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童話・児童文学風

雪の女王の氷のしもべ

作者: 悠井すみれ

 北の果ての国では冬は長く寒いものです。明るく暖かい太陽は地平の下に隠れてしまい、暗い夜が何ヶ月も続きます。人も獣も木も草も、雪の中で息を潜めて春を待ちます。


 冬を治める女神は、雪の女王とおっしゃいます。女王様は白い雪と凍りついた夜の静けさが大好きなのです。


 けれども冬はただ暗く寒く恐ろしいだけではありません。雪の女王の氷の宮殿は――普通の人間が行くことはできないのですが――綺麗なもの、きらきらしたものでいっぱいです。

 雪の結晶を集めた花。透明な氷を積み上げた建物。庭の池は銀色の鏡のような氷が張って、雪の女王の宮殿を倍も眩しく輝かせています。侍女や従者の衣装も宝石のような氷の欠片で彩られ、女王様が飼っている狐や鴉も霜と雪を纏って白く銀色にきらめいているのです。


 女王様は人間にも冬の美しさを見せてくれることがあります。

 吹雪が止んだ翌朝、弱々しい太陽の光、地平の下からわずかに届く光で照らされた世界は真っ白で滑らかで、汚れた土もでこぼこした岩も何もかも覆い隠してしまうのです。厳しい寒さは空気さえも凍らせてしまいますが、細かな粒がきらめく様は、人間の王様の宮殿の、宝石が散りばめられたシャンデリアでも叶わないでしょう。

 何より、真っ暗な夜空に輝くオーロラは、雪の女王の世界にしかないものです。赤や青、緑色。光のカーテンのようなもの、波のようなかたちのもの。それらは、女王様が衣装を見せてくれているのです。見渡す限りの広い空を、レースのようなオーロラが覆う時。それはきっと、女王様がドレスの裾をひるがえして躍っている時なのでしょう。


 雪の女王はとても怖い方なのですが、美しく気高い方でもあるのです。だから、人々は雪の女王を敬い慕っているのでした。




 冬の世界を見て回っていた雪の女王が、氷の宮殿へ帰ってきました。侍女たちや従者たちが出迎える中、真っ先に女王様へ走り寄ったのは小さな女の子の召使です。


「おかえりなさいませ、じょおうさま!」

「ええ」


 女の子の高い声は、宮殿の冷え切った空気によく響きました。氷の鈴を転がすような澄んだ声に、雪の女王は微笑みます。そうすると女王様の吐息で空気は凍り、きらめく氷の粒が女王様の綺麗な白いお顔をますます輝かせるのでした。


「こんどはどちらまでいらっしゃったのですか?」

「南の国が攻めてこようとしていたの。だから皆凍らせてしまった」

「ありがとうございます、それではみんなたすかったのですね!」

「馬も兵隊も、雪を踏みにじるから好きではないのよ」


 女王様は白い手で女の子の頭をそっと撫でました。冬を治めるお方ですから、触れると霜が降りてしまう、氷の手です。でも女の子は嬉しそうに微笑んでいます。


 この氷の宮殿にいる者は皆、冬に死んだ者たちなのです。雪や氷の中で凍っていた者を、雪の女王は宮殿に招き入れてくれるのです。


 この女の子は、貧しい村の木こりの娘でした。

 雪の女王の機嫌が悪くて吹雪が続いたある冬のこと、母親に(まき)を集めてくるようにと言われて、この子は外に出されたのです。真っ白な雪で夜の闇も染まるような吹雪の中、小さな両手に抱えられるだけの枯れ木をやっと集めた時には、どこを見渡しても来た道を見つけることはできなくなっていました。たとえ家まで戻れたとしても、扉は固く閉ざされていたのでしょうが。

 目をつむって眠るように凍りついていた女の子は、とても整った賢そうな顔立ちをしていました。だから女王様は召使にちょうど良いと考えたのです。


 痩せて土の色をしていた頬は、女王様がうっすらと雪を積もらせたので白く滑らかになっています。髪は、元々金色だったのが白っぽく褪せてしまっていたのですが、霜を纏った今は銀色に輝いています。もちろん、雪の女王の銀色の月の光を紡いだようなお(ぐし)ほどの美しさではないのですが。

