第7話 和真
「あ、左近先生、お帰りなさい!」
町民区間にある自分の医学所に戻ってきた左近を出迎えたのは、医学所と同じ並びにあった空き長屋に住み始めた草道あゆかだった。
左近がいない時間帯は彼女が医学所で自習している。夜空に満天の星空が広がる時間まで医学所で左近から出された課題をこなし、昼間は左近の助手をしながら、実習を行っている。
まだ、夕日が空を赤色に染め始めた頃なので、あゆかが医学所で自習していてもおかしくないのだが、どこか、そわそわした仕草で、玄関に立つ左近に寄っていく。
「どうかされましたか?」
「先生、お客様が」
「お客ですか?患者さんではなく?」
「はい」
少し声が震えてどこか怯えたようなあゆかの肩をそっと掴み、わかりましたと返事をする。しかし今日、来客が来る予定はなく、もし約束をしていたなら本日篠家に行く事はなかった。
診察室にいると告げられ、足を運ぶと、そこには見知らぬ男性が椅子に座っていた。
「あんたが島津左近か?」
「えぇ、そうですが。あなたは?」
「俺は、宮平武者村の宮平和真だ」
初めて聞く名前に、左近は首をかしげる。和真は立ち上がり左近を威嚇した態度で見下ろしながら睨みつけてくる。着物から露出している腕の肌は浅黒く、着物の上からでもわかる重厚感を感じさせる体格をしている。顔も同じように日に焼け、眼力から意思の力強さを感じる。
己の信じた正義にはまっすぐ突き進むような印象を受ける和真からは篠家の人間達と同じような左近を見下しているような印象を受ける。
「あの、私が何か?」
「民達から高額な医療費を取ってるって話じゃねーか。三流以下の医者で、なんの治療も出来ない詐欺師と聞いている」
「それで?」
「俺はそういった奴がでーきれーだ。お前の根性を叩きなおしてやる」
和真の右拳が左近の腹に叩き込まれようとした時、すり抜けるように和真の体が泳ぐ。体勢を崩した和真の背中を左近が押し、そのまま玄関に顔を突っ込ませる。
倒れている和真の横を抜け玄関から表に出る左近。
起き上がり、ふらつく頭を振って意識を鮮明にすると和真は立ち上がり、表へと出る。
「てめー!いい度胸してるじゃねーか!!」
「あのまま診療所で暴れられても困りますから、外でやりましょう」
「ふざけやがって!」
和真は大きな腕を振り回し、拳を何度も突き入れようとするが、左近がまるで綿毛のようにふわりとかわし、次第に和真の額に汗の玉が浮き始める。
まるで御伽噺に出てくる鬼を軽くいなす若武者のような動きで、和真の攻撃をさばいていく。
その左近達の様子を見るために、長屋の町民達が野次馬のように集まってくる。
体力を使いきったのか、肩で大きく息をする和真が地面に大の字で倒れ、悪態をつく。
「くそー!何であたんねーんだよ」
和真が悪態をついた時に、町民の間を割って役人が馬に乗って現れる。刀を差した役人は馬から下りると、迷いがなく和真のほうへと歩いていく。
「馬鹿息子がこんな所で何をしておる」
「親父・・・」
「お前には村の長として、勤めるようにといってあったはずだが」
体力が戻ったのか、和真はその場に座りなおし、役人である父の話を耳をかきながら聞いている。
「ちょっと、退屈だったので村から遊びに来たら、そこの島津左近の話を聞いてお灸を据えてやろうかと」
「この大馬鹿ものが!!」
父から大きな怒鳴り声が発せられ、和真は目を丸くする。
「誰から何をどう聞いたのか知らんが、左近殿はいまや町民の間にはなくてはならない存在。お前の浅知恵で危害を加えていい民ではないのだぞ」
「あん?だって聞いた話では、高額な治療費に加え、なんの効果もない術を試され挙句には人体実験の道具にさせられるって」
「左近先生はそんなことしないやい!!」
まだ10代にもなっていないような少年が前に進み和真の近くまで来る。その両手は握り締められ、赤くなっており、体も恐怖で少し震えている。しかしその眼差しには覚悟が宿っていた。
