主人公
俺は主人公になりたかった。しかし今日も今日とて過ごすのは一般的な高校生の普通の1日。
晴天の空は眩しく、遠くに見える海は輝き、山は青々としている。小さな人と車が右往左往する普段通りの街。窓ガラス越しにぼんやりと街を眺めながら陽の光を浴び、先生の声とチョークの音だけが聞こえる憂鬱な時間を過ごすのだ。
ふと、頭の中で妄想する。
もし急にこの教室の床に魔法陣が現れて、異世界クラス転移が起きたら。もし急にテロリストが襲撃し、学校が制圧されたら。
頭の中の俺はカッコよく無双し、ピンチを切り抜けている。まあそんな事は起きるはずもなく、いつも通りのチャイムの音が響くのだった。
♢♢♢
強く抑圧されれば、その分解放した時に強いエネルギーを伴い解放される。金曜日。男子高校生の5日分の抑圧は凄まじいエネルギーとなって解放されるのだ。
「よっしゃ! 帰るぞ!」
通学カバンのチャックがジィッ!っと音を鳴らす。振り上げたカバンを背中で受け止めて机を離れようとした時、友達の武雄が慌て始めた。
「待て! コンタクト落とした!」
「探すぞ!!」
「お前らなんでそんなテンション高いん?」
瑛二が呆れ顔で俺たちを見ながら身を屈める。
三人でコンタクトを探す。何事も無く無事に見つかり、意気消沈した武雄を励ましながら教室を出た。
学校終わりに友達と過ごす。開放感に満ちた至福の時間だ。高校生活も終盤、もうこんな事もできなくなる思うと少々寂しい物がある。
「あ、センパイ疲れ様です! 今いいっすか?」
「おっ。お疲れさん。どうした?」
廊下で反対側から男子生徒がやってきた。呼ばれると瑛二も顔を綻ばせ、会釈を返す。どこか見覚えのある顔、確か瑛二の部活の後輩だ。
次の練習に来てくれと約束を取り付けたり、後輩に激励したり、何か色々喋っている。喋っている後輩の目に、眩しい瑛二が映っていた。
瑛二は元剣道部。現役時代は大将を勤め、全国大会決勝にまで出た。結果は準優勝ではあったが、かなり、いや物凄く凄い奴である。
「次の全国、絶対俺達が取ります!」
「おう、託したぜ……お前ら何ニヤニヤしてんの」
「いやぁ、青春してんなーって」
後輩が部活に戻る。その背中を見送り、3人でまたくだらない会話に花を咲かせる。帰路はオレンジ色に照らされ、影が長く伸びていた。
「そうだ武雄、まだあの小説書いてる?」
「おん! だいぶ伸びてきたぜ!」
武雄が満面の笑みでスマホ画面を見せてくる。そこには数十万近くの評価ポイントの入った武雄の作品が映し出されていた。
瑛二が桁を一つづつ指差しながら数える。
「一十百……え、エグ。えガチ凄くね?」
「あちぃー。書籍化しちゃう?」
「それは分からんけど。でも毎日投稿やってからかなり伸びてるし、ランキング残ってたらワンチャンある」
俺も中学生の時にちょっと書いていたが、まったく伸びなかったのでやめた。
受験も無事に終わったので再開してみようかな、などと考えている自分がいる。
「毎日投稿かぁ。凄いや、よく続けれるね」
「伸びる前から毎回感想くれる神読者いてさ、爆モチベ」
「俺も読むわ。作品名なんだっけ」
「子供部屋おじさん。部屋がダンジョンになったので経験値稼いで……」
「やめろ!」
咄嗟に口を塞がれる。しかし既に瑛二は検索をかけていたため無意味であった。
2人は凄い。
こうして誇れる物がある。頑張ってきた証だ。
2人が羨ましい。
俺には何も無い。からっぽだ。
明確な夢や目標も、やりたい事も無い。
ただただ生きてきただけ。これからもこの先もこのままは嫌だとは思っている。けど、俺に何ができるのだろうか。
「ん……?」
前方の道端、5、6歳ほどの小さな子供が1人ボールで遊んでいた。見た感じ保護者らしき人はいないようだ。
どう考えても危ないだろう。ボールが跳ねて車道に飛んでいったら……ああ言わんこっちゃない。
子供はボールを追って車道に走っていく。声をかけて止めようとした時、前からトラックが走ってくるのが見えた。
「ごめんこれ持ってて!」
「はっ!? おい待て!!」
荷物を押し付け走る。
ボールも子供もトラックも止まる気配は無い。
危険だと叫んでも子供の耳には届かず、トラックも明らかな速度オーバーで走行し続ける。
突っ伏した運転手が視界に入る。居眠り運転だ。
一瞬、色々な考えが頭を過ぎる。
飛び出したら俺も危ない。
飛び出したら死ぬかもしれない。
でも、足を止めれば確実に子供は死ぬ。
助けられたはずの子供が目の前で死んだら間違いなく後悔する。
足が重い。けれど、もうやらずに後悔はしたくない。
俺だって、子供1人助けるくらいやってやる。
「おっらぁ!」
車道に飛び出して子供を掴む。この距離なら、トラックが来るより早く跳べる。
いける、助かる。
助ける。
このまま反対側の歩道に飛び込もうとした刹那、足首がぐにゃりと歪む。
ボールによる転倒。子供は放るように投げ飛ばされ、地面から足を離した俺の体は直進するトラックの前に無防備に晒された。
「がぁっ……!」
衝撃が体内を貫通し、地面に何度も跳ねる。
アスファルトがどんどん赤に染まっていく光景が視界に映る。その光景に狼狽える事もできず、起き上がる事すらままならない。
耳には泣き喚く子供の声と、瑛二達の焦った声が聞こえる。
「おい! バカ、返事……ろ! 待ってろ勇……今……急車呼ぶ……な!」
肺がダメになっているのだろうか。もはや返事ができる程の力も無かった。
世界が色を失っていく。白と黒だけが残り、白も無くなり、やがて黒すら見えなくなった。
死が俺の意識を連れていく。
嫌だ。死にたくない。こんな、からっぽの人間のまま死ぬのは嫌だ。
こんな俺でもせめて最後は、最後くらいは、
主人公に、なりたかったなぁ。