表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バカ舌王子に婚約破棄されたので、辺境で屋台はじめます!  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/15

第4話

 北の大国、ヴァルハラ帝国の朝は早い。そして、痛いほど寒い。

 吐く息がキラキラとダイヤモンドダストになって舞う中、私は市場の片隅にある解体場へ足を運んでいた。

 今日の狙いは、普通の肉屋には並ばない「アレ」だ。


「おや、昨日の屋台の嬢ちゃんじゃないか。また変なものを買いに来たのか?」


 毛皮のベストを着た巨漢の解体師、通称「親方」が、呆れたように私を見下ろした。

 彼の足元には、たった今解体されたばかりの巨大な「アイアン・バイソン」の残骸が転がっている。


「おはよう、親方! そのバイソンの『中身』、譲ってくれない?」

「中身? ああ、内臓のことか? あんなもん、臭くて食えねぇぞ。いつも通り森に捨てて、魔獣の餌にするつもりだが」

「もったいない! それ、全部買い取るわ。新鮮なうちに処理すれば、極上のご馳走になるんだから」


 私が銀貨を一枚差し出すと、親方は「物好きなこった」と肩をすくめ、血塗れのバケツを三つも渡してくれた。

 ずっしりと重い。

 中には、まだ温かいバイソンの小腸、大腸、そして胃袋ガツがたっぷりと入っている。

 一般的にはゴミ扱いされる部位。けれど、私にとってはダイヤモンドの原石だ。

 前世の日本では「ホルモン(放るもん=捨てるもの)」と呼ばれ、酒飲みたちを魅了してやまなかったソウルフード。


「よし、急ごう。鮮度が命よ!」


 私はバケツを抱え(身体強化の魔法を少しかけて)、足早に屋台へと戻った。


     ◇


 屋台に戻ると、看板犬のシロ(フェンリル)が、尻尾をパタパタさせて出迎えてくれた。


『遅いぞ娘。腹が減って背中の毛が抜けそうだ』

「はいはい、今すごいご馳走を持ってきたからね」

『ん? なんだその血なまぐさい匂いは。獣のはらわたか? そんなもん、我ですら好んで食わんぞ』


 シロが露骨に嫌そうな顔をして鼻を背けた。

 魔獣ですら敬遠する、独特の獣臭さ。

 確かに、今のままではただの生臭い臓器だ。けれど、ここからが料理人の腕の見せ所なのだ。


「見てなさい。魔法をかけてあげるから」


 私は腕まくりをして、気合を入れた。

 まずは「下処理」。これが煮込みの味の九割を決めると言っても過言ではない。

 大量の小麦粉と粗塩を、バケツの中のホルモンにぶちまける。

 そして、ひたすら揉む。揉んで、揉んで、揉みしだく!


