第9話 来訪 前編
道なき獣が作りした山道を歩く二人組みがいた。二人の身長差から親子、もしくは家族と思われる。二人からは親近感を感じる歩幅、相手を気遣う立ち振る舞いから、近しいものと推測できる。
二人ともに頭を被える布が着いた緑色の外套を着ており、周りの木々とほぼ同化していた。
二人がこの外套を身に着けているのにはわけがあった。
獣に襲われる危険性を少しでも減らす事と、人間に見つからないようにする事。
しかし、そんな危険性を考慮した事も山道の木々の間から見える斜面の隙間から、煙が上がっているのを目にすれば意味がない事に思えてくる。耳を澄ませば薄っすらと聞こえてくる叫びあう声。悲鳴や罵声などさまざまな声や音が聞こえてくる。
「戦か」
身長の高いほうから、女性らしき声で、まるで鏡の向こうで起こる様子を見るような冷たい言葉が聞こえる。
「師匠助けに行かなければ!」
もう一人小柄のほうからは、まだ幼き声変わりがしていな中世的な甲高い声で焦った風な口調でとなりの女性に言葉をかける。
「左近、お前のくりくりお目めは、ちゃんとあれが見えているのかい?村が野武士に襲われているようだが、襲っている野武士の数、ちゃんと見えているのかい?」
「ここから見える限りですが、50はいるでしょうか?」
「村を襲っているのが50として、後詰を用意していない保障はない。全部で100を超える野武士がいたと過程して、助けにいくのかい?」
「師匠ならどうにかできます!」
女性は頭が痛くなったのか右手で額を押さえる。
左近と呼んだ少年から、強く光輝く憧れる眼差しを向けられ、大きくため息を吐く。
確かに自分なら、あのぐらいの野武士相手なら500人いても余裕で退けられるだろう。
しかし、助けにいく気が出ない。その事をこの少年にどうやって説明すればいいのか言葉を考える。
「左近、不幸な事が起こる。日々起こっている。今も目の前でも起こっている。あそこにいる野武士を屠る事は簡単だが、50~100の人間を屠るのかい?」
左近は師匠が言わんとしたことが理解できた。
”命”だけでみれば、今あそこで暴虐の限りを尽くしている野武士とて1つの命。左近は50~100人の命を今から、師匠に殺しにいけとお願いしている。
それでも左近には葛藤があった。
「じゃあ、罪もない村人を見殺しにするのですか?」
「左近、質問を質問で返すようで悪いが、私は日々、罪もない人間を見殺しにしている。さっきも言ったが”毎日命のやりとりが行われている”それを目で見ていないだけ。そして今回”たまたま”目にしただけだ。このまま、この場を去っても誰も文句は言わないだろう。言われる筋合いがない。で助けにいくのか?」
「お願いします」
女性は天を仰ぎたくなった。
まっすぐに見つめる純粋な少年の瞳に映る自分があまりに輝いて見えた。
この少年は馬鹿ではない。自分の言葉をしっかり理解している。7歳にしてはよくできた子供だろう。
しかし、頑固だ。良い言い方をすれば一途。
信念を曲げない強さはいいんだが、それを向けられる自分の身にもなってほしい。
女性はもう一度ため息をつく。
すでに村には火の手が轟々と上がり、村は半分火の海に沈んでいる。今からあそこに行って、野武士を蹴散らすのか・・・。
笑いたくなった。
いやすでに笑っている。
それを左近は、むすっとした顔で見ながら、自分の意見が聞き入れられない事にわがままをいう子供の顔になっていた。
おもちゃを気軽に買いに行くのとは訳が違うんだよ。そう口から出そうになる。
気軽にお願いされたわけではないんだが、どこかこの子は命のやり取りを軽視しているのではないだろうかと悩んだりする。
「わかった。もうそんな顔をするな」
どうもこの子のわがままには、頭が上がらないようだ。
師匠が弟子のわがままを聞くなんて話しを聞いた事がない。これじゃあ反対ではないかと愚痴をこぼすが、手は動いていた。胸に締まっていた筆と綺麗に長方形に切られた白紙を取り出し、筆を口に加え、白紙を両手で挟み、”氣”を込める。
少し、しおれていた白紙が、皺を伸ばして、伸び上がりそのままの状態で固まる。
筆を口から放して、白紙に文字を書いていく。
そして文字を書き終えると、空に護符となった白紙を投げると1枚だったモノが10枚に別れ、さらに異形のモノへと変化する。
女性が使ったのは陰陽術であり、その中で”式鬼”と呼ばれる術者が操る事ができる化け物だ。その化け物の容姿は猿を大きくし筋肉が盛り上がり、口から生える牙も鋭く、体毛で覆われている。
”式鬼”は大きな刀を背中に背負っており、命令を待つように体を丸めて跪いた状態で待機している。
「”猿”よ。あの村を救って来い」
「「”カシコマリ”」」
一瞬で姿を消した”猿”達は木々を使って坂を下り2分もしないうちに、村へ降りていった。
