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6-2

 がっちりと紫蘭の腕の中に固定されていたおかげか、いつも感じる独特の揺れのようなものを一切感じることなく、梨璃子は初めて気分を悪くせずにダイスで出た目の土地に降り立った。

(ここ、なんか今までと雰囲気が違う)

 今まではスタート地点の延長線上のような森の中ばかりだったが、今回降り立った場所は少し違っていた。未だ放してくれない紫蘭の肩越しに見える空は同じ青空だったが、さっきまであんなにも生い茂っていた木々の緑は少しも見えなかった。

「……」

「?」

 一瞬紫蘭が息を呑む音が聞こえ、その後それは大きな溜息に変わった。梨璃子は不思議に思い視線を戻すと、紫蘭は苦虫を潰した様な表情で前方を睨みつけていた。

(見えないけど、何があったのかしら?)

「あらあらあら~。なあにそんなにべったりくっついて。妬けちゃうわ~」

「?!」

(女の声っ?!)

 突然聞こえてきた女の声に梨璃子は声のする方へ振り向こうと反射的に紫蘭の体を押すと、もう力も入っていなかった腕はあっさりと解けた。急いで振り返るとそこには見たことのない女が立っており、梨璃子達へ向けにっこりと微笑んでいた。

「どうも~。第十一王女、鈴蘭・クジョウで~す。はじめまして、紫蘭お兄様のパートナーさん」

 鈴蘭と名乗った紫蘭の義妹は、そう言ってクセのある茶色のボブヘアーを揺らして笑った。

「え? 妹っ?」

 梨璃子は鈴蘭と紫蘭を交互に見ると、紫蘭が大きな溜息と共に数回頷いてみせた。

「あ~、今似てないなって思ったんでしょ~? 失礼ね~。ウチは女好きのお父様が色んなタイプの女に手を出して子供作ったんだから、似てなくて当然よ~。それに、紫蘭お兄様はその中でも一番の美人って言われてるんだから、そんなお兄様と比べられるなんて、泣けちゃうわ~」

 えーんえーん、と鈴蘭は泣き真似をしてみせた。

「…………なんていうか、個性的な妹さんね」

「気使わなくていいよ。俺も苦手だから」

 鈴蘭に聞こえないような声で梨璃子が紫蘭を仰ぎ見ると、紫蘭の顔には今言った通りの言葉が書かれていた。

「そう。あなたがシスコンじゃなくて良かったわ」

「おまえっ、今鈴蘭ちゃんの悪口言ったなっ?!」

「?!」

 梨璃子が紫蘭に同調するようにそう零した時、突然それを拾い上げた男の声が聞こえた。さっきそんな姿あったかしら? と梨璃子が声のした方へ視線をやると、鈴蘭の奥にある道から、黒髪小太りの男がドタドタと物凄い勢いでこちらへ向かい走ってきていた。

「ヤマダくん!」

「ヤマダ? て、うわっ」

 鈴蘭の甘ったるい声に梨璃子が近づいてくる小太りの男を凝視すると、それは隣のクラスの変わり者と有名な男だった。鈴蘭の声に迎えられヤマダはヘラヘラと相好を崩すと、整わない息に肩を上下させながら梨璃子を睨みつけた。

(本当に、私以外にも生徒がいるのね……)

 自分がゲームに参加しているのだから、他の罪人候補生(ギフテットワナビーズ)が参加していることは当然だったが、いざそれを自分の目で確かめることになると、梨璃子にとってそれは思っていたよりも衝撃だった。

「……」

「おいっ、おまえっ、今鈴蘭ちゃんの悪口言っただろっ!!」

「えっ……」

 ヤマダはビシっと梨璃子に向け指を指すと、興奮した口調でそう言い放った。その雰囲気に圧倒され梨璃子が言い淀むと、ヤマダは更に畳み掛ける。

「おまえみたいに学校に男を連れ込むだらしない女なんかと鈴蘭ちゃんは違うんだよっっ!! ボクは昨日見てたんだからなっ!!」

「だらしない、おんな……?」

 今迄生きてきて一度も形容されたことのない不名誉な呼び名に、梨璃子は大きく目を見開いて固まった。ヤマダが指すのは昨日学校で起きたあの騒動のことだろうが、正確に言うとあれは梨璃子が連れ込んだのではなく紫蘭が勝手に来たのだ。その事実が曲げられるとこんなにも不名誉な呼ばれ方をするのか、と梨璃子が受け止めきれずにいると、隣から紫蘭が大きな溜息が聞こえた。