 女の子の目だけが、村にいた頃と変わらず晴れた日の空のように青く、女王様を見上げて笑っています。


「おへやは、キレイにしてあります。どうぞゆっくりおやすみください」

「そう、ありがとう」


 雪の女王の長いドレスの裾を摘んで、女の子はお部屋へとついていきます。氷の廊下を歩く間に、女王様は女の子が生まれた村の様子も話して聞かせてあげるのでした。お父さんとお母さんが歳を取っておじいさんおばあさんになってしまったこと。お友だちが結婚して子供ができたこと。南の国の兵隊が凍ってしまったのを女の子が喜んだのは、みんなが襲われずに済んだからなのです。


 女王様たちが歩いていると、お庭から銀色の狐がやってきました。ふわふわと柔らかそうな毛並みも、もちろん細かい氷で覆われています。狐はこん、と嬉しそうに鳴くと、ぴょんと跳び上がって女王様の首の周りに巻き付きました。

 人間の女王様やお姫様も、狐を襟巻きにします。でも、それは寒さを防ぐために狐を殺して毛皮だけを手に入れるのです。この狐は、雪の女王が大好きだから、そばにいたくて襟巻きの役を買って出ているのです。それに、女王様が寒いだなんでことはありえませんから、狐はただ銀色の毛並みで女王様を飾ってあげるだけなのです。


 この狐も、雪の女王が宮殿に迎え入れたしもべのひとりです。

 まだ若くて、雪の中でリスもウサギも見つけられなかった狐は、クマの真似をして魚が捕れるかもしれないと、流れる川をのぞき込んでみたのです。けれど、岸辺だと思っていたところは積もった雪が張り出していただけでした。雪と一緒に川に落ちて。冷たい水でみるみるうちに動けなくなって。川原に流れ着いた狐は、他の鳥や獣のごちそうになりました。

 雪の女王が見つけた時、食べ残されていた毛皮がとても綺麗だったので、氷の宮殿に連れて帰ってあげたのです。かじられてしまったお腹は雪が詰まってふっくらとして、鳥がつつき出してしまった目には、透明な氷の球が嵌められています。そうして元通りの可愛らしい姿で、狐はもうお腹が空くこともなくのんきに暮らすことができているのです。




 雪の女王のお部屋の前に出ると、女の子の召使が走り出て、得意顔で扉を開けました。女王様がお出かけの間、部屋を綺麗にしていたのはこの子ですから、褒めてほしいと思っているのです。

 でも――


「……あら」


 氷の彫刻を施した扉をくぐった女王様が、とても機嫌の悪そうな声でつぶやいたので、女の子は慌ててお部屋の中へ入りました。そして、口を手でおおって言葉を失ってしまいました。


 お部屋には、真っ赤な花びらと緑の葉が眩しい、薔薇の花が飾られていたのです。


 白と銀の煌きだけで飾られた宮殿には、赤も緑も派手すぎます。何より、女王様は時が来ると枯れて腐ってしまう生きた草花はお好きでないのです。

 女王様がお怒りだからか、部屋の中に冷たい風が吹いて小さな雪の欠片を吹き上げました。襟巻きの狐も、何をやっているんだ、と言わんばかりに牙を剥いて低く唸っています。


「じょおうさま、わたしがしたのではありません!」

「ええ、分かっているわ」


 涙の粒をぽろぽろとこぼしながら――これもすぐに凍ってしまうので、真珠の粒が女の子の頬をこぼれるようでした――訴える召使に、女王様は軽く頷くとほう、とため息をつきました。


