枯れ葉令嬢の父親が影の黒幕でした
「婚約者が何故、姉の方ではないのだ!? 妹の枯れ葉の方だなんて父上は俺を笑い者にしたいのか!!」
初めての顔合わせの時、ロベルトはアリアージュを指差しながら自分の父親に激しく詰めよった。
「姉たちには婚約者がおります」
良くも悪くも想像していた通りのお見合いに、アリアージュはぎこちない声を絞り出す。今までも美しい姉たちは花のようだと持て囃され、地味な容姿の茶目茶髪のアリアージュは枯れ葉のようだと見下されてきたのだ。
12歳のアリアージュに言い返されて、衝動的にロベルトは怒鳴る。
「うるさい! 枯れ葉の分際でしゃべるな!」
アリアージュは震える唇を引き結んだ。
後ろに立つアリアージュの銀髪の護衛が、ロベルトを視線で殺しそうな威圧で睨む。
どんよりと垂れこめる陰鬱な暗雲のようなロベルトとアリアージュの顔合わせに両家の父親たちは重い溜め息を吐いて、それでも望むものを手に入れるために婚約を成立させたのだった。
以来、婚約者となったロベルトはアリアージュをあからさまに冷遇した。
アリアージュから話しかけられても無視をして、茶会はいかにも義務だという態度で不機嫌に座っているだけ。贈り物のひとつもしたことはなかった。それどころかパーティーがあってもエスコートすらしなかった。
その上、上位貴族の社交界では公然の秘密となっているが。
ロベルトの心はアリアージュ以外の令嬢に捧げられていた。
王国では公爵家が3家あり、ロベルトの父親を当主とする公爵家、アリアージュの父親を当主とする公爵家、第二王子の婚約者であるナタリアの父親を当主とする公爵家、この3家が王家の次に王国で権力の座にあった。
故に、ロベルトとアリアージュの婚約も、第二王子とナタリアの婚約も、もちろん政略によるものだった。支配している利益と権力を独占するための婚約である。
しかしロベルトとナタリアは、上位貴族として教育を受けてきたにもかかわらず、独身時代に自由を謳歌したいと〈叶わぬ恋〉に夢中になっていた。
『いずれ政略結婚をするのだから、若い今は恋愛をしたい、と』
ロベルトとナタリアは、それぞれに婚約者がいる。その裏切り行為である背徳感に酔い、若さ故の根拠のない万能感と親に決められた婚約に対する責任を持たない反発で、うっとりと秘密の恋に酔った。
しかもタチの悪いことに、ロベルトとナタリアは婚約を解消する気持ちはサラサラなかった。ぬくぬくと豊かな生活に浸りつつ、悲劇の恋を楽しんでいたのだった。
だが、重大な密通の覚悟を背負う気概などない未熟なロベルトとナタリアが秘密を保てるはずもなく。また、ロベルトとナタリアに個人的に忠節を誓っていない使用人たちに秘密を知られた時点で、もはや秘密は秘密ではなくなっていたのである。
かくして、私たちって何てカワイソウと〈叶わぬ恋〉に溺れるロベルトとナタリアの秘密は、公然の秘密という名前のもとに噂として社交界で密やかに巨大魚に成長して泳ぎ回ることとなった。
そして、アリアージュが15歳、ロベルトが18歳となった時。
その夜も、アリアージュは婚約者であるロベルトのエスコートもなく、壁側に立っていた。
王宮のパーティーである。
音楽が美しい波のように流れ、花の香りが淡く甘く漂う。会場は宝石箱の中を覗いているみたいな、豪華なシャンデリアが眩しく照らし煌めいていた。
ロベルトの代わりに護衛のライアスがエスコートをしてくれたが、あまりにもアリアージュを軽んじるロベルトの数々の行動に周囲の人々は同情と憐憫の目を向けている。
「私、ロベルト様と結婚なんてしたくないわ。貴族の娘ですもの、政略の大切さは理解しているけれども、ロベルト様は理解していない。愛も恋もない政略結婚なのだから、せめて信頼関係は必要であるし私を虐げることは私の家を侮辱することに繋がるのに、そんなことすらロベルト様はわかっていない。家と家の契約の重要性を蔑ろにするロベルト様を、他家の貴族たちは信用しないわ」
アリアージュは隣に立つ銀髪のライアスに、奥歯を噛みしめ言った。
「ロベルト様が当主となれば必ず公爵家は傾くわ。ナタリア様の婚約者は第二王子殿下なのよ。王家の不興を買い、社交界での信用を失い、つまり色んな場所で相手の機嫌を損っているというのに、ロベルト様自身がそれを理解していないのよ。致命的だわ」
