二重人格2
「さ、ついた。」
嘆崎さんはそう言って力強く掴んでいた私の腕を離した。
目の前に広がる鮮やかな風景はきっと忘れることのない色をしていた。
いつになっても、きっと色あせないだろう。
なんて綺麗なんだろう。
私はボーっとその鮮やかに咲き誇る花畑を眺めた。
さっきまで暗いところにいたからだろうか。
それとも…
いつの間にか頬には小さな雫が流れていた。
人を殺した罪悪感が心に重く圧し掛かる。
私はなんて悲しいんだろう。
「綺麗だろ?ここは俺のお気に入りでね。」
嘆崎さんは初めて微笑んでくれた。
何故かその微笑みは心の底まで染みていった。
温かくて、綺麗で、愛しく思った。
「ここには何か思い出があるんですか?」
私は綺麗な横顔に尋ねた。
本当は「二重人格に」と言いたかったが、そんなことはまだ言えない。
「ああ、まあね。昔の女のことでね。」
その言葉を聞いたとき何かが私の胸を締め付けた。
なんだろう?
この気持ち。
「昔の彼女…。」
私は小さくつぶやいた。
本当は詳しく聞きたい。
でも、聞いたらどこか遠くに行ってしまいそうな恐怖感が私を襲う。
何故だろう?
そのときだった。
いきなり意識が飛んだ。
何でこんなときにもう一人の自分が出てくるの?
「お前みたいな奴に彼女なんていたんだ。」
いきなり裏の私が出てきた。
私はもう一人の自分がいつもいるという異空間に立っていた。
相変わらず薄暗いな…。
それに静かなんだな。
「いきなり裏のお前が出てきたらすぐにわかる口調をしてるよな。お前って。」
嘆崎さんは呆れてため息をついた。
そんなの一番自分がわかってる。
「うるせーよ。それより、お前に彼女がいたなんてなー気持ち悪。」
俺は嘆崎という男に笑って見せた。
嘆崎という男は拳を握り締めた。
「お前が女じゃなければ殴ってたのにな。」
嘆崎という男は鋭い瞳をして、俺に向けてきた。
怖いと思ったのはこれで二回目。
親を殺したときと。
もう一つは…。
「殴ればいい。傷つけければいい。こんな体俺には必要ないんだから。こいつがいなければ俺が生活できたんだ。いつも中から全部見てた。」
俺は胸に手を当てた。
そして、服を握り締めた。
「殴っても、傷つけても、その体はなくならない。お前がいなくならないかぎり。お前が表の自分とまっすぐに向き合ったとき。そのときはきっと何もかもが決まるとき。」
その嘆崎という男はまっすぐ俺を見つめて言った。
は?
こいつムカつく。
何もかも上目線で言いやがって。
「脅しのつもりか?」
俺は笑った。
「その意味がわからないんじゃ、お前は一生表の人格にはなれないぞ。きっと今の表の人格さんはわかると思うけどな?」
嘆崎という男は鼻で軽く笑った。
俺は腹の底から怒りが湧いてきた。
こいつー。
俺は拳に力を込めた。
「殺してやる。」
俺は一言そう言って大きめの石を持って思いっきり投げた。
その勢いよく投げた石は軽くかわされた。
「甘く見んなよ。」
嘆崎という男は俺のことを睨んだ。
俺は異空間に戻った。
「え?お、わ!!」
私の体は意識がないので一気に力が抜けて倒れかけた。
「っぶねー。」
嘆崎さんは私の体を支えてくれた。
私はゆっくり目を開いた。
一人で静かな異空間の中にいても何も楽しくなかった。
毎日あそこにいるもう一人の自分はどんな思いであそこにずっと留まっていたんだろう?
きっと寂しかったに違いない。
私の頬には気づいたときには涙がそっと流れていた。
今にももう一人の自分の声が何かを訴えてきそうでとても苦しくなった。
寂しいよ。悲しいよ。苦しいよ。と、そう耳に飛び込んできそうで。
フワッ
私を包み込んだ温かいものはとても優しく感じた。
「嘆崎さん?」
私は震える声で呼んだ。
優しくて、ちょっと不器用な手は大きくで温かい。
体全体に感じる人の温度。
なんてあたたかいのだろう?
