92 医者と母親の前では、たいていの男は子どもになる。
さっそく働くストラさん。
ボルド将軍の陣営の外の野原、そこには1000人ほどの兵士達が隊列を組み、即席の演説台から見下ろす私のことを見ていた。
「存分にやってくれ。」
ボルド将軍から、そう言質を取った私は、集まれそうな兵士たちをこうして集めて、一斉指導をした。
「ああ、よく聞けボンクラども。恐れ多くも国王の勅命とボルド将軍の要請により、お前たちの健康診断と、指導をすることになった。ハッサムだ。何度もやる気はないから、一度で覚えろ。」
風の魔法で広げた美少女の罵倒。それに兵士達はむっとするが、すぐに居住まいを正す。
言葉の意味を理解させる。そして、歴戦の兵士ほど、この状況を理解しているからだ。
「まずは、健康維持に必要な体操をレクチャーする。毎朝これをすることで、健康維持と体調の確認ができる。優れた兵士になりたいなら、自己管理ぐらいはできるようになれ、ゴミども。」
口汚く言っているのは舐められないためだ。ボルド将軍の兵士達は優秀で忠誠心もあるが、どうにもノウキンな傾向があるらしく。最初にあった側近さんたちも含めて、小娘と私を舐めているのが態度でわかりまくりだった。ならば、舐められるまえに最初から上下関係をしつけなければいけない。
向いてないと思うよ。見た目は可憐な美少女な私だ。しかし、薬師を目指すものとして、勘違いしたマッスル理論な馬鹿どもを駆逐するならば、このくらいの腹芸はやってみせよう。
「じゃあ、各自、私の動きを真似るように。」
「へーい。」
「ふるるる(真面目にやれ。」」
「ぐるるる(舐めてんのか。)」
「じじじ(ぶすっと)。」
舐めた態度をとる馬鹿者には精霊さんたちから指導が入る。徹底ぶり、兵士達は背筋に冷たいものを感じながら、私の動きの一つ一つを食い入るように見ていた。
そう、ラジオ体操を。
1000人のほとんどが5人規模の小隊の隊長以上。彼らを中心に5000人規模の歩兵部隊が三つ。2000人規模の魔法兵や工兵なども加わり、実働戦力は2万人。それを支える裏方なども含めれば、この陣地の規模は3万人にもなるらしい。
それだけの人間が集まるボルド将軍の陣地はすでに一つの街と言ってもいい。それをたった数人の軍医が管理していると聞いたときは血の気が引いた。ブラックにもほどがある。しかも診察記録を見せてもらえば、捻挫や打撲に二日酔いといったしょうもないケガばかり。ハードワークなカイル先輩がたくさんいると言えば、ことの深刻さはわかるだろうか?
軍隊としてこれでいいのかと思うが、そこは回復魔法とか便利なアイテムの所為だ。ケガをためらない兵士に、栄養剤で誤魔化される不規則な生活、これはもうだめかもしれん。
「健康診断以前の問題です。まずは意識改革から始めましょう。」
私の宣言に、軍医さん達はもろ手を挙げて賛成してくれた。
「腕をまっすぐ上げて、手足の運動。」
ラジオ体操は、国民の体力向上と健康維持のために開発されたもので、柔軟などの準備体操的な効果のほかに、体型維持や血流をよくするなどの効果がある。そして、不調があるとすぐにわかる。大人が数年ぶりにラジオ体操したら、身体が痛くなるあれだ。
「動きの中に痛みや不調があったら、その原因を考えなさい。万が一にも出血や腫れがあったら、他の人に相談。」
さすがは軍隊、ラジオ体操程度で疲れることはない。だが、肩のや膝の慣れない動きに違和感を覚えた人もいたようだ。
「こういった動きでセルフチェックを忘れるな、違和感があれば早めに休む。これが基本。ひどくなってから軍医のところへ来るな、軽めに処置してさっさと治せ。仲間の不調も見逃さないように」
「「はい。」」
こうして、ラジオ体操によるセルフチェックと健康維持は、彼らを通じて軍全体へと周知された。
意味があるのか?それは大いにある。