アリアージュは溜め息をついた。
髪飾りが揺れる。髪を飾るダイヤモンドの星は、様々な角度から入ってきた光で朝露のように清らかに輝いていた。
「忠告をしてもロベルト様は聞く耳を持たないし。お父様に何度も婚約の解消をお願いしても、今はダメだと言われるし……」
護衛のライアスが言葉を返す。
「今はダメだと公爵閣下がおっしゃるならば、時期がくれば、と愚考いたしますが?」
「私もそう思うけれども、そろそろ限界……」
アリアージュの視線のさきには、バルコニーで身を寄せ合う男女がいた。ロベルトとナタリアである。
ロベルトとナタリアに視線を向けているのは、アリアージュだけではなかった。
アリアージュとロベルトの父親たちは静かに嗤いながら酒を飲んでいた。
第二王子は無表情だ。
壇上の国王と王妃も表情を崩さず目だけが厳しい。
貴族たちは貴族らしく微笑しながら、ひそひそと軽蔑と非難をこめて会話をしている。
ナタリアの父親である公爵の姿はなかった。
公爵は昨年から病の床にあり、ナタリアの行状を知らなかった。どこかの家の誰かの思惑により、公爵を世話する使用人も医師もナタリアの情報を遮断するように買収されていたのだ。
ナタリア自身も自らの不貞を公言するはずもなく。父親に、第二王子殿下との仲は良好ですわ、と報告するのみであった。
「ロベルト様たちを静観するお父様たちが」
アリアージュは、ごくり、と息をのんだ。
「なんだか恐いの……。確かにロベルト様との婚約は双方の家にとって利のあることだけれども、そうではなくて、何か、何かもっとあるようで……恐い」
「アリアージュ様」
ライアスはアリアージュを慰めようと伸ばした手を、ぎゅっと握りしめた。アリアージュは主人で自分は護衛。むやみに触れてよい相手ではない。適切な距離という壁がライアスとアリアージュの間にはあった。
だから言葉を真心から綴った。
「アリアージュ様、何があろうともお側におります。何ものからもお守りいたします。この命をかけて」
アリアージュも動きそうになる手を、ぎゅっと胸の前で握りしめた。自分は主人で、ライアスは護衛で。ロベルトの酷い言動にどれほど傷つけられようとも、人々に誤解される行動は貴族の令嬢としては慎まなければならない、と。
だからアリアージュも心を織り込むように言葉を綴った。
「ありがとう、ライアス。私をずっと守ってね」
その時、第二王子がサッと片手をあげた。
待機していた近衛たちがバルコニーに突入する。
音楽が止まった。
空気をわずかに震わしたのは、音と音の連鎖の旋律が残した余韻か、近衛たちの走る足音か。
「な、なんだ!? 無礼者!」
「離しなさい! わたくしは第二王子殿下の婚約者よ!」
大声で喚くが拘束はゆるまず、ロベルトとナタリアは国王の前に連行された。
「恥知らずどもめ」
国王が厳しい声音で吐き捨てた。
心臓を直接叩かれたようにロベルトとナタリアは蒼白になった。ここでようやく自分たちの〈叶わぬ恋〉が、人々に露見していたことを唐突に悟ったのである。
鋭い針が突き刺さったみたいに、ロベルトとナタリアは冷たい汗を流した。狼狽えて口の中でもごもごと言い訳をもらすが、言葉にならない。
ロベルトの父親である公爵が進み出る。
「陛下、発言の許可を」
「うむ、許す」
「ロベルトは公爵家の家系から名前を抹消して、国外へ放逐します。また此度の不祥事の責任を取り、我が公爵家はダイヤモンド鉱山を王家に献上いたします」
国王が寛容さを見せて頷く。
この時点において王家と公爵家の取り引きはとっくに完了しているので、貴族たちに見せ付けるための演劇の公演に等しい。
「ち、父上!?」
ロベルトの悲鳴のような叫び声が響く。
アリアージュは驚きに目をみはった。
いきなりの急展開に頭が上手く働かない。
「まさか、お父様のおっしゃっていた時期とは、これのこと……?」
翌日、アリアージュとライアスは父親である公爵の執務室に呼ばれた。
部屋の窓からは、青い空が見えた。
庭の木のうろから雛鳥が一羽二羽、可愛い顔を覗かせている。