 すると、薔薇はあっという間に凍りついてしまいました。


 これでもう枯れてしまうことはないでしょう。それに、薄い霜のヴェールをまとってしまえば、花びらの赤も葉の緑も、氷の宮殿にふさわしい冷たく冴えた色合いに見えます。

 女の子はそれを見て安心すると、唇を尖らせて女王様に訴えました。悪いのは自分ではないと、言いつけなければならないと思ったのです。


「あいつです。あいつはいつもおかしなものをもちこむんです」

「そう」

「そうかとおもえば、このまえはつののおれたトナカイをおいだしてしまいました! かわいそうに!」

「困ったわね」

「じょおうさま、あいつをしかってやってください!」

「そうね」




 女の子の召使があいつ、と呼んだのは、雪の女王がついこの間つれて来た従者のことです。弓矢を手に雪の中で倒れていた猟師ですが、金の髪に青い瞳の美しい若者だったので、氷の宮殿の従者にふさわしいと女王様は喜んだのです。

 でも、今女王様は跪く従者を氷の玉座から冷たい目で見下ろしています。


「どうしてあのようなことをしたの?」

「はい……」


 ご主人様に睨まれて、従者は困ったように凍った睫毛に縁どられた目を瞬かせました。


「お部屋に飾る花を探しに行って……西の領主の温室で、ちょうど薔薇が咲くところだったのです。赤と緑が、とても綺麗だと思ったのです」


 雪の女王のしもべたちは、雪のあるところならどこへでも行けるのです。だから領主の庭に忍び込んで温室から薔薇を摘むことだってできるのですが――女王様は呆れてまたため息をついてしまいました。


「咲いた花は枯れるでしょう。萎びた花びらは落ちてしまう。そうして宮殿を汚されるのは嫌なのよ」

「申し訳ありません」

「トナカイを逃がしてしまったのはなぜ?」


 女の子が言いつけたのは、喧嘩で角が折れてしまったトナカイのことです。トナカイは角で雪を掘って食べられる草を探すのですが、片方しか角がないのですっかり痩せてしまっていたのです。氷柱(つらら)の角をつけてあげて、氷の宮殿で女王様のそりを引かせるはずだったのですが。


「春になれば、雪を掘らなくても草が食べられます。それまで生きることができたなら……また恋もできるのではないかと思ったのです」

「困った子ね……」


 雪の女王は首を傾げ、眉をひそめてつぶやきました。女王様は春や夏の話も好きではないのです。氷の宮殿に仕える者は、皆それを知っています。それに、凍りついたしもべたちは、女王様と同じように白い雪や静かな冬、永遠に溶けない氷の世界を愛するようになるものなのですが。


「どうしてお前だけ変なのかしら」


 女王様は銀色の目、月明かりに輝く雪原のような美しい目で従者をじっくりと眺めました。そして、気づきます。


「お前にはまだ血が流れているのね」

「そうなのですか」


 今度は従者が困ったように首を傾げました。女王様の言うことが分からなかったのです。


「赤くて熱い血よ。だからこの宮殿になじめないのね」


 雪の女王は水晶のように煌く氷の玉座から立ち上がり、従者に歩み寄ると指先で命じて立たせました。


「芯から凍ってしまいなさい。そうしたら、もうおかしなことはしなくなるでしょう」


 女王様は真っ白な指を伸ばして従者の頬にかかる髪をのけると、そっと唇を差し出させました。雪の女王の口づけは何もかもを凍らせるのです。従者の身体にわずかに流れている赤い血も、硬く凍ることでしょう。そして同時に、従者に残った人間らしい感情も、凍えてなくなってしまうのです。


 女王様の唇が、従者の青ざめた唇に触れようとした時でした。ばさばさと翼の羽ばたく音がして、ふたりははっと顔を離しました。


「――どうしたの?」


 ふたりの間に割って入るように飛び込んできたのは、一羽の鴉でした。雪の女王のしもべらしく、翼は氷に覆われていて、人の世界で見られるような真っ黒ではなく古びた銀細工のような鈍く光る色合いになっています。