このファンタジーチートの世界でも、軍隊の一日の移動距離は20キロ程度だ。彼らが向かう先の距離を考えれば最低でも半月は、荷物を背負って歩くだけの日々が待っている。その間、行軍中の食事、休息は限られたものとなる。訓練もあるだろうが、それは戦うためで、ラジオ体操のように全身のメンテナンスをする習慣を持つことは大事なのだ。
「ひ、ひいい。」
「苦い、苦いよ。」
次にしたことは食事事情の改善だ。ミキサーとそれを使った野菜ジュース(スムージーにするには果物が足りない。)と青汁のレシピを売り込んで、その日から兵士達の食時に加えさせた。軍隊の食事というのは栄養を考えて作られたものが多いが、配膳はセルフだ。好き嫌いで栄養が偏るやつがでてくる。
野菜不足で怖いのはビタミン不足による肌荒れや口内炎だ。些細なケガによる疲労やストレスは事故や病気につながる可能性がある。かといって、野菜は保存が難しい。なので、野菜ジュースを冷凍したものや、野菜を粉末にして乾燥させたものを大量生産させて、軍の糧食とすることにした。加工にはサンちゃんとステラが大活躍だった。
まああれだ、これからめっちゃお世話になるから、事前に食事で慣らしておこうって話。
「うご。」
「吐くな。吐いたら倍だからな。」
あと青汁は、治療中の態度が悪い兵士や、同じようなケガばかりしている兵士たちの快復が早まる様に、軍医さん達が積極的に取り入れたそうだ。
まあ、ハチミツなしだと、かなり苦いレシピだらかねー。
「これは素晴らしいですね。薬草は貴重ですが粉末にしておけば保管ができるし、他の材料も行軍中に採取可能な物が多い。」
「ふふふ、あの木の実を混ぜたら味も効果も素敵なことに。」
なんか、悪い顔していたけど、私は見なかったことにした。
あとは、薬師、もとい医者の真似事もちゃんとしたよ。
「打撲ならまずは水で冷やせ、動かせないほどなら無理やり伸ばしてから回復魔法をかけてもらって、その方が効率がいい。こんな感じ。」
「ぎゃああ。」
「二日酔いの頭痛程度で回復魔法を使うなこれでも飲んどけ。」
「にげえええー。」
というか指導的なことをしたのは最初の2日であと1週間ぐらいは、軍医さん達に混ざって治療行為に勤しんだ。応急処置の仕方とかも教えてたから最後の方は半分ぐらいに減ってけどねー。
といった次第で10日間ほど、真面目に働いていると、周囲の兵士達から舐められることはなくなり、持病やアレルギーなどの相談もされるようになった。
「ハッサム嬢。この度の貢献、心から感謝する。」
いよいよ出兵というタイミングで私は再びボルド将軍の天幕に呼び出された。北伐にはついていかないと最初に約束していたし、将軍も、まだ未成年の私を連れて行こうと思うほど愚かではなかったというわけだが。
「閣下、無事の帰還を心から願っています。」
10日も過ごせば、人間愛着がわくものだ。前世、今世含めて戦争はおろか、流血沙汰にも関わらなかった私は、兵士達の言葉の端々にあった戦争の気配に少し参っていたと思う。
「うれしいな。私に娘や孫がいれば、ハッサムぐらいなんだろうか?」
ボルド将軍は独身らしい。家は別の兄弟が継ぎ、本人は軍人として生涯を全うするつもりとか、話していた。
「そんな顔をしなくても、此度の北伐で我らが負けることはまずない。それどころか戦闘になるかもあやしい。」
「そうなんですか?」
それは私の不安を感じ取った将軍なりの気遣いなのかもしれなかった。だが、どこか根拠も感じた。
「創生教の影響力は3国では残っていない。情報では、帝国の最精鋭部隊は山脈越えに失敗して、本来の力はない。何より今回、矢面に立つのは攻め込まれるスベンだ。我らはハッサム嬢の提案した、「野菜ジュース」と「ラジオ体操」を教えるだけでも充分な戦果となりうる。今回の戦い、一番の敵は「自然」そのものだからな。」
