第6話 術語
左近は離れの屋敷から出て、一人ゆっくりと来た道を戻り、入り口まで進んでいく。来た時と違い、作りこまれた優雅な建物の数々を、ただ驚きの眼差しで眺めながら歩く。
屋敷に通された経緯から、出てすぐに強面の役人が待っており、急がされながら入り口まで連れて行かれるものだと思っていたが、今の所誰に会う事もなく入り口へと進んでいく。
(これらを建てるのに幾人が救えたか・・・)
左近とて、霊的能力が高いとはいえ、常に来た患者全員に霊的治療術を使い続けるのは無理がある。
病人を治療するのに、診察を行い、緊急性のある民に対しては霊的外科手術、治療を施す事があるが、風邪など薬で治療できるようなら、漢方処方を行い投薬を進める。
漢方薬で使用される生薬、薬草の数々は、左近が自ら山に入り採取し、調合を行う。
しかし、薬草の採取、調合を一人で続けるのには、限界がある。
毎日駆け込んでくる患者に、断りを入れ休日を作り、山に入り薬草となる草や木の根を採取し続け、夕方になる前に山を下り、入手した薬材の下処理を行っておく必要がある。
では市(商い区間)で薬材を購入すればどうかという事なのだが、まず出回っている薬草の種類が非常に少ない。山に生えている草を薬草と見分ける事が出来る人間が、それほど多くいない為である。例えいたとしても、これは薬草になるから買い取ってくれと言って買い取る商人がどれだけいるのだろうか?
左近はいきつけの店でしか薬材を取り扱った商店を見たことがない。その店でも薬材の数は少なく、薬材専門店というわけではなく八百屋の延長上で置いてある。
少しでも、薬草を取ってきてくれる人が増えれば、左近が直接買い取る事ができると町内会で話をしたことがあるが、まずは、薬草などの知識は、親から受け継いだ知識によって得られるものであり、金銭に関わってくるので秘匿性が高い。さらに山に入るとなると、鬼が出現する可能性があり、武装した護衛を雇う必要がある事を告げられ、断念した事を思い出す。
これらを解決するには、篠道灌が進める”退魔医術育成”の一環として”薬材部”の設立をしてもらえればいいのだが、彼の考える未来にはそれはないように思える。
噂では、鬼を退治するための”陰陽術”を研究して、そこから新しく”篠流・退魔医術”の開発を行っているらしい。
術の開発に莫大な費用をつぎ込み、この篠医学所を建てたと聞いている。
”退魔医術”も必要だが、帝が言っている事は”医術”の発展であり、それによって増える人口から得られる税を元にさらに、より良い国政を行っていく事を目的としているはずなのに、己の欲の塊である、贅沢を凝らしたこの建物を見て左近は落胆していた。
しかし、別の気持ちも湧いてくる。何も出来ない自分に対する苛立ちである。
噂など耳にする限り、篠家は自分と違う道を歩いているように思えるが、それでも帝が承認した貴族であり彼以外に、”医術”を広めようとする貴族はいない。どんな曲がった形であれ、最終的な目的は同じである。自分のやり方を推し進める篠道灌と自分を比べどちらが本当に民のためになるのか?