「勝手に俺が押し掛けただけのスメラギさんがだらしないっていうなら、あんたの隣のその女なんてクズとしか言いようがないけど?」

「……ねえ、それは言い過ぎじゃない?」

 紫蘭の声にはっとして意識を戻した梨璃子が眉を顰めて紫蘭を見た。庇ってくれたのは嬉しいが、自分の義妹をクズ呼ばわりするのはいかがなものかと梨璃子がたしなめると、紫蘭は呆れた顔でクイと顎で二人を指した。

「じゃあ聞くけど、なんでおまえたち一緒に来なかったんだよ」

(あ。だから最初鈴蘭て子しかいなかったのか)

 梨璃子は状況に納得して二人を見返した。

「ええ~。だって、私だけ先に転移能力でここに来てたから~。ヤマダくんは、ダイエットの為に走ったのよね~。もうちょっとだけスリムになった方が、カッコ良くなるから~。たったの一コマだったし。ね?」

「さすが鈴蘭ちゃんっ!! いつだって僕の為を思って走らせてくれるなんて、なんて優しいんだっ!!」

 うふふ、と笑う鈴蘭にヤマダが今にも泣き出しそうな勢いで感謝を述べている姿に、梨璃子はドン引きして紫蘭に囁いた。

「……あれって、もしかして?」

「そう。あいつ酷い面食いなんだ。だから多分、あの男のことなんてその辺の石ころ以下としか思ってないし、少しでも一緒にいる時間短くしようとしてんだよ」

 紫蘭が辟易とした顔で鈴蘭を見返した時、その視線を受け止めて鈴蘭がにっこりと笑ってみせた。

「うふふ。お兄様、今日も顔だけは本当に美しくて眼福だわ~。さてと。もうこんな茶番はどうでもいいわよね~。じゃあ、そろそろ本題を始めましょうか~」

「本題?」

「……」

 梨璃子が不思議そうな声を上げると、紫蘭の表情が厳しくなった。

「スメラギさん。あのヤマダって奴、学校の成績良くないよね?」

「え? ええ。良く分かったわね。確か下の方で行ったり来たりしてるって聞いたことがあるわ。ちょっと変わってるから、有名なのよね」

「やっぱりね」

「?」

 紫蘭が自嘲したように口許に笑みを浮かべると、前方から鈴蘭の楽しそうな笑い声と、パチパチと手を叩く音が聞こえ梨璃子は視線だけそちらへ向けた。

「パチパチパチ~。正解~。だって、私、強いんですもの~。だ~か~ら」

 鈴蘭はそこで言葉を切ると、真っ赤な唇をにいっと笑わせた。

「さっさと戦いましょうか、お兄様」

(え?)

 鈴蘭がそう言ってパチリと手を合わせると、まるでその合図を待っていたかの様にゲームの声が介入した。

『候補者同士が同じマス目に止まりましたので、これより戦闘(バトル)に入ります。戦闘(バトル)では、特殊ダイスを使用します。ダイスを振るのは罪人候補生(ギフテットワナビーズ)、戦闘者は王位継承者での能力戦闘(ギフトバトル)となります。初回の戦闘(バトル)に限り、ライフポイントはこちらが提示する一律10ポイントとさせていただきます。どちらかのライフポイントが0になった時点で、戦闘(バトル)は終了です。また、戦闘(バトル)方法ですが、王位継承者が自身の行動を宣言、それに対しての可否判定を罪人候補生(ギフテットワナビーズ)がダイスで行う、とさせていただきます。何か質問はありますか?』

 機械的な女声が完結に告げたルール説明に、これより本当に戦闘を始めるのかという緊張感が梨璃子に走った。

(大丈夫、よね?) 

