アイドルになってた前世の弟を推してたら囲われました
「おはよう、お姉ちゃん」
耳元から流し込まれる甘ったるいモーニングコール。夢現だった私の意識はその声によって、強制的に覚醒させられる。
目を開けば、至近距離に顔面国宝。アイドル界の王子様、傾国顔、などとファンから呼ばれる顔面がすぐ側にあった。
「とりあえず、離れて」
「なんで?」
「いいから」
そのうちこの顔に殺されるかもしれない。比喩でもなく、ガチで。顔の良さで心臓が止まるかもしれないなんて、心配をしなくちゃいけない生活。でもこれが恵まれたもの、ファンの中でオークションにかけたら億はくだらないということはしっかり理解していた。
彼氏にしたい男性ランキング一位の囁き声が、私の起床の為だけに使われていることへ申し訳なさはもちろんある。
これが恋によって成り立っている関係なら、腹を切って詫びる。しかしそうではない。私と、彼の関係は恋ではなく、親愛によって結びついていた。
私の中にある罪悪感の内容は、全国にファンが星の数ほどいるアイドル様――王地晶真にモーニングコールをさせているという事実、それだけだ。同居に関してはやましいことは無いので、そこに罪悪感を抱きようはなかった。
「お姉ちゃん?」
心配そうに瞳を潤ませる彼の顔を、これ以上曇らせないために笑顔を作った。
「おはよ、晶真」
「……うん。おはよう、お姉ちゃん」
ちなみに彼と私の年の差はちょうど10だ。私――天井琴音は今年で16歳。彼は26歳。現在、私たちに血の繋がりはないという情報を追加すれば、どう考えても事案にしか聞こえない。事実、私が第三者なら、絶対に警察への相談を打診する。
でも晶真が自分よりも年下で、血の繋がりのない私を「姉さん」と呼ぶのには理由がある。作り物めいたとある事実。それは物語ではよくあるが、現実では聞いたこともない妄想の塊のようなもの。
私は今も、現実かを疑うことがある。しかし何度目が覚めても、この世界は崩壊しない現実だった。
■□■□
現在の私と晶真の出会いは、テレビのモニター越しの一方的なものだった。
その日、私は至って普通に両親と夕飯を食べていた。私の大好きなから揚げを咀嚼しながらテレビを見る。そこに映っていたのは、司会のサングラスをかけたダンディと、新進気鋭のアイドルグループと書かれた五人の男性。学校でもよく名前を聞く、いま流行りのアイドルだと気づいたのと、から揚げを飲み込んだのと、彼を認識したのはほぼ同時だった。
真ん中でリーダーだと思われる人が、司会と軽快なトークを繰り広げる。その隣に目がいった。見たことがあった、知っていた。彼を忘れるわけない。だって彼は"私"にとって大切な人。
「今回は、うちの晶真が主演のドラマ主題歌を披露しまーす!」
そう、晶真。彼の名前は王地晶真。前世の私、王地琴乃のたった一人の弟だ。
前世の記憶。そんなものを夕飯を食べながら思い出すことになろうとは。しかも前世の弟がアイドルになっているのを見て。想像出来るわけなかった。
テレビを見れば、晶真が笑っている。私が死んだ頃は10歳だったはずの弟は、とても大きくなったようで、グループの中で一番背が大きい。それなのに威圧感を感じない。子犬、というのが一番しっくりくる。緑をアクセントとした服のせいもあるかも。癒し系といった感じだ。
元から整った顔で、将来イケメンになるな、と思ってはいたけど。まさかアイドルとは。確かに天職かもしれない。だってテレビの中にいる晶真は、とってもキラキラだったから。
「かっこいいわね、琴音」
小学生の娘がアイドルに見惚れていると思ったのだろう、今世の母が話しかけてくれる。母の頬が少し赤く、うっとりとした瞳。どうやら、ファンのようだ。娘も興味持って嬉しいのかもしれない。
「うん、そうだね」
母とは少し違う熱を持った瞳で、もう一度テレビを見つめた。そこで笑っている晶真。よかった、そう心の底から思った。
幼い彼を残して、私も前世の両親も死んでしまった。しかもその事を忘れて、のうのうと第二の生を謳歌してた。罪悪感はある。でも彼は幸せそうだ。アイドルとしてステージに立ち、笑顔を振りまき、ファンを幸せにしている。何らかの形で償いたいが、今はただこの喜びに、彼の作る幸せに浸っていたかった。
