第5話 篠家
「ふぅ~」
今から訪れる場所への足取りが重く、左近はため息を吐きながら、頭の中でこれから言われる事の整理をしていた。
自分が住む平民町から歩いて貴族達が住む区間を進んでいく。平民と貴族の区域を分ける為の仕切り門を役人2人が左右で警備している。
左近はおじぎをしながら、門を通り奥へと進んでいく。貴族が住む区間も3つに分れており、官位が低い貴族は平民町に近い位置にあり、そこから時計回りに中級官位区間、上級官位区間になっていく。
左近が向かうのは上級官位区間にある、篠道灌が推し進める医術を学ぶ医学所。ここに行くのは初めてだったが、高い塀に囲まれ、門構えはさきほど通って来た、門にも負けないほどの大きさ。無駄に贅沢を凝らした仁王像が左右に2体。
聞いていた通りの医学所に、左近の口から、無駄な作りをしているなと、あぁ~と言葉が漏れる。
仁王像を見上げていると、詰め所から役人が2人眉間に皺を寄せ厳つい顔で急いで、こちらにやってくる。
「貴様何者だ!」
ただ仁王象を見上げ、何もしていない左近は、いきなりの大声で詰問され、あきれたように息を吐き、気を取り直して、役人に一礼をして名乗る。
「島津左近と申します。本日、篠 道崔様に呼ばれ只今、罷り越しました」
「ふん、聞いておる。着いてまいれ」
客人をもてなす雰囲気はまったくなく、役人は傍若無人な振る舞いで左近が着いてきているかも確認する事無く、後ろを向き大またで門を潜っていく。
そんな役人の態度に、別の所でも毎回同じような態度を取られているかのようになれた雰囲気の左近はそのまま、役人の後ろについていき、大きな門をくぐる。
(ここは医学所というより貴族屋敷ですね)
役人の早足についていきながら、周りを確認しつつ、進んでいると、役人から何を見ているか!!と怒鳴られる。
一礼し謝罪すると、役人はふんと鼻息を荒く、また早足で進んでいく。
(骨分が不足しているのでしょうか?)
左近の中では、常識な事だが、骨分(魚の骨から取れる栄養素)が不足すると、怒りっぽくなると研究結果が出ており、その事を思い浮かべる。
しかし、この左近の常識は世間ではまったく認知されていない。
こういった世間とのずれが、左近の中に多く存在する。しかし、彼はその事に気づいておらず、以前それを口にした左近に師匠から、頭に浮かんだ疑問などを口にするなと言われていた。
役人は近くにあった屋敷内には入らず、庭を進み奥にある客人用の離れに左近は通される。
「ここで中に入って待っていろ」
離れの中に案内され、6畳ほどの部屋に通される。まだ真新しい畳のにおいが鼻をくすぐる。
案内された部屋の近くで腰を落とし、あぐらで座る。
ほどなく、2人の男女が部屋に入ってくる。
一人は180cmを超える巨漢で顔はごつごつしており、師匠から聞いていた印象どおり、猿を大きくした面構えだった。
師匠いわく”ヒキガエルの子供が猿とは世も末”らしい。
名を篠 道崔。
篠 道灌の長男で、現在、貴族男子の医学術を教える講師をしていると聞いている。歳は30代ほどだろうか?肌の張り加減からもう少し若そうだが、さきほどの猿の印象で、皺が多くふけて見える。
身長と鍛え抜かれた筋肉のせいで、厳つさが増し、新しい人間型の鬼だと言われればそのまま信じてしまいそうな面構えをしている。
もう一人、妙齢の女性が続いて入ってくる。
女子退魔医術学講師、篠 正美だと思われる。
あゆかから聞いていた正美の容姿と一致しており、30代後半を思わせるような顔の皺があり、体型は痩せ型、目は細くつりあがり神経質な印象を与え、鼻は低くその穴は大きい。
一番印象に残るのは大きな口で、ここは父親の道灌と同じ印象を受ける。
先日、正美の生徒である草道あゆかを、左近の医学所に招きいれた。
それについての話だと思っていたが、少し趣旨が違うようだった。
「こうして顔を直接合わすのは初めてか。まずは貴様から名乗れ」
左近の目の前にあぐらで2人は座り、道崔が前触れもなく、敬意など相手に対する真心のようなものは一切なく、相手を格下と見下した言い方で話を進める。
そんな相手に対しても、左近は一礼し、名乗る。
「申し遅れました、島津左近と申します」
「ふん。貴様が左近か。巷ではたいそう、活躍しているようではないか?」
「いえ。そのような事は」
「町民達の医療費を安くし、己の欲を満たす実験動物にでもしているつもりか?」
「いえ。そのような事は」
左近に名乗らせておいて、自分は名乗らず、道崔はおもむろに懐から杯を取り出し、自身の手前に置かれた白い壷から注がれる酒を一気にあおる。
ふは~と吐かれた息が、左近の鼻に届き酒臭く少し顔を歪ませる。
「位も持たぬ、貴様に医術を使う事を認めているのは誰だと思っておる!」
一杯目から何度目か口に酒をつけた頃、左近が何も言わず、ただ話しの流れを待って会話している事に腹を立てた道崔は、立ち上がり急に大声で怒鳴る。
今、退魔医学をお勧めているのは、篠 道灌であり、退魔医術士達の頂点にいるのも彼なのだが、実は左近に退魔医術の使用を認めたのは彼ではない。
左近の師匠である”櫛原 ひのか”なのである。
帝と師匠のひのかは繋がりが深く、このあたりの説明が長くなる為、事情はおいておくとして、左近が酒を飲み傲慢な態度で道崔から何かを言われる筋合いはない。