 この鴉は女王様のお使いや伝令です。雪崩(なだれ)の時に飛び立つのが遅れてばらばらになってしまったのを、氷でつなぎ合わせたのです。


 女王様が差し出した腕に止まると、鴉はかあ、と鳴きました。すると、氷の壁には鴉が見てきた光景が映し出されました。


 そこにいたのは、雪の中をよろめきながら歩く人間の娘です。それも、ただの雪原ではありません。氷の宮殿を取りかこむ、人の世界と女王様の世界の狭間の場所です。普通の人間には立ち入ることができないはずなのに、娘は宮殿を目指しているようでした。


「じょおうさま、どうしましょうか」


 心配そうに問いかけるのは、召使の女の子。周りには、女王様の兵隊たちもやって来ています。

 白熊に狼、鋭い爪のフクロウも。雪のような白馬と並んでいるのは、鎧をまとったたくましい騎士。人間の王様よりも、雪の女王のために戦いたいと氷の宮殿にの門を叩いたのです。


「女王様、何なりとご命令を」

「そうね……」


 鎧の騎士はうやうやしく頭を下げましたが、女王様が見ているのはあの変わり者の従者の方でした。この若者が、とても驚いた顔をしているのが気になったのです。


「用があるなら聞いてやっても良いでしょう。さあ、門を開けてあげなさい」


 女王様が命じると、しもべたちは揃ってうなずき、それぞれの仕事に取りかかりました。


「お前はわたくしのそばにいなさい」


 従者は何をすれば良いのか分からない様子だったので、女王様はわざわざ声をかけてやりました。




 宮殿の広間に通された人間の娘は、赤い髪に緑色の瞳をしていました。従者が持ってきた薔薇と同じ、雪の女王がお嫌いなにぎやかすぎる色です。でも、娘を見ても女王様が眉をひそめることはありませんでした。雪の中を歩いてきた娘には全身に雪がまとわりついていて、凍った薔薇のように宮殿に似合いの青白い色合いになっていたのです。


「人間のお客は珍しいわ。どうしてわたくしのお城を訪ねたの?」


 がたがたと歯を鳴らして震えている娘に、女王様は問いかけました。ここが人間の宮殿だったら、蝋燭の灯や暖炉の炎で寒いだなんてことはないのでしょうが、この雪の女王の宮殿は、生きた人間のためにはできていないのです。

 女王様に答えたのは、娘ではなく従者でした。言葉によってではありません。女王様のそばから離れて、娘に駆け寄りながら叫んだのです。


「リュドミラ! どうしてこんなところへ!」

「ああ、アリョーシャ! やっぱりここにいたのね!」


 娘の叫びが白い(もや)を生んだのに対して、従者の吐く息は何も起こしませんでした。雪の女王のしもべだから、女王様と同じように氷の息をするようになっているのです。でも、娘はそんなことにも気付かないようで従者にしがみつきました。そして、玉座の女王様を見上げて訴えます。


「この人は私の恋人でした。狩りから戻らないから諦めろとみんなに言われました。でも、綺麗な若者だから雪の女王様に召されたのかもと言う人もいたのです。だから、もしかしたら会えるのではと……」


 従者も娘を抱きしめながら言いました。


「しもべにしていただいたご恩は忘れません。女王様にお仕えできるのはとても嬉しいことでした。でも、私はこの娘のことを忘れてしまっていましたが、心のどこかで覚えていました。だから薔薇に目を留め、春や夏の恋を口に出してしまったのです」


 そして、ふたりは口を揃えて女王様にお願いしました。


「どうか私たちを人の世界に返してください。愛する人と暖かい暮らしをしたいのです」


 女王様はしばらく何も言わないでじっとふたりを眺めていました。従者が何か言うたびに、ほんの少しですが靄が生まれるのに気づいたのです。しもべのことなら女王様には何でも分かります。従者の血が、少しずつ溶け始めているのです。


 でも、なぜでしょうか。


 従者と抱き合っている娘は、まだ生きているから温かいです。でも、氷を溶かせるほどの熱さなんてありません。それどころか、こうしている間にも娘の頬も唇も、どんどん白く凍えていっているのです。もうしばらく待てば、女王様は新しい侍女を手に入れることもできるかもしれません。