師匠の言うとおり、世間に出ず師匠の研究所で、一生を医術研究にささげればよかったのかと考えて意識が少し集中力を欠いていた所、後ろから凛とした通る女の子の声で尋ねられる。
「どなたですか?」
左近が意識を戻し、後ろを振り向くと、まだ10代だと思われる数人の少女達がいた。彼女たちは紺色の服に身を包み、手には勉学で使用しているのであろう冊子が握られており、声をかけてきたのは彼女たちの前に立ち、こちらを睨みつけるような眼差しの女の子だろうと思われる。
容姿は非常に整っており、髪を後ろで一つに束ねみつあみにくくっている。
左近が自己紹介をしようと口を開こうとした瞬間、彼女の右側で立っていた女の子が彼女を守るように一歩前に出る。
「お下がりください。香奈子様」
「内海。大丈夫よ。わたくしが、お尋ねした事ですので下がるわけには、まいりません。ここでひいては篠家の四女である篠 香奈子として恥でございます」
「さすがは香奈子様。私の配慮が足りませんでした」
「いえ、いいのです。内海はわたくしの事を思ってでしょ。何も問題ございません」
一連のやり取りに、香奈子と呼ばれた女の子の周りにいる取り巻きと思われる少女達から、賞賛の声があがる。
「さすが香奈子様でらっしゃいますわ」
腕に抱えた冊子を胸でしっかり握り締め、少女達の目は香奈子を見てうっとりとしているようだった。
状況に取り残される左近が、気を取り直して声をかける。
「あ、あの?」
先ほどまで、怯えていたような少女達は、左近を睨みつけ、いい所の邪魔をするんじゃないという雰囲気をぶつけてくる。
その様子に、香奈子は皆を落ち着かせると、もう一度たずねてくる。
「で、あなたはどちらの方ですか?」
「申し遅れました、私は町民区間で医学所を営みます島津左近と申しま・・」
「あなたが島津左近!!」
一礼するために頭を下げようとした時、香奈子から大きな声が上がり、その目には敵意を感じる。さきほどの懐疑的な睨みつけから、敵意むき出しの悪意ある眼差しをぶつけてくる。ほかの少女達も同じような目で左近を敵視し、内海と呼ばれた少女に至っては本格的に香奈子を守るために体を前にし盾になろうとする。
状況がつかめない左近は少し焦ったような口調で質問する。
「あ、あの。私が何か?」
「貴様ぬけぬけと」
「下がりなさい。内海」
「しかし」
「わたくしが話をします」
「わかりました」
左近の問いかけに、最初に反応したのは内海で、今にも襲い掛かってきそうな雰囲気だったが、それを制し香奈子が一歩前に出る。
「あなたに関しては、帝の民を騙し、貧しい民達より高額な医療費を取りながら、本当はなんの治療も出来ていない詐欺師と伺っております」
「そうですか・・・」
「否定はされないのですか?」
「本音を言えば否定させて頂きたいのですが、今、私がどのような申し開きをしてもあなたに聞く耳を持っていただけるとは思えませんので」
「なるほど、そうきましたか。少しは猿知恵は廻るようですね。しかしわたくしは騙されませんよ。では、ここへは何をしに?」
「篠 道崔様に呼ばれまして」
「兄上に?嘘が下手ですわね。本当はこの篠医学所で知識を盗もうとしていたのでしょ?」
「いえ、そんな事は。今しがた話が終わり、帰る所だったのです」
「そんな風には見えませんわ」
「先ほど、あなたが話された事をお借りするなら、もし私が知識を盗む為に、この医学所に来た場合、こんな広い場所で立って、物思いにふけるでしょうか?」
香奈子の小さい顔が奥歯をかみ締めたようで少しゆがむ。左近のいう事もわかる。確かに、自分が間者だった場合、こんな広い誰でも見つかるような場所にはいないだろう。左近と話してみる限り、間抜けではなさそうだ。
では本当に道崔兄が左近を呼んだという事だろうか?それはきっと町民にひどい治療費を払わしている事に対する注意だろうと推測できる。
きついお灸を兄から据えられたであろうが、ここは自分も一つ言っておく必要がありそうだと左近を睨みつける。