風が木々の緑の葉をやわらかく揺らして、小さな花の花びらをひとひらふたひら舞い落とし、まるで羽化したばかりの蝶のようだ。
部屋の中へ差し込む陽光が、水の底のような透明な明るさを投げかけていた。
「さて。婚約がダメになったアリアージュは、もう上位貴族と婚姻が結べなくなった。そこで、だ。ライアス、アリアージュを娶る気はあるかね?」
王国では、どのような理由であれども婚約が解消または破棄された令嬢はキズモノ扱いをされた。
あとは、修道院に入るか後妻に行くか下位貴族と結婚するか、選択できる道は少なくなる。アリアージュも然りであった。
「あ、あの、お父様……?」
「アリアージュとライアスは身分差があって結婚は難しかった。おまえたちは、家族に迷惑がかかることを懸念して気持ちを抑えていただろう? よく耐えたな、今ならば男爵家のライアスと堂々と結婚ができるぞ」
「お、お父様……!」
「アリアージュが枯れ葉でよかった。あの愚かなロベルトが、アリアージュの容姿に不満を持って浮気に走ってくれたからな。本当に愚かだ。アリアージュはこんなにも可愛いのに。まぁ、おかげで罠が簡単だったがな」
ははは、と上機嫌に笑う父親にアリアージュは、渦巻いていた霧が晴れたように問うた。父親の深い愛情に鼻の奥がつんとなる。
「お父様は最初から?」
「そうだ。わたしは娘たちには幸福になってもらいたいからね、公爵家としては権力も財力も十分にあるから政略なんて必要ないしね。アリアージュとライアスを結婚させるのは容易いが、それだと貴族たちの目と口がうるさい。円満にいく方法として、悪いがアリアージュの容姿をロベルトへの罠に使わせてもらった」
「ロベルトの父親も共謀者だ。あちらはロベルトを排除して優秀な次男を後継者にしたかった。ロベルトは廃嫡にするほど瑕疵はなかったから、無理やり後継から外せなかった。だが、ナタリア嬢の件でもわかるように、ロベルトが当主となれば公爵家は衰退する」
「ロベルトはアリアージュを枯れ葉と見下していたから何かやらかすとは思っていたが、まさかナタリア嬢に手を出すとは。ナタリア嬢もロベルトに靡くとは。まぁ、ロベルトは顔だけはとびきり良いからな」
「ロベルトが期待通りやらかしてくれたから、あちらの公爵家も次男が波風も立たず後継者となれた。ナタリア嬢の家は、まぁ、こちらに巻き込まれたようなものだが、娘が浅慮過ぎたから仕方がない。ロベルトの件がなくてもナタリア嬢はいずれ問題を起こしていただろう」
「王家もロベルトの家からダイヤモンド鉱山、ナタリア嬢の家から王国最大の貿易港と穀倉地帯、大儲けしているから文句もないだろう。第二王子もナタリア嬢を嫌っていたしな」
アリアージュがキズモノと呼ばれることを逆手にとった策略に、アリアージュもライアスも唖然とする。
ははは、と父親はもう一度笑った。
「結婚式はいつがいいかな?」
アリアージュとライアスは顔を見合わせた。ぽっと花明かりが灯るように頬が赤くなる。
おずおずとアリアージュがライアスへと手を伸ばす。ライアスもアリアージュへと手を伸ばした。
ピアノの鍵盤を奏でるようにお互いの手が重なった。親指が、人差し指が、中指が、薬指が、小指が。ゆっくりと愛おしげに。
そして指と指を絡めて、ぎゅっとお互いに握り合う。
「私、もうライアスに触れてもいいのね?」
「アリアージュ様、初めて会った時から愛しておりました」
「私も。私も初めて会った時から。でも、叶わぬ恋と胸の中に隠していたの」
向日葵のように太陽に顔を上げて咲く恋の花もあれば、水中花のように水の中でしか咲けぬ恋の花もある。
秘すれば花の恋は。
秘せずは恋にならぬ花なのに、秘密を守れなかったからロベルトの恋の花は散ったのだ。
アリアージュは、自分の恋の花が開く瞬間を感じた。
「愛しています、アリアージュ様」
指を絡め、視線を絡めて、ライアスが吐息すら絡めるように告白をする。
私も、とアリアージュが言いかけたところへ、ウオッホンとわざとらしく公爵が咳をした。
ハッ、と執務室に居たことを思い出して真っ赤に染まったアリアージュとライアスに、公爵は優しく笑った。
「可愛いアリアージュ、幸せになるのだよ」
読んで下さりありがとうございました。