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2-1

 ゲームのスタートが正式にいつからと言うことは伝えられていなかったが、梨璃子はあと数分で深夜0時を迎える時計を、そわそわと落ち着かない気持ちで見つめていた。

(今日からって言ってなかったけど、準備だけはしといた方がいいわよね?)

 どんなことが待ち受けているか分からなかったが、梨璃子は動きやすいようにと学校指定のえんじに二本ラインのジャージに着替え、髪の毛も顔横の短く切りそろえた部分以外は高い位置で一つにくくっていた。まるで体育の授業前のような姿で神妙な顔をして自室で座っている姿は我ながら滑稽であったが、何事もまずは形からと言い聞かせその時を待っていた。

(あ、もうすぐ0時になる!)

 夕食の後に確認し直した時計の秒針が、あと数回で0時を告げる位置にあることを確認すると、梨璃子は静かに息を呑んだ。カチカチという秒針の音だけが静かな室内に響き、おのずと緊張感も高まっていく。

(5、4、3、2、1、0……!!)

 長針と短針がちょうどてっぺんで交わった時、それは突然起こった。

「えっ?!」

 ぐわっと、梨璃子の体は何か大きな手にでも引っ張られる様な感覚で後方へと引っ張られたかと思うと、途端に目の前が真っ暗になった。

「なにっ?! どうなってるのっ?!」

 何もない空間に投げ出された恐怖に梨璃子が思わず声を上げると、次の瞬間現れた光の渦に、梨璃子はその眩しさに思わず目を瞑る。

「!!」

 前方からぶわっと吹きつけた温かな風が梨璃子の体を通り過ぎたかと思うと、梨璃子は自分が光あふれる場所に降り立ったことを肌で感じ、顔を覆っていた腕を恐る恐る解く。

「…………ここは?」

 ゆっくりと目を開けると、目の前には鬱蒼と木が生い茂った森があった。視線をゆっくりと左右へくゆらせると、茶色い土にまばらに生えた雑草や花から、そこが屋外であることを知る。

(転移の能力(ギフト)? これが、ゲームの能力(ギフト)だっていうのっ?! ていうか、能力(ギフト)って、こういう風に感じるんだ……)

 両親や他の人達が能力(ギフト)を使っているところを見たことはあったが、自分自身に能力(ギフト)を感じる機会は少なかった。それは梨璃子の家が手作業で出来ることは手作業でやるという方針だったこともあったのと、転移の能力(ギフト)は条件も多くあまり使うのを見る機会もなかったからだ。また、今現在は非能力保持者(ノンギフテット)達との生活ということもあり、能力(ギフト)自体に接する機会も極端に少なかった。

(なんか……気持ち悪い)

 まだ僅かに残る不思議な感覚に乗り物酔いに似た気持ち悪さを感じ、梨璃子は右手で口元を覆った。

「……なにその恰好。ダサすぎない?」

「!」

 急に後ろから掛けられた声に梨璃子はびくりと肩を震わせると、その失礼な内容と聞き覚えのある声に、眉間に皺を寄せて振り返った。

「……これが一番動きやすい恰好だったのっ。ていうか、あなただってジャージじゃない」

 予想に違わずそこに立っていた紫蘭にそう言うと、梨璃子は紫蘭の頭の先からつま先まで視線を走らせた。同じジャージというくくりで呼んではみたが、紫蘭のそれはカラフルな上にハーフパンツにレギンスを重ねていたりと、梨璃子に比べれば明らかにお洒落であった。そのせいか、紫蘭は梨璃子の言葉に心底嫌そうに顔を歪めた。

「え? コレとソレを一括りにするの?」

「……機能的にはそれほど変わらないでしょ?」

「あー……まあ、そういう観点で言うとそうかも?」

 紫蘭が微妙な表情で小首を傾げたその時、突然ピーーーーーーーというハウル音がどこからともなく聞こえ、梨璃子は何事かと反射的に空を見上げたが、紫蘭はそれが何かを分かっているかのように呆れた溜息を一つ零した。

『皆さん、こんばんは。現国王代理の蘇芳・クジョウです。この度は、次期国王決定の為のゲーム参加に賛同してくれてどうもありがとう』

「蘇芳様っ?!」

「いつから強要のことを賛同って言うようになったんだよ」

 梨璃子が突然聞こえた現国王の声に驚きの声をあげると、対照的に紫蘭は辟易として言葉を零した。梨璃子はその悪態にそっと目を瞠る。

『では、今からゲームについての簡単なルールを説明するよ。まず、このゲームは次期王候補である王位継承者の王族とグリーンベル学園の生徒のペアで行ってもらう。ゲーム参加は一日一回、午前0時をスタートとするよ。毎日その時間になったら、参加者は今日と同じようにゲームの能力でこのゲーム会場である特別空間へ召喚される。どこにいても、何をしていても、ゲーム参加中は強制的に呼ばれることを念頭に置いて行動して欲しい。これはお願いでもあるかな。各人のスタート位置はバラバラになっていて、ゲーム参加中は直接接触以外では誰がどこにいるか、ゴールがどこなのかも参加者には分からないようになっているから覚えておいてほしい。日中他の参加者と意見交換するのは自由だけど、それもあまり意味がないから、その辺りは各自の判断に任せるよ』

(そうだ。これに参加してるのは、私だけじゃないんだったわ。この空間のどこかには、学校の誰かがいるのね……)