そんな私にとっては運命的だった出会い――再開と呼ぶべきだろうか――を果たした日から、私は彼の所属するグループ「Lave」のファンになっていた。もちろん最推しは晶真。母はリーダーの誠推しだ。なんでも動画サイトのお料理動画から入ったらしい。最近のアイドルの活動の幅が広すぎだ。グループ名義だけでなく、個人の動画チャンネルまであり、しかも週一は確定で更新してるとか、凄すぎる。テレビでもほぼ毎日見るし、ラジオの冠も持っていて、舞台に映画、彼らはいつ寝ているんだろうか。疑問に思うが、答え合わせはできないので考えるのはやめた。
母が私名義でファクラブにも入り、ライブにも応募していたが当たる気配はなく。私が一方的に晶真を知っている。アイドルとファンとしては正しい関係は数年続いた。
しかし変化のないものはない。一方的な関係の変化の兆しは唐突に現れた。
私の名義でライブに当選したのだ。母はようやく現地に行けると喜び、私も嬉しかった。と同時に怖かった。実際に晶真に会う。彼を孤独にした要因のひとつである私が、直接会ってもいいのか。
前世とは似ても似つかない顔に、違う名前。持っているのは証拠として提示できない、不確かな記憶だけ。晶真が私に気づくことは無い。分かっていても、糾弾が怖かった。大好きな弟に嫌われたくない。責められたくない。自己保身に走る自分が嫌い。
悩んで、怯えて、楽しみにして。混ざりあうことの無い感情は分離したまま、私の中に居座り続けた。
そうして迎えたライブ当日。席は上々。ステージからは遠いが、通路がすぐ前。運が良ければメンバーがすぐそばまで来るかもしれない。推しが来るかは分からないけどただ遠いよりは全然いい、と母は興奮気味だった。
ライブ前はとにかく緊張していた。初めて生で見るライブで、前世とはいえ弟がステージに立つんだ。もし見つかったらというドキドキも、もちろんあった。まぁ、ライブが始まってしまえば、全部吹っ飛んだけど。
デビュー曲から、タイアップのあった人気曲、アルバムに収録させていたマイナーな曲まで。様々な曲を披露しつつ、バラエティパートも存在する神ライブに、他のことを考える余裕なんて微塵もなかった。晶真のメンカラである緑色にサイリウムを光らせ、全力で楽しむ私。隣では誠のメンカラの青を灯す母の姿。感極まってライブ中盤で泣いていた。早すぎる。この瞬間を脳に焼きつけるために、涙は封印しておかないといけないのに。結局泣き止んだのは、アンコールのためのコール中だった。アンコールが始まったらまた泣き始めたので、母の記憶のほとんどは涙になりそうだ。
母を心配しながらも意識を向けるのはライブ。コールを受けて、歓声に包まれ登場した「Lave」のメンバーはトロッコに乗り、遠くの席のファンにも幸福を届ける。私たちの前を晶真の乗ったトロッコが通る。目が合った。瞬間、晶真から表情が抜け落ちる。
晶真の態度から、ライブに参加したファン特有の勘違いではないことはほぼ確定。多分、気づかれたんだ。
すぐに笑顔を取り戻した晶真だったが、私の方を見るのをやめない。観察するように視線が私に向かう。背中にじわりと汗が滲む。
逃げたい。走り去ってしまいたい。でもこの状況で出ていくのは変な人だ。終電までは時間もあるし、トイレもアンコール前に行けって話になる。しかも周辺の人には晶真の不自然な目線がバレている。こそこそと何かを話している。ここで逃げたらあらぬ誤解を受ける。堂々としてるしかない。
そのあとのライブのことは覚えていない。晶真のことで頭がいっぱいで、楽しむ余裕がなかった。ライブが終われば規制退場。すぐに出られないが、晶真がここまで来るわけもない。個人情報が漏れることも多分ないと思う。少し待てばいい。幸いにもすぐに座席を離れられた。だから大丈夫。
しかし現実は甘くない。そう簡単に逃げることを許してはくれない。
「お客様のお呼び出しをいたします。座席番号――の方。座席番号――の方。お忘れ物がございます。至急スタッフに――」
「あら、この番号って琴音じゃない?」
まだ瞳に涙を滲ませる母の言葉に確認してみれば、確かに私の番号だ。嫌な予感がして、荷物を確認する。何も忘れてない。全部揃ってる。つまり、忘れ物は多分嘘だ。
逃げることは容易い。母を言いくるめ、立ち去ることはできる。
でも、逃げていいの? 償わなきゃって、思ってたでしょ。前世の罪から逃げて、本当に私は私を許せるの?