 グッ、グッ、グッ。


 力を込めるたびに、ヌメリと汚れが小麦粉に吸着されていく。

 手は冷たいし、重労働だ。けれど、この工程をサボれば全てが台無しになる。

 入念に揉み込んだら、たっぷりの水で洗い流す。

 水が白く濁らなくなるまで、三回、四回と繰り返す。

 するとどうだろう。

 あんなにグロテスクだった臓物たちが、透き通るような白ピンク色になり、プリプリと輝き始めた。


「よし、第一段階クリア」


 次は「茹でこぼし」だ。

 大鍋に湯を沸かし、臭み消しの「青ネギ(に似た野菜の青い部分)」と、「生姜ジンジャー」の薄切りを大量に投入。

 そこにホルモンを一気に入れる。


 グラグラと沸騰させると、灰色の灰汁アクがモクモクと浮いてくる。

 これが臭みの正体だ。

 私は容赦なく湯を捨て、ホルモンを水洗いする。

 これを二度繰り返す。

 徹底的に。親の仇のように臭みを抜きまくる。


 下茹でが終わったホルモンは、余分な脂が落ち、キュッと身が引き締まっていた。

 私はそれをまな板に乗せ、ハサミで一口大にチョキチョキと切っていく。

 内側にたっぷりと残った脂身は、あえて残す。この脂こそが、煮込みに甘みを与えるからだ。


「さあ、ここからが本番よ」


 綺麗になった寸胴鍋に、下処理を終えたホルモンを戻す。

 一緒に煮込むのは、いちょう切りにした大根、手でちぎったコンニャク(芋から作ったプルプルの食材)、そしてささがきにしたゴボウ。

 根菜たちの土の香りが、ホルモンの野性味と相性が良い。


 水を張り、酒をドボドボと注ぎ、火にかける。

 味付けのベースは、もちろん「味噌」だ。

 赤味噌と白味噌の合わせ技。そこに、すりおろしたニンニクと生姜を、これでもかと言うほど投入する。

 さらに、隠し味に砂糖と、少しの唐辛子。


 グツ、グツ、グツ……。


 鍋が低く、重い音を立て始めた。

 最初は尖っていた味噌の香りが、肉の脂と混ざり合い、徐々にまろやかで芳醇な香りへと変化していく。

 ニンニクのパンチの効いた匂いが、冷たい風に乗って周囲へ漂い始める。

 これは「暴力的な香り」ではない。「誘惑の香り」だ。

 人間の本能に訴えかける、茶色い煮込みの魔力。


 一時間、二時間。

 弱火でコトコト煮込むうちに、大根は飴色に染まり、ホルモンはトロトロに柔らかくなっていく。


「……んー、いい感じ!」


 味見のために、小皿に少し取る。

 フーフーと息を吹きかけ、熱々のシロ(小腸)を口に放り込む。


 ハフッ。


 ……溶けた。

 噛んだ瞬間、プルプルの脂身がジュワッと溶け出し、濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。

 皮の部分は適度な弾力を残しつつも、歯で簡単に噛み切れる柔らかさ。

 味噌のコク、ニンニクの風味、ゴボウの香り。全てが一体となって、脳髄を直撃する。


「これは……お酒が欲しくなるわね」


 自画自賛しながら頷いていると、背後からゴクリ、と喉を鳴らす音が聞こえた。


『……娘よ、それは本当にさっきの汚い臓物か? 信じられんほど良い匂いがするのだが』

「ふふ、食べてみる?」

『食う! 毒でも食う!』


 シロが涎を垂らして飛びついてきたので、私は深皿にたっぷりとよそってやった。

 そして、ちょうどその時だった。


「……今日はまた、一段と破壊力のある匂いをさせているな」


 いつもの指定席に、あの黒マントの青年――グレンさんが現れた。

 三日連続の来店だ。

 最初の頃の死相は完全に消え、今は健康的な肌艶をしている。ただ、その蒼い瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭く鍋を凝視していた。


「いらっしゃい。今日はちょっと変わったメニューよ。『特製・土手煮込み』」

「ドテ・ニコミ? 嗅いだことのない香りだ。味噌と……ニンニクか? それに、この濃厚な肉の匂いは……」

「バイソンのホルモン、つまり内臓よ」


 私がそう告げると、グレンさんは一瞬、眉をひそめた。


「内臓……? 下級兵士ですら食べない廃棄部位じゃないか。臭みが強くて硬いと聞くが……」

「騙されたと思って食べてみて。もし不味かったら、お代はいらないから」


 私がニヤリと笑うと、彼は観念したように、しかし期待を含んだ目で頷いた。

「君がそう言うなら、信じよう。君の料理に裏切られたことはないからな」


 私は丼鉢を用意した。

 熱々の白米を半分ほどよそう。

 その上から、鍋の底からすくい上げた煮込みを、汁ごとドバッとかける。

 いわゆる「ぶっかけ飯」スタイルだ。上品さのカケラもないが、これが一番美味い。

 仕上げに、刻んだネギを山盛りに乗せ、七味唐辛子をパラリと振る。

 茶色、白、緑、赤。

 食欲をそそる色彩のコントラスト。


「はい、召し上がれ。『ホルモン煮込み丼』よ!」


 グレンさんは丼を受け取ると、立ち上る湯気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「……香りが、濃い。嫌な獣臭さは微塵もない。あるのは、食欲を刺激する濃厚な旨味の予感だけだ」