 梨璃子は緩やかに上がる心拍数を意識しないように一度大きく息を吸い込むと、ちらりと傍らに立つ紫蘭を仰ぎ見た。紫蘭はというと、何を考えているのか分からない厳しい表情で、じっと鈴蘭たちの方を見ていた。

「ありませ~ん。そちらもよろしかったかしら~?」

 鈴蘭はそう言うと耳に手を当ててこちらの音を拾うようなポーズをして見せると、梨璃子達が何も言わないのを肯定と捉え、

「あっちも大丈夫みたいです~」

 とゲームへ向かって返事をした。

『では、戦闘(バトル)を開始します。先行は、先に到着していた鈴蘭チーム』

「はいは~い。では、私はドラゴンの召喚を宣言しま~す」

「ドラゴンっ?!」

 甘ったるい声で告げられたえげつない内容に梨璃子が思わず紫蘭のジャージの裾を引っ張ると、紫蘭は少し焦りを滲ませた表情で鈴蘭を睨みつけていた。鈴蘭はその表情を受けて、更に楽しそうに笑った。

「あいつの能力(ギフト)、生物の召喚なんだよ」

「生物の召喚でドラゴンが呼べるのっ?! やっぱり、王族の人って凄いのね……」

「……」

(でもそんなの、どうすればいいのよっ……)

 梨璃子は何も頭に浮かばない焦りに唇を噛むと、反対側で鈴蘭が面白そうに笑った。

『では、紫蘭チーム。防御しますか?』

「え? 出来るの?」

『成功すれば、防御は可能です』

「じゃあ、しますっ! 防御」

「! スメラギさんっ?!……」

「とりあえず時間稼ぎして、それで、その間に何か考えましょっ!」

『では、第一ターン開始します。両者、ダイスを振ってください』

 ゲームの声が消えると、梨璃子とヤマダの前に青色のダイスが現れた。促されるままに両者がそれに触れると、ダイスは回転の速度を緩やかに落とした。

『両者成功』

「!」

「あはは~。でかしたわ~ヤマダっ!! 出でよっ、可愛い私のドラゴンちゃんっ!!」

 鈴蘭は天空に向け真っ直ぐに人差し指を伸ばすと、高らかにそう宣言した。

「! なに、あれっ……!!」

 するとみるみるうちに空が割れ、どこからともなく青い体をうねらせた大きなドラゴンが現れ、鈴蘭の頭上でバサバサと羽を広げた。今まで見たこともない非現実的な光景に、梨璃子は言葉を失ったまま、ぎゅっと紫蘭のジャージの裾を握った。

「……」

「じゃあ、しっかり避けてね~」

「?!」

(え?)

 ドラゴンの出現だけでもまだ頭の追いついていない梨璃子の視界に、ドラゴンの口がぱかっと開く姿が見えた。ひ、と生理的な呼吸を一つすると、大きく広げられた真っ赤な口の奥に別の赤色が映った。梨璃子はその感覚だけを知覚することはできたが恐怖に竦んだ足が動くはずもなく、その場に棒立ちしていると、突如、視界が白色に染まった。

「?!」

 ぎゅっと力強く抱きしめられた感覚にはっと梨璃子は意識を取り戻すと、梨璃子を庇うように身を挺した紫蘭の背中を避けるようにドラゴンから吐き出された炎が左右へと流れて行った。あち、と紫蘭が小さく声を漏らすと、その声の向こうにつまらなさそうな顔をした鈴蘭が見えた。

「……あーあ。またお気に入りがダメになっちゃった」

 紫蘭は背中に手を回しコゲた跡を確認すると、がっかりしたように肩を落とした。

「あら~。防御くらい出来るようになってたんですか~。つまらな~い。せっかく一発で丸コゲに出来ると思ってましたのに~。それとも、ヤマダの出目が悪かったのかしら~? こ~のクズがっ!!」

(えっ?)

 鈴蘭はそう言うが早いか、ミニスカートから覗く形の良い足を隣に立っていたヤマダの尻目がけ思い切り振りおろした。

「うわああああっっ!!」

 無防備なヤマダは鈴蘭の蹴りで前のめりに倒れると、何が起こったのか分からないという顔で地面に転んだまま鈴蘭を見上げていた。

「せっかく紫蘭お兄様を討ち取れるチャンスだったのに、おまえのせいで失敗したんだろっ?! ダイス振るしか出来ねーんだから、それくらいちゃんとやれよっっ!!」

 鈴蘭はオマケだと言わんばかりにヤマダの腹にもう一度蹴りを入れると、モロにそれを直撃でくらったヤマダは、白目を剥いて失神した。鈴蘭はその姿にちっと小さく舌打ちをすると、すぐに表情をくるりと入れ替えてまた梨璃子と紫蘭へと向き直った。