「今だけでいいから、だから、このままでいさせてくれ。」
嘆崎さんの声は何故か震えていて、何かに怯えているようだった。
声から伝わる寂しさと怖さがとても切なくて。
「今だけですよ。」
私は涙ぐんだ瞳を閉じながら嘆崎さんの背中に手を回した。
ああ、もうすぐ春だ。
・ ・ ・ ・ ・
私は牢屋というものに結構慣れてきたときだった。
ある男が脱走したのだ。
警察中は大パニック。
そして、その男は私や他の牢屋に入っていた人達の牢屋の鍵を開けたのだ。
そして、私はあの異空間に引きずり込まれた。
「やっと俺の出番だ。」
もう一人の自分がそう言って体を則った。
ダメ。ダメ。ダメ。
何回もその言葉を言い放った。
何回も表に戻ろうと思った。
でも、周りが暗くて静かで、すごく不安の気持ちでいっぱいになった。
怖い。
寂しい。
苦しい。
明るさを取り戻してきていた心がその暗闇に蝕まれていく。
私はうずくまった。
頬には涙が溢れ、息がまともにできない。
そして、大きいスクリーンのような画面らしきものが出てきた。
そのよくわからないものに映し出されたのは怯える人達の顔だった。
「何をする気??」
私は後ずさりをしながらつぶやいた。
それがもう一人に聞こえたらしく、めずらしく応えた。
「お前に関わったすべての人を殺す。」
私は体中が震えだした。
震える拳をギュッと握り締めた。
震える足を無理矢理立たせた。
震える体を必死に抑えた。
「そんなこと、絶対あんたにさせない。」
このときに私は表に戻った。
このときは穏和な性格の私が変わった唯一のときだった。
立っていた場所は学校だった。
友達がいっぱいいて、私のことを怯えながら見つめていた。
ここにもう戻ることは許されない。
だったら、私のできることは。
私はそのときに考え付いた。
もっと早くにそうしてればよかったんだ。
私は後悔しながら持っていた包丁を落として駆け出した。
早く、早く、もっと早く。
もう一人の自分が表に出ないうちに。
・ ・ ・ ・ ・
息が切れるまで走った。
学校の屋上に上った。
「やめろ!!!!!」
耳の奥深くでもう一人の声がそう叫んでいる。
鼓膜に響く音。
体全体を包むまだ肌寒い春の風。
人生の中で何回泣いただろう?
何回笑っただろう?
いろんなことを考えた。
でも、ここで最後。
風の音が耳を触る。
大きく広がる建物の光と薄暗くなっている空はとても綺麗だった。
「さよなら。」
そうつぶやいて、私は足を屋上の小さい塀にのせた。
その時だった。
バンッ
ものすごい音がした。
「やめろ!!!!」
息を荒くして、すごい苦しそうな顔をして、私に駆け寄ってきた。
私は少し体を引いた。
その時だった。
私は小さい塀にもう片方の足を突っかけた。
私は目を疑った。
どんどん後ろに引っ張られる感覚がした。
死ぬという動作が後悔に変わった。
私はここで死ぬんだ。
私は目から涙を流し目をつぶろうとしたときだった。
目に飛び込んできた光景は驚きが隠せなかった。
私の頭と体を覆うようにして、嘆崎さんが私のことを抱きしめている。
「何で!!!!!」
私はそう叫んだ。
いつも、求めてるときにあなたは私の前に現れる。
何で?