 けれども娘の瞳には確かに火が灯っていました。夏の日差しのように熱を持ち、若葉のようにみずみずしい緑色の瞳。まるで広間が暑苦しくなってしまった気がして、女王様は雪の結晶をレースのように繋ぎ合わせた扇で、ゆっくりと顔をあおぎました。


「でも、帰っても辛いだけよ」


 そして扇をたたむと従者の手足を指し示します。


「お前の指や爪先は凍って取れてしまったでしょう。この宮殿ならば何も不自由はないけれど、人の世界ではそうはいかない」


 言われて初めて、娘は従者の手を取ってじっくりと眺めました。女王様の言うとおり、従者の指の何本かはきらきら輝く氷でできています。しもべのために、女王様は欠けたところを雪や氷で作ってあげるのです。


「人の世界に帰ったら、氷の指は溶けてしまうのよ」


 喜びに輝いていたふたりの顔が、みるみるうちに悲しみで凍りつきます。指がそろっていなければ、弓を引くことできません。従者はもう猟師として暮らしていくことはできないでしょう。それどころか、歩くことさえ大変になってしまうのです。


「一緒にいたいのならばお前もこの宮殿に来れば良い。寒さに震えることなく、悲しみもなく、今の姿のままで。ずっとわたくしに仕えておくれ」


 そう言って、女王様はふたりに笑いかけました。とても冷たいのに、同時にとても優しい微笑みでした。恋人のためにはるばるこの宮殿までやってきた娘のことを、女王様はとても気の毒に思ったのです。

 娘の顔がどんどん白くなり、凍った息が霜となって頬に貼りついていくのも哀れな有り様でした。生きた者にとって寒いことが恐ろしいことなのは女王様もご存知です。だからこそしもべたちを凍らせて、寒さを感じなくてすむようにしてあげているのです。


「いいえ……」


 でも娘はきっぱりと首を振りました。


「私はやっぱり帰りたい。帰ってきて欲しいのです。女王様の宮殿はとても美しいですけれど、何もかも凍りついています。私は春も夏も秋も好きなのです。たとえ猟師はできなくても、ふたりで支えあって生きていきます」

「なんてぶれいな!」


 叫んだのは召使の女の子でした。女王様のご用があった場合のために、ずっとそばに控えていたのです。

 ふたりのために言ってあげたのを断られて、女王様もお怒りでした。どこからともなく吹雪が舞い込み、娘も従者も雪の像のようになってしまいます。


「その子は、大きくならないではないですか。ずっと子供のままではないですか」


 口の中にも吹き込む雪に息を詰まらせそうになりながら、従者も必死に言いました。


「私たちは子供を育てて歳を取りたいのです。この宮殿にお仕えできるなら、人の世界での役目を終えたその後に、どうかまたお召しください」


 雪の女王の怒りの吹雪はどんどん強くなっていきます。もうすぐにも、娘は凍りついてしまいそうでした。従者が抱きしめているとはいっても、その従者だって氷と同じ冷たさなのです。


 このままふたりとも凍らせてしまおう。そしてしもべにしてしまおう。


 女王様はそう思ってふたりを雪で覆いつくそうとしました。そして、それはとても簡単なことのはずでした。雪の女王は冬を治めるお方ですから、ただのふたりきりの人間よりもずっとずっと強い力を持っているのです。雪の重さで押しつぶすのも、芯まで凍らせてから粉々に砕くのも。女王様の思いのままのはずでした。

 でもそうはなりませんでした。いいえ、凍らせることができないというだけではありません。女王様が雪を強めれば強めるほど、従者の血は溶けて熱く全身を巡っていきました。吹き荒れる冷たい風は、娘の瞳の炎をますます激しくかき立てました。


