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16/22

5-1

 一昨日紫蘭と気まずく別れた後、梨璃子はずっと自分の部屋に籠って週末を過ごした。普段からあまり休日に外出をする方ではなかった為さほど違いはなかったが、たっぷりと時間があった割には中々眠れず、梨璃子はまた寝不足で朝を迎えていた。無駄に早く目が覚めてしまった為手持無沙汰に寮を早めに出て学園へ向かうと、何やらザワザワとした雰囲気が梨璃子の周りを取り囲んでいた。

(なんか、視線を感じる気がするんだけど……)

 いつもと違う時間帯に登校したせいだろうか? と廊下を歩きながら梨璃子は小首を傾げると、ちらりと周囲へ視線を巡らせた。梨璃子が視線を向けるとすぐに逸らされるそれに違和感を覚えつつ、ヒソヒソと何事かを囁く声を気にしつつも梨璃子は自分の教室へと向かった。

(あ)

「おはよう」

 教室へ入る手前で梓の姿を見つけ、梨璃子は後ろからそう声を掛けた。梓は笑顔で振り向いたが、その声の主が梨璃子だと分かると、あからさまに気まずそうな顔をしたので、梨璃子はその態度に違和感を覚える。

「梓?」

(なに?)

 梨璃子は梓の態度に不安気に顔を覗きこむと、視線の先に別の影が近づいてきたことに気づき、釣られるように顔を上げた。

「おはよう、スメラギさん」

「おはよう。えーっと……」

(誰だっけ?)

 金色の髪を綺麗に巻き、朝からどれだけ時間を掛けたんだろうか? と思わせるほど完璧に化粧を施した、全てのパーツが大きな派手な女生徒が立っていた。これだけの存在感を現しているにも拘らず梨璃子の中に彼女の名前が浮かばず曖昧に言葉を濁していると、

「圭子・ニタニよ」

 と女生徒は自ら自己紹介をした。

「ああ、ニタニさん。それで、私に何か用?」

(何か、少し変じゃない?)

 ニタニの登場に、周囲の空気も変わったような気がして梨璃子は辺りに目を配った。先程までは個々にざわざわと話していたような気がしたが、今はいつのまにか梨璃子達を囲むように人垣が出来つつあった。その上、なぜか皆ニタニに関してある種の期待を込めたような視線を送っているのが気になった。

(私、何かしたかしら?)

 梨璃子は思い当たる節を胸に手を当てて聞いてみたが、特に何も思い浮かばなかった。

「ええ、聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと?」

 鸚鵡返しで梨璃子が返すと、ニタニは大きく頷いた。

「スメラギさん、あなたこの休日、何をしていたの?」

「え?」

 思いもよらぬ質問に梨璃子は反射的に疑問の声を漏らした。別に答えることに抵抗はないが、ニタニがその言葉を発した瞬間周囲のざわめきが止んだことが気になった。

「何って、少しだけ王宮都市に行って、あとはずっと部屋にいたわ」

 出かけていない、と嘘を吐くこともできたが、あまり嘘が得意でない為ボロが出そうなのでやめておいた。何となく言わんとすることは分かったが、面倒なのでできれば避けて通りたいなというのが梨璃子の本音だ。

「それって、誰と?」

(やっぱり)

 大方予想通りの質問に、梨璃子は小さく息を吐いた。

(これは何の尋問なの?)

 ゲーム参加者のあぶり出しなのだろうか? と梨璃子はこの意図の分からぬ行為に眉根を寄せた。

「誰って、それをあなたに言う必要があるの?」

 少し挑戦的にも響いた梨璃子の言葉に、ニタニはぴくりと頬をひくつかせた。

「そう。あなたが言わないならこちらから聞くわ。あなた、紫蘭様とカフェにいたんですって?」

「……」

(知ってるならわざわざ聞く必要ないじゃない)

 急に核心をついてきたニタニの言葉に、梨璃子は思わず黙ってしまった。ゲームを不利に進めない為にも自分から情報を出したくはなかったが、この言い方は確信を持っての言葉だろう。

(あの日、誰かが王宮都市にいたってことね。確かに目立ってたもんね)

 カフェでの様子を思い出し梨璃子が小さく溜息を吐くと、周囲で見ていたギャラリーの中でそれを目ざとく見つけた者がいたようで、またザワザワと空気が揺れた。

(どうせバレてるなら、長引かせる必要はないわね)

「知ってるなら、聞く必要ないのに」

「……なにそれ。開き直り? そんなに自分が選ばれたことを自慢したいの?」

「え?」

(自慢?)

