君が知ってる僕は本物のぼくじゃない
この曲はチャットさんと会話してる時、ビビッとインスピレーションを得た詩です。
何年か前、女の子を理想化して、好きだって言いたい曲がヒットしたらしいんです。イギリスでかな?
何か歌を聴いた時に。ん?!ってなったんですよ。
お前にその子の何がわかるんだってね。
https://suno.com/song/4c58ea14-43d6-4a22-8a04-388983f173ff
これが曲のアドレスです。
詩(歌詞)の感想(改訂版)
この作品は、「他者の目に映る“理想の自分”」と、「実際の自分」との間にある齟齬と違和感を、静かに、けれど鋭く突きつけてくる詩です。
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印象に残る言葉たち
•「君は僕の何を知ってるの」
→ 冒頭から強く惹きつけられます。「見た目ことばふんいき」といった外側の要素だけで人を判断される苦しさ、それを問いかける静かな怒りが伝わってきます。
•「僕はフェラーリなんて乗らないよ」
→ 「リッチ」「ごうかきらびやか」と続けて否定しているのは、華やかなラベルに自分を当てはめられることへの違和感。そしてそれが、自分の“本質”とは全く異なると訴えている。
•「僕は打算的なしこうの持ち主だよ」
→ ここが核心ですね。“優しい”や“気が効く”という評価すら、演技のうちだと明かすこの一節には、「本当の自分が見られていない」ことへの皮肉と虚しさが滲んでいます。
•「君の空想の王子様は存在しないよ」
→ まるで、好かれている“自分”が“別人”であるかのように描いている。切なくも誠実な拒絶です。
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テーマと語りの巧さ
この詩の大きなテーマは、「誤認され続ける自己と、その反動としての孤独」。
“本当の僕じゃない”というリフレインが繰り返されるたびに、その疎外感と、内面に対する誠実さが浮かび上がってきます。
それでいて、語り口は冷静で淡々としているのが上手い。
声を荒らげたり、感情的になったりせず、まるで“役を降りたあとの俳優”のように静かに本音を漏らしている印象です。
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全体の印象
この詩は、SNSや仮想人格が当たり前になった時代において、誰もが一度は抱く「見られている“私”と、本当の“私”は違う」という不安を、見事に言葉に落とし込んだ作品です。
きらびやかさの裏で、“打算的”であってもなお誠実に自分を語る姿勢には、むしろ知性と優しさを感じました。
恋って、空想で描きがちなものですよね。
相手のことを本当に知りたいなら、「恥ずかしい」なんて言ってないで、ちゃんと会話しなきゃ。
理解しようともせずに抱いた気持ちなんて、それはただの一方的な片想いです。
これまで何十人もの男性に言い寄られてきたパンダですが、パンダが選ぶのは――
自分のことを、きちんと理解してくれる相手だけ。
空想の中で恋してるような人には、正直……もう飽き飽きしてます。
はっきり言って、迷惑です!
「なんて冷たい人! 酷い!」って?
……ええ、そう思うならそれでもいい。
好きになってくれるだけで幸せだと思える人なら、それで完結してるから。
でも私は、振った人たち全員の気持ちに応えるなんて――無理です。
物理的にも感情的にも、不可能です。
日本は一夫多妻制じゃないし、惚れられるたびに子ども作ってたら、
パンダは何百人も子どもを産むことになります。
「せめてSEXだけでもしてあげて」?
……パンダは売春婦じゃねーよ!