B.銀河鉄道について
「しかしまあ、どうして俺たちは銀河鉄道なんてもんに乗ってるんだろう」
彼女から目を離し、ふと窓の外を見てみれば、漆黒の深い海のような宇宙の中に、星々が、きらびやかな砂糖粒や、あるいはキラピカなビーズが幼稚園児の手でばら撒かれたのように散りばめられている。
綺麗だ。ただひたすら綺麗だ。ひたすらに無上に綺麗で、かつ単調な風景が繰り返されていく。いったいも何時間この列車に揺らされたのだろう。
──春の北海道の山間をバスに揺られて旅したことはあるだろうか?
淡い緑の若葉、黒いアスファルト、灰色の残雪、そしてのっぺりと白いシラカバの幹。
その間をバスに揺られて何時間も進む。
最初は、本州にはない景色に感銘を受けて、適当に大自然を賞賛する声を上げながら、揺れるバスの車窓を楽しみつつ旅を楽しむのだが、やっぱり30分もすると見慣れぬ景色は見慣れた風景になり、飽き飽きとした、過食気分にうんざりするのだ。
俺にとって、この「飽き」という次元では、ほんとうに宇宙を駆けている銀河鉄道も、北海道の山道をのんびり進むバスも、同一線上の感覚で捉えられうるものだった。
宇宙を駆ける。この事実は大きい。
時はまだ21世紀の初頭。でも、なぜか俺たちは銀河を駆ける蒸気鉄道の二頭客車にただ二人のみが向かい合わせで座っている。
なぜ、俺たちなのだろうか。
そして俺たちは、いったいどこへ向かうのだろうか。
「偶然、じゃないかな」
許嫁の声を耳にする。窓の外を眺めながら。
「偶然ねえ…」
偶然。たった4音の単語を反芻する。
「偶然かあ…」
偶然。偶然の対義語は必然。
「必然的にここにいる」って語るには、絶対的な運命あるいは神とも呼ぶべき絶対者を想定せねばならない。
「私」は配されてここにいる。「君」は運命ゆえにそこにいる。「かれ」は導かれてあそこにいる、といったように、各人の足元に敷かれた運命という名の線路の存在を前提にせねばならない。
一方で「偶然ここにいる」という考え方は、運命や神から完全に自由である。
ここに立っていること。「私」が「君」と話していること。「君」と「彼」が恋に落ちること。
そういったことに神の手は介在しない。「運命的な」出来事はなにもない。
人は自由。
理性による選択と意思による行動の結果。
ただそれがあるだけ。
……さて、俺がここにいるのは、偶然か、必然か。
それはきっと……。
「必然ですよ。切符を拝見」
無機質な声が、二人だけの車窓に響く。
驚いた。見知らぬ誰かがいたから。
喜んだ。ただ二人だけの変わらぬ空間に飽き飽きしていたから。
焦った。切符なんて持ってはいないから。
そう、切符なんて持ってはいない。夜、二人でベットに寝て、目が覚めたら二人とも正装してこの列車に揺られていたから。
「まあかわいい!」
切符を探してごそごそする俺を置いておいて、彼女は素っ頓狂な声を上げる。
普段真面目に振る舞うあまり無理に自分で押さえつけた少女趣味の発露とも呼ぶべきこの声は、好ましいと同時にちょっと嫌悪するところがあった。
特にこういう、やるべきことがある場合には。
「おいあのなあ、切符を探してるんだぞ俺たちは」
妻を見て、その素っ頓狂な声の理由がわかった。
「車掌です」
正確には、車掌のコスプレをした世界的ブランドのクマのぬいぐるみが、低い声で喋っていた。
そして、なぜがクマの車掌は彼女の膝の上にちょこんと抱っこされていた。
「こら、威力業務妨害」
「あ、ごめんなさい」
解放されたクマは、シュタッと床に降り立つ…その間際に、パチンパチンと切符ばさみで俺と彼女の髪を一度ずつ挟んだ。
「ッ痛」
「失敬。切符の代わりですよ」
「…切符は出さなくて良いのか?」
「ええ、あなた方の運命こそが、この列車の乗車券ですから」
「この電車に乗るのは運命ってことですか?ロマンチックですね」
彼女が口を挟む。
心なしか、少し頬が上気していた。
かわいいものが好きだからなのか、年甲斐もなく、メルヘンなものが好きだからなのか。
「ええ、運命ですよ。おめでとうございます。あなた方は運命づけられてこの列車にいるのです。いやあ、あなた方は本当に運が良い。
だって、地球人口のうち、70億ほどの人間はみな運命も、価値も、意味も持っていないのですからな」
クマの車掌は、淡々と言った。
ふーん、と思った。
「いいえ、違いますよ」
だから、彼女がこう言ったときは驚いた。
「存在することに、価値はあるんですよ。ねえ、クマさん?」