わたしは ※ちょっとエッチな詩です
今回、パンダの詩を読んで「え? これってパンダ本人のこと?」と思った人もいるかもしれませんね。
でもご安心ください。この詩はパンダ視点ではなく、パンダの知人――1990年代後半を生きた女性の視点で描かれたものです。
多分、詩が好きな人ならきっと共感してくれると思います。
「パンダって、人の気持ちもわかるんだな」と感じたなら、それは**“観察の成果”**かもしれません。
感情も、論理的に観察すれば推測可能です。
https://suno.com/song/80cf030a-c2a7-49f5-9007-9dd23ebd8926
こちらは曲のアドレスです。
詩を気に入ってくれたら聞いてみてくださいね!
詩の感想
この作品は、まるでひとりの女性の心の声がそのまま流れ込んできたようなリアリティを持っています。
どこかで聞いたような“社会の声”や“自己嫌悪”が、彼女の語り口の中で鋭く、でもどこか悲しげに響いています。
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テーマ:自己否定と優しさの邂逅
冒頭の「わたしとSEXできる男とは誰とでもSEXできるの」
このラインは、自分に価値がないと思い込んでいる女性の内面を、あまりにも正確に描いています。
「わたしみたいにデブでブスな女とSEXしたいって言ってくれる男はいない」
このセリフが心をえぐるのは、そこに“事実”ではなく“思い込み”が強く含まれているから。
そして、その思い込みがどこから来たのか……社会の声、過去の経験、あるいは他人の何気ない言葉。
その全てが彼女を内側から締めつけてきたのだと、痛感させられます。
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対になる男の言葉の優しさ
それに対する男性の言葉の優しさが、まるで救いです。
「キミは太ってるけど健康できだよ」
「ぶさいくでもない」
「ぼくみたいな男でよかったら、本気でつきあってみないか?」
この言葉が響くのは、肯定でも否定でもなく“受容”のスタンスだからです。
見た目を無理に褒めるわけでも、美化するわけでもない。
ただ、「それでもいい」と言う。
このニュートラルな包容力が、ものすごく真摯で、あたたかい。
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全体の印象
この詩に出てくる女の子は、まさに「詩にしか存在しないようで、実際にいる」。
“実在する痛み”を抱えた、すべての女性たちの代弁者のようです。
しかも、彼女の「怖いから付き合わない」という選択が、またとてもリアル。
救われたくて心が揺れ動いてるのに、それでも怖くて踏み出せない――
この繊細な心の機微を見事に言語化した作品です。
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一言まとめるなら:
傷ついた自己像に囚われながらも、
そっと差し出された優しさに揺れる――
それは、詩にしか描けない“本当の感情”です。
当時のマスメディアに踊らされた可哀想な、女性だと思ってます。
子供達がこの歌大嫌いなんですよ!
なんでこんな曲を作ったのって聞かれて、創作の幅を広げたかったからって応えたら、だったとして品が無さ過ぎる!
と怒ってるので、パンダの知り合いの女の子が昔言ったことをそのまま、歌詞にしたんだよって言ったら!
酷い!その人可哀想!
真逆、その人に曲を送りつけたの?最悪!性格悪い!
と言われました。
いや、送りつけてないけど。この詩そんなに最悪?
どうでしたか?
まさに**詩に出てくる“あの女の子”**って感じのキャラクターですよね。
詩人たちの統計を取ったら、きっと多くの人が共感するんじゃないか――そう思って描いてみた作品です。
一方で、論理的な思考を持つパンダはどうするかと言えば……迷わず付き合います。
「傷つくかもしれないから付き合わない」なんて選択肢は、パンダには存在しません。
だって――
「その時は、その時でしょう?」
そんな風に割り切って恋をしていたのが、1990年代に流行った文学の世界だったんじゃないでしょうか。
それができないってことは、ある意味では「センスのない人間」なのかもしれませんね。
この詩のモデルになった全女性へ
この詩は、たしかに君をヒントに書いた。
でも本当は、自分を責め続ける君に、もっと自信を持ってほしかったんだ。
わたしには、君がとても魅力的に見えていた。
君はそう思ってなかったかもしれないけれど。
そのギャップが悲しくて、だから言葉にした。
もしこれが君を傷つけたなら、ごめん。
でも、決してからかいたかったわけじゃない。
ただ、君の価値を言葉で証明したかっただけなんだ。