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 焼けたトースターの香ばしい匂い、匂いが漂うテーブル、コップにミルクティー。息子のカイがシャキッとした顔で椅子に座った。あぁ、どうしてだろう。カイが登校前にご飯を食べている。いつもなら、無言で起きて朝ご飯を食べずに行ってしまうのに……


 真夏の台風、出張中の夫がいない時を狙って東京23区を丁度掠める様に襲った。その深夜、私とカイはそれぞれの部屋で寝ていた。そんな時、衝撃と轟音がマンションを襲った。それと同時に暗めのライトが突然消えた。停電だった。


 「やったぁーーー!!」


 暗闇の中、カイの部屋から奇妙な声が聞こえた。もしもの事があったらどうしよう、そう頭に過るとコードにつながった携帯をぶんどり、ライトで照らしながら隣室へ向かった。


 ドアノブに手を当てて急いで中へ入る。おぼろげだが、カーテンを開け外を眺めるカイが窓の前と立っていた。


「カイ、大丈夫……」


 そう言いながら、ライトでカイを照らす。何故か素っ裸のカイが仁王立ちで外を眺めていた。どうやらカイが光に気づいたようで、後ろを振り向いた。その顔は満面の笑み、無邪気な小学生が水曜日で早く帰れるとウキウキし、今日あれもしようこれもしようとキャパオーバーな事を考えているような顔をしていた。


 久しぶりに嬉しそうなカイの顔を見て喜ぶ半面、裸の息子が窓際で仁王立ちをする姿に加えて、子供の満面の笑みの妙には言い合わらせない恐怖が襲った。最近動画サイトで見たTRPGでいうSAN値が削れる、そのような感覚だ。


 そして、窓の外に一瞬稲妻が走った。あぁ、心臓が止まりそうだ。次に爆音が聞こえた。あぁ、心臓が一回止まった気がする。さらに、カイの姿が逆光で際立ったように見えた。普段見ているものが別の何かに見える、想像力が恐怖を際立てる。血が逆流している気がする。その後の事はよく覚えてない。


 「どうしたの、母さん。なんか顔についてる?」


 息子の顔をマジマジと見ていたためか、怪しまれてしまった。トーストをかじろうとしていたが、スンでの所でキャンセルさせたようだ。実際は不思議に思っていたが……


 「いや、なんでもない。いつも通りだなって思っただけ」


 面倒な誤解をさせないためにもいつも通りだと嘘を伝えてが、カイは微妙な顔をしながらもトーストを食べ始めた。あぁ、まずかっただろうか。申し訳ないと思いつつも席を立ち、いつもの日課に戻っていった。


 息子があの日以来、人が変わったように生きている。最初はしどろもどろに記憶が何故か曖昧だったが、一週間もすれば何事もなく普段通りの生活をしていた。


 いや普段以上かもしれない。大人が理想とする生活スタイルを維持している。並みの人間には到底出来る事ではない。ましては、カイが出来るとは思っていない、母親ながら。


 息子が人として成長している事は素直に嬉しい。ただ、人が変わったように生活する息子を手放しには喜べない。あの日の前までの息子を否定するような感覚だ。考えすぎだろうか……


 「行ってきまーす」


 「……あぁ、行ってらっしゃい」


 反応にラグが生じてしまう。前までは挨拶をしなかったから、カイが家を出る時に予め言っていたのだ。だから、ラグが発生してしまうのだ……


 やはり、不安だ。いつもなら、気のせいだと思い込んで無理やりいつも通りを生きている。ただ、溜まった疑念は抑えきれない。カレンダーを捲って、今日5月28日、前々から何だかんだで計画していた『息子尾行作戦』、決行日だ。


 --------------------------------------


 黒い群衆の群れ、その中に1人だけサングラスをつけているサラリーマンがいた。その数メートル先に息子が歩いていた。地元の駅へ向かう流れに乗っている状況だ。人を隠すには人の中、誰かがそう言っていたのを思い出した。


 地下鉄の出入口、下から風が押し寄せる。被っていた帽子と伊達メガネを抑えながら息子の後ろを追っている。改札を抜けて更にそこから地下のホームへ。息子には気づかれずにいる、其のはずだろう。


 トンネルの奥から光が見える、電車に乗る時間だ。息子の乗った車両の別の出入り口から乗った。息子に悟られずに何とか息子が見える位置をキープするよう動いた。息子は優先席付近の手すりにつかまっている。私は彼の死角の長いすの端に座った。そして、隣の車両、優先席付近の窓からサングラスの男が見えた。


 「間もなく……間もなく出発します。ご注意ください」


 奇妙な者だ。朝からスーツでサングラス、朝見たサングラス男だ。名前の付け方が小学生並みで自分の率直さにあきれる反面、まだ若いと心の中で空元気をかましていた。携帯電話をいじる振りをしながら、息子の動向を探っていた。落ち着いた今なら心にも時間にも余裕があるだろう。


 だが、ただ息子は広告を見るばかり。目線の先を追うと植毛の広告だ。人生が変わる、そう髪が生えれば人生が変わる。確かに体系等をコンプレックスに持っている人は大勢いる。加えて、日本だと外見は特に的にされやすい。社会あってのこの言葉なのだろう。


 ただ、その広告は別にあってもいいんのだが息子が見ているのが問題なのである。我が息子よ、まだ意識するには早いぞ。そなたはまだふさふさである。ただ20年、30年後は知らない。ちなみにお前の父は既にふさふさではないがかっこいいぞ。