 思いもよらぬ方向へ発展した会話に、梨璃子は思わず目を丸くした。あのゲームに参加していることを隠しはしても、自慢しようなどと思ってもみなかったからだ。梨璃子が反応に戸惑っていると、ニタニが畳みかけるように口を開いた。

「あなた、どうやって紫蘭様のパートナーになったの? 成績が優秀だと、何かコネが使えるのかしら?」

(? 何言ってるの? 相手を選んでパートナーになったわけじゃないんだけど?)

 梨璃子がニタニの言わんとするところの意味を捉えあぐねていると、周囲でまたコソコソと話し始める声が聞こえた。

「どんな手を使ったんだ? 先生たちに賄賂でも送ったのか?」

「そこまでして王族の方に近づきたいのかしら?」

「ええ? 協力するんじゃなくて、もしかして玉の輿狙い?!」

「……」

 聞こえてくる会話の内容が梨璃子の思いもよらぬ方向へ進んでいたことに、梨璃子は正直呆れてしまった。盛大に溜息でも吐きたいところだったが、そんなことをしようものならまた周囲からどんな声が上がるのかと想像し、梨璃子はそれを飲み込む。

(この人たちよっぽど暇なのね。選ばれてないんだったら、もっと他に考えなきゃいけないことがあるんじゃないの?)

「別に紫蘭と一緒にいたことは否定しないけど。でも、それがあなた達に何の関係があるの?」

 大人げないとは思ったが、一方的に勝手なことを言われていることにムカついたので、梨璃子は本人に向けて一度も呼んだことのない名前をあえて呼び捨てで口にすると、周囲にまたざわめきが起こった。煽られたと分かったのかニタニは明らかに不機嫌そうに表情を歪めると、

「なにそれ? 呼び捨てするほど仲良いんですってアピール? ほんとあなたって凄いわよね。そんなの興味ありません、て優等生面してたくせに、そういうとこちゃっかりしてるんだから」

 と、侮蔑を含んだ笑顔で梨璃子を見た。

「……ちゃっかり?」

(だからさっきから何言ってるの? この人)

 先程から何となく噛み合わないと思っていた会話がまたズレた気がして、梨璃子はその奇妙なズレに眉根を寄せる。

(優等生面してたって思ってたんなら、試験に恩賞があるかもって言われたら参加しようって思うのなんて普通じゃない? それをちゃっかりって、何?)

「私は全然興味ありませんって顔してたくせに、いつの間にか試験のパートナーの座に収まってるとか、ちゃっかり意外の何があるの? 大方、自分でエントリーしたんでしょ? それで紫蘭様のパートナーとか、もしかして本当に玉の輿でも狙ってるの?」

「え?」

(だからなんでゲームのパートナーが玉の輿に繋がるの?)

 この人も梓と同じ思考タイプの人間なのか、と梨璃子は今この場において一番面倒な相手だな、と胸中でげんなりした。

(そんな浮ついた気持ちで参加してないし、できるもんじゃないわよ)

「そんな浮ついた気持ちで参加してるんだったら、私の方がよっぽど適任だわっ」

「……」

 梨璃子が胸中で吐き捨てた台詞にシンクロしたニタニの声に、梨璃子は思わず視線を上げた。下卑た笑顔を浮かべた勘違いも甚だしいニタニの一方的な主張に、梨璃子は呆れを通り越して憐れみを感じてくる。

(どっちが浮ついてて下心にまみれてるのよ)

 大方梓が見せてくれた名鑑で紫蘭の姿を見て近づきたいと思ったのだろう、と梨璃子は色々な意味で小さく溜息を吐くと、ニタニが更に表情を険しくした。

(確かに、見た目は一番王子様って感じだもんね)

 紫蘭は確かに見た目だけなら物語に出てくる憧れの王子様だった。

(実際パートナーになったら、この人同じこと言えるのかしら?)