「な、なんだわっぱ」
「左近先生の事を何も知らない奴は、みんなそんな事を言うんだ。先生がここに来てからみんな元気になった。鬼が出るかもしれないのに山に登って薬を一人で取りに行ったり、診療時間が終わると歩けないじぃや、ばぁのために一件一件廻って診てるんだ。そんな、先生を・・・先生を馬鹿にするなーーーーー!!」
涙をぼろぼろと流しながら、少年は和真をしっかり見て訴える。その少年に引っ張られるように町民達からも、声が上がる。
その町民達の態度に、自分が思い違いをしていた事に気がつき、和真は立ち上がると左近の前に立つと頭を下げる。
「すまね。どうやら勘違いしていたようだ」
「いえ、わかってもらえれば」
「襲ったのに、それだけでいいのか?」
自分のやった事に対する賠償を求められるかと思った和真だが、左近から何も要求されない事に驚く。
「被害といっても扉ぐらいですし、どちらかといえばあなたのほうが」
暴れていて気がつかなかったようだが、和真の頭はさっき玄関に突っ込んだ時に切れており、血が顔を流れていた。
「大丈夫だ。これぐらい」
「そうは言えないでしょう。傷が化膿してしまっては大変です。あゆかさん処置の方法はわかっていますね?」
「は、はい。じゃあこちらへ来てもらえますか」
あゆかの言葉に、和真は従い診療所のほうへと入っていく。左近は後処理の為、騒がせてしまった事に対し町民に頭を下げる。
「みなさんもお騒がせいたしました。梅吉も怖かっただろう?有難う」
さっきの少年の頭を左近がなでると、うれしそうな顔をして手を振って家に帰っていく。その場に残ったのは和真の父の役人と左近だけだった。
「この度は、不出来な息子が、ご迷惑をおかけしました」
「和正殿の息子さんだったんですね」
「少し血の気が多い所がございまして、村でおとなしくしていると思っておったのですが」
和正と左近は、山に登る際に一度護衛としてついてきてもらった間柄で、その頃は和正は用心棒のような仕事をしており、山から下りてしばらくすると、町民区間の警邏を任される役所に勤める事になった。
時折、左近の医学所に来て話をするようになり、いまだにいい関係を保っている。左近の事情を知る役人は少なく、和正が今回のような事件で仲裁に入る事もあった。
「まぁ、特に問題があったわけではないですし」
「本当にいいのですか?2~3日、牢にぶち込んでもいいんですよ」
「怪我をされたのは本人だけですし、私は問題にするつもりはありませんよ」
「そういっていただけると」
「所で、和真殿が武者村の出身だと聞いたのですが?」
「ええ。我々の一族は昔から鬼と戦う為の護衛役として帝に仕えてきました。私は息子に長を譲り旅に出たのですが」
「そうでしたか・・・」
「では私はこれで、何かあればすぐに役所までお呼び下さい」
「有難うございます」
和正を見送った後、左近が医学所に戻ると和真の悲鳴が聞こえてくる。
「いでー!も、もうちょっと優しくできねーのか?!」
「左近先生にあんな暴力的な事をした罰です」
「それについては反省してるけど、それでも、もぅちょっと優しくできねーか?」
「十分、私の気持ちで優しくできる範囲で優しくしてます」
左近は2人の言い争いに、今までにないにぎやかさを感じ、笑みがこぼれる。
「2人は仲がいいのですね」
「違う!」「違います」
二人の声が重なり、和真とあゆかは顔を見合わせると、逆の方向へ顔を向ける。
包帯を頭に巻いた和真が左近に向き直ると、頭を下げる。
「本当にすまね」
「いえ、本当にもういいですから」
「それじゃあ示しがつかねー!よし決めた。これから俺がここでお前の用心棒をしてやるよ!」
「「はぁ?」」
左近とあゆかが、どうしてこうなったのかと疑問の声を上げるが、和真はうれしそうに白い歯を見せながら、任せとけというのであった。