「これでいいだろ?左近、行くぞ」
左近は最後まで見届ける気でいたが、村が救われる事が”確定”し、その後は見る必要なしと、疲れた様子で歩き出した師匠の後を追いかけていく。
実際この後、村がどうなったかわからないが、きっと救われているはずだと左近は強く確信していた。
ゆっくり目を開けると、いつもの自室だった。
「懐かしい夢でした」
忘れたわけではないが、しばらく思い出していなかった話である。
師匠と旅の途中であった一幕。
なぜか急に師匠が自分を呼んでいる気になった。
「たまには会いにいかないと、あの方はすねると怖いですからね」
掛け布団を横に避けながら、上半身を起こし、一息つく。
そこへ、コンコンと扉を叩く音が聞こえる。
「どうぞ」
「よう、起きたか左近」
部屋に入ってきたのは、先日主従関係を結んだ宮平和真だった。
左近と主従関係を結んだ事で和真の砕けた話し方は、本来ありえないはずであり、敬いを持って接するべきなのだが、左近がそれを拒否し、今までどおり接してほしいと言われた事で、和真はしぶしぶ了承したのだった。
左近からすれば、たどたどしく自分を敬う和真の行動がおかしくて、やめさせたわけだが、それとは別に、目の前にいる和真の様子がどうも自分を待っていたように思えて、質問をする。
「どうしたのですか?」
「ちょっといいづらい話なんだがいいか?」
「ええ、かまいませんけど?」
「お金がない」
びくっと体を固まらせる左近。額からは少し汗が浮かび始める。
その様子を見て左近が何かを知っていると確信を得て和真はため息をつく。
「知ってたんだな」
「うぐぐ」
「誤解のないように言っておく。盗人が入ってきて医学所の金を盗んだわけではない。無駄使いをして、浪費したわけでもない。医学所、島津左近は繁盛している。なのにお金がない。どういうことか説明してもらえますかね?主よ」
「ちょっと今日は夢見でお告げがあって師匠の所に・・・」
「今は早朝だ。じっくり説明してもらってからでも十分間に合うよな?」
「・・・はい」
和真は小さくなる左近を見て、これじゃあどっちが主かわからんなと、悲しくなる。
左近の説明を受けて、和真は頭が痛くなる。
簡単に言うと医療費は格安、しかも組合に請求している額は”ザル”つまり適当なのである。
医療費は主に3つに分れる。診断料、治療費、薬代。
実はこの中で一番高いのは薬代である。
薬草は山に獲りに行かなければならず危険も含まれる。護衛の傭兵を雇ったとしたら危険な分の経費は大きいだろう。さらに市でも取引されている数に限りがある。
どうしても希少価値が高くなってしまい、材料費が上がってしまうのである。しかし逆に言うと、一番の稼ぎどころでもある。
良心的にも、もらっていいはずの薬代をザル扱いしているのは、左近だけであろう。
苦笑いをする左近に、どうやって説教をするかを考える。
「あのな、左近。この医学所が潰れて困るのは誰だ?俺達か?違うよな?」
なみだ目になりながら頷く左近。
そんな主人を見て、なんでこんな悪役を俺がしないといけないんだと心から神様に文句をいう。
「確かに、民衆から高額な治療費を取れば俺だって怒るが、まず最初に、左近が提示しているこの3つの医療費、すべてが基準値以下だ。正直、医学所をこれから続けていける金額じゃねーんだよ。しっかり組合に請求しても、左近、罰は当たらないぜ」
「けど、組合からもらう金額が増えると、みなさんの負担が増えますよね?」
「増えるだろうけど、ここがなくなったらもっとお前のいう”みなさん”は大変になるんだぞ!」
和真の指摘に口を尖らせて黙る左近。
(こいつ、たまにこんな子供みたいな所あるよな。俺の話しは理解はしてるんだけど、譲らない所とかまじで何でこんなに頑固なんだ。運営費は妥協しないといけない所だろうがよ)
和真はわしゃわしゃと自分の頭を掻きながら、憤りからくるイラつきを整理していく。左近のいう事もわかるし、民に対してここまで気前がいい奴も珍しい。
正直そこに惚れているといってもいい。
だが、自身の生活も間々ならず、身を投げ出して民衆に尽くすのは違うような気がする。
和真はふと気になった事を質問してみる。
「今までも同じような事があったはずだ。頑固なお前の事だから絶対にあったはず。どうしてたんだ?」
「・・・・どうしてたとは?」
「お前わかって聞いているよな。じゃあはっきり言うぜ。お金なくなっていっちもさっちもいかなくなってどうやってここを維持してるんだ?組合からは絶対に金はもらってないはずだよな?」
「・・・まちに・・」
ボソボソと珍しく口ごもる左近を和真は睨みつける。
意を決したように、顔を上げ早口で左近は言う。
「花街でお金借りてます!」
「花街!?」