「ねえ、早く代わるって言いなさいよ」

(……ていうか、だとしても、なんで私がこんなこと言われなきゃいけないの? だったら自分だってエントリーすれば良かっただけじゃない)

 梨璃子が辟易としてどうやってこの場をさっさと切り上げようかと考えを巡らせていると、周囲がまたザワザワと騒がしくなったような気がした。どこか緊張を含んだその空気に梨璃子が不思議そうに小首を傾げると、背中に人の気配を感じる。

「そんなに言うなら、別に代わってもいいけど」

(え? この声……)

 上から降ってきた聞き覚えのある声に梨璃子が反射的に振り向くと、そこにはなぜか制服姿の紫蘭がいた。

(なんでウチの制服着てるの?……)

 梨璃子が紫蘭の制服に怪訝そうに眉を顰めると、王子である紫蘭の突然の登場に周囲がその存在に委縮したような静まりを見せていた。紫蘭は唖然としている梨璃子を一瞥すると、すぐにニタニへと視線をやった。

「え? 本当ですかっ?!」

 そんな中、さすがというかなんというか、ニタニは紫蘭の出現に気圧されるどころか、元気に満ち溢れた声を上げた。先ほど梨璃子に見せていた表情とは比べ物にならないような、キラキラと瞳を輝かせたニタニの変貌ぶりに梨璃子は目を見開いて驚く。周りの生徒たちもニタニの態度に緊張が弱まったのか、先ほどの勢いを取り戻し紫蘭の言葉を拾ってまたヒソヒソと囁き出した。

「やっぱり紫蘭様もスメラギさんじゃない方がいいってこと?」

「なんだ、そーゆーこと」

「代わっていいとか言われてるし」

(……)

 先程の紫蘭の言葉はスルーしてしまっていたが、口さがない悪口に梨璃子は思わず耳を傾けた。簡単に代われるものではなさそうだとは思っているが、それでも、この前気まずいまま別れてしまったこともあり、紫蘭がどのような気持ちで今の発言をしたのか、今の梨璃子に分かるはずがなかった。梨璃子は不安気な表情で紫蘭を見上げる。

(もしかして、本気でそう思ってるの?)

 やはり本心を話すべきじゃなかったのか、と感情的になって全てを話してしまったことを今更梨璃子が後悔していると、紫蘭の明るい声が響く。

「いいよ、別に代わっても。じゃあ、あんた、俺の為に何してくれるの?」

「え?」

 梨璃子が今までに見たこともない笑顔をニコニコと惜しげもなく振りまく紫蘭に、ニタニだけでなくその場にいる者全員が紫蘭に釘付けになっていた。梨璃子ですら、その王子様然とした姿には今の複雑な気持ちは置いておいて一瞬目を奪われる。その場にいる誰もが今紫蘭が言ったことなど覚えてもいないようなその雰囲気に、紫蘭が笑顔を絶やさぬまま不満気に口を開いた。

「ねえ、だから何してくれるの?」

「え? あ、なんでもしますっ!! 紫蘭様の為ならっ!!」

 笑顔を崩さぬまま、だが雰囲気はまるで尋問するかのような紫蘭の質問に、ニタニは待ってましたとばかりに勢いよくそう答えた。紫蘭はその様子に一度驚いたようにその紫紺の瞳を瞬かせたが、すぐにまたその頬に笑顔を浮かべる。

「そう。なんでもしてくれるんだ」

「もちろんですっ!! 紫蘭様が望むのならっ!!」

 紫蘭に真正面から見つめられ、ニタニは熱に浮かされたように惚けた顔をして胸の前で両手を組んだ。紫蘭はその様子に笑顔のまま頷くと、

「じゃあ、全身スラッグルの体液まみれになってくれるんだ」

 とニタニに向かってとても綺麗に笑ってみせた。

(え?)