 ふたりの血と炎はあまりに熱くて、宮殿を溶かしてしまいそうでした。どんなに雪をぶつけても、風で飛ばそうとしても、抱き合ってしっかりと立っていて。ちっぽけな人間なのに、思い通りにならなくて。あまりに苛立った女王様は、とうとう声高く叫びました。


「お前などもういらない! どこへでも行ってしまうがいい!」


 その瞬間に、従者は雪の女王のしもべではなくなってしまいました。氷の指先が床に落ちて砕け散り、熱い血が氷にさまたげられることなく流れ出します。雪の色だった頬に赤みが差して、青い唇も薔薇の色に戻ります。初めて寒さを感じたように震え、爪先の氷も砕けたのでよろめいて――従者は娘に支えられました。


「女王様――本当に、良いのでしょうか」


 追い出されるというのにとても嬉しそうな従者を見て、女王様はふいと顔を背けます。


「帰ってきても入れてなどやらない。人の娘と苦しんで生きるがいい」


 恐ろしいお言葉を掛けられて、凍えそうに青ざめていた娘は、それでも顔を輝かせて笑いました。夏の日差しのような、まぶしく明るい笑顔です。


「ああ、ありがとうございます!」


 従者と娘が夏の気配を呼んだのでしょうか。広間の吹雪も収まって、どこからか柔らかく暖かい日差しが差し込んできます。


「早く、わたくしの宮殿から出て行きなさい!」


 氷に似合わない暖かさと明るさに、女王様はいっそう怒って、従者と娘に命じるのでした。




 二人が去ると、雪の女王の氷の宮殿は元通りの静けさと冷たさが戻りました。女王様のお怒りも収まって、凍った水面のように穏やかなお顔で召使の女の子の髪を梳いています。


「よろしかったのでしょうか……」


 女王様が綺麗な顔の若者を気に入っていたことを知っているので、女の子は恐る恐るたずねました。


「しもべが去るのはよくあることよ。勝手にすれば良い」


 女王様の答えは冷え切っていて、さっきまでのお怒りも、しもべがいなくなった悲しさや寂しさもまったく感じられません。

 人間のしもべは、時々もといた世界に戻りたいと言い出すことがあるのでした。たいてい手足のどこかを寒さでなくしてしまって、苦労するのが分かっているのに不思議なことです。けれど、そう帰りたいと思ったしもべの心を変えるのはとても難しいのを、女王様はもう知っているのです。


「静かになって良かったわ」

「わたしは、ずっとじょおうさまのおそばにいます」

「そう。ありがとう」


 女王様の声はとても静かで、氷のように冷え冷えとした響きをしていました。召使の言葉なんて何とも思っていないのかもしれません。それでも女の子は、女王様はすこし嬉しいのではないかと思いました。


 あの鴉がまた飛んできました。旅立った従者と娘を見送ってきたのです。鴉がかあ、と鳴くと宮殿の外の様子が氷の壁に映し出されます。


 外は晴れた朝でした。吹雪は止んで、真っ白な雪が弱々しい太陽の光を精一杯に受け止めてまばゆく輝いています。空には虹もかかっています。

 支えあってゆっくりと雪の原を進むふたりは、虹の門をくぐろうとしているようでした。

 それは、ご機嫌の良い女王様がふたりに贈った冬の美しさだったのでしょう。

2016/2/8 挿絵を削除しました。

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[良い点] この物語の世界のイメージが膨らむ、とても綺麗で素敵なイラスト。 氷の結晶のように美しい言葉の数々です。 [一言] 去年の冬童話で、拙作「金の馬」をツイートしてくださいましてありがとうござい…
[一言] はじめまして。相互ユーザさんのツイッターを辿ってお邪魔しました。 柔らかいのに気品のある文体が素晴らしく、心地よく読み進めることができました。アンデルセン童話を彷彿とさせる透明感です。 …
[良い点] 描写がとにかく美しく、氷の煌めきの音が聴こえるようでした。 そして、厳しく美しい女王様は、まさに冬そのもの。 ちらりとしか見せない優しさに、完璧さが際立ちます。 男女の愛の暖かさも、静かに…
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