 梨璃子は蘇芳から発せられた言葉を噛みしめるように大きく息を吸い込むと、この空間に自分以外の罪人候補生(ギフテットワナビーズ)と呼ばれる者、すなわちグリーンベル学園の生徒がいるという事実に少なからず緊張を覚えた。

(今から、皆がライバルなんだ……)

 グリーンベル学園においてあまり感じることのない感覚に、梨璃子の胸に表現し辛い感情が襲った。学校では、皆能力(ギフト)を開花させるという一つの目的の為に過ごしており、それは決して成績に左右されるものではなかった為、自分達の間での競争というものはあまり意識したことがなかったのだ。

(なんか不思議な感じ……でも、今回は負けられないんだから、しっかりやらなきゃっ)

 はたして梨璃子と同じ目的でこれに参加している生徒がどれだけいるかは分からなかったが、どんな気持ちで参加していようとも、梨璃子はそれら全てに勝たなければならないのだ。

「……」

 梨璃子は改めて胸中で決意を固め、どことなく高揚した気分で空を見上げると、近くで小さく息が漏れる音が聞こえた。

『では、次にゲームの進め方の説明に移ろうか。ゲームは二つのダイスを振ってもらって、その出目の数だけ進んでもらう。ただそれだけだ』

「え?」

「は?」

 シンプルな蘇芳の説明に二人の口から思わず拍子抜けした声が漏れた。

(それって、本当にただのゲームじゃない……)

 梨璃子は昔家族とよく遊んだボードゲームを思い出した。

『ああ、でもダイスを振るのはグリーンベルの生徒にお願いするよ。それと、止まったマス目にはタスクがある場合がある。こなすこなさないは各自の自由とするけど、その先を進める上で不利になろうがこちらは関与しないから考えて進んでくれ。あと最後に、戦闘(バトル)について伝えておくよ』

「戦闘っ?!」

 突然蘇芳の口から飛び出した物騒な言葉に梨璃子は紫蘭を振り返ったが、紫蘭はただただ蘇芳の声が聞こえてくる空をじっと見つめたままだった。梨璃子はしばらく紫蘭をじっと見つめていたが、こちらを向く素振りも見せない紫蘭に小さく息を吐くと、同じように空を見上げた。

『王位継承者同士が同じマス目に止まった時、その先へ進む権利を掛けて戦闘(バトル)をしてもらう。戦闘(バトル)を行うのは王位継承者、すなわち、能力保持者(ギフテット)だよ。方法については、まあ、その場になればわかるだろうから、ここでは割愛するよ。あ、もちろん戦闘の敗者はそこでゲームオーバー。王位継承権も剥奪されるから、王様になりたい奴はまあ頑張ることだね』

「負けたら、ゲームオーバー……」

 梨璃子はその事実を噛みしめるように呟き、言葉にすることで気を引き締めた。ふと紫蘭の様子が気になって梨璃子は紫蘭を盗み見ると、紫蘭は何か思う所があるような顔でまだ空を見つめていた。

「?」

『ああ、最後に必要となりそうな基本的な物を入れた鞄を送っておいたから、好きに使ってくれ。ダイスもその中に入っているよ』

 蘇芳はそこで一旦言葉を切ると、では、と改まった声を出した。

『ゲームスタート。健闘を祈るよ』

 静かにゲームの開始を告げると、ぷつん、と蘇芳の声はそこで途切れた。

「え? 今ので終わり? なんかもっと、音楽鳴ったりとか、しないのね……」

 あっけなく告げられたゲームの開始に実感がわかず梨璃子がそう零すと、紫蘭は不思議そうな顔をして首を傾げていた。梨璃子は不審に思い声を掛けようとした所、ドサっと何かが落ちる音がして瞬時にそちらへ振り返る。

「あ。これって、さっき言ってたやつかしら?」

 見ると梨璃子達のいる場所から少し森側の地面の上に、キャンパス地の肩掛け鞄が落ちていた。

「え? ああ、そうじゃない?」

空を見つめるのに飽きたのかいつの間にか傍に来ていた紫蘭がそう相槌を打つと、梨璃子を通り越してその鞄を拾い上げた。蓋を開け中身を確認すると、つまらなさそうな顔をしてそれを梨璃子に渡す。

「特に目ぼしい物は入ってないって感じ。俺いらないからあんたにあげる」

「え? 私が持つのっ?!」

「? だって俺いらないし」

「…………」

(いらないかもしれないけどっ! 普通こういう時は持ってくれるもんじゃないのっ?)

 梨璃子は手渡された鞄と紫蘭を交互に見て、思わずぽかんとした表情をしてみせた。だが紫蘭は梨璃子がなぜそんな顔をしているのかも分からないと言った様子で不思議そうに首を傾げてみせた。

(……そうか。この人王子様だから、自分で荷物持つとかしたことないんだきっと……)

 梨璃子は紫蘭を見つめながら気づいた事実に改めて目の前の男が正真正銘の王子であることを実感し、仕方ないと肩を落とした。黙って渡された鞄を肩からかけると、自身でも中身を確認すべく蓋を開ける。

(ペンにメモに救急セット……確かに今すぐ使えそうなものはないかも。方位磁石とか、ここで必要になるのかしら? 後は、ナイフくらいかな? いつか使えそうなのは)