「お母さん。先に出てて」
「あら、着いていかなくても大丈夫?」
「うん。一人で大丈夫」
母を巻き込む訳にはいかないし、母がいたら前世の話もできない。清算のために、私一人で晶真と向き合わなくては。
母と集合地点を決めてから、私は適当なスタッフに声をかける。案内されたのはファンなら立ち入ることのない、裏側。そこではスタッフ達がバタバタと行き交っていて、まだライブが終わって間もないことを実感した。
「ここで待っていてください」
「はい」
扉の先は使われていない部屋。鏡に、机と椅子。それ以外はなんにもない場所で、とりあえず椅子に座って待つ。
足音を聞きながら数分待っていれば、扉が開かれる。そこにいたのはライブTシャツを着た晶真。また目が合う。今度はさっきの無表情とは違い、ぱあっと親を見つけた迷子の子供のように明るい表情へと変化する。
「お姉ちゃん!!」
飛び込んでくる晶真。勢いが強くて支えきれず後ろに倒れ込み、背中を強く打った。痛みと衝撃で咳き込んだ。
「ご、ごめん、お姉ちゃん。嬉しくてつい……」
「……大丈夫だよ、晶真」
今にも泣き出しそうな晶真の頭を撫でる。すぐに私はとある事実に気づき、手を離す。前世ではいつもやっていたこと。だけど今の私は琴乃じゃない。嫌な気持ちにさせてしまったかも。
「なんで止めるの?」
うるうると大きな瞳を潤ませる晶真。成人済みであの頃とは似つかない巨体なのに、十歳の頃の姿が重なって見えた。成長しても、こういう所は変わってなくて安心する。
「私はもうお姉ちゃんじゃないから、嫌かなって思ったの」
「キミはお姉ちゃんだよ。姿が変わっても、僕にはわかる」
へにゃりと笑ってから私を抱きしめた。前世の頃は成長期もまだで、私の方が大きかったのに今では逆転してしまっている。年齢も、体の大きさも。ぷにぷにだった腕は、すっかり筋肉が着いてゴツゴツしている。私は躊躇いながら彼の背に腕を回した。
「どうしてわかるの? 私が琴乃だって」
「わかるよ。例え動物になってても、僕にはわかる。会いたかったよ、お姉ちゃん」
「うん。そっか。ごめんね、晶真より早く死んじゃって」
「いいよ。また会いに来てくれたから。……ずっと待ってたよ」
泣き出しそうな声の晶真。私を許してはくれた。それでも寂しい時間を送らせてしまったことに変わりはない。せめて、少しでも彼の長い孤独を癒せますように。そう願い、抱きしめる力を強めた。
晶真が落ち着いてから、今日は母と来ていることを伝えた。待たせているので早く帰りたい。だからまた今度、ゆっくり話をしようと。連絡先も教えて、今の私の名前が天井琴音であるから、そう呼んでほしいと頼む。
「二人っきりの時はお姉ちゃんでもいい?」
「う、うん。二人っきりの時だけだよ」
「うん! 約束する」
上目遣いのあざとい弟に完敗した。弟に激弱なのは前世から変わらなかった。仕方ない、今世は一人っ子だし。弟か、妹がいたらもう少し……いや、そっちも甘くしちゃうな。年下可愛いし。もう晶真は年下じゃないのか。ややこしいな。
でも嫌じゃない。晶真が許して笑って、また会う約束が出来た。そのことに自分で思っているより浮かれているようだった。
そんなこんなで晶真と別れた数日後。
「おかえり、琴音。お客さん来てるわよ」
「おかえりなさい、琴音ちゃん」
ニコニコと笑う母と晶真。脳が理解を拒否したいと進言してくる。同意したい。今すぐにベッドにインして寝たい。そんな訳にはいかないので、リビングに入った。
机の上には二人分のお茶とお菓子、それにサングラスも置いてあった。変装用だろう。サングラスで晶真のオーラを隠せるとは思わないが、形式的には必要か。
「ただいま。それでどうして晶真……さんがいるの?」
「今度ゆっくりお礼するって、約束したでしょ。オフの時間ってあんまりなくて、急にごめんね」
「まさか琴音が困ってる晶真さんを助けてたなんて、驚いたわ」
そうか、そういう設定か。前世云々の話は出来ないし、適当に理由をでっち上げたらしい。それに乗っかろう。
「うん。言ってもいいか分からなくて……」
「プライベートだものね。お母さん分かってるわ」
