は整った。
私は魔導コンロの上に、分厚い「鉄板」をセットした。
この料理は、フライパンではダメだ。高温の鉄板で、一気に水分を飛ばさなければならない。
「さあ、開店よ!」
◇
昼時。
屋台の前には、いつものように腹を空かせた男たちが集まっていた。
今日は特に、冒険者の三人組が一番乗りだ。
大剣を背負った戦士、杖を持った魔術師、そして軽装の盗賊。彼らは最近の常連で、ダンジョン帰りの栄養補給にここを使っている。
「嬢ちゃん、今日は何だ? すげぇ甘酸っぱい、いい匂いがするんだが」
「今日は新作ですよ。『ソース焼きそば』。麺料理です」
「麺? あのブヨブヨしたやつか? 俺、あれ苦手なんだよなぁ……」
戦士が難色を示したが、私はニヤリと笑ってコテを鳴らした。
「私の麺料理は、一味違いますよ。見ててください」
私は熱々に熱した鉄板に、ラードを引いた。
白い煙が上がる。
まずは豚肉を投入。
ジューッ!!
脂が弾ける音と共に、肉の焼ける香ばしい匂いが広がる。
肉の色が変わったら、キャベツともやしを山盛りに乗せる。
鉄板の熱で、野菜の水分が蒸発し、甘い香りが立つ。
そして、主役の麺を投入!
ほぐしておいた麺が、鉄板の上で踊る。
コテを二本使い、カッカッカッ! とリズミカルに混ぜ合わせる。
野菜と肉が麺と混ざり合い、麺の表面に焦げ目がつき始める。
ここだ。
麺がチリチリと音を立て、水分が飛んだこの瞬間。
私は寸胴鍋から、お玉一杯分の「秘伝のソース」をすくい上げた。
そして、鉄板の上に豪快にぶちまける!
ジュワワワワワワァァァァッ!!!!!!
爆音。
そして、爆発的な蒸気。
世界が一瞬、茶色い霧に包まれたかと思った。
その直後、襲いかかってきたのは――「焦げたソース」の香りだ。
スパイシーで、甘くて、香ばしい。
鼻の粘膜を直接刺激し、脳の満腹中枢を破壊し、胃袋を強制的に活動させる、あの香り。
鉄板の上でソースが煮詰まり、麺の一本一本に絡みついていく。
艶やかな飴色に染まった麺が、キラキラと輝いている。
「うおっ!? なんだこの匂いは!」
「目が! 鼻が! ヨダレが止まらねぇ!」
冒険者たちが前のめりになる。
シロなんて、『クゥーン!』と鳴きながら尻尾をブンブン振って、鉄板に飛び込みそうな勢いだ。
私は手早く皿に盛り付ける。
山盛りの茶色い麺。
仕上げのトッピングは三種の神器。
パラパラと「青のり」。熱で香りが立ち、磯の風味を加える。
真ん中にドサッと「紅生姜(赤い根菜の酢漬け)」。鮮やかな赤が食欲をそそる。
そして最後に、以前作って好評だった「マヨネーズ」を、細い線を描くようにビーム!
「はい、お待たせ! 『特製・ソース焼きそば大盛り、マヨビーム付き』よ!」
ドン、と置かれた皿の上で、かつお節(ロックバードの削り節)がゆらゆらと踊っている。
「い、いただきやす!」
戦士が震える手でフォークを突き刺した。
麺を大量に巻き取り、大口を開けて放り込む。
ズゾゾゾッ!
豪快な音が響く。
彼は三回ほど咀嚼し、カッと目を見開いた。
「んんんーッ!!??」
言葉にならない絶叫。
「なんだこれ! 麺が! 麺がモチモチだ! ブヨブヨじゃねぇ、弾力がある! それにこの黒いタレ! 甘いのに辛くて、酸っぱくて……味が濃い! めちゃくちゃ濃い!」
横の魔術師も、一口食べて悶絶している。
「ソースの焦げた風味が鼻に抜ける……! そこにマヨネーズが絡むと、酸味がまろやかになって、悪魔的なコクに変わるわ! キャベツのシャキシャキ感も最高!」
盗賊の男は、紅生姜を麺と一緒に頬張った。
「この赤い漬物がいい仕事してやがる! こってりした口の中をサッパリさせて、またすぐに次の一口が欲しくなる無限機関だ!」
三人組は、会話も忘れて貪り食った。
皿にこびりついたソースまでパンで拭い取り、完食。
戦士が満足げに腹を叩いた。
「ふぅ……生きててよかった。ダンジョンの魔物より、ここの飯の匂いの方がよっぽど凶悪だぜ」
◇
そんな賑わいが一段落した頃。
いつもの彼がやってきた。
グレンさんだ。
今日はいつも以上に眉間に皺が寄っている。どうやら公務でお疲れのようだ。
「……また、とんでもない匂いをさせているな。城の執務室まで届きそうだったぞ」
「お疲れ様です、グレンさん。今日はちょっとジャンキーなものが食べたくて」
「ジャンキー? よく分からんが……その茶色い山が、今日の私の救世主か」
彼はカウンター席に座り、深いため息をついた。
「……隣国(王国)との交渉が難航していてな。向こうの使者が、食料支援を求めて喚き散らしているんだ。頭が痛い」
王国。私の故郷。
どうやら私が危惧していた通り、食料事情はかなり深刻らしい。
グレンさんは疲れた顔を上げ、鉄板を指差した。
「くれ。今の私には、その暴力的なまでに食欲をそそる香りで、頭の中の憂鬱を吹き飛ばしてほしい」
「お任せください。ストレス解消には、濃い味が一番です」
私は彼のために、特別仕様の焼きそばを作り始めた。
麺を炒め、ソースをかける。
ジュワアアアッ!