「っと。これね、ダイスって」

 梨璃子は細々としたものの間に一際存在感を放って入れられていた真っ赤な六面ダイスを二つ見つけると、すぐにそれを取り出した。その直後。

「!!」

梨璃子がそれに触れた途端、ダイスは空中に浮きあがった。そして、

『紫蘭・クジョウ、梨璃子・スメラギチーム、ゲーム参加者として登録されました』

と、先ほど蘇芳の声が聞こえてきたのと同じように、梨璃子達が立つその場に機械的な声が響いた。登録完了の音声に、紫蘭から大きな溜息が漏れた。

「あーあ、これでマジで参加かあ……」

 紫蘭は空中に浮かぶ真っ赤なダイスを見ながらもう一度溜息を吐いた。

「じゃあ、さっさと振っちゃってよ」

(……確かに別にやる気なんて期待してないけど……ううん。気にしない! 私は私の為にこのゲームに参加してるんだからっ!)

 梨璃子は気持ちを切り替えるように頭を大きく横に数回振ると、すう、と大きく息を吸い込んだ。

罪人(ツミビト)免除のためにっ!!)

梨璃子は胸中でまるで祈るようにそう叫ぶと、紫蘭に言われた通りダイスを振るべく空中に浮かぶそれに触れた。

「えっ? なにっ?!」

 するとそれは梨璃子の指先が触れた傍からその大きさを十倍くらいに膨れ上がらせ、くるくるとその場で回転し始めた。

「見やすくなったじゃん」

「え? これって、そういう意味なの?」

 梨璃子が半信半疑で大きくなったダイスの片方に触れると、ダイスは急速にその回転数を弱めた。

「あ!」

「なにっ?!」

 梨璃子が急に大声を上げると、紫蘭がびくりと体を反応させた。

「出目が大きくなるように考えて振るの忘れてたっ……」

 梨璃子が悲壮感漂う声でそう言うと、紫蘭は嫌そうに顔を歪めた。

「なんだ。そんなのどうだっていいじゃん」

「よくないわよっ! だって、こういうのって沢山進んだ方が良いに決まってるしっ!」

(ああ失敗したーっ……)

「……」

 紫蘭が呆れた視線を梨璃子に向けた時、余韻でくるくると回転していたダイスがぴたりとその動きを止めた。梨璃子が恐る恐るそちらへ視線をやると、

「2と3だって。残念だったね」

と、梨璃子が見るよりも先に紫蘭からちっとも残念そうじゃない声があがり、梨璃子は小さく肩を落とした。

(まだ最初だもんね。次はちゃんと気を付けよう……)

「……それにしても、どうやって進むのかしら?」

 気を取り直して梨璃子が不思議そうに首を捻ると、紫蘭は肩を竦めてみせた。

「さあ? 俺が知るわけないじゃん」

(そんなの分かってるけどっ! 一緒に考える事すら期待するなってことなのね……)

 梨璃子は諦めたように小さく息を吐くと、回収目的でもう一度ダイスへ触った。するとダイスは元の大きさに戻ると共に、先を示す声を残した。

『該当のマス目まで一気に飛びますか? それとも各自で進みますか?』

「あ。こういうい感じで進んで行くんだ。じゃあ……」

「一気に飛ぶ方で」

「ええっ?!」

 ふいに上から聞こえた紫蘭の声に梨璃子は不満気に声を上げると、紫蘭の紫の瞳と目が合った。紫蘭は不服気に眉根を寄せると、なんで? と声を漏らす。

「だって、ここがどういう場所なのか見るチャンスじゃない? たった五マスだし、それくらい歩いたって……」

「あのさあ、たった五マスって言うけど、一マスの距離が具体的に提示されてないんだから、朝まで歩いたって着かない可能性もあるわけでしょ? それに、こういう盤上ゲームって、通り過ぎるマス目に何があったってそこは関係ないんじゃないの? だったら、そんな何もないとこ歩いても疲れるだけじゃん」

「それはっ……そう、だけど……」

(正論すぎて何も言えない……)

「じゃあ決まりね。一気に飛ばせて」

 紫蘭が梨璃子の返事を待たずにそう言うと、梨璃子の体がふわっと浮かんだ。

(あ、これ、またっ……)

「!」

 転移の能力(ギフト)だと分かりつつも、慣れない感覚にバランスを崩した梨璃子は咄嗟に手を伸ばした。指先が触れた何かを縋るように力を込めて握ると、

「うわあっ!! ちょっとっ、なにっ!」

と、頭上から紫蘭の驚いたような声が降ってきた。

「ご、ごめんなさいっ。慣れなくて……」

 思わず掴んだ紫蘭のジャージの裾を離せないまま、梨璃子は独特の浮遊感に強張らせた顔を上げてそう言うと、紫蘭は一瞬考えるような表情をしてみせたが、小さな溜息を一つ吐いただけでそれ以上何も言わなかった。

(……振り払われるかと思った)

「……ありがとう」

 梨璃子が素直に礼の言葉を口にすると、紫蘭はふいと視線を逸らした。

「……こんなゲームさっさとやめたいけど、こんなことで怪我してリタイアとかなったら、蘇芳になに言われるかわかんないし。だから、あんたもさっさと慣れてよね、これくらい」

「……」

(……言わなきゃよかった!)