よく見るとうっすら化粧をしている。アイドルにテンションは高いみたいだ。最推しじゃなくても嬉しいよね、生アイドル。父が帰ってくるの遅いといいな。卒倒しそう。
「お母様、すみませんが琴音さんとお話させていただいても大丈夫ですか?」
「もちろんです!」
即答だった。売られるのが早すぎだ。有名人とはいえ、晶真は大人で私は子ども。少しぐらい躊躇してもいいだろうに。私たちにそういう心配はいらないが、母からはそんなこと分からないはずなのに。この短期間で信用に値する大人枠になったということなのか。分からないけど、変なツボとか買わされないように私がしっかりしなくては。
「じゃあ、行こうか。琴音ちゃん」
「う、うん」
弟兼推しからのちゃん付けの破壊力の高さにドキマギしながら、私は彼に連れられて外に出るのであった。
外に駐車してあった真っ黒な車。晶真は確認もせずに後方の扉を開けた。
「晶真、やっと終わった……って! その子! 誰!?」
「後でまとめて説明するから、さっさと車出して。その辺のカフェで降ろして」
「今! 説明してください!」
「めんどいし、今は琴音が最優先」
「…………絶対に、説明してくださいね」
「うん。するする」
いまいち信用ならない返しだ。マネージャーさんと思わしき人は、大きくため息をついた。普段から苦労をかけているのかもしれない。ごめんなさい。
「ほら、琴音。僕の隣に座って」
「うん。失礼します」
「二人ともシートベルト締めてくださいね」
言われた通りシートベルトをする。マネージャーさんは私たちの様子を確認してから、車を発進させた。
着いたのは駅近くのカフェチェーン店。マネージャーさんは「くれぐれも、騒ぎを起こさないようにしてください」と念を押すように言うが晶真は適当に頷くだけ。やっぱり普段から困らせているのだろう。本当にごめんなさい。
晶真に先導されて入ったカフェの中。平日の夕方ではあるがお客さんはそれなりにいた。学生が多いのは、学校帰りだからなのか。ファン層を考えると、晶真の正体がバレないか不安になる。サングラスとマスクで変装しているとはいえ、オーラはまだ漏れている。サングラスでイケメンは隠せない。またひとつ、知らなくてもいいことを知ってしまった。
「お姉ちゃんはアイスコーヒーでよかったよね」
「……! うん!」
「すぐに買ってくるから、席に座ってて」
「わかった」
注文は任せて、空いている席を探す。ちょうどタイミング良く隅の方の席が空いたので、そこに座って晶真が来るのを待つ。
「お待たせ、お姉ちゃん」
「ありがとう晶真……って、ケーキ?」
トレーの上にはアイスコーヒーが二つと、ケーキが二つ載っていた。片方はショートケーキで、もう片方はチョコケーキ。
晶真そんなにお腹すいていたのかな。
「うん。お姉ちゃん好きでしょ、甘いもの。半分こしよ」
「え? ……でも、お金――」
「僕、それなりに稼いでるんだ。気にしないで。今のお姉ちゃんはまだ中学生なんだから」
「でも、年上とはいえ弟に奢らせる訳にはいかないよ」
年下の姉。年上の弟。事実ではあるんだけど、言葉にすると意味わからない。そのチグハグさを気にしているのは私だけのようで、晶真はニコニコと笑っている。
「お姉ちゃんが沢山くれた分、僕も返したいんだ。ダメ?」
「……っ、ダメじゃ、ないよ」
「やった。それじゃあ半分こね」
弟に弱すぎる。前世からずっと負けている。全戦全敗だ。負けてこちらに不都合がある訳じゃないのがタチが悪い。
「はい、どうぞ」
尖った三角型になっている方がチョコケーキに、後ろの方がショートケーキになっているケーキを載せたお皿が私の前に置かれる。しれっとショートケーキのいちごが、私のケーキの方にあった。さすがにショートケーキの苺を素直に受け取るのは姉失格。何とかして晶真に食べてもらいたい。
でも晶真はなんだかんだ理由を付けて、私に食べさせようとするだろう。そして私はそれに逆らえない。どうしたら晶真に食べてもらえるか。
「ケーキ美味しい?」
「うん……」
考えた末に出た結論は、少し恥ずかしいもの。
私は晶真の姉! 弟に美味しいものを食べさせたい以外の理由はない! 昔はよくやっていた!