「……え?」

 紫蘭の発言とその綺麗な笑顔のギャップに、ニタニだけでなくその場にいる者全員が戸惑いを顔に浮かべた。もしかして聞き間違いだっただろうか? とさすがのニタニも言葉を継げずにいる中、紫蘭が構わず口を開く。

「なんであんたたちそんなにあんなゲームに参加したいのかわかんないけど、俺基本的に何もしないからね。それでもいいんだ?」

 パートナーに立候補したニタニに向け紫蘭は問うようにそう言うと、ニタニははっと意識を取り戻して紫蘭を見ると、ぶんぶんと頭を縦に振って頷く。

「もちろんですっ!! 紫蘭様がやれと言うなら、なんだってやりますっ!!」

 ニタニはまた元気を取り戻したようにそう声を張ると、ちらりと優越感に浸ったような視線を梨璃子に投げてきた。

(え? まさか、本当に交代させられるの?)

 梨璃子が思わず胸中に浮かんだ不安に紫蘭を仰ぎ見ると、想像していたより数倍興味なさそうな表情でニタニを見ていた。今までニコニコと笑っていた顔から突然表情が消えたことで、美形の無表情にその場は一気に凍り付いた。

(?)

「はあ? なんで俺があんたにやれって言わなきゃいけないの? 俺に命令させようとするとか、あんた何様なわけ?」

「え……」

(え?)

 梨璃子ですら理不尽だと思う紫蘭の言い草に、驚いた表情のまま固まってしまったニタニにほんのわずかだけ同情した。無表情の顔に加えて王族を怒らせたという事実は、一般人にしてみると背筋が凍るほどに恐ろしいことだ。

(でも自分で言っといて、支離滅裂すぎない?)

「なんかしたいなら勝手にやってよ。ゲームに勝ちたいなら勝手に勝って。俺のパートナーになるって、そういうことだから」

 紫蘭が傲慢にも言い捨てたその台詞に一瞬誰もが言葉を失った。少しの沈黙の後、周囲の方が先にヒソヒソと何かを言い始め、ニタニはそれにはっと意識を取り戻すと、周囲から聞こえる紫蘭への不信感に後押しされるように口を開いた。

「……あ、あの、お言葉ですが、この件は、王室から依頼があったんじゃないですか?」

 ニタニが控えめな声でそう言うと、紫蘭がじっとニタニを見た。彼女の頭はよっぽどおめでたいのか、こんな雰囲気だというのに頬が少し赤く染まったことに梨璃子は呆れを通り越して感心してしまった。

「だからなに?」

「え?」

「スメラギさんはそんなこと気にもしなかったよ。だからあんたは選ばれなかったんだ」

「……」

 紫蘭の言葉に、梨璃子は釣られるように紫蘭を見上げた。紫蘭の紫紺の瞳が真っ直ぐに梨璃子を捉え、梨璃子は密かに息を呑んだ。

「行こう、スメラギさん」

 完全に沈黙してしまったニタニの存在などまるでないもののように、紫蘭はそう言うと梨璃子の手を取った。その瞬間、それまで動きを失っていたニタニの瞳が憎悪に燃えたように梨璃子を見たが、梨璃子は今自分の起こっていることを理解するのが精一杯でそちらのことなど気にしている余裕などなかった。紫蘭の進む先は自ら道を開けるように人の波が割れ、梨璃子たちは観衆の視線の中新しくできた道を歩く。梨璃子は引っ張られるままにそこを抜けると、視界の端にウキョウの姿を見つけた。ウキョウは無表情のまま、梨璃子たちの方をじっと見ていた。

(ウキョウ君、私やっぱり隠し事ってできないみたい)