「死んだらどうにかなる問題じゃない。」
ガンッ
嘆崎さんがそう言った瞬間すごく鈍い音がした。
私は顔を上げた。
どんどん広がっていく血が私の目の前に広がる。
私はそれを見た瞬間にあのときの光景が浮かんできた。
「あああああああーーーー!!!!!!…
・ ・ ・ ・ ・
ゆっくり開いた目には、優しい光が浮かんでいた。
私はそのゆっくり開いた目を覗き込んだ。
そのときだった。
嘆崎さんが私の頬に手を伸ばして一言つぶやいた。
「栞?俺を迎えに来たのか?」
まだ、薄っすらとしか開いていない目には何が見えているのだろう?
栞って誰?
私は栞じゃないです。
そう言いたかった。
「ちょ、長官!!!何を言ってるんですか?!栞さんはもうここには…」
私の隣にいた人が少し声を張って叫んだ。
その声に体が反応したからか、嘆崎さんは正気に戻った。
「俺は何をしているんだか。助かったんだな。」
嘆崎さんは頭をかきながらそうつぶやいた。
私はさっきの言葉が頭に残る。
「お前は先に戻ってろ。」
いきなり隣に立っていた人に言われた。
私はしぶしぶ、戻ることにした。
隣に立っていた人と言葉を交わす嘆崎さんは笑っていた。
私は何回も頭を回るこの言葉に吸い込まれるような気がした。
栞。
もうここには。
そして、最初の取調室でのあの状況。
すべてがわかる。
私は私と見られてるんじゃない。
私は栞という人に重ねられているだけ。
いつの間にか頬を流れる涙。
あの優しい腕の中は私に与えてくれたんじゃない。
栞という人に重ねて抱きしめてくれただけなんだ。
「殺しちまえ。」
耳の奥でそう訴えているもう一人の自分の言葉が聞こえた。
私は怒った。
「そんなこと死んでもしない!!!!!!あんたと私は違う!!!!!!」
私は心の中で怒鳴った。
きっとこの気持ちがわかったのだろう、もう一人の自分が続けて言葉を吐いた。
「お前はあんな奴に恋を抱いてる。恋なんてつまんない感情は捨てちまえ。お前には俺にこの体を預けるという大きな使命がある。」
いきなりそう言われた私は心の中で怒鳴った。
拳を限界まで握り、爪が手の平に食い込むのがわかった。
「恋なんてしてない!!!!この体は私の体よ!!!勝手にあなたこの体に生まれたんじゃない。あんたがいなければ、あんたがいなければ私はいつも平和だったのよ!!!!」
私がそう叫んだとき。
もう一人の声がしなくなった。
え?
何で黙ってるの?
何故か、一人の気配が無い。
嘘?
消えたの?
私は急に不安になった。
何かが崩れてる感触が体を蝕んでいく。
「おい。」
あまり知らない声が私の耳に響いた。
私は泣きながらその声がするほうに顔を向けた。
その人は不思議そうな顔をしながら用件を口にした。
「嘆崎長官からお前を病室につれて来いとの命令をうけた。ので、早くいくぞ。」
いきなり知らない警察の人の腕に引っ張られ私は今逢いたくない人に逢うことになった。
薄暗くて狭い廊下をくねくねといろんな角度で周りながら病室についた。
こんなところ通ったことない廊下や部屋があったのでびっくりした。
こんなにいっぱい部屋があったんだ。
そして、よくこの人達は迷わないなと思った。
目の前には包帯を所々巻いている嘆崎さんを見ていると胸が苦しくなった。
少し沈黙が私達の間に流れた。
そして、その沈黙を破ったのは私だった。
「どうして、私を助けたんですか?」
私は拳を握りながら言った。
その光景を見てなのか嘆崎さんは冷たく言った。
「お前はどうして死のうとした?」
鋭い目が怖かった。
目をあわせることができなかった。
・ ・ ・ ・ ・
正直に話すよ。
あなたが求めてることはなんだってあげる。
だから、あなたのことを知りたい。
複雑な気持ちはどんどん私を蝕んでいく。
その感触は何かが崩れるのと似ている。
せっかく元気になれたのに。
せっかくあなたとの思い出ができたのに。
どうして、物事は私の手からすり抜けていくのだろう。
・ ・ ・ ・ ・
次に、続く…




