1-5
紫蘭は王宮の廊下をズカズカと無言のまま歩いていた。肩に乗っかっていたレンブラントを鬱陶しそうに手で払うと、着地と同時にレンブラントは人型へと姿を変える。
「……なんで猫になってんだよ」
「なんで、と言われましても、こちらが私の本来の姿ですので」
「へー。いつ人間辞めたんだよ」
紫蘭は不機嫌に顔を歪めてレンブラントを一瞥すると更に歩く足を速めた。レンブラントは小さく肩を竦めると、紫蘭のペースに合わせて一歩後ろを歩く。
「機嫌悪いですねえ」
レンブラントが他人事のように言って小さく息を吐くと、紫蘭は被せる様に大きな溜息を吐いてみせた。
「そりゃあそうだろ。おまえもあの場にいたんだからわかるだろ? なんで得体の知れないゲームにあんなに前向きに取り組もうとしてんの? 俺はこんなにもやりたくないのにっ。強制的にエントリーされてるだけで、参加する気はないんだって……まあ、別に俺に期待してないみたいだから、勝手にやってくれればいいけど」
「……」
紫蘭はもう一度大きく溜息を吐くと、右手でがしがしとイラついたように頭を掻きながら、それをぶつけるように、空いている手でだらしなくぶらさがったネクタイを乱暴に引き抜いた。
「大体さあ、朝の感じだと絶対にやりたくないって言うタイプだったのに、なんであっさり受け入れてんの? こっちはやる気なんて全然ないのに」
「それは聞き捨てならないなあ」
「?!」
聞こえてきたレンブラントではない男の声に、紫蘭は思わず足を止めて振り返った。声から予想できていたとは言え、紫蘭は視線の先に現れたその人物の姿に思わず苦虫を潰したような顔をすると、レンブラントは一歩引いて声の主に頭を下げた。
「蘇芳……と、ユリウス」
「やあ、紫蘭。順調かい?」
「こんばんは。紫蘭ちゃん、パートナーに会いに行って来たんですって?」
蘇芳とは対照的な白銀の髪を揺らしながら、蘇芳の使いであるユリウスが楽しそうにそう言った。喋り方は少し女っぽいが身長は紫蘭と変わらないれっきとした男であるユリウスは、どこか得体が知れなくて紫蘭は少し苦手だった。
「ほら、これ」
紫蘭は大きな溜息を一つ零すと、腕輪のはまった左腕をずいと蘇芳の目の前に差し出した。蘇芳とユリウスはきょとんとした瞳でそれを見る。
「これがどうかしたのか? 随分と不格好な腕輪だな」
「……見た目は関係ないだろ。ちゃんと罪人に渡してきたから、コレ。蘇芳が渡して来いって言ったんだろ」
「罪人候補生だよ。紫蘭」
「似たようなもんでしょ」
蘇芳が冷静に言い直すと、紫蘭はどうでも良さ気に小さく息を吐いた。蘇芳はもう一度視線を紫蘭の腕にはまる無骨な腕輪に落としユリウスと顔を見合わせると、真剣な表情で紫蘭を見た。
「おまえ、罪人候補生にもそう言ったのか?」
「え? なに?」
蘇芳の言葉が何を指しているのか理解していない様子の紫蘭にどことなく空気が悪くなった気がし紫蘭が訝し気に蘇芳を見ると、蘇芳は小さく息を吐いた。
「自分のパートナーにはもう少し気を遣え。その話題は本来センシティブなものだからな。特に当事者にとってはね……それで、その彼女にそんな不格好な腕輪を押し付けてきたのか? しかもおまえとお揃いの」
「……ねえ、なんで今朝からそんなに意地悪なことばっか言うんだよ? 俺が能力使うの苦手なの蘇芳知ってるじゃん。使ったのだって久しぶりだし、むしろちゃんとできただけで」
「褒めてくれって?」
紫蘭の言葉尻を取って蘇芳が鋭い視線を投げて寄こす。紫蘭は気圧されてうっと言葉に詰まる。
「確かに、今までの僕だったら、僕に言われたとはいえ自発的に能力を使ったなんてえらいなあよくやったなあ紫蘭、って言っただろうね。だから今おまえがそれを期待するのも責められないよ。全て愚かな過去の僕の過ちが引き起こした結果だからね。だけど僕はその過ちに気づいた。だからもう二度と同じ過ちは繰り返さないって決めたんだよ。僕は賢いからね」
蘇芳は芝居がかった調子でそう言うと、すっと間合いを詰め紫蘭の胸元に飛び込んできた。
「!」
下から覗き込むような琥珀の瞳が冷酷に睨みつけているように見え、紫蘭は思わず息を呑んだ。
「なあ紫蘭。今朝も言ったよな? もうそう言うのは終わりだって。能力保持者なんだから使えるのは当たり前なんだよ。それをどう使うか、それを考えろって言ってるんだ」