 彼はスプーンで、ホルモンとご飯を一緒にすくい上げた。

 ネギが汁に浸り、しんなりとしている。

 彼はそれを、大きな口でパクりと頬張った。


 モグ、モグ……。


 彼の動きが止まる。

 次の瞬間、カッ! と目を見開いた。


「――なんだこれはッ!?」


 彼は叫ばずにはいられなかったようだ。

「溶けたぞ!? 肉が、舌の上でバターのように溶けた! それなのに、噛めば噛むほど濃厚なスープが溢れ出してくる!」


 彼は猛然とスプーンを動かし始めた。

 もはや優雅な皇太子の食事ではない。ただの空腹な男の、本能の食事だ。


「この茶色いソース(味噌)が凄い。塩気と甘みのバランスが絶妙で、米と絡み合うと最強の味になる。それに、この根菜……大根か? 味が芯まで染みていて、噛むとジュワッと熱い汁が迸る!」


 ハフハフ、と熱い息を吐きながら、彼は止まらない。

 途中で七味唐辛子のピリッとした辛さがアクセントになり、汗が滲んでくる。

 極寒の屋外だというのに、彼の身体はカッカと燃えるように熱くなっているはずだ。


「美味い……美味いぞ……っ! 内臓がこれほど美味いものだったとは……私は今まで人生を損していた気分だ」


 彼は一心不乱にかきこみ、最後の一粒、最後の一滴まで綺麗に平らげた。

 そして、空になった丼を置いて、深く息を吐いた。


「ふぅ……。身体中がポカポカする。魔法薬ポーションを飲んだ時よりも、力が漲ってくるようだ」

「ホルモンは精がつくからね。明日もお仕事頑張れるわよ」

「ああ。……正直、仕事の山積みに絶望していたところだったが、これなら徹夜で書類を片付けられそうだ」


 彼は苦笑しながら、財布を取り出した。

 そして、またしても銀貨を数枚置こうとしたので、私は慌てて止めた。


「多いってば! こんなの貰ったら、屋台ごと買い取れちゃうわよ」

「構わない。それだけの価値がある。……それに、これは『口止め料』も含んでいる」

「口止め?」

「ああ。この店がこれ以上有名になると、私が行列に並ばなければならなくなる。それは困るんだ」


 彼は冗談めかして言ったが、その目は半分本気だった。

 確かに、最近は遠くから屋台の様子を伺う視線が増えている。騎士風の男たちや、冒険者のグループが、匂いにつられてヒソヒソと話しているのをよく見かけるのだ。


『ワンッ! 娘よ、おかわり! 今度は大盛りで!』


 足元では、シロが空になった皿を鼻で押して催促している。

 どうやら、魔獣も人間も、美味しいものの前では等しく奴隷になるらしい。


「はいはい。いっぱい食べて、しっかり働きなさいよ」


 私は鍋をかき混ぜながら、幸せな湯気の中にいた。

 カイル殿下に「豚の餌」と罵られた、茶色い料理たち。

 けれど、ここではそれが「宝物」として受け入れられている。

 グレンさんの満足そうな顔と、シロの無心な食いっぷりが、何よりの証明だ。


(ざまぁみろ、カイル。あんたには一生味わえない、最高の味がここにあるのよ)


 私は心の中で元婚約者に舌を出し、大鍋の底から一番大きなホルモンをすくい上げた。

 屋台の明かりは、寒空の下で暖かく灯り続けている。

 その光が、やがて国中を巻き込む大騒動の震源地になるとも知らずに。


 と、その時。

 広場の向こうから、カシャカシャと鎧の音をさせた一団が近づいてくるのが見えた。


「おい、いい匂いがするのはここか?」

「隊長、間違いないです。あの匂い、腹が鳴って仕方ありません!」


 帝国の騎士団だ。

 グレンさんがサッとフードを深く被り直す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