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日ノ本元号男子  作者: 安達夷三郎
第五章、近代国家の幕開け
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三十四話

「ん〜、よし。そうと決まれば、美空っちをハイカラにしないとね!」

「ハイカラ?」

大正くんが手渡してきた風呂敷に包まれていたのは、矢絣(やがすり)の着物に海老茶(えびちゃ)色の袴。

着替えると言っても着付けなんてしたことがないから適当になってしまったが仕方ない。

姿見に映る和装姿の自分は、何だか他人に見える。

肩まで伸びた髪をハーフアップにしてまとめた赤いリボン。大学生か卒業生が着る袴は可愛いと思うけれど、粗雑(そざつ)に動けば着崩れてしまったり、普段着にするには向いていないと思うのは洋服にすっかり慣れていたからだろうか。

「ハイカラっていうのはね、西洋の服とか、ちょっと気取った流行を取り入れてる人のことだよ〜。モガ、モボって聞いたことない?」

「あっ、それなら聞いたことあるかも!」

「そうそう。モダンガール、モダンボーイ。それをまとめて“ハイカラ”って言うんだ。俺とか明治さんの時代によく使われてた言葉だね」

「ハイカラか〜!袴も可愛いかも」

「ちなみに、美空っちがしているのは女学生スタイルだよ。可愛いね!」

「オレも行きたーい!あとオレも着物着る」

平成くんが手をバッと挙げる。

確かに、平成くんは白と青のパーカーなど、カジュアルな服装なので、昔の時代なら目立ってしまいそうだ。

でも、奈良時代に行った時は何も言われなかったような......?

「じゃあ俺の貸してやるよ」

「マジ?北、ありがとう!」

北朝くんが貸してくれた着物を早速着る平成くん。

紺色の無地のの着流しに、濃い黄色の帯を締めている。

「『モダンボーイ、大正時代に行く!』ネットに上げたらバズりそう!ね、動画撮って良い?」

「良いよ!」

よっしゃー!と叫んで、机に置いてあった自撮り棒を持って準備完了。

気が付くと、私達は見知らぬ川辺に立っていた。

カエルの鳴き声と、水面を跳ねる子供達の笑い声が耳に届く。石造りの橋、木造の家屋、遠くに見える洋館―――まるで教科書で見た大正時代の風景そのもの。

(大正ロマン......流行るのも分かる)

呆然と辺りを見回すと、その川の中に見覚えのある背中があった。

袴を脱いで、着物の裾をまくり上げ、子供達に混じってはしゃいでいるのは―――

「......大正くん!?」

川の方に駆け寄ると、大正くんは子供達と何かを捕まえていた。

ぴちぴちと動く、それは―――カエル。

「ぎゃわ!!」思わず悲鳴をあげる。

「やっぱり腕はなまってないみたいだね!」

そう言って彼は、手の中のカエルを軽く放り投げた。小さな緑色の影は水面に落ち、すぐに消えていく。

濡れた髪をかき上げながら川から上がった大正くんは、笑顔でこちらに向き直る。

「美空っちもやる?」

「遠慮しときます......」

大正くんは笑いながら袴を拾い上げ、腰にゆるく巻き付ける。

「せっかく大正に来たんだし、楽しんでいかないと損だよ」

「大正時代って......色んな意味でオープンだね」

「そうそう。あれも大正、これも大正。大正ロマンってやつ。でも、俺よりオープンなのは江戸くんから前の時代だよ」

「人前で脱ぐのは......さすがに炎上する」

珍しく平成くんと意見が一致した。


通りを行き交う人々の姿は、まるで絵はがきの中から抜け出してきたようだ。モダンな洋装の紳士淑女に、赤いリボンで髪を結んだ女学生達。カフェーの看板からは香ばしいコーヒーの香りが漂い、路地の向こうでは蓄音機(ちくおんき)から流れるジャズの音が響いてくる。

私達は近くの喫茶店に入ることにした。

注文を終え、テーブルに座る。大正くんと私はメロンソーダ、平成くんはカルピスを頼んだ。

カルピスってこの時代からあったんだ......。

平成くんは穴が開きそうな程、メニュー表を凝視している。

大正くんは近くを通りかかった女給さんを呼び、オススメを聞いている。

「ハットケーキがオススメですよ」

大正くんは目をキラキラさせながら、「君のオススメなら、俺もそれにするよ!ハットケーキ三つ下さい」とにっこり。

私の横で平成くんが「うわ、マジで口説いてる。オレの時代じゃできない......」と呟くのが聞こえた。

大正くんが言っていたハットケーキは、どうやらホットケーキのことだったらしく、バターとメープルがかかったホットケーキが三つ運ばれてきた。

運ばれてきたホットケーキは湯気を立て、バターがとろりと溶けている。

(お、美味しそう......!)

「やっぱレトロなのって映えるよな〜!」

スマホで連写している平成くん。

「甘いものも食べたし、次はどこに行く?二人は行きたい場所とかある?」

大正くんがメロンソーダのストローをくるくる回しながら尋ねる。

「大正の好きな場所で良いよ〜」

平成くんがカルピスに入っていた氷を食べながら言う。

「じゃあ、活動写真だね!」


劇場の中は暗く、観客も満席とまではいかないが沢山の人がいた。

「嬢ちゃんと坊主達、運が良いね〜、今日の弁士は中々の腕前だよ〜」

「坊主と呼ばれる程の年齢じゃないよ......俺」

「なぁ〜に言ってんだ。子供は坊主だよ」

たしかに大正くんは、どう見ても大人には見えない。十六歳くらいに見える。

そう言って前の席に座る中年男性は煙草をふかし始めた。

大正の世は、現代より喫煙の規制が緩いみたいだ。

映画は無音だったが、弁士と呼ばれる人達が台詞や場面説明などを語っており、かなり楽しめた。内容は最近女学生に人気の教師と女学生の恋愛物だった。結末は見事結ばれてハッピーエンド。

大正くん曰く、何の映画が始まるのかは上映されるまで分からないんだと。

煙草をふかしていた中年男性は上映中、「良いぞ良いぞー!」とケラケラ笑っていた。

「どうだった?」

「楽しかった!」

「なら良かった!」

劇場の外に出ても、そこには平坦な風景と平坦な道のりが続いているだけで、大喝采(だいかっさい)も舞い散る紙吹雪もなかった。

「大正も、主人公のようにああなりたい?」

映画の半分以上寝ていた平成くんが、あくびをしながら大正くんに聞いた。

「冗談はよしてよ。......ただ、日常から離れてああいったお話に没頭したい時はあるかな。ただでさえ現実は忙しくて悲観的だから」

大正時代は、十五年という短い時間の中で、沢山のことがあったという。『大正デモクラシー』や『第一次世界大戦』

その後、悠久邸に戻ってソファに体を沈める。

全身の疲労が消えていく感じがして、とても気持ち良かった。

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