日ノ本元号男子

第七章、未来を繋ぐもの

四十一話

「それで、七四三年に墾田永年私財法が......あーこの時忙し過ぎてなぁ」

奈良さんがホワイトボードに書きながら解説してくれるが、私はぼんやりと他のことを考えていた。

「んー。おや〜、若人は上の空か？おーい、空から戻れい！てい！」

奈良さんに頬をつつかれ、ハッと我に返った。

「うわっ！」

「おっ、戻ってきた。俺の話あまり勉強にならないか？まぁ脱線多いからなぁ」

「あっ、いえ！そういう訳じゃないんですけど......」

奈良さんはホワイトボードの前からこちらへ歩いてきて、ゆっくりしゃがみ込んだ。

「ちょっと考え事してて......年明けは受験だなぁ......って思いまして、一月になったら私立の受験だし......みんなに勉強見てもらったりしてるのに落ちたら顔向けできないし......」

「なるほど、つまり若人は心配なんだな」

奈良さんは本を閉じて顔を近付けて来た。

「でも頭の中が考え事の山で溢れていると、何も手につかないぞ」

と言うと、奈良さんは部屋の隅に置いていた碁石と囲碁や将棋で使う盤(ばん)を持ってきた。正確には碁盤というらしい。

「ということで、勉強は一旦やめにして......囲碁でもやるか！」

「わぁ......お爺ちゃんみたい」

「ジジイだぞ！囲碁は良いぞ。打ってる最中は石だけに集中できるからな！」

そう言ってヒノキの盤の上に白と黒の碁石を分ける奈良さん。

囲碁を始める。ハンデとして私は平安さんとチームを組み、置き碁をしてくれた。

「楽しみですねぇ」

平安時代は、囲碁や蹴鞠(けまり)などが貴族文化として栄えた時代だからか、囲碁が好きなようで、いつもよりニコニコしている。

「まぁまずは一局打ってみようじゃぁないか！」

「出来るかなぁ......」

奈良さんは碁盤の上に黒石を置く。木目の上に碁石が弾ける音が響く。

「？？？」

碁石が置かれた位置を見ても、私は全く意味が分からない。

平安さんに全てを任せると、パチパチと打っていく。

「面白いところに置きますねぇ」

「ここに置くこと分かってただろ」

「すみませんねぇ」

平安さんの白石がツケて、好形(こうき)を作っていた奈良さんの右辺を死地に返す。

「美空さんにも変わりましょうか？」

「いや......全く分からないんで大丈夫です」

「囲碁は基本的に何処に置いても自由ですし、最終的に自分の陣地(庭)を広く取った方の勝ちです。相手の石を囲むと取れます。取った石は終了後に相手の庭に置けるので、相手の土地数を減らせます」

平安さんが分かりやすく噛み砕いて教えてくれるので、多少分かりやすかった。

奈良さんは腕を組んで盤を見つめている。

どう見ても窮地なのに、本人は何故か楽しそうだ。

「う〜む。右下隅の白地に対してコウを使うか―――いや、二手ヨセコウが関の山か」

奈良さんは盤に顔を近付け、唸っていたかと思うと、急にぱっと明るくなった。

「よし、ここだぁ！！」

黒石を一つつまみ、白石群に置く。

平安さんが「あ、厄介な手が来ましたねぇ」と苦笑する。

奈良さんがイタズラみたいに置いた一手に、私は首を傾げた。

「え、そこって何か意味があるんですか？」

平安さんは盤面をじっと見つめ、口元を扇子で隠しながら言った。

「これは......いわゆる嫌がらせの好手ですねぇ。放っておくと、こちらの形が崩れますし、かと言って応じれば別の弱点を突かれてしまう......」

パチンと扇子を閉じた平安さんが私を見る。

「さて、美空さん。ここで逃げると奈良さんの思う壷ですからねぇ。どうしましょうか？」

「えっ？いやいや無理無理！！」

思わず両手をぶんぶん振って拒否する。

二人揃って考え込んだ。

その時、後ろから手がにゅっと伸びてきて、「ここ置けば左辺に置かれても中央に伸ばせるよ」と誰かが指差した。

「え？」

「おやまぁ......」

振り返ると江戸くんがいた。

湯呑み片手に布団を被って、散歩のついでに立ち寄ったみたいな顔をしている。

「江戸くん！いつの間に！？」

「今さっき。面白そうなことしてるから見に来たんだよ」

そう言って、江戸くんは当たり前のように私の隣に座り込む。

盤面をざっと眺めると、すぐに黒石の急所を指した。

「ここ、ここ。ここ打つと良いよ。逆にここスカスカになると奈良さんが喜ぶよ」

「江戸くん、囲碁できるの？」

「江戸時代は町人文化で囲碁が流行りましたからねぇ。お強い方が多いんですよぉ」

平安さんがにこやかに笑っている。

しばらく何回戦か囲碁を打っていた時、知らない足音が聞こえた。

「っしゃぁぁぁ！いるじゃん！私ついてるじゃん！」

そんな声が聞こえたので、その方向を見ると、知らない女の子が立っていた。

ボブくらいの黒髪に白色のタートルネックにミントグリーンのパーカーを着ている女の子。下は紺色のスキニーパンツ。

「......誰！？」

「え、私！私だよ私！！」

「え、何なに！？急なオレオレ詐欺！？いや、私私詐欺！！」

「うわっ、オレオレ詐欺懐かし〜！あれ撲滅したよ〜」

女の子は何故か嬉しそうで、奈良さんの方へ向かう。

「うわー......奈良さんも平安さんも江戸くんも懐かしい！！」

「ありゃりゃ、若人が二人になってしまったぞ」

「平和ですねぇ」

「元気だね......」

三人は謎の人物と普通に会話している。

「あの......貴方は私で、私は貴方？」

女の子にそっと近付き、恐る恐る聞いた。

すると女の子は待ってましたとばかりに胸を張る。

「そう！私は令和！よろしくね☆」

(......え？)

その瞬間、固まる私。

奈良さん、平安さん、江戸くんの三人は「あー......」という顔で目を逸らす。

対して女の子は「あっ......」と口に手を当てた。