心の中で自分自身に言い訳を重ねてから、ショートケーキの苺にフォークを突き刺した。
「晶真」
「どうかしたの?」
きょとんとした晶真の口元に苺を運ぶ。
「あーんして」
意図に気づいたのだろう、晶真の頬が苺みたいに真っ赤に染まる。その照れた顔は幼い頃の彼とそっくりで、やっぱり彼は私の知る晶真なのだ改めて納得した。
「お、お姉ちゃん……!?」
「ほら、あーん」
恥ずかしそうにしながらもおずおずと口を開いて、苺を食べた。
「美味しい?」
「うん。とっても、美味しいよ。ありがとうお姉ちゃん」
晶真は嬉しそうに顔をほころばせる。ショートケーキの苺は美味しいから、やっぱり食べたかったんだ。晶真に喜んでもらえてよかった。
晶真の様子を見ていたら、私も早くケーキ食べたくなってきた。フォークでチョコケーキを一口サイズに切り分けて口に運ぶ。やっぱりチェーン店のケーキなのでかなり美味しく、甘いのにくどくなくてパクパクと食べれてしまう。
私がケーキを食べている間、ずっと晶真の顔が赤いままだったけど、風邪でも引いたのだろうか。心配して尋ねても「大丈夫、そういうんじゃないから」と気を使われてしまった。
忙しいから体調も崩しやすいのかもしれない。早く話をして帰らせたいと考えたが、十数年ぶりの再会で話が弾まない訳もなく。結局二時間ほど話し込んでしまったのだった。
■□■□
それからも晶真とは、週に一度は必ず会っていた。忙しいはずなのに、時間を何とか作って会いに来てくれる晶真に「無理して毎週会いに来なくてもいいんだよ」とは伝えた。
「無理なんかしてないよ。お姉ちゃんに会うと、体の疲れなんかあっという間にとれちゃうんだ」
「本当に、大丈夫?」
「うん、そう言ってる。…………本当は僕に会いたくないの? だからそんなこと聞くの?」
じっと温度のない瞳で私を見つめる晶真に、寒気を覚えた。疑い、責めるような、その目から逃れたくて「そんな訳ない!」と即答した。
「それならいいでしょ」
肯定以外の返事をしてはいけない。もし否定でもしたら、決定的に何かが壊れてしまう。そう本能的に直感する。
「うん」
短い返事だったけど、晶真は満足そうに口角を上げた。さっきの温度のない瞳はまるで嘘だったような姿に、これからは言わないようにしようと心に決めた。
私にそんなに構わなくてもいい、と本当は伝えるべきかもしれない。しかし私には負い目があった。晶真を一人残してしまったこと。寂しい思いを十数年もさせてしまったこと。そのせいで、きっと晶真は家族に飢えているんだ。引き取ってくれた親戚とは、今や連絡はほとんど取っていないと言っていたし。
やっと会えた家族と、出来る限り傍にいたいと思うのは当然だ。私がそれを否定することだけはしてはいけない。
そうやって晶真と、家族としての空白の時間をを埋めるように過ごした。中学生だった私は高校生になり、晶真が勧めてくれた学校に通っている。晶真の家から。
……一応、言い訳をしたい。私が言い出したわけじゃないんだ。気がついたら晶真の選んだ高校を受験することが決まってたし、合格したら晶真と一緒に住むことになってたし、両親の了解を得ていた。
中学生と成人男性の交流は一般的には推奨されない。絶対どっちかが騙されていると世間は思う。母はともかく、父はとても心配してくれた。体やお金を要求されたらすぐに相談してほしいと、こっそり言ってくれたのは娘としてとても嬉しかった。……一ヶ月後ぐらいには、晶真のこと将来の婿にと考え始めてたけど。陥落が早すぎる。やっぱり私がしっかりしなくては。
そんなこんなで、晶真の家にお世話になってから早数ヶ月。私は立派にダメ人間になっていた。
朝は晶真のガチ恋距離のモーニングコールで起きて、晶真の作ってくれた朝ごはんを食べる。