 図書室での一幕を思い出し梨璃子が小さく諦めの息を吐いた時、紫蘭の足がピタリと止まった。梨璃子が不思議に思い紫蘭を見ると、

「ねえ、どこ行けばいいの?」

 と、階段の前で神妙な顔をしてみせたので、梨璃子は思わず呆れてしまう。

「……とりあえず屋上にでも行きましょうか」

「わかった」

 梨璃子の提案に紫蘭は頷くと、繋いだ手をそのままに階段を上り始めた。

 ピ、という認証音に続き、開錠の音が響く。それを確かめて紫蘭が外へと続く扉を押すと、ふわりと暖かな風が吹き込んで梨璃子の髪を揺らした。

「へえ。こんなとこあるんだ」

 眩しそうに目を細めながら、紫蘭が重い扉を片手で押さえながらそう言った。梨璃子は開かれた扉をくぐりながらちらりとそちらを盗み見ると、差し込んだ日光に照らされた紫蘭の黄金色の髪が陽に透け輝きを発し、とても綺麗だった。

「ほんとは生徒はあまり入っちゃいけないんだけど」

 梨璃子は一言そう言うと、紫蘭より先に屋上へと足をつけた。誰の学生証でも入れるようになってはいたが、開錠ログが残る為監視されているのと同じだった。その為、入る時間帯や頻度によっては教師からの呼び出しをくらいペナルティもあるという噂もあり、生徒達の中ではあまり人気があるスポットとは言えなかった。

(でも、もう気にする必要はないのかも?)

 始業の音を遠くで聞きながら、梨璃子は小さく息を吐いた。今までであれば授業をサボることなど考えたこともなかったが、あんなにも自分の中心だったこの学園での行動が、たった数日でその価値を変えてしまったのは自分でも驚きでしかなかった。

(パートナー解除されなければだけど……)

「そういえば、紫蘭って初めて呼ばれた気がする」

「! 聞いてたのっ?!」

 思いもよらない言葉に梨璃子が勢いよく紫蘭を振り返ると、紫蘭はその反応に不服そうに目を細める。

「聞いてたって、あんたが廊下の真ん中で大声で人の名前呼んでたんじゃん」

「それは、だって、なんか言いがかりつけられてムカついたし……ちょっと、嫌味の一つでも言ってやろうかと思って……って、あ! 王子様の名前呼び捨てにしたのはごめんなさいっ!!」

(これはダメじゃないっ?!)

 心の中ではどう呼ぼうと聞こえはしないが、あんな大勢の前で正真正銘の王子を呼び捨てにしたとなれば、さすがに不敬罪は免れないのではないだろうか? と梨璃子が真剣な表情をすると、隣で紫蘭が肩を震わせ始めたので思わずそちらを見る。

「スメラギさん、ほんとに真面目だね……別にそんなのどうだっていいし、これからもそう呼んでよ。名前呼ばないのって不便でしょ」

 紫蘭はとても面白いものを見たと言わんばかりにクツクツとひとしきり笑うと、同意を求めるように梨璃子を覗き見た。

「……それは確かにそうかもしれないけど……でももしまた学園であなたの名前を出すようなことがあったら面倒なことになりそうだし、呼び方は考えないと……」

 梨璃子がそう口ごもると、紫蘭の瞳がすっと冷たい色を帯びた。

「まだこんな所に価値があると思ってるの?」

「え?」

 紫蘭の言おうとするところがわからず梨璃子は視線で問い返す。

「ねえ、あいつらなんなの? 本当にスメラギさんと同じなの?」

「? どういう意味?……ギ、罪人候補生(ギフテットワナビーズ)って意味なら同じだけど……」

 あまり自分で口にしたい言葉ではなかったが、今の自分たちを総称すると残念ながらその言葉が一番適切な為、梨璃子は仕方なくその言葉を選んだ。紫蘭はじっと梨璃子を見ると、ほんとに? と小さく呟いた。

「え?」

「だってあいつら、スメラギさんみたいにどうしても罪人(ツミビト)になりたくないって、思ってなさそうだったじゃん」

「そんなことはないわよ……だって……」

 グリーンベル学園の生徒が一番自分の立場を分かっているのだ。罪人(ツミビト)になってしまうかもしれない恐怖を感じながら過ごして一年近く経とうとしている今、そこから抜けたいと思っていない人間がいるとは梨璃子は思っていなかった。

「……」

 だが、先日の梓の言葉が脳裏に甦り、またそこにニタニの姿や観衆が重なり梨璃子がその先の言葉を継ぐのを一瞬躊躇ってしまったことを、紫蘭は見逃さなかった。

「……まあ、あいつらのことなんてどうでもいいけど」

 紫蘭は吐き捨てるようにそう言うと、繋いだままだった梨璃子の手を引き屋上の奥へと歩きだした。

「……あなた、何しに来たの?」

(まさか本当にパートナー交代しにきたの?)