 今の世の中、電車の中で人がすることNO1が携帯を弄ることだ。これは仕方のないことで、携帯で新聞が読める、小説が読める、動画が見える、様々な事が出来るおかげで携帯を弄るのがNO1なのだ。ちなみにNO2は、そうだな。何かしらの作業をしているのだろう。


 だが、広告をみるのはランキング外、本当にやることのない、それか携帯の電源が切れて持ち合わせが全くないときに渋々やるような電車内行動だ。ランキングはあくまで私が勝手に作ったものだが、息子が第一にする行動が携帯を弄ると勝手に想像していたから呆気を食らってしまった。


 携帯のゲームでもやってるのかなぁーって思うていた時もありましたが、私にも知らないことが息子がいるのだろう。カイの行動を尊重しよう。何かしらの興味があったのだろう。いや、あってはならぬ。面倒なパラドックスだ。


 広告を見ていたカイが徐々に視界から消えていく。駅に止まっては人が増え、駅に止まっては更に人が増える。肌と肌が微妙に触れ合わない距離まで人は密集していた。それと同時に私は席を立ち、目的地駅の出口へ向かった。それから電車は再び動き始める。


 --------------------------------------


 人が横に寄りかかりそうになる。どうやら電車の勢いが弱くなり、目的地に近づいたようだ。ここは学校までの乗り換え駅、ここで息子は降りるはず。


 「ドアが……ドアが開きます、ご注意ください」


 

 微妙なノイズと共に、乗客がぞろぞろと降りていく。その中にカイがいたかはよく見えなかった。なんせ、ここは線が集中している駅だから、乗車率も常に高い。見失うのも仕方はないが、定期は前に確認済み、ここで降りなければどこで降りる。


 自信を持ちつつ私は下車をした。人の流れに身を任せつつ息子が降りるだろう出口を見ていた。スーツ、スーツ、学生、スーツ、老人、学生、スーツ、スーツ、学生、学生、スーツ、スーツ、老人、スーツ、そして、スーツ。息子が出てこない。確かに同じ車両に乗ったはずだ、混む前に確認はできていた。


 数秒進むにつれて出てくる人の勢いが弱くなり、徐々に流れが逆転する。ドア付近で待っていた行列が綺麗に中へ吸い込まれていく。電車あるあるだが、流れに乗らないと電車を降りれない事は多々ある。入る人の流れを遮ることのできる人物は胆の据わっている人、流れに謝りつつも心の中で何かのせいにしてメンタルを保つ人、のどちらかだろう。いや、何も考えていない人も含めよう。


 カイはその両者にも当てはまらない。いや、広告を眺めている辺り、何も考えていない人に当てはまるのかもしれない。息子はたまたま奥の方に居座ってしまい、なかなか出れずに困り果てている、そう信じたい。


 「ドアが……ドアが締まります、ご注意ください」


 そのアナウンスに合わせてドアとドアの間に身を滑り込ませた。息子がいるかどうか、周りを見渡して確認する。一面相変わらず人だらけ、但し、密度は薄い。人を探せる程度には少ない。


 しかし、いない。息子はいない。中学生がいない。カイがいない。この車両ではない別のにいるのか。ここにいないということは別の車両に移っていたのか、そもそも既に下車をしていて私が気づかない間に線を乗り換えていたのか。ただ、私が途中から見ていた限り息子は下車駅の反対側のドア付近から広告を見ていた。そこから、人がいっぱい流れてきて身動きが取れないはず。


 それならば、下車するのにも時間がかかる。なら、カイを見逃すわけがない。私は混むのと同時に出口へ移動した。こっちの方が一足早く出れる。息子が移動していない限り。あそこまで、広告を眺めていたのなら動くはずはない。だから、いるはずなのだ。


 考えを整理しつつ、周りを見ているがいない。念のため別車両へ移ろうとする。隣へ行くための連結口、ドアに手をかけた時、奥のドアも開いた。ごくたまに起こる偶然、パンを咥えた乙女の様に出会い頭のぼっと出会う形の様に。


 その手かた腕、肩、顔、そしてサングラス。目線が移っていきサングラスが目に入った。こいつはあのサングラス男だった。何度も目に入るこの男、見ているだけで心がもどかしくなる。


 どっちが道を譲るかの心理戦が始まった。サラリーマン男どう出る?こういう時はさっさと譲るに勝る。早いもの勝ちだ。心理的にも譲るという行為は非情に心の広い現れ、譲られた側も何もなければ素直に受け取ってしまう。


 そう私は考えて、若干後ろに身を引いた。そんな考えを意図せずサングラス男がドアを開けて何事もなかったように通ってきた。まるで急ぐかのようにドアを乱暴に開けていた。近くになって分かったが、サングラス男は異様に汗を垂らしていた。まぁ、暑かったんだろう。


 サングラス男が通り過ぎた後に隣の車両へ移った。もちろん、カイは何処にもいなかつた。そうなると、私が見ていない間にどこかに行ってしまったのだろう。そう考えて、私は仕方なく家に戻ることにした。


 --------------------------------------


 「ただいま~」


 カイが家に帰ってきた。何事もなく帰ってきた。朝の事も聞くに聞けない。聞いた瞬間何かを感づかれる気がしてならない。まぁ、遠回しに『今日』という形で聞いてみよう。


 「今日、なんかあった?」


 「いや、特になんもなかったよ。いつも通りだったよ」


 そう、息子はいつも通りの日々を送っている。私はそんな息子をちょっとだけ疑っている。

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