貴族の位をもっていない左近としては、貴族の”高貴な考え”を持つ彼らを前にこうなる事はわかっていたが、ため息しか出てこない。
酔っているのか、一度あぐらで座りなおしたにも関わらず、もう一度立ち上がり体をふらふらさせながら、左近に右手の人差し指を前に出しながら、本題となる話をようやく持ち出す。
「花右京 こよりの退魔医術による手術を行ったそうだな?」
「その通りでございます」
「我々が、花右京家に対して治療を行う事を確約していた事を知っているのか?」
「知っておりました」
「貴様は我が篠家の尊厳を踏みにじったのだぞ!わかっているのか!!」
「お言葉ですが、こより様はあのまま、ほおって置かれれば確実に”鬼の毒”により死に至っておりました」
「だからなんだ!貴様が名を上げる為に、篠家を穢したのだぞ!」
左近は話がかみ合っていない事に、頭が痛くなる。この手の祈祷師と何度か、手術後にこんなやり取りをしたことがある。
とにかく、左近が自分の名前をあげる為に、強引に手術を進めたと主張し、自分達は何も悪くなかったと言い張るのである。
人の命が関わる病気に対して何も出来ず、ただ神頼みの祈祷を行い、無駄に裸にしたり心身に辛い状況に追い込んで、病状の進行を進めたりなど、左近から見れば殺人のような行為である。
篠家は確かに、こんな立派な医学所を建ててはいるが、中身のない張りぼてだと師匠は言っていた。
まだ退魔医学を祈祷の延長と考えており、過去から未来にまったく進んでいない。
ここで引き下がるわけにはいかないが、どこか妥協点を見つけないと、話が先に進む気配がない。
道崔の話ぶりからすれば、こよりの命など篠家にとってはその辺りに転がる小石と一緒のような発言をする。
明確に怒りを感じ、感情を表に出してはならないと目に光がなくなる左近。
血が繋がっていないとはいえ、親戚筋に当たる花右京家の娘をなんとも思っていない彼の口ぶりは、民衆などもっとひどい扱いだろうと想像がつく。
実際、篠家に関わった民衆の労働者は、ひどい賃金で重労働をさせられていた。
そこで起こる疫病などにも対処する事無く、村ごと焼き払うということまであったと聞いている。
自分達以外の人間は認めていないような態度が、左近の堪忍袋を刺激する。
15歳の少年の精神力がここまで強いのには訳がある。今まで師匠の下で、たくさんの死のあり方を見てきた。
その死は今の知識を持っていれば、もしかしたら助けられた命だったかもしれない。
まだ幼い自分の知識となって死んでいった人たちの事を思うと、少しでも多くの人たちを助けるために最善を尽くさなければならない。
今、目の前にしている巨漢がこれだけ他人の命を軽んじていれば簡単に自分の首をはねる事ができるだろう。
もしくは牢獄に入れられるかもしれない。その期間、誰が病魔から人々を救うのか?
左近は自分が死ぬことの重さを知っている。
ゆっくり目をつぶり、悔しさで、歯をかみ締め、歯茎から血がにじみ出る。いまここで許しを請う行為は裏切りである。
自分に対する裏切り、自分が治療してきた人々への裏切り、師匠への裏切り。
穏便に済ます為、頭を下げるつもりだったが、体が謝ることを拒否し、頭を下げれずにいる。
己の誠実さと向き合ってしまった。
”医術士は誠実と向き合え”
師匠の教えである。
雨の中、あの時、師匠はこういった。
「お前はもう、十分罰を受けている。人の死と向き合って、それを体験した時点で、神様は十分、罰を与えてくださったのだ。それ以上自分を貶めるな。ただ医術士は誠実と向き合えばいい」
救えなかった村。
消えていく魂。
雨に打たれて、空を見上げると頬を伝う雫。
道崔の目を真っ直ぐ見つめ、左近の目に燃え上がるような強い光が宿っていた。
「私は医術士、目の前に救える人たちがいるなら、己の名前など捨て全力で病魔と戦うだけでございます」
「ようゆうた!!ならばわしがお前の病魔となり、その首貰い受ける!」
「やめい!」
それまで、微笑を崩さなかった正美が口を挟む。
「姉上なぜ止めるんじゃ!」
「妾のゆうことが聞けんのか?」
正美の一言で道崔の動きが止まる。
「島津殿、なかなか面白い覚悟であった。今日はもう帰られい」
「わかりました。正美様、最後に、草道あゆか様をお預かりしております」
「知っておる。あんな出来損ないの小娘どうでも良い。どうとでもお好きになさい」
「わかりました。これにて失礼いたします」
その場を去っていく左近に顔を真っ赤にして正美に食って掛かる道崔。
「姉上、なぜあいつを帰した!篠家の尊厳に関わるんじゃぞ!」
「”堺”から話が着ております」
「”堺”から?」
道崔はその場に座り込み、杯を持つと、正美がお酌をしてくれる。
「姉上~さっきは怒鳴ってごめんよ。あいつが俺に逆らうのが悪いんだ~。姉上を傷つけるつもりはなかったんだよ」
さっきとは打って変わって甘えるように正美にくっつく道崔の頭をなでながら、わかっているわと、笑みを浮かべ返事をする。
その笑みには別の思惑も含まれていた。
(島津左近、必ずお前も妾の収集するおもちゃの一部となるのじゃ)
文言の不適切な部分を修正 → 2015/06/30