十五話
夏の始まりを告げる蝉の声が、校舎の窓を震わせていた。
ぎらぎらと照りつける陽射しに、アスファルトの照り返しが容赦なく肌を焼きつける。
終業式を終えた生徒達は、思い思いの声を響かせながら校門へと向かっていく。
その中に、ひときわ騒がしい四人の姿があった。
「というわけで!!」
健太が突如、空に向かって両手を掲げて叫んだ。
その声が蝉の鳴き声すら一瞬かき消す。
「夏休み開幕だぁ―――ッ!!」
「うるっせぇ」
隣にいた蒼真が無表情のまま、手にしていた教科書で健太の頭を軽く叩いた。
ぽすん、という音がどこか間抜けに響く。
「......でさ。今年の夏はどうすんの?」
私はハンカチで額の汗をぬぐいながらみんなに問いかけた。
「バカ四天王プラス委員長で、なんかやる?例のやつ?」
「勝手に加えるな!」
振り返ったのは、終業式だと言うのに荷物の量が少ない委員長。計画的に持って帰るタイプだったか......!!
「良いじゃん、夏ぐらい一緒に騒ごー」
そう言ったのは朱里だった。
スマホを操作しながら、それでも声に迷いはない。
「やる。絶対やる。今年の夏、青春しなきゃもったいない」
「具体的には?」
蒼真が問い返すと、朱里は指を一本ずつ折りながら、堂々と宣言した。
「海、プール、肝試し、花火大会、そして......お泊まり会!」
「イベント盛りすぎだろ」
「詰め込んでナンボでしょ」
一同が顔を見合わせ、呆れたように、しかしどこか楽しげに笑った。
「そういえばさ、今年こそ“委員長の意外な一面”見つけたくない?」
私は思い出したように言った。いつも完璧な委員長の意外な一面、見れるのはレア!!
「お、分かる分かる」
蒼真も頷きながら笑った。
「え、何?俺ってそんなにミステリアスか?」
当の本人、委員長は眉をひそめる。
「だってさー。テスト毎回満点で、生活態度も完璧で、先生の信頼も厚くてさ」
「通知表、全教科“5”だったやつの発言じゃねーな......」
健太がぼそりと呟いた。
「バケモンだよな、委員長......」
「おう」
「夏休み初日から、人を研究対象にするのはやめろ」
「でも絶対どこか抜けてるとこあるって!な、朱里!」
名前を呼ばれた朱里は、スマホから目を離さずに答えた。
「この前イインチョーが一度だけ、自販機で“おしるこ”押し間違えたの見たことある」
「意外すぎるミス!!」
「夏におしるこはキツイわー」
「いや、そこ掘り下げなくていいから」
笑い声が弾け、健太が空を見上げた。
真夏の太陽が、じりじりと頭上から照らしている。
まるで「ここからだぞ」と言いたげに。
「お前ら......宿題は?」
ふと、委員長が尋ねる。
その一言に、四人の目が同時に逸れた。
「......それは八月の私が考えることだよね〜」
アハハと気まずそうに笑う。
「またそれかよ、“未来の自分”に丸投げ......」
委員長がため息をつくも、どこか呆れ半分、諦め半分の表情だった。
「まぁ、それが俺らの通常営業ってことで」
蒼真が言うと、健太がにかっと笑った。
「そーそー、夏休みなんて遊んでナンボだろ」
「イインチョーも遊べ遊べ!」
肩をぽん、と叩かれた委員長は、ほんの一瞬だけ口元をゆるめた。
笑い声が、蝉の鳴き声と混ざり合いながら夏空へ溶けていく。
悠久邸の台所で、私は冷蔵庫の扉を開けた。
中から吹き出す冷気に、一瞬ほっとする。けれど―――
「......アイス、ない」
あれだけ楽しみにしていた抹茶バーが、どこにも見当たらなかった。確かに昨日、買い置きしていたはずだ。
箱の端にはちゃんと私の名前も書いたのに。
冷蔵庫のルールだって、共有スペースの注意書きにもあるのに......!
犯人は、言うまでもない。あの人しかいない。
「あ、ちょうど良かった」
軽やかな足音とともに、台所へ入ってきたのは、暗めの紫髪の青年・室町くんだった。
ふわっとした髪と、気の抜けた笑顔。そして、財布の中身はいつも空っぽ。
「氷菓子、美味しかったよ」
あっけらかんと、まるで天気の話でもするかのように彼は言った。
「アイス代、返してほしいんですけど......室町くん」
じとっと睨みつけながら言うと、彼はいたずらがバレた子供のように肩をすくめた。
「怒っちゃったの? ごめん。徳政令でチャラにして?」
その言葉に、近くにいた鎌倉さんがびくりと反応した。
「なかったことにするな!!」
台所に鋭いツッコミが響いた。真夏の午後の空気が一瞬、凍った気がした。
それでも室町くんは飄々としていた。両手を肩の高さまで持ち上げ、まるで無実を訴えるようなポーズを取る。
「わー、ひどーい。ちゃんと返すってば。あ、そっか、鎌倉くんは御家人を守ろうとしたけど、結局は高利貸しのせいで御家人を余計に苦しませたもんね?室町は分一銭で財源を確保したよ」
ニコッと笑うその顔に、罪の意識はかけらもない。むしろ、『面白いから言っている』というような、軽い悪意がこもっている。
「高利貸しから巻き上げた金銭を財源にしていた奴に言われたくないな」
鎌倉さんの顔が、ぐっと険しくなった。
「いやー、だってさ?徳政令って便利だよね。借金、無効。合法。ありがとうね、鎌倉くん」
「こいつ......!」
拳を握りしめる鎌倉さん。
「でも、勝手に食べちゃったのは、ごめんね」
一転して、室町くんはおどけたように頭を下げた。
「だから―――これをあげる」
室町くんはポケットから一枚の、細長い紙を取り出して、私の手のひらに乗せた。
「......何、これ?」
紙には、毛筆風の書体で『洋菓子と和菓子の時代』と書かれている。
「僕の時代―――室町時代はね、中国から伝わった饅頭や羊羹、それにポルトガルから来たカステラや金平糖なんかの南蛮菓子が広まって、和菓子文化が花開いたんだよ」
言葉を選ぶように間を置いて、室町くんは続けた。
「だからさ。美空ちゃんが食べたいもの、何でも奢るよ」
あくまで気軽に。けれど、その声にはほんの少しだけ、誠意の色が混じっていた。
......どうしてこう、毎回調子がいいんだろう。
だけど、ちょっとだけ許してしまいたくなるのが、ずるいところだ。
私はため息をつきながら、紙をそっとポケットにしまった。
「じゃあ、言ったからね。今度こそ、倍返しで」
「倍!? え、増税制度導入された......?」
「徳政令よりは現実的!」