 前方にぽっかりと空いた穴から零れる光にキラキラと輝く紫蘭の金髪を恨めしそうに見ながら、梨璃子は無事地面に降り立つとすぐさま掴んでいたジャージを放した。一瞬にして後悔で埋められた胸中に思わず苦虫を潰したような顔をすると、気持ちを切り替える為に周囲へぐるりと視線を巡らせた。紫蘭は特に気にした様子もなくふらふらと歩きだすと、目先の地面に落ちていた何かを拾い上げた。

「なにこれ? えーっと、五千エン獲得、って、どこにも落ちてないんだけど」

「え? なに?」

 手に紙切れを持ったままキョロキョロと辺りを伺っている紫蘭の手元を梨璃子が覗き込むと、紫蘭は、はい、と既に興味を失ったと言わんばかりに今拾ったメモを梨璃子に渡した。梨璃子は受け取ったそれを食い入るように読むと、同じように周囲に視線を走らせる。

(確かに。この人の言う通り何も落ちてもないし、宝箱みたいなものもないし……ん?)

 梨璃子は少し先の地面の上に何かが書いてあるのを発見し、釣られるようにそちらに歩みを進めた。紫蘭も梨璃子が移動したことに気づいたのか、その地面の落書きを囲むように立つ。

(これって……)

「なにこれ? ×マーク?」

「うん。多分、ここに五千エンが埋まってるんじゃないかしら?」

「……ほんと?」

「だって、これくらいしか怪しそうなものないし……他に地面の上に何かある訳でもないし」

「まあ、確かに……で、どうするの? まさか掘るとか言わないよね?」

「え? 掘るに決まってるわ」

 梨璃子が当たり前だと言わんばかりに即答すると、紫蘭は心底嫌そうに顔をしかめてみせた。

「あんたそれ本気で言ってんの? 五千エンくらいなくてもよくない? 大した金額じゃないし。今日は移動しただけで終わりにしようよ。初日だしさ」

「ダメよ!」

 完全に帰宅モードになっている紫蘭に梨璃子は被せ気味に反論すると、紫蘭の瞳が弾かれる様に大きく見開かれた。

「なんで?」

「だって、もしかしたら今後おかねが必要になるかもしれないし。でも、向こうからお金持ち込めるかわからないし、だとしたら貴重な資金じゃない? 貰えるものは貰っとかなきゃ」

「やるだけ無駄なのに」

「え?」

 紫蘭がぼそりと呟いた言葉は、梨璃子には届かなかった。不思議そうな瞳を向ける梨璃子に、紫蘭は小さく息を漏らした。

「……なんでもない。まあ、あんたはそう言うだろうと思ってたけど。じゃあ、頑張って」

「え?」

「俺に期待しないでって言ったよね?」

 紫蘭は呆れたようにそう言うと、梨璃子に向けひらひらと手を振ってくるりと踵を返した。梨璃子はさすがに少しも協力してくれないなどとは考えておらず、思わず紫蘭の背中をぽかんとし見送ってしまったが、すぐに小さく頭を振って地面の×印へと改めて向き直った。

(別に、手伝ってもらわなくてもできるし……穴なんて掘ったことないけど、まあ、なんとかなるでしょ)

 梨璃子は試しに靴の先で×印の書かれた周りの地面をつついてみた。赤茶の土自体はそれほど固くもなく、つま先で少し掘っただけでもすぐに表面の土は剥がれ、掘ること自体には問題はなさそうだった。

(問題は、どうやって掘るか、よね……)

 梨璃子はとりあえず先ほど支給された鞄の中をもう一度探ってみたが、スコップの様なピンポイントで穴掘りに適したものが入っているはずもなかった。

(使えそうなものは……あ。ナイフで木の枝切ってくれば、棒になる。確か、すっごく昔の人は棒で土を掘ったとかって、読んだ覚えが……)

 梨璃子は閃くが早いか、キョロキョロと辺りを伺った。視界の左端では紫蘭が木陰に寝そべって携帯端末をいじっている姿が目に入ったが、見なかったふりを決め込んで反対側の茂みへと足を向ける。緑に溢れた森は材料探しには文句がなく、梨璃子は自分の手に馴染みそうな枝をさっそく物色した。

「……これくらいの太さでいいかしら?」

 目ぼしい枝を見つけると、梨璃子は根本めがけて一気にナイフを振り下ろした。

「!」

(良かった。なんとかなりそう!)

 上手い事根本に刺さったナイフを駆使して梨璃子はその枝を切り落とすと、ついでに分かれた枝葉もその場で切り落とし、木の枝をあっという間に棒状にしてしまった。

(……先が平たい方が掬いやすいのかも?)

 梨璃子は出来上がった棒を少しの間眺めると、おもむろに先端にナイフを当て棒の半分をそぎ落とした。簡易的なヘラの様な形になったそれを梨璃子は満足気に見やると、×印へと戻る。

「よし。じゃあ、始めましょ」

 梨璃子はそう独り言を零すと、今用意した棒を真っ直ぐ土へと突き刺した。するとそれは抵抗なく地面へと埋まって行き、梨璃子はどうにかやれそうな状況にほっと胸をなでおろす。

(後は、こうやって……)

 埋めた棒をザクザクと動かし、梨璃子は黙々と掘り始めた。もちろんシャベルを使った作業とは違いやり難さと手間感はあったが、目的が達成できそうな雰囲気に満足感が胸に満ちた。