「……」

(なんなのこの子……)

 梨璃子は鈴蘭の豹変と狂気じみた行動に嫌悪に表情を歪めると、無意識に紫蘭のジャージの裾を引っ張ってこの状況の解説を求めた。

「鈴蘭は兄弟姉妹(きょうだい)の中でもかなり好戦的な上に短気で凶暴。さっき俺がクズだって言った意味、分かったでしょ?」

 紫蘭は呆れた様に溜息を吐くと、梨璃子は顔をしかめて小さく頷いた。

(それにきっとこの人、罪人候補生(ギフテットワナビーズ)のこと、好きじゃないのね)

 ダイスしか振れないくせに。自分のパートナーであるヤマダに対していった言葉が、梨璃子の脳裏に深く残った。あれはまるで、おまえ達は何もできないくせに、と非能力保持者(ノンギフテット)を差別しているように聞こえたのだ。

(こんな人が王様になったら、大惨事ね……)

 梨璃子は恐怖を振り払うように数回頭を振ると、強い意志をこめて前を見据えた。

「さ~あ、お兄様の番ですわよ~。どんな攻撃してくれるのかしら~。あれ? そもそも、お兄様の能力(ギフト)って、どんなのでしたっけ~?」

(……本当に性格悪いわね)

 クスクスと笑う鈴蘭の目は、本当は紫蘭の能力(ギフト)がどんなものか分かっていると告げていた。分かっていて馬鹿にしているのだ。

(なんで怒らないのよ。でも、何か手を考えないと……)

『では、第二ターンを開始します』

 梨璃子の考えが纏まらない内に、急かすようにゲームの声が降ってきた。梨璃子は妙案を思いつくことができないまま紫蘭を見ると、紫蘭は何の迷いもなくはっきりとした声でこう言った。

「棄権する」

「!」

「!! なんでっっ?!」

 梨璃子は誰よりも早く紫蘭の言葉に反応すると、勢いよく紫蘭に詰め寄った。

「ねえっ、なにいきなりそんなこと言い出してるのっ? え? ちょっと、意味わかんないんだけどっ?!」

 梨璃子が興奮気味に声を荒げると、紫蘭は一度宙を仰いで小さく息を吐いた。

「……スメラギさんこそ、さっきのアレ見たでしょ? あんなの勝てる訳ないって」

「それはっ……でもっ、考えれば何かあるかもしれないでしょ?!……」

 何も名案が浮かばずすぐに言葉にできない梨璃子を見ると、紫蘭は大きく首を横に数回振る。

「無理だよ。さっきは運が良かっただけ。次失敗したら、確実に無傷じゃすまないのはわかるよね? だったら、その前に棄権した方がいいんだよ」

「良いわけないでしょっ?! やる前からなんで勝てないって決めてるのっ?! ねえっ、私はそんなの納得できないわよっっ!! 今までだって考えてどうにかなったんだものっ、今回だってどうにかなるわよっ!!」

「それは……」

 紫蘭が口籠ると、それを鈴蘭が拾った。

「どうにもならないんじゃないかしら~? だって~、能力戦闘(ギフトバトル)になったら、頑張るなんて根性論、全く意味ないんですもの~」

「え?」

「鈴蘭っっ!!」

「あら。お兄様だってそれをわかってらっしゃるから、今ここで棄権しようとされたんでしょ~?」

「……」

 クスクスと笑う鈴蘭を横目に見ながら、梨璃子は紫蘭に向きなおった。

「紫蘭、どういうこと?」

「だ~か~ら~」

「あなたには聞いてないわよっっ!!」

 口を挟もうとした鈴蘭に梨璃子が一喝すると、鈴蘭は大袈裟に目を丸く見開いてみせた。

「やだ~、こわ~い。せっかくお兄様のなけなしのプライド女の前で守ってやろーってこっちが気ーつかってんだから、それぐらい聞けよっっ!!」

 梨璃子の態度に激昂したのか、鈴蘭の口調がまた荒くなった。

「なによ?」

「だから、固有能力(ギフト)なんて、生まれ持った才能なの。開花した後努力したってなんっも変わんないわけ。だから私は子供の頃からドラゴンを召喚できるし、お兄様は一生鉄くず出すしかできねーのっ!」

