第13話
黄金色のフレンチトーストでエネルギーを充填し、グレンさんが戦場(執務室)へ向かってから数時間が経った。
お昼時。
私は約束通り、ヴァルハラ城の王宮厨房の一角を借りていた。
朝のグレンさんの顔には、隠しきれない疲労の色があった。
カイル王子のしでかした不始末は、国家間の外交問題に発展している。その処理を一手に引き受けているのだから、無理もない。
午前中の会議は紛糾したと聞く。
「……よし。後半戦を戦い抜くための、とびきりの応援メニューを作らなきゃ」
私が選んだのは、スプーン一本で食べられて、子供の頃に戻ったような安心感をくれる、黄色い宝石のような料理。
疲れ切った脳には、炭水化物と卵の優しさが一番だ。
――『ふわとろオムライス』。
◇
まずは土台となる「チキンライス」作りから。
まな板の上で、コカトリスのモモ肉を小さめの角切りにする。
玉ねぎは、食感を残すために少し粗めのみじん切り。マッシュルーム(森のキノコ)は薄くスライス。
フライパンにバターを落とし、火にかける。
シュワシュワとバターが溶け、芳醇な香りが立ち昇る。
鶏肉、玉ねぎ、マッシュルームを順に炒め、塩胡椒で下味をつける。
ここからがポイントだ。
具材を端に寄せ、空いたスペースに「ケチャップ」を投入する。私がトマトと香辛料を煮詰めて作った特製だ。
これを、すぐにご飯と混ぜてはいけない。直火で少し「焼く」のだ。
ジュウウウッ……。
水っぽさが飛び、少し焦げたような香ばしい匂いが広がる。トマトの旨味が凝縮された瞬間だ。
そこへ温かいご飯を投入し、切るように炒め合わせる。
白いご飯が、鮮やかな朱色に染まり、艶やかに輝き出す。
パラパラすぎず、しっとりとしたチキンライスの完成。
これをラグビーボール型に整えて皿に盛る。
そして、いよいよメインイベント。「オムレツ」だ。
ボウルに卵を三個。贅沢に使う。
牛乳と生クリームを少々加え、白身を切るように混ぜる。
フライパンを強火で熱し、バターを投入。
卵液を一気に流し込む!
ジュワァァァァッ!!
激しい音と共に、左手でフライパンを振り、右手で菜箸をぐるぐると回す。
外側の固まった部分を内側へ、内側の半熟部分を外側へ。
数秒の勝負。
全体がトロトロの半熟状になったら、フライパンを傾け、トントンと柄を叩いて卵を回転させる。
クルリ、と美しい楕円形(オムレツ型)にまとめる。
表面はツルンと滑らか。けれど中身は半熟のマグマ。
これをチキンライスの上へ――コロン。
黄色い枕が着地した。
仕上げに、特製のデミグラスソースを周りに流しかける。
◇
正午過ぎ。
王宮の執務室は、ピリピリとした空気に包まれていた。
机の上には書類の山。グレンさんは眉間に深い皺を寄せ、ペンを走らせている。
「失礼します。お昼をお持ちしました」
私がワゴンを押して入ると、グレンさんが顔を上げた。
その目は充血していたが、私を見た瞬間、ふっと緩んだ。
「レティ……。待っていたよ。君の顔を見ないと、そろそろ限界が来るところだった」
「お疲れ様です。午前中の会議、大変だったみたいですね」
「ああ。王国の使者たちが『カイル様を返せ』とうるさくてね。……まあ、この書類が完成すれば、それも黙るだろうが」
私は書類の山を少し脇に寄せ、出来立てのオムライスを置いた。
湯気と共に漂う、バターと卵、そして甘酸っぱいケチャップの香り。
殺風景な執務室に、そこだけ春が来たような彩りが生まれる。
「これは……美しいな。朝のフレンチトーストも輝いていたが、これもまた、黄金の宝石だ」
「ここからが魔法ですよ。ナイフをお借りします」
私はナイフを手に取り、オムレツの真ん中に、スッと切れ込みを入れた。
――パカッ。
その瞬間。
黄色いオムレツが左右に弾けるように開き、中からトロトロの半熟卵が雪崩のように溢れ出した。
チキンライスを覆い隠す、とろとろの黄金の滝。
「おおっ……!!」
グレンさんが少年のように声を上げた。
「中から溢れてきた……! なんだこのシズル感は……見ているだけで食欲が暴れ出しそうだ」
「『タンポポ・オムライス』です。さあ、冷めないうちに」