「うーん……中々出てこないなあ」

 直径20センチ程の穴を30センチ程の深さまで掘った所で、梨璃子は一度手を止め小さく息を吐いた。

(確かに穴は掘れないことはないけど、でも、物凄い奥にあったとしたら、この棒だけで掘り切れるのかしら?……でも、あの人は絶対に手伝わないだろうし……)

 梨璃子はちらりと視線を紫蘭へとやると、先ほどと変わらない姿勢で携帯端末をいじっていた。思わず溜息が零れる。

(きっと、こういう時に能力があると一瞬なのかしら?……ううん。別に能力でやらなくったって穴は掘れるし……でも、道具が揃ってないと正直やり辛いのは確かよね……でも、自分でやるって言った手前、手伝ってって言い難いし、お願いしたからって素直に手伝ってくれるとも思えないし……)

 梨璃子は右手に握る自作の棒と掘った穴を交互に見やると、うーん、と少し考えるように首を捻った。

(人間だって進化の過程で道具を発明してきたわけだし、使えるものがあるなら、それってやっぱり使うべきよね? それに……私には目的があるんだから、こんなことで躊躇してる暇なんてないしっ)

 梨璃子はもう一度穴に刺した棒に視線をやると、決心したようにきゅっとそれを握りしめた。抜いた棒を片手に持つと、真っ直ぐに紫蘭の下へと足を運ぶ。

「……なに? 終わったの?」

 梨璃子の来訪を終了の合図と取ったのか、紫蘭は大きく伸びをすると固まった体をほぐすように首や肩を回し始めた。梨璃子はそれに構うことなくぺたんと紫蘭の前に膝をつくと、紫蘭が不思議そうな視線を寄越す。

「……なに?」

「お願い。あなたの能力(ギフト)を貸して欲しいの」

 梨璃子はそういうと、地面に手をついて頭を下げた。紫蘭はその姿にぎょっと目を剥くと、はああ、と大きな溜息を吐いた。

「なに? いきなり。頭下げるとかやめて欲しいんだけど……俺に期待しないでって言ったよね? それに、あんたも期待してないんじゃなかったの」

「それはわかってるわ。でもこれは別に期待じゃないもの。だって、能力保持者(ギフテット)は息をするのと同じように能力(ギフト)が使えるんでしょ? 息をすることに期待なんてしないもの」

 梨璃子は地面に手をついたままの姿勢で顔だけ上げてそう言うと、紫蘭は呆れた様な視線を返した。

「……そういうの、屁理屈って言うんじゃないの。そういうの込みで俺に期待しないでって言ったんだけど……それにあんた、プライドないの? 自分でできるとか言っといてすぐに俺に頭下げるとか」

(それを言われると痛いんだけど……)

 梨璃子は図星を刺されて思わず口籠った。確かにエラそうに言ってしまった癖にすぐに人に頼ろうとしている自分はどうかと思わなくもないが、梨璃子は自分の目的を思い出して小さく頭を数回横に振る。

(ダメダメっ! 私には目的があるんだからっ。そんな小さなこと気にしないのっ!!)

「……今のこれに対しては無いわ。だって、あなたの能力(ギフト)があれば多分ここはすぐにクリアできるはずだから。だったら、私が意地張って一人で頑張るより、あなたにお願いする方がいいと思っただけよ。プライドなんてもちろんあるけど、でも、パートナーのあなたにお願いするだけのことに、私のプライドは傷つかないもの」

 梨璃子がそう言って真剣な眼差しを向けると、紫蘭は理解できないとでも言わんばかりに顔をしかめた。

「……あんたにとってこのゲームって何なの? あんたが王になれるわけでもないのに、嫌いなやつに頭下げてまでしてやりたいこと?」

 戸惑いが強い紫蘭の声に、梨璃子は不思議そうに首を傾げる。

「嫌いなやつ? 別に、私あなたのこと嫌ってないわ……確かに勝手に人の部屋に不法侵入しといて態度はデカいし、期待するなって言われてなんなの? って思いはしたけど」

「……サラっと悪口言ってない?」

 紫蘭がムっとした視線を梨璃子にやると、梨璃子は一瞬とぼける様に視線を明後日の方向へ外した。だが、すぐにまた紫蘭へと戻すと、小さく息を吐いた。

「……とにかく。別に嫌ってないし、私は今このタスクをクリアしたいから頭だって下げるわ。あなたの言う通り、期待するなって言った先からって思わなくもないけど、でも、言うだけならタダだし、だから今言ってみたの。でも、それでもやっぱり嫌だって言うなら仕方ないわ。だって、そういう約束だし。今のやり方で続けるだけだから、気にしないで」

 梨璃子を見つめたまま何かを考えるように動かなくなってしまった紫蘭を一瞥すると、梨璃子はもう一度小さく溜息を吐いて折っていた膝を戻して立ち上がった。

(やっぱり無理よね)

ジャージについた土を払い落としていると、紫蘭から大きな溜息が漏れた。

「…………俺はあんたの期待に応えられないと思う」

 少しふてくされたような紫蘭の声に梨璃子が顔を上げると、紫蘭は不機嫌そうな顔のまま右手で髪の毛をわしわしとかき混ぜた。梨璃子は一瞬がっかりしてしまったが、

「……うん。わかった。答えてくれてありがとう。じゃあ、続きやってくるわ」

と小さく微笑んでくるりと踵を返した。

(やっぱり一瞬でも期待するんじゃなかった……)