 鈴蘭はそこで一度切ると、あははははは、と下卑た笑い声を上げた。

「だからさ、棄権させてやれって。どう頑張ったって私の可愛いドラゴンちゃんは、鉄くずなんかでやられないもの~。お兄様のそのお綺麗な顔にグッチャグチャの傷をつけられないのは残念だけど、兄妹のよしみでそれはぐっと我慢しますから~」

 うふふ、と鈴蘭は口許に手を当てて笑ってみせた。梨璃子はその気持ち悪さに嫌悪に顔を歪める。

「……あなた、あんな事言われて、くやしくないの?」

「……別に。ほんとのことだし。あんなの聞き慣れてるから今更なにも思わないよ。だから早く棄権しよ」

「嫌よっ!!」

 梨璃子はキっと紫蘭を睨みつけた。

「嫌って……スメラギさんの言いたいことはわかるけど、嫌でもどうしようもできないことがあるってことはわかるでしょ」

「なんで? あんなこと言われて腹の立たないあなたにもムカつくし、全然納得できないっ! まだ何もしてないのに、なんで諦めるのっ?! 私は絶対嫌っ! 棄権なんて絶対しないわっ! 私はあなたのパートナーなんだから、意見を言う権利があるわよっ。そうでしょっ?!」

「……」

「それに、私の願いを叶えてくれるって言ったじゃないっ……あれ、嬉しかったのにっ」

「……」

 梨璃子はそう言うとジャージを捲って初日に紫蘭にはめられた腕輪を見せた。無言のままの紫蘭の無防備な腕にももちろん同じものがはまっており、鈴蘭は目敏くそれを見つけると、面白そうに口角を上げた。

「まあ~、可愛らしいっ! お揃いの腕輪なんてはめてるのね~。そりゃあ、そんなにご執心なら、お兄様も庇いたくなりますわよね~」

「庇う?」

 鈴蘭の言葉に、紫蘭の眉毛がぴくりと動いた。梨璃子が問うように視線を鈴蘭へとやると、鈴蘭はにたりと下卑た笑いを頬に浮かべる。

「私も蘇芳お兄様から聞きましたの~」

「鈴蘭っ!!」

 制止するように紫蘭が鈴蘭を睨みつけたが、鈴蘭は面白そうに笑うだけだった。そして鈴蘭はぴたりと浮かべていた笑みを引っ込めると、無表情の視線を梨璃子へと真っ直ぐに向ける。

「あなた、ここで負けたら、即罪人(ツミビト)よ」

「え?」

(どういうこと?)

 梨璃子は反射的に紫蘭を振り返ったが、紫蘭は怒りを含んだ目で鈴蘭を睨むばかりでこちらを見ようともしなかった。

「それがゲームのルールなの~。でも、棄権した場合、ペナルティはぜーんぶ王位継承者、すなわち、この場合、紫蘭お兄様が被って、あなたは無罪放免! てなれるのよ~。良かったわね~」

「え?」

「まあ、例えあなた達が罪人候補生(ギフテットワナビーズ)だと言っても、私達家族の問題に巻き込んだ責任はあるものね~。もし王位継承者がそれを望めば、許してもらえるみたいよ~。だから、お兄様はこの負け戦、あなたの為に棄権するって言ってるのよ。自分を犠牲にしてね」

「……なにそれ。本当?」

 鈴蘭の言っていること全てが信じられなくて、梨璃子は真実を問うべく紫蘭を真っ直ぐ見上げた。だが紫蘭は何も答えることはなく、じっと鈴蘭を睨みつけているだけだった。

「それにしても、あなた一体どんな手使ったわけ~? 今まで好き勝手に生きてきたお兄様が、他人の為に、しかも、罪人候補生(ギフテットワナビーズ)なんかの為に自分を犠牲にしようとするなんて! 凄すぎるわ~。ああ、さっきヤマダが言ってたわね。ふしだらな女だって! そういうこと?」

(え?)