「確かに、あなたがいうように間者であるなら、こんな場所に立っているのは不自然だと認めます。しかし、兄上からどんな話をされたかはわかりませんが、貴族でもないあなたが、”退魔医術”学び、そして悪用し民達を苦しめている事は許しがたい事です。どうせあなたが学んだ”退魔医術”なんて本当はない。ただのはったりがたまたま上手くいっただけの事なのでしょ?」
これと同じような事を言われ続けてきた。”退魔医術”がまだ世間になかった時代。師匠と地方を渡り歩き、地域貴族の祈祷士達と論戦をしながら医術を振るう機会が多く、最終的には今まで師匠が暴力で解決してきた。
左近にそこまでする気力はない。香奈子に沸き立つ怒りもなければ、感情と呼べるものは何一つ沸き起こってこない。
彼女のような意見がまだまだ、大多数でありいちいち対応していたらきりがなく、証明といえば地道に医術を施し、民たちの中で新しい考え方を浸透させていくしかやり方はない。
「今、あなたに”退魔医術士”だと言える証明できるものはございません。何を持って証明と見ていただけるかはわかりませんが、私は町民達の病気を治していく事がその証明だと思っております。ですので今回の件保留とさせて頂きたいのですが」
「そうやって逃げるのですか?証明できる物?あるじゃないですか?」
香奈子が自分の懐に手を入れると、そこから一本の習字で使用するような筆を取り出す。装飾が少し金箔があしらわれた高級そうな感じを受ける。
「これがなんだかお判りになりまして?」
「陰陽師達が使用する”陰陽術”が封印された”乙”の筆ですか?」
術を使う際に、大半の陰陽師達は護符に文字を書き、術を使用するのだが、術の言葉である神言をそのまま書くと非常に長い。そこである定義に基づき、言葉をまとめ、一文を一文字として編集した術語がある。
”簡語”である。
例えば”燃え盛る林をかける竜のごとく”という神言が、火を使うための術だったとする場合、”炎”という簡語に置き換えてたった一文字を護符に書くことで、術を使用する事が可能になる。
しかし、”燃え盛る林をかける竜のごとく”という神言を、どこかに記憶させておく必要があり”炎”という言葉と結びつけておく必要がある。その媒体となっているのが、香奈子が取り出した筆なのである。
術者の力量で使える簡語の量が決まっており、それにあわせて筆にも優劣がついている。
優劣の基準は甲、乙、丙の順番で甲が一番上、丙が一番下となる。
つまり香奈子が取り出した筆は、真ん中という事なのだが、”陰陽術”の簡語が詰まっている筆を取り出してどうするというのだろうか?
「あなたも筆を取り出し、何か術を使ってごらんなさい」
「お断りします」
「自分の立場がお分かりなのですか?」
香奈子が護符を取り出し、筆を走らせる。墨は塗られていないが、そこにはしっかりと黒い墨で書いたような文字の簡語が書かれているようだった。
しかし、左近の表情は変わる事がなく、次に香奈子が起こす行動を見守る。
「イサナキロドト!おいでませ、火鳥!!」
香奈子が護符を空にほうり投げながら、術を唱える。しかし、予定した術は発動せず、護符はそのまま地面に着地する。
その場から、気まずい空気が流れる。
「ど、どうして術が使えませんの!?」
「自分の力量に合わない術は、簡語を正しく書いた場合でも使用する事はできません。それに今回、あなたが護符に書いた内容は、火鳥を呼び出す為の術ではございません。その術は雨蛙を呼び出す為の術です」
術を使用するのに失敗した場合、最悪、”反言”といって術者に、何らかの予期せぬ事が起こる場合がある。本当に何も起こらない場合もあるが、今回は起こってしまった。
少女達の中で悲鳴が起こる。
空から小さな蛙が大量に降ってきたのである。足元を跳ね回る蛙に、少女達もそれにあわせて跳ね回る。
「た、助けて~!」
左近がため息を吐くと、右手の中指と親指を擦り合わせて音を鳴らす。するとすべて蛙たちは砂に変わる。
「これに懲りましたら術はむやみに使用されない事をお勧めします。ではこれにて失礼いたします」
一礼し、去っていく左近に対して、少女達は疲れきったように、その場に座り込み追う気力はなかった。
「このままでは、済ませませんわ。島津左近・・・」
なみだ目の香奈子は左近の後姿を見ながら、砂になった蛙を握り締めていた。