もしかしてあっという間に終わるのではないか? と期待してしまった気持ちが疲労に変わり梨璃子の肩にずしりとのしかかった。感じないようにしようとしていた疲れが倍になった気がしたが、それを振り払うように梨璃子は頭を振った。

「だから、そうじゃなくてっ!」

「え?」

 去りゆく梨璃子の背中に掛けられた意外な言葉に梨璃子が反射的に振り向くと、紫蘭が苦々しい顔をして梨璃子を見上げていた。

「あんたが今俺に期待した能力(ギフト)って、何?」

 予想もしていなかった質問に、梨璃子がきょとんとした瞳を返す。

「何って……」

「能力で穴掘って欲しいとか、そういうのでしょ?」

 先程から難しい表情を崩さない紫蘭が不思議だったが、梨璃子は素直に頷いた。それ以外のことも考えていたが、それが一番楽だなと思ったのは事実だ。その答えに、紫蘭は更に苦渋に満ちた表情をしてみせた。

(何?)

「……めんどくさいから最初に言っとくけど、俺、能力(ギフト)使えないから」

「え?」

 しばらく考えるように沈黙していたかと思うと、紫蘭の喉から絞り出された声に梨璃子は驚いて目を瞬いた。

「え? でも、だって、この前……」

(使ってたじゃない)

 梨璃子は自分の右腕に静かに視線を落とした。紫蘭の能力(ギフト)は確かに目の前で見たのだ。その証は、現に今でも取れずに梨璃子の右腕にはまっている。

(そこまでして協力したくないってこと?)

 紫蘭の言葉を拒絶の為の言い訳と捉えムッと眉根を寄せた梨璃子に構った様子もなく、紫蘭はまだ先を続ける。

「俺、あれしかできないから」

「え? どういうこと?」

 想像と違った話の行先に、梨璃子は戸惑いの声を上げる。紫蘭は表情を変えないまま真っ直ぐに梨璃子を見た。

「……あんたは知らないかもしれないけど、能力(ギフト)って開花したらほっといたって使えるわけじゃないんだよ。勉強と同じで、使い方って習得するもんなの。で、俺は一切そういうのやってないから、あんたが期待するような能力(ギフト)は使えない」

 紫蘭の意外な言葉に梨璃子は驚いた様にぱちぱちと瞬いた。

「そう、なんだ……」

能力(ギフト)って、開花したら一通りのことは勝手にできるんだと思ってたわ……)

 そんなことも知らなかった事実に、梨璃子は自分の境遇を改めて思い知らされた気がして密かに傷ついた。新しい事実を噛み締めるように梨璃子の口から言葉が漏れると、紫蘭は肯定するように頷いた。

「だから……」

「あ、でも、この前の金属は出せるってことよね?!」

「え?」

 梨璃子が声を弾ませてそう言うと、紫蘭の瞳がぱちりと瞬いた。梨璃子は立ち上がった膝を折りまた紫蘭に詰め寄ると、梨璃子の挙動に紫蘭が理解できないと言わんばかりに眉根を寄せた。

「それは拒否してないってこと? ねえ、だったら、あの金属って、板みたいにできる?」

「……多分、できるけど。何のために?」

 梨璃子の言わんとするところが理解できないのか不審気な目を向ける紫蘭に構うことなく、梨璃子は肯定の回答に希望を持って大きく頷いた。

「さっきの棒と組み合わせて、シャベルを作るの。そうしたら、さっきより随分楽に穴が掘れるようになるわ」

名案だと言わんばかりに一人で盛り上がる梨璃子に、紫蘭はまるで難解な数式を前にした時のような顔をしてみせた。

「……あんた、俺に能力(ギフト)で穴掘って欲しかったんじゃないの?」

「確かに、ちょっと疲れちゃったからそんなことできたら楽だなって一瞬思っちゃったけど、別にそんなことしてもらわなくても穴は掘れるもの。だから、金属板を出してくれたらさっきよりは随分マシになるわ」

「……あんな能力(ギフト)が、使えるって言ってんの?」

 紫蘭が呆れたようにそう言うと、梨璃子も呆れたように紫蘭を見返した。

「金属はガラクタじゃないわ。使えるに決まってるでしょ。この棒で掘るのと、シャベル作って掘るのと、どっちが楽だと思うの?」

「……そりゃあ、後者だと思うけど」

 梨璃子は、でしょ? と紫蘭を見る。

「あなたたち能力保持者(ギフテット)はなんでも能力(ギフト)でできちゃうから、能力(ギフト)でできないと思ったことは、もうできなくなっちゃうのね。でも、非能力保持者(ノンギフテット)は、常にそうだから。だから、今できることでどうにかする方法を考えるのよ」

「……」

「だから、もう一回お願いするわ。あなたの能力を貸してください」

 梨璃子は真剣な顔でそう言うと、もう一度紫蘭へ向け頭を下げた。紫蘭は何か考えていたのかしばらく沈黙が続いたが、大きな溜息と共に、だから頭上げて、と声が降ってきた。

「……わかった。やればいいんでしょ。なんかこれで断ったら俺が最低みたいな流れだし、金属板(あんなん)でいいなら、別に断るほど俺も心狭くないしね」

 上げた視線の先で、紫蘭はバツが悪そうにふいと視線を逸らした。だが、今言ったことは守るようで、ずっと手にしていた携帯端末をその辺に置くと、梨璃子に向き合うように胡坐をかいた。何も言わず紫蘭はそのまま両手を合わせると、梨璃子は視線をそこへ集中させた。