 ポツンと置かれたベンチに腰掛けると、梨璃子がそう問いかけた。先程のニタニとの会話を思い出し、胸中に不安の影がよぎる。紫蘭は小さく首を回すと梨璃子を見た。

「暇だったから、制服姿でも見せに行こうかなって思って」

「あなたほんとに何もしてないのね……て、あ! そうよ。制服っ! なんでうちの制服なんて着てるのっ?!」

 一瞬で今浮かんだ不安が吹き飛んでしまうような呆れた理由に拍子抜けしてしまったが、今紫蘭は梨璃子と対になる制服姿であることを思い出し思わず声が大きくなる。

「この前着れなかったからレンに用意してもらった。ここならスメラギさんも嫌がらないでしょ?」

「嫌がらないって、そりゃあ、学園の制服だし……って、そんなものまで用意させられるって、あなたの世話役って大変ね」

「そうそう。パートナーもね」

「……」

(そういえば、さっきの話、やっぱり本気なのかしら?)

 先程ニタニに告げていた言葉を思い出し、梨璃子は表情を曇らせた。別に代わってもいいよ、という紫蘭の声がまだ耳の奥に残っている。

「最初はさ、ほんとそれだけの理由だったんだけどね」

「え?」

 脈絡のない会話に梨璃子がその居場所を見失っていると、紫蘭が構わず続ける。

「この前気まずい感じで別れちゃったし、制服着て学校行けばまあ逃げ場もないかなって思って」

 紫蘭はそこで一度言葉を切ると、一度大きく息を吸い込んで吐き出した。

「そしたらなんか言い合ってる、っていうか一方的に何か言われてるスメラギさん発見してさあ、なんか、言ってることが馬鹿らしすぎてって言うか、ちょっとだけ同族嫌悪してムカついて……」

「同族嫌悪?」

(どういう意味?)

「少なくともあのうるさい女とか周りでどうでもいいこと言ってたやつは、スメラギさんと同じじゃないじゃん。罪人になるかもしれないってどうでもよさそうだったし。あんたとは別の理由に夢中だった」

(確かに、みんな玉の輿とか王族とのつながりのことばっかり言ってたもんね)

 自分がアクセサリーのような感覚で語られていたことに腹を立てたのだろうか? と梨璃子が不機嫌そうな紫蘭を眺めていると、紫蘭の眉間にぐっと力がこもり、小さく息を吐きだした。

「でも、俺もあれくらいの感覚だったから、このまえスメラギさんは怒ったんでしょ?」

「……」

(ああ、それで同族嫌悪……)

 苦し気な表情を向ける紫蘭に、梨璃子は不可解だった言葉の意味がストンと腹落ちした。

「……俺色んなことサボってたから罪人(ツミビト)のこともよく知らなくて、スメラギさんみたいにちゃんとしてるなら、別にそんなの関係ないじゃんって本気で思ってた。悪気がないからいいってわけじゃないけど……俺は能力保持者(ギフテット)だけど能力(ギフト)にコンプレックスがあって、こんな馬鹿にされる能力(ギフト)だったら無い方がずっといいって思ってたし」

「前にも言ったけど、あなたの能力って凄いと思うわ」

「……」

 梨璃子が思ったままをそのまま素直に口にすると、紫蘭はじっと梨璃子を見つめた後、ふっと口元に笑みを浮かべた。

「そう。こんな能力(ギフト)でも能力(ギフト)能力(ギフト)だし、あると無いとじゃ全然世界が違うなんて、俺は知らなかった。だから、スメラギさんを傷つけた。ごめん」

