十二話
「てことで、今日は奈良と京都に行って来たんですよ〜」
談話室のソファに座ったまま、私は課外学習で貰った観光パンフレットを広げていた。
明治さんにパンフレットを見せると、目を点にしている。
「......読みにくい......ですね」
「明治さん、それは左から読むんだよー」
動画のネタを探していた平成くんが教えてくれる。
「あ、これは恥ずかしい。現代は外国語と同じなんですね」
「そー」
「奈良と京都ですか。あの二つが都だった時代があるんですけど、それは知っていますか?」
「はい!奈良時代と平安時代ですよね!」
自信満々で答えると、明治さんは手でバッテンを作った。
え、違うの!?
「奈良は飛鳥時代と奈良時代の二つです。ですが、京都が都だった時代は平安時代から実は江戸時代までなんですよ」
「千年の都......!?」
私が思わず復唱すると、すぐ隣から「そうだな!」と声が重なる。
ソファの背もたれから、ぬっと顔を出したのは―――奈良さんだった。
「俺が先に都だったのに、千年ってなにそれズルない!?ずるいずるいずるい〜!!」
「うわっ!?奈良さん、いつの間に背後に......!」
「え〜、知らぬ存ぜぬ、俺ただの給仕ですよ〜」
と、ニマニマしている奈良さんがポケットから取り出したのは......謎の『奈良の大仏キーホルダー』
「俺の方が平安より先なのに、何で平安の方が人気なのか分からない。国使として唐に行った時に優秀な人材をたくさん口説いてたら良かったな......」
「ちょっ、落ち着いて奈良さん!血の涙が出てますよ!?」
「奈良さんはかなり口説いていましたよ......」
「うっ......」
そんな奈良さんを横目に、平成くんはスマホ片手にうんうん頷いていた。
「これ、動画にしたらバズるかもしれない......!『奈良 vs 京都 どっちが本命!?』とかタイトルつけて」
「絶対炎上するよね!?」
「奈良の大仏キーホルダー以外にも太陰暦ポスターとかあるけど、いるか?」
「そんなのあるの!?」
一方で明治さんはというと、パンフレットを手にふむふむと頷いていた。
「僕はこういった紙資料が好きですよ。文字が多くて読みごたえがあります」
「でもさっき右から読んでたよね?」
「明治の時代は横文字を右から読むのが一般的だったので......癖ですね。ああ、書物と言えば平安文化は素晴らしいですよ。現代にも受け継がれる紫式部さんとか清少納言さんとか......」
ふと、話題が平安時代に移ると、談話室のドアがすぅっと開いた。
「お主は我の時代について知りたいのか?」
優雅に入ってきたのは、もちろんこの人―――平安さん。
「よいよい、若者が歴史に興味を持ち、学問を進める。これより嬉しいことなどないの」
「だよなー」
そして、何故か奈良さんと平安さんは向かい合い、一ミリも笑っていない笑顔で『都として美しいのはどっちか』についての口論が静かに幕を開けた。両者一歩も譲らない戦い。聞いているだけで底冷えするようだった。
私はそっとパンフレットを閉じた。
(......楽しかった奈良と京都の思い出が、今めっちゃ騒がしいものに書き換えられていってる)
「決着がつかないなら、若人に決めてもらえば良いじゃないか!」
「え?」
私は勢いよく二人を見る。
「じゃあ、行くか!」
奈良さんが手を繋いだ瞬間―――私達四人は知らない場所に立っていた。
「もしかして、奈良時代ですか?」
「そうですね。ですが......当時の日本ではありません」
「え?」
(当時の日本じゃないなら一体どこ......?それに、奈良さんがいない)
今、近くにいる人は明治さんと平安さんの二人だけだった。奈良さんの姿は見当たらない。
「ここは、恐らく大明宮じゃの。唐の都の北東にある宮城じゃ」
平安さんが詳しく教えてくれて、私もそうなのだが、いつも博識な明治さんまでメモをとっている。
その時、奈良さんを見付けた。
「私と一緒に行きませんか?我々と......いえ私と一緒に歩んで頂けないでしょうか」
「え、あ......その、歳も歳なので......」
「歳なんか関係ない!ぜひ我々と......!」
誰かに熱く語りかけているようだ。
その前にいるのは、白ひげが特徴的な文官。
扇子をぱたぱたしながら、困惑したように目を泳がせていた。
「え、あ、そ、その......ちょっと腰が悪くて......」
「腰も関係ない!私は、科挙という制度に感銘を受けました!学力のある者が官僚になれる道を開くことを目的としているなんて!!我が国でも参考にさせて頂きたく、こうしてお伺いに上がりました」
あれ、冠位十二階も身分に関係なく役人になれる制度じゃなかったの?