「……ねえ、そんなに見られるとやり辛いんだけど?」

「え? あ、ごめんなさい。でも、やっぱり凄いなって思って」

 紫蘭が両掌を合わせたまま非難するような視線を梨璃子へやると、梨璃子は一瞬だけ紫蘭へ視線をやり、またすぐに紫蘭の手の平へ視線を戻した。

「……凄い?」

 紫蘭は訝し気な瞳を梨璃子へ向けながらくっつけた手の平をゆっくりと左右へ開いた。すると、その開かれた空間に金属板が現れ、梨璃子は瑠璃色の瞳を大きく見開いた。自然と頬に笑みが浮かぶ。

「能力が?」

「うん。だって、何もない所から金属を生み出す能力(ギフト)なんて初めて見たもの。本当に凄いと思うわ……って、そんなに色んな能力(ギフト)を見たことがあるわけじゃないけど……」

 ただでさえ隔離された生活で能力から遠のいた生活を送っているのに、ましてや固有の能力(ギフト)持ちに会うことなとほとんどない為、実のところ梨璃子には紫蘭の能力(ギフト)が固有能力の中で稀有なものなのかどうかもわからなかった。

(やっぱり、能力(ギフト)っていいなあ……)

 だが、やはり純粋に凄いと思ってしまう。梨璃子が無意識に憧れの眼差しを向けていると、カラン、と今紫蘭が造りだした金属板が地面に落ちた。紫蘭はそれを拾い上げると、梨璃子へ差し出す。

「こんなものでも?」

 なぜか自嘲気味に笑った紫蘭に梨璃子は小首を傾げると、ええ、と素直に頷いた

「だって、今の私にはできないことだし、今の状況は間違いなく良くなるんだもの」

「……」

 梨璃子はそう言って笑みを浮かべてみせると、紫蘭から受け取った金属板を棒の先にあてがった。自分の予想通りに行きそうなことに嬉しそうに一度大きく頷く。

(大きさ的にはちょうどいいけど、このままじゃ……あ)

 梨璃子は鞄からナイフを取り出すと、先ほどとは逆の棒の先に振り下ろした。紫蘭はその姿に驚いたように目を瞠ったが、梨璃子は構わずに突き刺したナイフを地面に打ち付け、棒の先に少し亀裂を入れる。

(よし。後は、ここに金属板を挟んで……ロープでグルグル巻きにすればいけるかしら?)

 梨璃子はなんとか簡易シャベルのような物を作りだすと、今度は満足気に頷いた。梨璃子がそれを手に早速堀りに戻ろうと立ち上がると、

「ねえ、そういうの、どこで知るの?」

と、ふいに背中に紫蘭の声がかかった。梨璃子は手に持った簡易シャベルと紫蘭とを交互に見る。

「……どこって、両親に教えてもらったり、木で穴が掘れるっていうのはおばあちゃんの家にあった本で読んだことがあったの。うちは自分でできることはやってみる、っていう家風だったから、そういう風に考える癖がついてるのかもしれないわ」

「ふーん。じゃあまあ、後は頑張って」

 紫蘭はそれだけ言うと、先ほど投げ捨てた携帯端末をまた手に取った。梨璃子はその姿を尻目に先ほど掘った穴まで戻ると、今作ったばかりの簡易シャベルを早速穴へ突き立てる。

「! やっぱり全然やりやすいっ!」

 先ほどの苦労が嘘の様に何倍もの速さで掘り進められることに梨璃子は嬉しくなり、作業の速さにも拍車がかかった。

(……穴は掘れたけど、でも、全然それっぽいもの見えてこないんだけど……)

 倍は掘り進めたであろう頃、割と深くなった穴を覗き込みながら、梨璃子は小さく首を捻った。

「もしかしてあの×印はフェイクで、他に何かあったのかしら?」

 最初のマスからそんなにも意地悪なことをしてくるのであればこの先困ったことだな、と梨璃子は小さく息を吐くと、だが今更止めることもできず、また簡易シャベルを穴の中へと突き立てた。

「!」

 すると、ガツン、と簡易シャベルの先に何かが当たる音がして、梨璃子は急いで穴を覗き込んだ。目を凝らすと穴の奥の方に箱の蓋のようなものが見え、梨璃子はすぐにその周りの土を重点的に崩し始める。

「あった!」

 無意識に口から零れた言葉と同時に梨璃子は簡易シャベルを投げ捨て地面に膝を着いた。屈み込んで箱めがけて腕を伸ばしたが、なにげに深く掘られた穴の先に手が届かず、梨璃子は思い切って地面に寝そべって手を伸ばす。

(あと、ちょっとなんだけどっ……)

「んー……」

顔を地面につけてそちらに重心が行くようにして手を伸ばしても中々状況が打開できずに困っていた梨璃子の上に、ぬっと黒い影が差した。

(え?)