その音を聞いただけで、グレンさんの目が少し覚めたように見えた。
盛り付けの際、私はもう一つの隠し味を取り出した。
「目玉焼き」だ。
半熟に焼いた目玉焼きを、焼きそばの頂上に乗せる。
黄身がプルプルと震えている。
「はい、どうぞ。『目玉焼き乗せソース焼きそば』です」
グレンさんは皿を受け取ると、まずはそのビジュアルに見入った。
茶色い麺の山、緑の青のり、赤い紅生姜、白いマヨネーズ、そして黄金の黄身。
色彩の暴力だ。
「……美しい。混沌としているようで、完成されている」
彼はフォークで、頂上の目玉焼きを突いた。
プチッ。
薄い膜が破れ、トロリと濃厚な黄身が流れ出す。
黄身はソースの絡んだ麺を黄金色にコーティングしながら、下へと流れていく。
彼はその「一番美味しい部分」――黄身とソースと麺が混ざり合った場所をすくい上げた。
パクッ。
「…………」
彼は目を閉じ、天を仰いだ。
そして、口元を覆い、肩を震わせた。
「……あぁ、美味い。理屈抜きに、美味い」
疲れ切っていた脳に、糖質と脂質とスパイスが直接電流を流し込む。
上品な宮廷料理では決して得られない、ガツンとくる満足感。
ソースのスパイシーさを、卵の黄身が優しく包み込み、マヨネーズがコクを加える。
「子供の頃、隠れてお菓子を食べた時のような……そんな背徳感がある。味が濃い。だが、それが今の私には心地いい」
「途中で、これをかけてみてください」
私は小さな小瓶を差し出した。
中には、七色の粉が入っている。
赤唐辛子、山椒、陳皮(ミカンの皮)、黒胡麻などを調合した「七味唐辛子」だ。
彼は言われた通り、パラパラと振りかけた。
そして一口。
「!! 味が変わった!?」
彼は驚いた顔をした。
「ピリッとした辛さが加わって、味が引き締まった。それに、この柑橘系の爽やかな香りはなんだ? 濃厚なソースの後味を、スッと切ってくれる」
「七味唐辛子です。焼きそばのベストパートナーですよ」
彼は夢中で食べ進めた。
フォークが止まらない。
途中で紅生姜を齧り、「なるほど、これは口直しというより、食欲増進剤だな」と感心し、また麺をすする。
あっという間に、大盛りの皿は空になった。
彼は水を一気に飲み干し、ふぅ、と長く息を吐いた。
その顔からは、来た時の疲労感は消え失せ、憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。
「……ありがとう、レティ。悩んでいたことが馬鹿らしくなったよ」
「それは良かったです。お腹がいっぱいになれば、大抵のことはなんとかなりますから」
「そうだな。……王国の使者など、適当にあしらっておくとするか。彼らには、この焼きそば一本だって渡したくない気分だ」
彼は悪戯っぽく笑い、シロの頭をワシャワシャと撫でた。
シロは『やめろ、我の毛並みが乱れる! ……まあ、焼きそばのキャベツをくれたから許してやるが』と満更でもなさそうだ。
「明日も頑張れそうですか?」
「ああ。この味が舌に残っているうちは、無敵になれそうだ」
グレンさんは銀貨を置き、軽やかな足取りで城への道を戻っていった。
私は鉄板に残った焦げをこそげ落としながら、夜空を見上げた。
王国の使者が来ている。
その言葉が、少しだけ心に引っかかった。
カイル王子が直接来たわけではないようだけど、確実に「私のいた場所」からの干渉が始まっている。
「……ま、いっか」
私はジュウジュウと音を立てる鉄板に、水をかけた。
白い蒸気が上がり、ソースの香りが最後の主張をする。
「誰が来ても、私は私の料理を作るだけ。美味しいって言ってくれる人のために」
そう。
もしカイル王子が来たとしても、今の私には、この熱い鉄板と、頼もしい常連さんたちがついている。
それに何より、美味しいものの前では、どんな悪意も無力化できると信じているから。
でも、私はまだ気付いていなかった。
その「王国の使者」が持ち帰った報告書の中に、「帝国の屋台に、黄金の出汁を使う女がいる」という一文が含まれていたことを。
そしてそれが、あの味覚音痴の王子を本気にさせてしまうことを。
焼きそばの香りは、国境を越えて運命を動かし始めていた。