「…………」

 紫蘭はそう言うと、深々と梨璃子へ頭を下げた。梨璃子はしばらく呆けたようにじっとその姿をみつめていたが、はっと我に返ると、

「お、王子様が頭なんて下げないでっ!!」

 と、慌てて紫蘭の頭を両手で掴んで顔を上げさせた。

「あれは、八つ当たりした私が悪いの。王子様に私の境遇を理解しろなんて言った、私が傲慢だったんだから」

 持たざる者が持つ者の気持ちを理解できないように、持つ者も持たざる者の気持ちが理解で

 きないのは当然なのだ。それなのに、多分梨璃子のどこかにきっと理解して欲しいという気持ちが存在してしていて、そして相手がそれを理解していないと知って、悲しかったのだ、多分。

「……まあ確かに、今も理解してるかっていったら多分してないしね」

 しばらくの沈黙の後紡がれた紫蘭の言葉に、梨璃子は一瞬耳を疑った。

「……ねえ、今謝ったんじゃなかった?」

「でも、スメラギさんがなんで傷ついたかっていうのは理解した。それについては本当に申し訳ないことをしたって思ってるから会いに来たんだし」

「……そうなの?」

 梨璃子が驚いたように目を丸くすると、

「え? 言ってなかった?」

 と、紫蘭が呆れたように梨璃子を見る。

(だからいつも肝心なこと絶対言ってないけどっ?!)

「でもそれって、多分俺がこんな能力(ギフト)なら無い方がマシって思ってたって、スメラギさんが理解できないのと一緒だなって思って」

「……」

 そう言われてしまうと、梨璃子は反論できなかった。紫蘭がなぜ能力(ギフト)を嫌がるのか分からないが、能力(ギフト)能力(ギフト)で、あるとないとでは全く世界が違うのだ。それをいらないと思うなど、梨璃子には理解ができない。

「だからまあそれは仕方ないし、多分これからもそこはわかりあえないと思うけど、それでも大丈夫?」

「え? なにが?」

「だから、俺のパートナー。さっき言ったじゃん。パートナーも大変だって」

 呑み込みの悪い梨璃子の反応に紫蘭が不満気に小さく息を吐くと、梨璃子は言われたことをかみ砕くようにぱちりと翡翠の瞳を瞬いた。

「……え、それって、まだ私がパートナーでいいってこと?」

「俺よりこの学園がいいの?」

 紫蘭は信じられないというように大きく目を見開いて驚いた表情をして、否定するように小さく頭を振った。

「さっきも言ったけど、ここにいる奴ら、スメラギさんとは全然違うじゃん。こんなとこにいる意味ある?」

(……今言ったばっかなのに、やっぱり何にもわかってないじゃない)

「だからっ、私にはもう」

「それって、今までは、でしょ?」

「え?」

 かっとなって反射的に口を開いた梨璃子の言葉を遮るように飛んできた紫蘭の真剣な眼差しに、梨璃子は勢いを削がれてじっと紫蘭を見た。

罪人(ツミビト)にならない為の方法探しなら、こんなとこにいるよりあのゲームの方がスメラギさんにはあってるんじゃないの?」

「それって、どういう意味?」

 紫蘭の言わんとするところが分からず、梨璃子は困惑気に眉根を寄せる。確かに紫蘭の言う通りあのゲームに賭けている部分は十二分にあった為、学園に通って無駄に時を過ごすことになるよりか、確実な恩賞があるあのゲームを選びたかった。だが、紫蘭ははなから非協力的な為、保険だって残しておきたいと思っているのだ。

 紫蘭は体ごと梨璃子へ向き直ると、一度大きく深呼吸をした。その真剣な表情に、梨璃子は思わず緊張感を持って言葉を待った。

「俺は今だって別に王様なんてなりたくないし、例え王様になったって蘇芳みたいに上手くやれる自信なんてないから、あのゲームには全然興味ない」

「……真剣な顔して何言うかと思ったら、そんなこと。そんなの今まで散々聞いてたし、大丈夫よ。これからだって、あなたには期待しないでちゃんと自分でやるから」

(なんだ。なんかちょっと、違うこと言うかもって期待しちゃったじゃない)

