二十四話
夕暮れ前の町。どこからともなく太鼓と笛の音が流れてくる。
「今日は縁日だってー!」
「楽しみだね」
子供達が着流し姿でそわそわ歩いていく。
その横で、縁側に座る江戸くんは、水鉢をじっと覗き込んでいた。
「......縁日、か」
水面をすいすい泳ぐ金魚達。江戸くんの指先から餌がぽとりと落ちる。
「江戸くんも行く?」
「行かない。金魚の餌やりで忙しい」
そう言って、江戸くんはまた金魚鉢に目を落とした。
「......ほら、この子なんか餌を食べるの遅いから、見張ってないと横取りされる」
「いや、そんなに監視しなくても......」
「油断すると縄張り争いが起こるんだよ」
ため息をつきつつ、ぽつりと呟く。
「でもさ、せっかくのお祭りだし、金魚すくいもあるんじゃない?」
江戸くんの眉がぴくりと動く。
「金魚......すくい?」
お、金魚すくいに興味持ってくれた......?
「うん」
江戸くんはしばらく黙っていたが、やがてすっと立ち上がった。
「......行く」
「え?」
「保護活動」
浅草寺の境内は祭り囃子に包まれていた。屋台の灯りが朱色の提灯に映え、通りを行き交う人々の笑い声が響く。その空間に駆け足でやって来た子供達が吸い込まれていく。
いつしか私と江戸くんは人混みの中にいた。今日だけは邪魔になるからと布団は被っていない。
ずらりと並ぶ夜店には『飴細工屋』『団子』『ほおずき売り』『甘酒』『汁粉屋』など、現代の夏祭りではあまり見ない屋台が軒を連ね、つい足を止めてしまう。
遊び系では、金魚を金網ですくう『金魚すくい』や大道芸人の見世物小屋もある。
金魚すくいでは金網で金魚を黙々とすくっている江戸くん。その周りに「すげー!」「兄ちゃん、コツ教えてー」などの歓声を上げる三人の子供達。
「君達もする?お金が僕が払うから」
「良いの!?兄ちゃん、ありがとう!!」
「じゃあ三人で九文だね」
江戸くんは着流しの袂から巾着を取り出し、店のおっちゃんに渡している。
「ほらほら、そっち行ったよ。ゆっくり上げないと逃げられちゃうよ」
といった感じで、江戸くんも何やかんや楽しんでいる。......さっきから金魚すくいしかしていないけど。
「お嬢さんも射的やんないかー?今ならタダだよ」
「え?」
ぼんやりしていたらお客さんの一人に声を掛けられた。
声のする方へ目をやると、竹の的に向かって弓矢を射る遊びが賑わっている。的に当たるたびに歓声が上がり、外れれば悔しそうに顔をしかめる子どもたち。大人も負けじと参加して、熱気が凄い。
......射的?
私の知ってる射的はプラスチック製の銃とか弓矢を使うやつだけど......本物じゃん。
「ごめん、野暮用が出来たから少し待ってて」
金魚すくいを終わらせた江戸くんは、それだけいって人混みの中に消えていった。
それから十分後。
「ごめん、弓道に長けている人呼んでた」
「弓道に長けている人......?」
江戸くんの周りを見渡すが、誰もいない。
「あれ、さっき連れて来たんだけどな......食べ物屋に行ったのかな」
なんて会話をしていると、射的のおじさんが江戸くんの肩を叩いた。
「お兄さんも参戦するかい?真ん中を射抜けたらガラス細工だよ」
手ぬぐいを頭に巻いたおじさんの指差す方向には、手のひらサイズの綺麗な金魚や亀などのガラス細工が置かれている。
「へー綺麗だね」
「だろ?薩摩の工房で作ってもらった特注だ。って言っても、金魚と亀しか作ってもらえんかったから、他は骨董品だが」
おじさんは腰に手を当てて豪快に笑う。
「......僕もする」
江戸くんは、すっと弓を手に取る。姿勢を正し、的をじっと見つめるその表情は真剣そのもの。
......それにしても、この弓大きいよね?戦国さんがいつも持ってる弓と大差ない。
「......戦国さんに教えてもらえば良かったな......」
弓を引く手に力が入り、指先がわずかに震える。風に揺れる提灯の灯りが、的の竹枠に反射してチカチカと光った。
周りの観客達もやいのやいのとまくし立てる。
弓の弦が鳴り、矢がすっと放たれる。的に当たる瞬間、周囲の子供達や大人たちの息が止まった。
―――カン!
小さな金属音が響き、矢は真ん中から少し外れて命中した。
「凄い!兄ちゃん、当てた!」
「お侍さんだー!」
「真ん中じゃねぇーじゃん」
「坊主、真ん中は難しいんだよ。どうだい兄ちゃん、もう一回」
「僕はもういいかな。真ん中に当たるのが見たかったら、和弓の名手がここにいるよ」
江戸くんの後ろから現れたのは、右手に天ぷら、左手に田楽を持っている戦国さん。
「ご飯美味しいですわ」
「......さっき蕎麦と寿司と汁粉も食べに行ってたよね」
「個人消費ですわよ!」と、幸せそうに田楽を食べている。
......って、戦国さん!?
いたの!?全然気付かなかった。
「戦国さん、弓道得意でしたよね?お願いしても良い?」
「ええ、弓道は私の十八番ですわよ。見て下さいまし!」
そう意気込み、江戸くんから手渡された弓矢を構える。
スっと放たれた矢は真っ直ぐ飛んで行き、一寸の狙いも外さず的の中央を射抜いた。
その瞬間、時間が止まったかのような感じがした。
一寸の狂いもない命中。
その場の空気が固まり、誰もが息を呑む。
しばしの静寂。そして、その静寂を破るように辺り一面から拍手と歓声が響く。
「すげぇな兄ちゃん!」
「アンタが大将だよ!!」
「ふふふ、これでも戦場では活躍しましてよ」
戦国さんは景品のガラス細工をそっと手に取る。光に透ける小さな金魚は、まるで本物のように揺れて見えた。
「ふふ、祭りも楽しいですわ」