「そっ……」
(そんなの、今更言われたってわかるわけないだろっ)
「……」
言い訳のような泣き言は蘇芳の一睨みの前に言葉になる前に消滅してしまった。紫蘭は行き場のなくなった言葉の代わりに唇を噛むと、それを見た蘇芳がぱちぱちと琥珀の瞳を瞬かせ小さく息を吐いた。
「やっぱり僕は甘いなあ。おまえにそんな顔をさせたいわけじゃないんだよ、紫蘭。ちゃんとしろって言ってるんだけなんだ。でも、おまえをそうしちゃったのは僕の罪だもんな。兄として弟を可愛がってただけなんだけどなあ」
「……別にこれからもそれでいいじゃん」
紫蘭がぼそりと呟くと、今まで芝居じみていた蘇芳の表情がすっと真面目なものになった。責めるでも甘やかすでもなく、ただ真っ直ぐな瞳が紫蘭へ向く。
「駄目だよ。もうゲームは始まってしまったからね」
「……だから、そのゲームってなんなの?」
「ゲームはゲームだよ、紫蘭」
「……」
何の感情も含まないその声音に、紫蘭はこの話題にもうこれ以上先が望めないことを悟った。諦めたように大きく息を吐きだして右手で頭を掻くと、切り口を変える。
「……じゃあ、パートナー変えてよ。それくらいはいいでしょ?」
なぜかやる気に梨璃子の姿を思い出し紫蘭が辟易とした表情をしてみせると、蘇芳があっさりとこういった。
「無理だ」
「なんでっ?!」
「なんでって、ゲームが決めたことだからだ」
「……ゲームが?」
紫蘭が困惑気に顔を歪めると、蘇芳は大きく頷いてみせた。
「そう。このゲームは能力を持ってる。ゲームを開始した直後に現れたリスト通りにペアが組まれているんだ。変えることはできない」
「なにそれ。わけわかんないんだけど。それを信じろって言うの?」
紫蘭は納得いかな気に言葉を吐き出すと、レンブラントが小さく首を捻った。
「ですが、それだと少しおかしいような気がしますね。梨璃子様が、ああ、紫蘭のパートナーです、学校では自薦も受け付けると説明されたと」
「ああ、なんだ、知ってたのか。確かに今言った通り自薦も受け付けると案内を出したよ。ただ、プレイヤーは最初から決まっているけどね」
「……どういうこと?」
「紫蘭。おまえは少しは自分で考える事を覚えろよ。つまり、どれだけ応募してこようと、意味はないってことだよ。今言った通り、既に最初から参加者リストは完成してるからね」
「は? じゃあ、なんでそんな意味ないことすんの?」
「馬鹿だな紫蘭。意味ならあるよ。あくまでも彼らが自発的に参加したと思わせる為だ」
きっぱりと言い切った蘇芳の言葉に、紫蘭はぱちりと一つ瞬いた。
「は? どういうこと?」
「何でも一方的に押し付けられたら、誰だって嫌だと感じるだろ? それが例え王政府からの命令で逆らえないものだとしても、個人の感情にはしこりが残る。だが、自分から手を伸ばしたものであれば、その気持ちは薄くなる。だからだよ。それに、自薦せずとも指名があった場合は、上位機関から選ばれたのだという事実が、少なくとも優越感を抱かせる。少しすれば学園の中で多かれ少なかれ必ず噂になる。選ばれなかったことを嘆く者の隣で、選ばれた者は少なからず優越感を感じるだろうね。そうすれば、最初の警戒心が和らぐからさ。意味は十分にあるよ」
「ふーん。王様のやることじゃないね」
紫蘭がそう吐き捨てると、ユリウスが頬に手を当てて小首をかしげて見せた。
「あら。そんな言い方はないんじゃないかしら? これを好機だって考えた子も、少なくとも一人くらいはいるはずよ。もっと明るく考えなきゃダメよ」
「明るく、ね……少なくとも、俺は一方的に押し付けられて嫌でたまらないんだけど」
紫蘭が不満気にそう零すと、蘇芳はあからさまに馬鹿にしたような目で紫蘭を見る。
「この件に関して、王家に生まれたおまえに拒否権があると思ってるおまえの方が心配だよ、僕は」
蘇芳がわざとらしくはあ、と溜息を吐いて額を押さえると、紫蘭は唇を尖らせた。
「やりたくないって思うくらいは勝手だろっ! もう参加に関しては諦めたから別にいい。蘇芳に逆らえるなんて思ってないし。どうせ最初から適当にやって負けるつもりだし、そうじゃなくても……」
(たとえあの人が一人で頑張ったって、どうしようもないことはどうしようもないし。俺には関係ないもんね)