かつて、ナポレオンはロシアへ攻め込み、その寒さに敗北したという。軍事行動は戦闘による死者もそうだが、行軍中の傷病の方が怖いとも聞く。
「此度の北伐、一番の懸念はハッサム嬢が解決してくれた。それを理解しているから、兵士達の士気も高い。油断しなければ負けることはない。」
ただ、戦争ならば人は死ぬ。
知識ではわかっていることなのに、私にはその実感がない。今日まで顔を合わせた兵士さんたちの何人か、いや何百、何千と死ぬかもしれない。それこそボルド将軍だって。
それは相手だって同じはずだ。
「どうして、戦争なんてするんでしょうね?」
ぽつりと漏れた言葉の子どもっぽさに、私は恥ずかしくなった。それこそ、命がけで国や家族を守ろうとしている人達に向けていい言葉ではなかった。
だが、ボルド将軍は怒らず、周囲の側近さん達も穏やかな目だった。
「ここ2年ほど続いた、冬の寒さにより北方に2国はかなり追い詰めれている。収穫は例年の半分以下、蓄えも尽きてくる頃だ。戦争なんてことをせずに、内政に努める時期なのは確かだ。」
冷害。王国や同盟国に被害が少ないのは、精霊やその言葉を伝えたメイナ様の言葉を真剣に受け止めた辺境伯様の尽力が大きい。予算を組んで、ハッサム村の暖房機(フクロウ素材使用)を導入し、健康的な食事や備えを指導し徹底してきた。
「王国内には、この隙に北へ攻め込むべきというバカな輩がいる。北の大地を支配したところで我らに旨味などないというのに。」
「そうですね。」
王国はその領土だけでシステムが成立している。同盟国と連携することで更なる発展も望める状況で、わざわざ危険を冒してまで北へ行く旨味はない。
「だが、向こうはそうはいかん。特に帝国は、不足している食料や物資を我らに求めて侵略をしようとしている。今回の阿呆どものさえずりを口実にな。そっちが奪う気なら、先に奪うだけだ。というのが帝国の使者の言葉らしいぞ。」
「ひどいですね。」
馬鹿ばかりだ。口実を与えたバカに、戦争という最も効率の悪い手段を考えた帝国、自分たちの権威が貶められた腹いせに彼らを煽るエセ宗教国家も。
「だからこその北伐なのだ。ここで決定的な力の差を、いや現実を見せて愚かな行為を止めさせる。そのために我らは行くのだ。」
胸くそ悪い。馬鹿の尻拭いは何時だって、真面目な人がやる。
ボルド将軍だってその一人だ。
「だが、これは大人の、我ら軍人の役目だ。国を守り、国の敵を討つこと。そのために生きてきた。だから、ハッサム嬢。アナタを連れていくことはしないし、精霊様の助力を請うこともしない。」
ここまでほだされたのだ。お願いされればこのまま戦場へついていってもいい。なんならハルちゃんやクマ吉たちにお願いだってしてもいい。
「薬師殿に、その役目をさせないこと。これも私たちの仕事です。」
「娘っ子1人に面倒を見てもらうほど、我らは情けなくないぞ。」
「助力など侮辱ですからな。」
最初は私を毛嫌いしていた側近さん達がそういって、笑っていた。
強いなーと思った。
前世の自分がどうだったろうか?ブラックな職場でがむしゃらに働いていて、その後どうなったかは覚えていない。ただ、働いている最中は、文句ばかりで嫌嫌でしょうがなかった。でも最初はこの人達のように教師という仕事に誇りややりがいを持っていたのだろうか?
わからない。覚えていない。それらは記憶でしかない。今の私はストラ・ハッサム。片田舎の村娘で、薬師の弟子でしかない。
「わかりました。お帰りをお待ちしております。ここだけの話、来年にはドワーフの新酒の販売も予定しているので、その際はぜひ、ごひいきに。」
込み上がってくる何かを誤魔化すように、私はそういってボルド将軍たちを見送ったのだった。
ストラ「バリバリ働くぞ。」
やるとなったら人一倍頑張る子。