 鈴蘭は下卑た笑みを浮かべたまま、ニヤニヤした顔で梨璃子を見た。梨璃子はその慣れない言いがかりに対処ができず、言われた言葉の意味を噛み砕けないまま呆然と鈴蘭を見るしかなかった。

「おい」

「あら~。怖い顔。冗談ですわ~、お兄様」

 紫蘭が怒気を込めた声で鈴蘭を睨みつけると、鈴蘭はわざとらしくシュンとした顔をしてみせた。だが次の瞬間、すぐにそれをこの世の楽しみをすべて込めたような笑顔に変えた。

「お兄様がどんな風に誑し込められてても、別にどうでもいいですわ~。だって、棄権したら

 私の奴隷になるんですものね~? お兄様っ!」

「奴隷っ?!」

 耳を疑う言葉に梨璃子が大声を上げると、鈴蘭が楽しそうにクスクスと笑った。

「そうよ~。王様になる人以外は皆、敗者は勝者の下につかなきゃいけないの~。でもそれって、当然よね~? だって王様が一番偉いんですもの! その地位に近い者の下に遠い者がつくのは当然だもの~。しかも! お兄様はあなたのペナルティも被って罪人(ツミビト)になっちゃうの! でも、お兄様の能力なんてクズみたいなもんだから、それは別に、ペナルティにもならないわよね~? つまらない~。でも、私、お兄様のそのお顔さえそのままでしたら、別に構いませんわ~」

罪人(ツミビト)? あなたが? どういうこと?」

 あははははは、と高笑いする鈴蘭を無視して、梨璃子は今聞いた信じられない事実を突きつけるように紫蘭を見た。紫蘭は視線を逸らしたまま梨璃子の方を見ようともせず、ただ真っ直ぐ鈴蘭の方を見ていた。

「あなたを罪人(ツミビト)にしない為に蘇芳お兄様にお願いしたんですって~。おまえ、ほんとどうやっておとしたんだよ?」

「……」

 鈴蘭が真顔になって梨璃子にそう吐き捨てた。その瞳には憎悪のようなものが浮かんでおり、隠すことなくそれを梨璃子へ向けている。

(口ではなんとでもいえるけど、そりゃあ自分の兄を罪人(ツミビト)になんかしたくないわよね。しかも王子様だし)

 だか梨璃子は鈴蘭なんかに構っている暇はなかった。先程からずっと無視をし続ける紫蘭の視界に入るように、鈴蘭との間に割り込むように紫蘭の前に体を滑り込ませる。

「ねえ、私があんなことあなたに話したから? だからそんなくだらない取引をしたの?」

 梨璃子は紫蘭の紫紺の瞳を真っ直ぐに見つめた。紫蘭はしばらくの間沈黙のままじっと梨璃子を見返していたが、引く様子がないと観念したのか、小さく息を吐いて口を開いた。

「確かに、あんたに話を聞いたから蘇芳にそう言ったけど、別に、おれは能力(ギフト)にこだわってないからそんなに大したことじゃないのに、鈴蘭が大袈裟に言ってるだけだから」