学校に行ってからは授業を受けて、お昼に晶真の作ってくれたお弁当を食べてからまた授業。
帰宅してからは渋る晶真から獲得した家事、掃除と洗濯をこなす。終わらせてから予習と復習。事前に教えられた晶真の帰宅推定時間になったら、晶真の出迎えをする。そして晶真が作ってくれた夕飯を食べて、晶真とスイーツなどを食べつつ二人の時間を過ごしてから就寝。
我ながら酷すぎる。弟に負担かけすぎの最悪最低の姉と化してるじゃないか。
このままじゃだめだ。晶真の作ってくれた甘めの卵焼きを咀嚼しながら考えるのは、最低の姉からの脱却法。本当は最高の弟に相応しい、最高の姉になりたい。しかしいきなり最低から最高へのジャンプアップは不可能だろう。だからまずは、最低からの脱却を目指す。
しかしどうしたら、脱却できるのか。悩んでも、良案は何にも浮かばなくて。結局、夜になってから晶真に相談することにした。
「……一応聞くんだけど、どうして僕に相談しようと思ったの?」
「だって、前に『何か悩んだり、困ったりしたら何でも相談してね』って言ってたでしょ」
「そっか。うん、言ったね」
手で顔を覆い俯いた晶真に、疑問が浮かんだ。私とのやり取りは細かいことでも覚えてる彼が、どうしてわざわざそんなことを聞くんだろう。変なこともあるものだ。
「相談してくれてありがとう、お姉ちゃん」
「それで、どうしたらいいと思う?」
「何にもしなくていいよ」
「…………え?」
「大丈夫。何をしたって、お姉ちゃんがお姉ちゃんであれば僕は大好きなまま。……あ、でも強いて言うなら、わがままをもっと言ってほしいな」
「わがまま……?」
「そう、欲しいものがあるなら言ってほしい。買えるものなら買ってくるし、買えないものでも取りに行けばいい。憎い人を殺したなら証拠の隠滅手伝うよ。あ、でも好きだから殺しちゃったとかは、僕妬いちゃうからなしにしてね。お姉ちゃんの1番は僕じゃなきゃ。そんな感じで、僕ができることなら何でもする……いや、メンバー紹介してとかは嫌だな。お義母さんとかに誠を紹介してほしいとかなら聞くけど。お姉ちゃん見たらメンバーのみんなもお姉ちゃんのこと好きになっちゃうかもだし……ないか。アイツらも同類ぽいし。……ともかく、お姉ちゃんが心配することはなんにもないよ。安心してね」
恋人に愛を語るような甘さを含んだ声色で、自らの欲求を私に流し込んだ晶真。そのまま私の方へ手を伸ばし、ギュッと不安を溶かすように抱きしめた。
私は何も考えたくなくて、晶真の背に手を回す。肩口に顔を埋め、目を瞑る。
抜け出せない程、泥濘にはまってしまっていることに気付かないふりをして。束の間の現実逃避を試みるのだった。
□■□■
「なぁ、お前らはなんでアイドルになったんだ」
歌番組の待機中、そんなことを聞いてきたのはリーダーの塩沢誠だ。各々が適当に時間を潰す中での唐突な質問に、疑問を抱いたのは自分だけじゃないだろう。
「いきなりどうしたの?」
男性としては高めの声の持ち主である、最年少の柏野洸太がお菓子の袋を開けながら全員が思っていることを口にした。
「今度の番組のアンケートであったんだ『アイドルになったきっかけは?』ってやつ。んでこれから聞かれることも増えるだろうし、グループでそんなに被んないように決めておきたいと思ってさ」
「それ今やる必要あんのかよ」
スマホをいじりながら面倒くさそうしているのは黒見優。表に出る時は敬語を使っているが、この場には5人しかいないので言葉が粗雑だ。相変わらずオンオフが激しい。
「お前ら集まり悪いだろ。メンバー全員揃った仕事も多くないし、話せる時に話しておきたい」