ふと先程の梨璃子の姿が脳裏を過ぎり、紫蘭はそれを振り払うように小さく頭を振った。蘇芳は目敏くそれを拾うと、不思議そうに首を傾げる。
「聞き捨てならない内容は優しさで聞かなかったことにしてやるとして、どうした? 何か思うところでもあるのか?」
(蘇芳って、俺の頭の中覗けるのかな? まさか……)
「やっぱりパートナーって変更できない?」
「無理だって言っただろ。レンブラントから可愛い子だったって聞いたけど、何が不満だ?」
「そういうのどうでもいいし……方向性の違いってやつだよ」
「おまえの言う方向性の違いは何となく想像できるが今は不問にしてやる。だったらおまえが自分で頼めばいいだろ?」
「やったけどダメだったらから頼んでるんだろっ!」
紫蘭が不満げに口を尖らせると、蘇芳はユリウスとちらりと目を見合わせて面白そうに笑った。
「……へえ。おまえの顔でお願いしても聞かない女性がいたのか。これは愉快だな」
「あらほんと。外見だけなら一番王子様なのにねえ、紫蘭ちゃん」
「……うるさいなあっ! 今そういうこと言ってなくないっ?!」
はあ、と紫蘭がもう一度大きな溜息を吐くと、蘇芳が小さく肩を竦めた。
「まあ冗談は置いとくとして。パートナーがやる気に溢れてるならちょうど良かったじゃないか。おまえ、命拾いしたな。相手に感謝しておけよ」
「命拾い? どういう意味?」
不穏な言葉に紫蘭が不思議そうな色を瞳に浮かべると、蘇芳の瞳が真剣な色を帯びる。
「言ってなかったけど、ゲームの途中でおまえたちは弟妹の誰かと出会って戦闘することになる」
「……はあっ?! 戦闘って、どういうことだよっ!」
(戦うなんて、そんなの、勝てるわけないじゃん)
突然蘇芳の口から飛び出した物騒な言葉に、紫蘭だけでなくレンブラントも目を瞠る。
「まあ、戦闘と言ってももちろん死にはしないよ。負けたらペナルティーがあるだけだ」
「ペナルティー?」
続けざまな嫌な響きの言葉に、紫蘭の眉間に皺が寄る。
「ああ。負けた者は勝った者に隷属する。敗者は勝者の言うことを聞かなければならないんだ」
「なっ……」
さらりと言われたえげつないルールに、紫蘭だけではなく先ほどから無言を通していたレンブラントも表情を曇らせる。だが蘇芳はそんな二人の様子に構う事なく続きを口にする。
「だから、負けたらおまえは二度と王宮でぷらぷらしているだけの生活に戻ることはできない。それは肝に銘じておけよ」
「なっ、んだよそれっ! 横暴だっ!!」
紫蘭が反射的に吠えると、蘇芳の目がすっと細められた。蘇芳は胸ポケットに差してあった銀色のペンを取ると、くるりと回して素早い動きでそれを紫蘭の喉元に突きつけた。
「!」
触れるか触れないかの場所でぴたりと止まったそれに、紫蘭は目を見開いて思わず喉を詰まらせた。
「横暴? 王が一番偉いんだ。それ以外が従うのは当たり前だろ? 嫌なら負けなければいい。それだけだ」
「それだけって……」
(今更、俺にどうしろって言うんだよ……)
紫蘭がすっかり黙り込んでしまうと、蘇芳は、まあ頑張れよ、と紫蘭の肩をぽんと叩いて、紫蘭の横をすり抜けて廊下の向こうへと歩いていってしまった。
「……なんだよそれ。自由に生きたいなら勝つしかないって、俺に王様になれって言ってんの?」
(そんなの無理に決まってるってわかってるくせに)
紫蘭は自分の兄姉弟妹の姿を脳裏に思い浮かべてみたが、表情が曇るばかりで良い方向には考えが動かなかった。
「……はーあ。なんだよ。これから奴隷生活が待ってるって言うのかよ。最悪」
紫蘭が眉間に皺を寄せてそう吐き捨てると、レンブラントがぴくりと表情を強張らせる。
「紫蘭?」
「なんだよ、その顔。まさかおまえ俺がこのゲームに勝てるとでも思ってるの? 冗談でしょ?」
(勝てるわけないに決まってる)
紫蘭は小馬鹿にしたような顔でレンブラントを見ると、レンブラントは咎めるような視線を返してきた。その姿に、紫蘭の神経が逆なでられる。
「あのさあ、おまえも蘇芳も、なんで俺に期待してるみたいな顔すんの?」
苛立ちを隠さない口調で紫蘭はレンブラントを真正面から捉えると、
「今更なんだよ」
と、忌々し気に吐き出して、先ほどと同じ足取りで自室へと歩いて行った。
(ずっと期待なんてしてなかったくせに)