「それは、あなたが罪人(ツミビト)として生きることがどんなのか知らないからよ」

「知らないけど、でも、スメラギさんだって、使えない能力(ギフト)持って生きることがどんなのか知らないじゃん」

「知らないわ」

「ほら、」

「だって、私あなたの能力(ギフト)を使えないなんて思ったこと、一度もないもの」

「……」

 梨璃子がきっぱりと言い切ると、紫蘭ははっと紫紺の瞳を大きく見開いた。

「絶対棄権なんてしないわ」

「あらあら~、喧嘩かしら~? まあ、結果はどっちでも同じだから、私はどっちでもいいけど~?」

 鈴蘭が背中でそうクスクスと笑っていたが、梨璃子は無視した。

「私の能力(ギフト)を、勝手に使わないなんてことにさせないわ」

「私の能力(ギフト)~? 何言ってるの? あなた非能力保持者(ノンギフテット)のくせに~」

 梨璃子は無視して続ける。

「あなたが言い出したことよ。私があなたの能力(ギフト)を使って勝ってみせる。だから絶対に棄権なんてさせないっ!」

「……何も考えてないんでしょ。だったら、少しでも傷つく前に諦めた方がいいって」

 興奮した梨璃子とは対照的に、紫蘭は冷静な声でそう言った。その声に、梨璃子の眉がぴくりと動く。

「諦める? なんでまだ何もしてないのに諦めなきゃいけないの? ほら、早くあなたの能力(ギフト)を使ってよ。紫蘭」

 梨璃子が真っ直ぐに紫蘭を見て名前を呼ぶと、紫蘭は驚いたように目を丸くし、すぐに苦笑した。

「ズルいよね。こういう時だけ名前呼ぶんだもん」

 紫蘭は小さく肩を竦めると、左手でガシガシと頭を掻いて空を見上げた。

「さっきのやっぱり無しで」

「あら。じゃあ攻撃してくるのね!」

 鈴蘭がそう言って楽しそうに手を合わせると、次の瞬間、

「ほら、ヤマダ起きろよっ!」

 と、地面に転がっていたヤマダにまた蹴りを入れたので、梨璃子は嫌悪に顔を歪めた。

「起きねーな? まあいいや。どうせこいつ死んでるし、こっちは一回休みでいいわ~」

 馬鹿にしきった鈴蘭の声が遠くで聞こえた。

(ムカついたから勢いで言っちゃったけど、確かにどうやったら勝てるのかしら? 考えなきゃ……この前って、どうやってスラッグルを倒したんだっけ? たしか……)

『ボクのこと、呼んだかな?』

「え?」

 男の声を認識した瞬間、ふっと辺りが暗闇に包まれた。

(そうだ。思い出したわ。前も、こんな風だったわ)

『また会ったね、スメラギさん』

 相変わらず病的に色の白い肌の男は、そう言って梨璃子の真正面の位置でにっこりと笑ってみせた。梨璃子は男の何とも言えない不気味さに一瞬怯んだが、むしろ好都合だと、気を取り直して男に向き直った。

「力を貸してほしいの」

 単刀直入にそう言うと、長い前髪の向こう側でパチパチと紅い瞳を瞬いた。

『気に入ってくれたのかい? だとしたらボクも嬉しいな。ボクも気に入っているからね』

「気に入ったっていうか、正直どんなものかよく覚えてないからわからないわ。でも、今あの力がないと勝てないことはわかってるわ。だから、力を貸してください」

 梨璃子がそう言って真っ直ぐ男に頭を下げると、男はその姿をじっと見つめていた。

『いいよ』

「ほんとっ?!」

 男があっさりと承諾を示すと、梨璃子は飛び上がるように顔を上げた。

『だけど、まだあげられはしないかな? 渡す相手がキミなのかは、まだわからないからね。ボクも慎重にならざらぬをえないことだってあるんだ』

「それって、どういうこと? やっぱり力は、貸してもらえないの?」

 肩を竦めた男を、梨璃子が不安そうに覗き込む。男はそんな梨璃子に不思議そうな目を向ける。

『貸してあげるよ。ただし、一時的にね』

「一時的でもなんでもいいわっ! ありがとうっ!!」

『そう。話が早くて助かるね。じゃあ早速、対価を払ってもらおうかな』

「え? 対価?」

 男の口から飛び出した予想もしていなかった言葉に、梨璃子がぱちりと大きな瞳を瞬いた。男が呆れたように口を開く。

『まさかキミ、タダでチカラが貸してもらえると思ってたの? 罪には罰を。基本じゃないか』

(罪? 罰? そうなのかしら?)

 男の最後の台詞はいまいち良くわからなかったが、確かに無償で手伝ってもらおうと思い込んでいた図々しさに梨璃子は少しだけ恥ずかしくなり口をすぼめた。

「じゃあ、どうすればいいの?」

 今の自分にそれ以外の選択肢などあるはずもないので、梨璃子は迷わずそう問う。男は梨璃子のその言葉に、楽しそうに笑った。

『さすが迷いがないね。やはりキミは一番近い所にいるのかな? ボクの勘が外れてないといいんだけど』

 男はそこで一度言葉を切ると、紅い瞳が真正面から梨璃子を捉える。

『じゃあ、キミの能力(ギフト)開花をボクにちょうだい』

「え?」

(どういうこと?)

 想像もしていなかった申し入れに梨璃子は思わず固まってしまった。梨璃子の境遇を知っていてからかっているのだろうか? と思ったが、男の態度からは微塵もそんなものは感じなかった。

(もし、ここで頷いたら、もう、二度と能力(ギフト)が開花する可能性もなくなるってこと?)