確かにここ最近は個人仕事が多く、メンバーが全員揃うのは久しぶりだ。冠番組の構想自体はあるものの、まだ始動してない。今日を逃せば、全員揃うのはいつになるかわからない。
個人的には聞きたいのはそこじゃないのだが。
「……そもそも、アイドルになった理由って被っちゃダメなんですか?」
スマホから目を逸らさずに宇田川満が、疑問をなげかけた。優とは対照的に、満は表だと男らしい喋り方だが、普段は丁寧な話し方に変な語彙が混ざることが多い。手元にあるスマホからシャンシャンと音がしていてうるさいが、いつもの事なので気にしないように努める。
「全員が家族が応募して、みたいな理由だとつまんないだろ。ファンの受けも良くなさそうだし」
一理ある。個性豊かなのを売りにしておきながら、同じ回答ばっかりだと番組側もファンも盛り上がらないだろう。
「それならぼくは関係ないね」
「確か、洸太はスカウトだったか」
「うん! 社長にアイドル向いてるって話しかけられたんだよね」
お菓子をもぐもぐと食べながら肯定する。さっき弁当も食べていたのに、お菓子を食べるペースは落ちない。あの小さな体のどこに入っているのかは謎だ。
「じゃあ大丈夫だな。次は、優が話せ」
「なんで俺なんだよ。……見返したい奴がいる。それだけだ」
「それテレビで喋れないだろ」
「確かにそうだね」
「真面目に答えすぎだ」
「圧倒的同意」
「うるせぇ! わぁってるよ! 根暗オタク野郎はどうなんだよ!」
全員からの言葉の射撃は充分な威力だったようで、スマホを机に叩きつけて怒る優は、矛先を満に変えた。溜息をつきながら満はスマホを机に置く。スマホの画面には『フルコンボ』とピンク色の文字が表示されていたが、すぐにブラックアウトした。
「僕? 決まってますよ。我が嫁であるるいたんが『恋愛するなら同業者がいいかな』って言っていたからです!」
満のファンは鍛え抜かれた体と、男らしい振る舞いに惹かれているらしい。そんな人達の前に、この本性を見せたらどんな反応をするか。気にならない訳では無いが、好奇心を後押しする理がなかった。
「はぁ……」
「いつも通りだね、満さん」
「だな。それで、晶真はどうなんだ?」
ついに順番が回ってくる。馬鹿正直に話せば優の二の舞だ。だから脚色した台本を用意する。アイドル、王地晶真に相応しいものを。
「僕が10歳の頃に、両親と姉が事故で死んだんだ」
誠と洸太はもちろん、優や満も驚愕に目を見開いて僕を見ている。掴みは成功だ。視線を下に、俯いて過去を語る。
「それって……」
「親戚に引き取られたんだけど、ずっと寂しかった。寂しさを紛らわすように、家にいる時はテレビをつけっぱなしにしてた。そこで見たんだ、アイドルを。キラキラと輝くアイドルに魅了された、元気をもらった。たくさんのアイドルを見てるうちに思ったんだ、僕もアイドルになろうって」
顔を上げ、メンバーが僕の笑顔を見えるように位置を調整する。いつもカメラに最高の自分を見せるためにしているので、難しいことでは無い。カメラが人に変わっただけだ。
「僕がしてもらったように、寂しい思いをしてる人の心を癒したい。……それと、天国にいる家族にいつまでも心配かけるわけにはいかないし」
誠はこういう話に弱く、泣きそうになっている。洸太は静かに微笑み、満は俯き、優は言葉を失っていた。反応を確認し、全員が信じていることを確信する。この感じならテレビでも大丈夫なはずだ。問われたら今回と同じように語ろう。
「まさか、晶真にそんなことがあったなんて……。これからは、俺の事をお兄ちゃんだと思っていいんだぞ!」
「それは遠慮しておく」
咄嗟に否定してしまったが、案外アリかもしれない。今はメンバーが家族みたいなものって話せばファンも喜ぶし、オチにもなる。誠も諦めていないようだし、これ以上は何も言わずにおいた。
