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ムサシくんが散歩から帰ってくると、ダークは彼が自分でそう名づけている、『ぶっちゃけ丼』という夕御飯を食べているところでした。
「へっへっへっ。どうやら今日の晩ごはんはごちそうらしいな。若鶏のロースト肉に、ごはんとカジカの味噌汁か。肉なんてごちそうを食ったのは、ひと月以上前にジンギスカンの羊のやつを食って以来だからな……へっへっへっ。こりゃあうめえや」
ムサシくんが金網ごしに、じいいーっとダークの食事している様子を眺めていると、ダークはムサシくんが自分のロースト肉を狙っているとでも思ったのでしょう、こう言いました。
「なんだ? どもりっ子のムサシ。俺さまのローストチキンを欲しがろうなんざ、五十年早いんだよ。てめえはあの例の超まずい、ドックフードとやらでも食ってりゃいいじゃねえか。今日は俺にもメシがあるし、遠慮はいらねえ。ガツガツ食いな」
「ぼ、ぼ、ぼく、あ、あ、あんまり、しょしょ、食欲がないんだ……」
ダークは彼のごちそうである『ぶっちゃけ丼』を、最後の飯の一粒にいたるまで食べ終わると、味噌汁の汁などで汚れた口のまわりを舌でぺろりとなめ、「ああん?」と、理解できない言葉でも聞いたかのように、ムサシくんに聞き返しています。
「ぼ、ぼ、ぼく、あ、あ、あれから色々考え考えしたんだ。き、き、きっとマリリンちゃんは、ダ、ダ、ダークのことが好きなんだよ!」
ダークは心の中で、(ずいぶんはんかくさいことを言う犬だぜ)と思いながらも、雄犬と雌犬との間にある、微妙な心の揺れなどについては十分承知しておりましたので(意外かもしれませんが、ダークはこうみえて、雌犬たちにとてもよくもてるのです!)、すぐに(ははーん)と、合点がゆきました。
「あの嬢ちゃんが好きなのは、俺さまじゃないぜ。ましてやランカスターのようなちびでクソ生意気な世間知らずのガキでもない。カールは年がゆきすぎているし、ジャーヴィスには婚約者のジェニファーがいる。恋に恋するムサシくんよ、よおおおーく、自分の胸に前足の肉球を押しあてて、考えてみるんだ。あの嬢ちゃんはなんて言ってた? 俺さまのように三ヶ月以上も風呂に入ってない犬のことを果たして紳士といえるか? ましてや兄弟で同じ土管に住んでいる、野良犬ブラザーズのカリンとコリンなんかは問題外だ。紳士っていうのはな、おまえみたいに犬の訓練学校を卒業している、立派な教養のある犬のことを言うんだ」
ムサシくんはダークのこの言葉を聞くと、感動して胸がじーんと熱くなってきてしまいました。ムサシくんはこの大きな犬小屋で飼われはじめた小さな時分から、ダークにはさんざんいじめられてきましたので、本当はダークが自分のことをそんなふうに思ってくれているだなんて、思ってもみなかったのです。
「で、で、でも、犬の学校なら、ゴールデンリトリバーのリバーも、コリー犬のロッキーも卒業しているよ? し、し、しかも、二匹とも、ぼ、ぼ、ぼくよりハンサムだし、ど、ど、どもったりしないし……そ、そ、それに、ゴールデンリトリバーのリバーと僕は同級生だったんだけど、成績は向こうのほうが良かったんだ……そ、そ、それに、それに彼は話上手だし、オスの僕から見ても、とても魅力のある雄犬だと思うよ!」
ダークは前足で腕組みすると、ムサシくんの話をうんうん、とうなずきながら聞いていました。「だけどよ、嬢ちゃんはリバーと二、三回会ったことがあるだけだろうが。その上したことのある会話といえば、『こんにちは』と『ごきげんよう』と『さようなら』くらいのものなんだぜ? その程度のことで恋が芽生えるっていうのは、ちと考えにくいんじゃないかね?」「じ、じ、じゃあ、の、の、残る雄犬はロッキーということに……」
ここまでくると、さすがのダークも、ムサシくんの頭の回転の鈍さにすっかりまいってしまいました。
「ね、ね、ねえ。マ、マ、マリリンちゃんはロ、ロ、ロッキーのことを、ほ、ほ、ほんとに本気で好きなんだと思う?」
「ケッ、知るかよ、そんなこと」
ダークは鉄の鎖をじゃらじゃら言わせながら、自分の古くさくてみすぼらしい、ボロっちい布の敷かれた、窮屈な犬小屋の中へと帰っていきました。 金網の向こう側に一匹残されたムサシくんは、彼の大好物のドックフードをぼりぼりほおばりながら、げっぷがでるまでそれを食べ、ダークの言っていた言葉のひとつひとつを検討してみることにしました。すると……。
「マ、マ、マリリンちゃんは、も、も、もしかして、ぼ、ぼ、僕のことを!?……い、い、いやいや、そ、そ、そんな馬鹿なことがあるわけが……い、い、いやいや、そ、そ、そんなふうに考えるのは、ま、ま、まったくもって早合点だ! 夢物語だ!」
ムサシくんは広いサークルの中を、あっちへうろうろ、こっちへうろうろしながら、さらに時折一匹でうろたえたりしながら、あおーん、うわおーんと、遠吠えまでする始末でした。そしてムサシくんの遠吠えしたはるか上の空には、藍色の空にダイアモンドを散りばめたみたいな星屑がたくさんと、大きな蜜色の月が、友達のお星さまひとりひとりに挨拶でもするかのように、美しい輝きをはなっていたのでした。