「……」

 その考えに思い至ると、事の重大きさに即決することができず、梨璃子は掌にじわりと汗をかくのを感じた。しばらく沈黙が続くと、男が飽きたように口を開いた。

『さっきまでの勢いはどこに行ったのかな? 確かにキミの能力(ギフト)の可能性はなくなるけど、でも、キミがこのチラカを使ってゲームに勝てばいいだけだよ。そんなに難しいことじゃないんじゃないかな?』

「それは、そうかもしれないけどっ……でもっ……」

『キミがそうやって悩んでいるうちに、負けちゃうよ?』

「!!……でも、それは、まだ……他のものだったら、なんでもあげるからっ!!」

 梨璃子は懇願するように両手で男の白い手を掴むと、腕の根本につけていた腕輪が手首まで落ちてきた。男の紅い瞳がる釣られるようにそれを追った。

『これは何?』

「え? これって、腕輪のこと? これは、紫蘭が作った腕輪よ」

『へえ、王子様が作ったんだ。さしずめこれはキミと王子様のキズナってところかな?』

 男の声がなぜか楽しそうに弾んだ。梨璃子は訳が分からず訝し気に見る。

「そう言ったら、そうなるのかしら?」

(絆っていうより、証って言ってたけど)

 実際はその言葉ほどのものはなかったが、男は梨璃子の返答に満足げに頷いた。

『ボクも持っていたよ』

(腕輪を?)

 男は腕輪をまじまじと見ると綺麗に笑ってみせ、うん、と小さく頷いた。

『これでいいよ。今日はこれでいい。この腕輪をくれるなら、チカラを貸してあげるよ』

「この腕輪を?」

 男が頷く。

「……」

(能力の開花に比べたら随分簡単になったけど、でも、これってあげちゃっていいものなのかしら?)

 紫蘭は確か証だと言っていたはずだ。失くしてしまったらパートナー解除とかになってしまわないだろうか? と梨璃子が悩んでいると、

『キミの王子様はそこにいるんだから、また貰えばいいじゃないか』

と突き放すようにそう言った。そして男はすぐに梨璃子の手を取ると、

『だからこれはボクにちょうだい?』

「!」

と、腕輪に唇を寄せた。

「……わかったわ」

(あとで謝ればいいか)

 男から感じた得体の知れない不気味さに梨璃子が承諾を示し頷くと、その瞬間。ふっと男の気配が消えた。それに呼応するように辺りの暗闇も増したようで、梨璃子は突然の変貌にハっと息を呑む。

『交渉成立だね。じゃあ、行ってらっしゃい』

「!!」

 背後の物凄く近いところに男の気配を感じると、その身の毛もよだつほどの悪寒に梨璃子は声にならない悲鳴を胸中で上げた。

「いやあああああああああああああああっ!!!!!!」

 次の瞬間、空気をつんざくような悲鳴で梨璃子ははっと我に返った。まさか自分で上げた悲鳴か? と梨璃子が自身の顔をべたべたと触りながら確認をしていると、

「スメラギさん、今、なにしたの?」

 と、強張った紫蘭の声が聞こえて釣られるように視線を上げた。

「え? 今って?」

 状況が理解できず梨璃子が困惑に瞳を揺らすと、その梨璃子の態度に困惑気な紫蘭が、ついと視線で前方を指した。

「!!」

(なにあれ。誰がやったの?)

 視線の先で、先ほどまで優雅に空中に浮かんでいた青色のドラゴンが、無様にも地面にあおむけに倒れていた。見ると無数の槍状のものにその比翼を縫い留められ、かろうじて死んではいなさそうであったが、もうゲームを続けることは不可能に見えた。

(もしかして、これって……?!)

 男が言っていた力だろうか? と梨璃子は自分のやったことが恐ろしく足がすくんでよろめいてしまった。崩れ落ちる前に支えられた腕を辿るように紫蘭を振り返ると、紫蘭は複雑な表情で梨璃子を見ていた。

「ねえ、スメラギさん。『加工(コーティング)』って、なに?」

「え?」

加工(コーティング)?)

 紫蘭の口から告げられた謎の言葉に梨璃子が困惑気に首を傾げたその時、

『勝者は、紫蘭、梨璃子・スメラギチーム』

 と、空から結果を告げる無機質なゲームの声が降ってきた。


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