さっきのアイドルになったきっかけは、かなりの脚色を加えている。しかし全てが嘘というわけではない。実の家族が亡くなっているのは本当だ。嘘のコツは真実に混ぜること。誰かが言っていたことは本当だったらしい。
家族の話以外は全部嘘の物語。真実は自分の中にあればいい。アイドルとしては、言えない話なのだから。
――そんな会話をした日のことを、僕は思い出していた。僕のアイドルになった本当の理由。ずっと見つけたかった人。その人を僕はようやく見つけた。
観客席で僕の色である、緑色のサイリウムを持つ少女。顔も、体も、年齢も、記憶の中にあるものとは違う。しかし僕にはわかる。彼女こそが"お姉ちゃん"だ。
僕にとっても優しかったお姉ちゃん。かわいくて大好きだったお姉ちゃん。僕を残して両親と死んじゃったお姉ちゃん。
お姉ちゃんが死ぬ少し前。一緒に本を読んだ。主人公の大切な人が死んでしまうが、数年をかけて帰ってくるハッピーエンドのお話。命は巡る。輪廻転生と呼ぶらしい。そんな題材を扱った物語を読んだ数日後にお姉ちゃんは死んだ。
寂しかった。悲しかった。憎みたくなった。恨んだ。死ねば会えるかもしれないと思った。
でも気づいた。お姉ちゃんはこうなるって分かってたんだ。分かってて、あのお話を一緒に読んだんだ。
「……うん、わかってる。大丈夫、待ってるよ」
お姉ちゃんは僕のところに帰ってくる。時間はかかってしまうだろうが、それは仕方ない。また会えるなら、それぐらいは許容できる。
さすがのお姉ちゃんでも、どこにいるか分からない僕のところに帰ってくるのは難しいだろう。だったら、お姉ちゃんが目に付くような場所にいよう。
偶然、テレビがついていた。画面の中にはその世界で活躍する有名人。中には毎日のようにテレビに出ている人もいた。
アイドルを選んだのは、ルックスさえ良ければなれると思ったから。舐めていたようで、マルチな実力が求められて少し苦労したが、成果はあった。こうやってお姉ちゃんとまた会えたんだから。
今度は、僕がお姉ちゃんを沢山甘やかそう。彼女の望むものは全て与え、叶えよう。生活を構成する要素も僕が担当したい。僕が作った料理で成長した姉。なんとも甘美な響きだ。僕の構成要素はお姉ちゃんばかりなのだし、お揃いみたいなものだ。絶対にそうしよう。
楽しい未来を描きながら終えたライブ。その後に、スタッフに頼みお姉ちゃんを呼び出してもらう。ライブの円盤特典用の映像を撮り終えてから急いで姉の元へ向かう。
お姉ちゃんと沢山話をしたかった。けどお姉ちゃんは「お母さんと来てるからあんまり長居できないんだ。だからまた別な日にゆっくり話そうね」と言う。
苛立った。僕はずっとお姉ちゃんと一緒にいたいのに。邪魔な奴は居なくなってもいいも思ったが、お姉ちゃんは望まない。だからゆっくり崩していくことにした。
母親は「Lave」のファンだったから楽だった。父親は最初は警戒していたが、褒めて煽てればすぐに僕を信用してくれた。お姉ちゃんの進路を僕の家の近くにすれば、預けてくれた。ようやく手に入れた。お姉ちゃんとの楽園を。
高校は卒業させないと怪しまれる。だから仕方ない。でも大学はいかなくていい。高校を卒業したら僕と一緒にいてもらおう。お姉ちゃんはアイドルの僕が好きだから、アイドルを辞められないのは残念だ。辞めればもっとたくさんの時間、一緒にいられるのに。……マネージャーにでもなってもらおうかな。前に「一人じゃ足りない……」ってボヤいてたし。僕専用のマネージャーのお姉ちゃん。素敵な響きだ。
まだ先の未来。でもお姉ちゃんを待った時間よりも、短い時間の先を思い浮かべながら僕はうっそりと微笑むのだった。