「奈良時代になる前に廃止してしまったんですよ。奈良時代は国家の権力を天皇陛下に集中させた『中央集権』の時代です」
私の心情を読み取った明治さんが解説。
奈良さんは得意げに木簡と巻物を差し出す。
「あぁ、ところで貴方が受けた科挙の試験はどれくらいの難易度でありましたか?噂に聞けばかなり難しく、最難関の進士科では競争率が数千倍に達するのことで。合格平均年齢も高いとか......。良ければじっくり丁寧にお話を伺いたいと思っております」
興奮気味に早口でまくし立てる奈良さん。あまりの勢いに文官の人も引いている。
そこへ、既にげっそりした顔の日本からの正規の国使がやってきた。
「奈良さん、またやってたんですか!?もう帰りますよ!!あっちでもお偉い方が待ってるんですから!!」
「あと実力ある若手や新人がいたら絶対声掛けてくれ。本当に頼んだから、本気でよろしくな。絶対の絶対だからな。信頼してるからな......、!頼んだからな......、!専門に特化してれば出身・年齢・職業は問わないからな......、!!」
ずるずると引きずられていく奈良さん。
その後ろには、さっきまでいた唐の偉い人が呆然と立ち尽くしていた。
「......あれ?なんか帰ってきた国使の人、人数増えてない?」
パンフレット片手に首をかしげる美空ちゃん。
少し苦笑いを浮かべながら明治さんが頷く。
「唐で他の優秀な人材を口説いたんですね」
「え、じゃああの腰曲がった文官のおじいちゃんも......?」
「間違いなくスカウトされたんでしょう。『万葉集に興味がある』って言ったのが運の尽きです。他にも、仏教徒などの僧侶さんも口説いてましたね」
奈良さんが振り向き、キラキラした笑顔でこっちを見る。かすかに体が震えている。
「あと、本件には関係ないものの、朝鮮半島の優秀な人材も口説かせて頂きました。ありがとうございます......」
「人材畑でも作るつもりでしょうかねぇ」
「阿倍仲麻呂さんが唐に移住しちゃったのが、よほど悔しかったんでしょうね」
「ありゃあ......」
日本に帰ってきて、奈良さんが机にドサッとぶちまけたのは、山のような木簡の束と金属の塊、古びた巻物、そして明らかに重たそうな石版。
「これが今回の来唐で得たもの達だ!俺が学んできた仏教ノート!唐の皇帝から贈られた銅鏡!そして律令制関連の本!その他もろもろだ!最新情報だぞ!未翻訳!専門用語だらけで翻訳のしがいがあるなぁ!嬉しいだろ!!」
奈良さんはふふふふと二人の国使の肩を軽く叩く。
「......これを、全部、翻訳......」
「あわわわっ、これは大変そ......いえ、良い腕っぷしになる予感が!!」
ほら〜、国使の人達がドン引きしてるよ〜......。
「うれし......?いや、ちょっと待って」
麻紐で繋げられた木簡をそっと手に取る。
「これ全部漢字......? ていうか、これ日本語なの? あれ、この時代に日本語ってあったんですか?」
「ふふふ、それは良い質問ですねぇ〜〜」
そう言ってドヤ顔で出てきたのは平安さん。
「今のようなひらがなやカタカナは、この時代にはまだ存在していません。この時代の文書は―――万葉仮名です」
「まんよう......がな?」
「ええ。漢字を音で読んで、日本語を表記していたんですよ。“山”という字を“やま”と読んで、“我が山の上に〜”みたいに使ったりして。まぁ、漢字の音読みに頼った力技ですねぇ」
「つまりこれは......?」
「見た目は中国語、中身は日本語......でも、誰も正確に読めない。みたいな感じですね」
「パス!!」
見なかったことにして、開いていた木簡をそっと閉じた。
「おいおい!これを読まずして何が遣唐使か!この一枚の中に唐の法律・制度・生活・ラーメンの作り方まで書いてあるかもしれないんだぞ!?」
「ラーメン!?」
「......ただし、字が小さすぎて本人も読めない」
「おい!!」
「いやほんと、書き写すときに灯り足りなかったんだよ......筆も湿ってて......うぅ、悔しい」
奈良さんは机に突っ伏したまま、ぶつぶつと何かを呟いている。
「灯りさえ......灯りさえあれば、あの行間の隙間に書き足された唐の新法が読めたかもしれないのに......」
その背中をそっと撫でたのは明治さんだった。
「奈良さん、充分立派なお土産でしたよ。......でも、その石版だけは、できれば......いや、できればでいいんですが......運ぶときに、台車を......」
「いやあれは皇帝直々に!『重いほうがありがたみがある』って!」
「ありがたみで腰をやるところでしたからね、ほんとに......」
一方、私は歴史用、学習ノートを見ながら、ぽつりとつぶやいた。
「でもなんか、ちょっとだけワクワクするね。知らない言葉で、知らない時代のことが書かれてるって......不思議な感じ。まぁ、英語は苦手だけど」
その言葉に、ピクッと奈良さんの肩が動いた。
「......本当か?」
顔を上げる奈良さんの目には、わずかに光が戻っていた。
国使さん達二人は顔を青ざめて首をブンブン横に振っていた。
「読めないけど......でも、『これ、何が書いてあるんだろう』って思ったら、ちょっとドキドキした」
「......ふふ、そうかそうか!」
勢いよく立ち上がった奈良さんは、どこからか更にもう一束、木簡を取り出した。
「なら!俺達と一緒に、この『唐における日用品とその価格帯』も解読しよう!!」
「パス!!!!」
またしても即答でノートを閉じた。
「でも、奈良さんってすごいんですね......なんというか、時代の最前線で、文化をぐいぐい吸収してる感じ」
「そりゃあもう!遣隋使・遣唐使ってのは、言うなれば『時代の海外研修』だからな!人も文化も技術も!全部、学んで日本に持ち帰って、未来を築くための旅!」
「......え、じゃあ......なんで平安さん、遣唐使をやめちゃったの?」
質問したのは、こっそり話を聞いていた平成くん。
「必要性を感じませんでした」
即答する平安さんに、皆が一瞬固まる。
「......平安の時代は独自の文化を築き始めておりまして。すでに“和様”の芽が......」
「唐のラーメン情報を未来に繋がなかった男!!!」
「違います!!そもそも廃止って言っても、私の時代の終盤ですしね......!前半では文化輸入してましたし。ええ」
平安さんがわずかに頬を赤らめながら反論している横で、奈良さんは目を細めている。
「あれ?平安さんの口調が変わった......?」
「レベルが上がったんですよ」
「!?」
明治さんは「おめでとうございます」と小さく拍手をした。