グレンさんはスプーンを握り、デミグラスソースのかかった部分ごとすくい上げた。
卵、ライス、ソース。三位一体の一口。
パクッ。
「…………」
彼は目を閉じ、背もたれに深く体重を預けた。
口元が緩み、吐息が漏れる。
「……優しい。どこまでも優しい味だ」
卵が飲み物のように喉を滑り落ちていく。
濃厚なバターと生クリームのコク。それが甘酸っぱいチキンライスと混ざり合い、口の中で幸福なハーモニーを奏でる。
「チキンライスのトマト味が、疲れた体に染みる。デミグラスソースのほろ苦さが全体を引き締めて……これは、スプーンが止まらなくなるな」
彼は無言で、しかし猛烈な勢いで食べ進めた。
朝からの激務で枯渇していたエネルギーが、急速にチャージされていくのが分かる。
あっという間に完食し、彼は水を飲み干すと、キリッとした表情に戻った。
その瞳には、先ほどまでの疲れはなく、鋭い「王」の覇気が宿っていた。
「……ありがとう、レティ。生き返った。これで、最後の仕事に取り掛かれる」
「カイル様への尋問、ですね?」
「ああ。今朝君と相談した『メニュー』の件も含めて、引導を渡してくる」
彼は立ち上がり、マントを翻した。
「行ってくる。……君のオムライスが胃にあるうちは、私は無敵だ」
◇
それから数十分後。
城の地下にある尋問室。
石造りの冷たい部屋に、カイル王子の怒鳴り声が響いていた。
「いつまで待たせるんだ! 腹が減った! ここから出せ! 俺は王国の次期国王だぞ!」
手枷をつけられたカイルは、相変わらず自分の立場を理解していなかった。
そこへ、重厚な扉が開き、グレンさんが入ってきた。
先ほどオムライスを食べていた時の温かさは微塵もない。絶対零度の瞳だ。
「……騒々しいな。罪人は静かに罪を悔いるものだ」
「罪人だと!? ふざけるな! 俺は被害者だ! 外交問題にするぞ!」
グレンさんは無言で椅子に座り、机の上に分厚い書類の束をドサッと投げ出した。
「なんだ、これは」
「貴様の国――ロズウェル王国の現状と、貴様の罪状を記した報告書だ」
グレンさんは冷たく告げた。
「単刀直入に言おう。……貴様の国は、もう終わりだ」
「は……?」
「レティシア・セイファートを追放した瞬間、貴様の国は心臓を失ったのだ。彼女の実家が構築していた『コールドチェーン(食材流通網)』が停止したことで、今、貴様の国の国民は飢え、兵士は痩せ細り、暴動寸前だ」
カイルは口をパクパクさせた。
彼が食べていた「腐ったステーキ」の原因が、自分の追放劇にあったことを、ようやく突きつけられたのだ。
「そして、これが決定打だ」
グレンさんは最後の一枚、王家の紋章が入った羊皮紙を見せた。
「貴様の父王からの親書だ。『カイル・ロズウェルを廃嫡し、身柄はヴァルハラ帝国に一任する。どうかこれで、食料援助を再開してほしい』……だそうだ」
「う、嘘だ……父上が俺を捨てるなんて……」
カイルの顔面から血の気が引く。
国にも、親にも捨てられた。
「さて、判決だ」
グレンさんは残酷な笑みを浮かべた。
「元王子カイル。貴様には、一生涯、当国の地下牢にて服役することを命じる」
「い、嫌だ! 助けてくれ!」
「安心しろ、食事は保証してやる。……今朝、レティと相談して決めた『特別メニュー』だ」
グレンさんは、まるで最高のご馳走を勧めるように言った。
「貴様が『豚の餌』と呼んだ、彼女の料理。その真価を理解できるよう、毎日毎食、彼女が監修した『究極の健康食』を提供してやる。……出汁を取った後の出し殻で作ったふりかけや、味のしないお粥とかな」
「な……!?」
「貴様の舌が、その繊細な味を理解できるまで、ここから出ることはない。……もっとも、一生かかっても無理だろうがな」
絶望の表情で崩れ落ちるカイルを残し、グレンさんは部屋を出た。
その足取りは軽い。
胃袋には温かいオムライスがあり、胸には愛する人を守りきった達成感があったからだ。
「さて……次はレティに、作戦完了の報告に行くとしようか」
地下牢に響くカイルの悲鳴を背に、グレンさんは光の射す地上へと戻っていった。