 不思議に思い梨璃子が視線だけそちらにやると、いつの間にかこちらに来ていた紫蘭が無表情でゆっくりと身を屈めた。

「ちょっとそこどいて」

「え?」

 紫蘭はそう言うと手で追い払う様な仕草をして梨璃子をどかせると、代わりに自分が地面に寝そべって穴の中へ手を伸ばした。

「……あ、これか」

 左手だけ穴の中に突っ込んだ状態で紫蘭はぽつりとそう零すと、よ、という掛け声と共に穴の中からいともたやすく小さな箱を取り出した。思わず正座をしてその様子を見守っていた梨璃子の手の中にぽんとその箱を渡すと、紫蘭もその場へ胡坐をかいて座った。

「ありがとう……でも、どうして?」

(期待するなって言ってたのに……)

「どうして、って、別に。これ以上時間かかったら朝になるし。さっさと帰りたいだけ。それより、中見た方がいいんじゃない? あんたが欲しがってたお金じゃないかもしれないよ」

「え? あ、確かに……」

 梨璃子は言われるがままに小さな木箱に手を掛けた。やっと掘り当てたお宝にわずかに生まれた緊張に、梨璃子はこくりと唾を飲み込む。鍵のかかっていないそれをゆっくりと開けると、中から一枚の紙切れが現れ、梨璃子はそれを空中で広げる。

「五千エン!」

 両手で掲げてその喜びを噛みしめていると、ふいに紫蘭の手が梨璃子の顔へ伸び、梨璃子は思わず体を反応させてそれを避けた。

「な、なにっ?」

「なにって、あんたさっき寝ころんだから顔に土ついてる」

「え?」

「……ほら」

 そう言って紫蘭の指先が梨璃子の頬を払うと、パラパラと茶色い粒子が風に乗って落ちて行った。梨璃子は咄嗟に視線を逸らし、地面へ還っていくその埃を追った。

「あ、ありがとう」

 思いがけない紫蘭の行動に一瞬心臓がどきりとしたような気がして、梨璃子は小さく頭を振った。誤魔化す為にジャージの裾で今紫苑に触られた場所を拭う。

(さすが王子様。こういうこと、サラっとできちゃうのね……)

 置かれている状況をいったん横に置いておくと、見目麗しい王子に触られた頬がなんとなく熱くなった気がして、梨璃子は更にジャージで擦った。

「……そんなに擦ると傷つくんじゃない? まあ俺の知ったことじゃないけど。ねえ、じゃあもう帰っていいよね? 五千エン見つけたってことは、タスク終わりでしょ?」

 紫蘭は自分のジャージについた土を払いながら立ち上がると、空に向け両手を伸ばし大きく伸びをした。梨璃子も釣られて立ち上がると、今度は何かを言われる前にとジャージの土を丁寧に払う。

「うん。たぶんこれで終わりだと思うけど……でも、そういえばどうやって帰るのかしら?」

「さあ? でも帰りたいって言ったら帰らせてくれるんじゃない?」

 紫蘭ががそう言うと、まるでどこかでそれを聞いていたかのように、空中から、

『ゲームから離脱しますか?』

という機械音声の様な声が聞こえた。

「便利―。うん。帰ります」

 紫蘭は空に向かってそう宣言すると、何かを考えるようにしばらくの間難しい顔をしてじっと自分の手を見つめていた。

(箱を取った時に傷でもできたのかしら? なんかそういうの気にしそうだし。さっきも顔擦ってたら傷つくとか言ってたし。そういえばカバンの中に救急セットがあったような気がするけど、もう帰るから必要ないかしら?……それにしても、また転移能力(ギフト)なのね……)

 梨璃子は様々な逡巡の後その事実を思い出すと、先程の感覚を思い出して思わず口元を手で覆った。酔うまではいかないとしても、あのバランスの崩れる何とも言えない感覚は、可能であれば避けたいものだった。

(でも、仕方ないのよね。願いを叶える為ならこれくらい我慢しなきゃ……ん?)

 梨璃子が弱気になった心を奮い立たせるように頭を振った時、視界の端に紫蘭の手の平が映り思わずそれを辿るように視線を上げた。その先で、なんとも言えない顔をした紫蘭の瞳とぶつかる。

「なに?」

「……苦手なんでしょ? 転移能力(ギフト)。途中で落ちられても困るし。適当に掴まって」

ほら早く、と紫蘭はぷらぷらと右手を振ると、さっさと掴まるように視線で催促をする。

「……ありがとう」

(……気づいてたのね。期待しないって約束なのにさっき頼んじゃったし、これくらいのことでもまた何か言われるかもって思って言わなかったけど……もしかして、歩み寄ろうとしてくれてるの?)

 梨璃子には紫蘭の行動の理由が分からなかったが、申し出は大層ありがたかったので言われる通り紫蘭のジャージの裾をぎゅっと握った。紫蘭は横目でそれを確認すると、

「ねえ。もういいよ」

と、また空に向かって話しかけた。二人の間に沈黙が落ちる。

(……なんか、そういうんじゃないってわかってても、男の人とこんなにくっついたことなんてないから、なんか恥ずかしくなってきたんだけどっ……ああ、嫌だけど早く転移能力(ギフト)で飛ばしてほしい……!!)

 梨璃子は妙に密着した状態に、場違いだとは分かりつつもソワソワとなんだか落ち着かない気分になった。だからと言って紫蘭の腕(命綱)を手放すことはできず、梨璃子は頭頂部に何やら視線を感じるような気がするが上を向けないままの態勢で今か今かと次の機会音声を待った。

「……ねえ、あんたなんでそんなに頑張るの?」

(え?)

 ふいに聞こえた紫蘭の呟きに梨璃子が反射的に視線を上げたと同時に、梨璃子達は転移能力(ギフト)の光に包まれた。その為、紫蘭がどういう表情で何を思ってそう言ったのかは、分からないままだった。


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