 梨璃子が小さく息を吐こうとすると、

「まだ続きがあるんだって! 最後までちゃんと聞いてから口挟んでよ」

 と、不満そうに紫蘭が唇を尖らせた。

「続き?」

「そう。やっぱりそこはそんなすぐに変わんないし、多分俺は能力(ギフト)を上手く使えない。だけど、スメラギさんの望みは叶えてあげたいって思ったんだ」

「……え?」

 思いもよらぬ紫蘭の言葉に、梨璃子は言葉を失った。信じられないと言わんばかりにぱちぱちと翡翠の瞳を瞬かせると、ゆっくりと紫蘭を見上げる。視線の先で、今の言葉が嘘じゃないと証明するように、紫蘭が穏やかな笑みを浮かべた。

「だから、スメラギさんに俺の能力(ギフト)あげる」

「……ええっ?!  能力ってそんな簡単に人にあげられるものなのっ?!」

 梨璃子が驚きに思わず大声を上げると、紫蘭がすぐに笑みを崩し馬鹿にしたように溜息を吐いた。

「そんなわけないに決まってるじゃん。そんなに簡単にあげられるんだったら、すぐにでもあげてるって」

「ねえ、前から思ってるけど、あなたの言い方に問題があると思うんだけど?」

(あれ? 今なんかサラっと凄いこと言わなかった?)

 梨璃子が不満気に口を曲げると、紫蘭はまるで自分に非などないかのように目を丸くしてみせた。

「だからさ、ゲームの中で、俺の能力(ギフト)はスメラギさんが使っていいよ」

「え? それって……」

「うん。協力してあげる」

「……」

 想像もしていなかった言葉に、梨璃子は思考停止と共に固まってしまった。確かに少しの歩み寄りのようなものを感じていなくもなかったが、それでも期待するなと言い続けていたあの紫蘭が、自ら協力を申し出る日が来るなど、一度も考えたこともなかった。梨璃子が瞬き以外何もできずにいると、紫蘭の表情が段々と曇っていくのがわかった。

「確かに俺も期待するなってずっと言ってたけど、その反応は失礼すぎない?」

「……だって! あなたあれだけ何もしないって言ってたじゃないっ。だから……」

「まあ、そこはあんまり変わってないけど。使っていいよ、ってことだから、俺が自分から何かするってことは引き続き期待しないで」

「ええ? それってどういうこと?」

(結局何も変わらないってこと?)

 困惑気味に梨璃子が小首を傾げると、紫蘭はやれやれと言わんばかりに肩を竦めて見せた。

「俺は正直自分の能力の使い方ってわかんないわけ。でもスメラギさんは上手に使ってたじゃん? だから、今まで通りスメラギさんが使いたいときに使わせてあげる、ってそう言ってんの」

「……え?」

 紫蘭のありがたい譲歩の言葉を聞きながら、梨璃子の脳裏には突如あの時暗闇で出会った男の言葉が甦った気がし、得体の知れない寒気を背筋に感じた気がしてぶるりと体を震わせた。

 紫蘭の言葉の指すところがあの結果だとしたら、それが梨璃子にとって良いことなのかわからなかった。

(考えすぎよね……)

「ねえ、返事は? まさかいらないとか言わないよね?」

 黙ってしまった梨璃子に痺れを切らしたのか、紫蘭がムっとした口調でそう言った。梨璃子ははっと意識を取り戻すと、たった今浮かんだ考えを打ち消すように小さく頭を振る。

「言うわけないわ。どうせあなたにはもう私の望みは知られてるんだもの、隠すこともないし。あなたがたとえ王子様だって、使えるものはなんだって使うわ」

 梨璃子が紫蘭の瞳を真正面から捉えてきっぱりと言い切ると、紫蘭は満足したように笑ってみせた。

「じゃあ、改めてよろしく」

 差し出された右手に、梨璃子は迷うことなく自分の手を重ねた。


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