1月 (森野昴)
「よっしゃあぁーっ! 書き初め、出来たぞ!」
思わず声を張り上げてしまった、俺。
だけど、構うもんか。
ここは古いが、一軒家なのだ。ご近所迷惑なんぞない。
「なんだ。はやいな、お前」
横から、やつの声がした。
「おう。どうよ」
俺は墨に濡れた筆を硯の上に静かに置き、両の口角を上げて得意げに振り向く。
やつは、どれどれと、見えづらそうに目を細めて、頭を傾げる。
そりゃあ、見えんわ。やつは俺の真後ろなのだ。なので俺は笑顔のまま、自身の体をぐいと横に逸らす。
俺という邪魔がなくなり、やつの視界が開ける。
やつは、しばらく無言のまま、その両の目の先にあるものをじっと眺めていた。そして、この黒々と湿った半紙を見下ろしたまま、呆れたようにしみじみと宣う。
「何これ。なげーし、こまいよ。普通、こんなもん書き初めにするかよ」
ん。まあ。それも、そうか。やつの気持ちも、わからんでもない。
俺が書いたもんは、こんなんだからなあ。
―――◇―――◇―――◇―――◇
月に並びし逓送しゆく物語始まりき
起伏ある激しきものになるか否かが
出方で決まるかとみてきりきり舞い
奈落に沈みゆるか天に昇ゆるのかの
楽観的に見ゆるが良しとするべきと
舞台は何ぞとしゆるかと思い馳せり
手広く各方面へと渡るが良しからむ
一月は年のはじめなれば年神を招く
壮行されるは門出なる月のものたち
生まれいずる子は目出度きことなに
申し送る言の葉はとくとなしと思ふ
伸びやかに渡られむことを願うのみ
概念のみとなりしこの文の並びとや
立ち並ぶ後続にと渡すものとは何ぞ
立志するもその意満たされたるやと
―――◇―――◇―――◇―――◇
続いてやつは、ぼそりと呟く。
「いつもの通りの達筆ではあるよな。だけどお前、どういう意味なんだよ。これ」
そうはいわれてもね。実はというと、俺もよくわからん。ふいと脳裏に浮かんできたのを、なぞっただけなんだから。
意味はわからんが、これを書いたのは実際に俺。それに出来立てほやほや。その証拠に、墨の深い香りがする黒い文字も、てらてらと光る。乾ききっていない。
なので、へへへと笑いながら、適当に誤魔化して返す。
「おう。これはな。目出度い言の葉の文でよ、傍に置いとけば夢見が良くなるとかいわれているもんだ。とてもありがたいものなんだぜ。それに、これを頭に頂いて強く念ずれば、想うことが実現するとか伝わっているぞ」
唇をチロリと舌で舐める。唇と口腔内がカラカラに乾いている。そして自らでもわかるくらい明らかに目が右上へと泳いだ。そう。こう見えても、俺は嘘が苦手な部類に入る。
そうはいってもそれなりに、それらしき文字も、この文面にちらほらと見える。だから、真っ当にこの文章の意味を答えている訳でもないが、全くの出鱈目ともいえないだろう。
やつは、ジト目で見返してきた。そうして次には、にやにやと笑う。
「ふうん。そうか。じゃあ、初夢の宝船のようなもんなのか。だけど、そういうのって、たいがい回文を書くのだろう?」
あ。これは、全く信じてくれていない部類の物言いだ。
まあ、そりゃあ、当たり前だよな。この話は、今作ったばかりの真っ赤な嘘なんだから。それにここには、ファンタジーとかにある魔法なんていう、便利なもんはない。
それと、やつがいう、『初夢の宝船』というのは、七福神が乗った宝船を描いたの絵のことを指す。これを枕の下に敷いて良い初夢を見ようという、江戸時代の頃から始まるまじない。よくいう、『一富士、二鷹、三茄子』を初夢で見で、験を担ごうってもんだ。
そりゃあ、夢だからな。悪い夢を見ちまうこともあるってもんだ。そん時はその絵を川に流し、その悪夢を持って行ってもらって縁起直しをするという算段。
加えて、『回文』とは、頭から読んでも、後ろから読んでも同じ音の文になるという文章。
この宝船についてくる有名どころの回文は、『長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り舟の 音の良きかな』なんだとか。回文そのものの不思議さからくるのか、悪夢よけのまじないとなるそうな。
そして、やつがいうように、俺が書いたこの書き初めは回文にもなっていない。
それでも、年の初めというのは、それだけでウキウキとするものだ。それに夢を見るだけなら、なんとでもなる。そしてその見る夢が、そのまま思い通りに現れ、とってもいいもんになるという、その想像だけでも楽しいじゃあないかと。
こんなことを話したら、やつも乗り気になってきた。
それじゃあ、悪ふざけでもいいから、同じものを書いて寄こしてくれとぬかす。
なので俺も勢いにまかせ、同じような文字を同じような位置に写本のように心を込めて綴り、渡してやった。
それからの俺らは、お互いの様々な夢を熱く語り合う。そしてさらには尻の青いガキンチョの頃に戻ったかのように、キャッキャと騒ぐ。
外は一月の寒い冬。
しんしんと真っ白な雪が、降り積もりつつある。