第3話 霊的外科手術
霊的外科手術を行うために作られた結界の中にはこよりと左近だけ。さよりも同席すると言われたが、手術内容が霊体とはいえ、体に刃を入れることを告げ、さよりには引いてもらった。
横たわる半裸のこよりを前に、白衣を着た左近からは15歳という思春期が持つ青臭さは感じられない。こよりと左近の間にあるのは患者と医者の関係だけ。
左近の右手付近には机が設置されており、その上には綺麗に並べられた護符があった。その机から護符を一枚手に取り、両手で器用に護符を折り始める。出来上がったのは1羽の折鶴。
右手を広げ、手のひらの上にその折鶴を乗せる。そしてそっと息を吹きかけると、まるで生きた鳥が舞うように翼を羽ばたかせ、こよりの頭上でくるくると周り始める。特にそこから折鶴が何かをするような事はなく、左近も次の作業に取り掛かっている。
机の上では護符が一列に並べられているものから、その列の横に2枚だけ、1枚だけのものなどあり、今度は1枚のみの護符を手に取り、右手の人差し指と中指ではさみ、軽く術を唱える。
こよりの体が空中に浮きそして徐々に上下に分れ、下の部分は肉体、上の部分は薄く白く光る霊体が浮かび上がる。
霊体は、左近の胸の高さぐらいで止まり、下になっている肉体には手をつけずそのままで、霊体の頭の位置から新たな護符をかざしていく。
すると、左胸の辺りにかざしていた護符が赤く光り始めるが、左近はそこで手を止めず、全身をかざしていく。足先まですべてをかざし終えるともう一度、護符が反応した左胸辺りを重点的にかざし、赤い輝きが濃い部分で一旦護符を離し、護符を下に捨てると、青い炎を出しながら、捨てられた護符が燃え消える。新たな護符を左近の胸の前で構え、術を唱えた後、息を吹きかける。
護符は赤く反応していたこよりの左胸の上に自動的に飛んでいき、くしゃくしゃと丸まって、やがてカッ!と光を放ち水晶のように綺麗な球体になるのだが、その色は透明ではなく濃い緑色に染まっている。
左近がさきほど作った折鶴に目をやると、折鶴の底の部分が少し赤く染まり始めていた。
「思ったより、波動の喪失が早いようですね。急がねば」
術式を開始してから折鶴を何度も確認していた左近は、以前行った霊的外科手術で波動の喪失量の把握は手術に大きく関わると感じ、この折鶴で判断できる術を組み上げ、こよりの波動の喪失量を砂時計が溜まっていくような目で見て判断できるように工夫していたのである。
ただ折鶴が少しずつ染っていく時間の間を感覚でしか判断するしかない左近は、意識を”鬼の芽”の除去手術だけではなく、こよりの体調管理まで行わなければならない為、非常に高度な神経の使い方を要求されていた。
ふぅっと一息吐いた左近は、次に一列に並んだ護符の一枚を取り上げ、さっきと同じように指で挟み、短く術を唱える。
護符は透き通る短い刃を持つメスに代わり、左近は意識を手元に集中させる。
額には小さな玉のような汗が無数に浮かび上がるが、拭きたくてもすでにこよりの胸にメスを入れている状態なので、手元をおろそかにする事ができず、流れ落ちてくる汗をどうにも出来ない。
滴り落ちる汗にまぶたを使って格闘しながら、それでも落ちてくる汗が目にしみるがどうにか胸骨の間に横一線10センチほどの切り込みを入れる。
切り口から噴出してくる”波動”が一旦緩やかになるのを待ち、待っている間に左近は用意していた手ぬぐいで汗を拭く。
護符を今度は1枚ずつ右手と左手の指で挟み上下に重ね術を唱えると、切り口部分を開いておく開創器が出来上がる。
開創器を使って切り口に、はめ込み少し穴を広げると”鬼の芽”が診える。
”鬼の芽”は霊体の左肺に土から花の芽が出てくるように付着しており、芽の大きさは縦に5センチほど、横に根が張っており血管が血液を流すように気味悪くドクンドクンと波打つように動いている。
左近はさきほど胸を切ったメスとは違うメスを護符で作り”鬼の芽”の根より数ミリ離れた場所にメスを入れる。
メスを入れると、左近は苦悶の表情を浮かべ、額から汗が流れ落ちる。
分厚い肉を切るような感覚ではなく、優しく薄皮だけを切るようにしていく。
数ミリの切り込みを入れる毎に苦悶の表情を浮かべる左近。
霊的外科手術特有の現象と戦っていた。
左近の脳には今、目の前でメスを入れているこよりの霊体と、こよりの苦い記憶を映像として見ており、左近としてはしっかり霊体のこよりの体を目で捉えているのだが、流れ込んでくる苦い記憶に惑わされ今自分が何をしているのか一瞬記憶が飛びかける。それを強靭な精神で立て直し、少しずつメスを入れていく。
”鬼の芽”は人間の体格などでは左右されず個人が持つ不幸な経験を栄養としている。その為、患者の不幸な経験が”鬼の芽”を切除しようとしている術者に流れ込んできて映像として脳に直接送り込まれてくる。
今、左近はこよりの記憶の中にいた。
左近が知っている、こよりよりさらに小さな少女が父親に甘えている状況が見える。微笑ましい映像が急に切り替わり、炎が少女の周りを包み込んでいる。
「お父様、お父様~~~!!」
泣きながら父を呼ぶ少女の前に現れたのは、黒い甲冑を着た強面の武者。急に刀を抜き少女に向け振り上げる。
恐怖で声も出ない少女は、武者に体当たりする父親に助けられる。
「お父様!」
「逃げるんだ。こより!ここは危ない、逃げるん・・・だ・・」
後ろから頭を殴られた父親が倒れていく姿をゆっくりとした時間の中見るしかなかった。その間、心の中でずっと父親を叫び続ける。
次に少女が気づいた時には布団の中で、あれは悪夢だったと安堵するが、母の顔はいつもの幸せそうな顔ではなかった。
「お母様、お父様は?」
「こより、よく聞いてください。父様は・・」
父が上級貴族を私情で殺し、その罪で役所に連れて行かれたという話を聞いた。
「お父様がそんな事をするはずない!何も悪い事はしていない。お父様が人殺しなんてできるはずない!」
泣きながら屋敷を飛び出すが、家の者に押さえられ、ただ泣く事しかできなかった。
左近はこよりの過去を見ながら、こよりのそのとき感じた感情も一緒に味わっていた。
瞳から大きな汗が流れ落ちる。
過去としてどうする事もできない憤りを感じながら、またこよりにメスを入れる。
少女の目の前に、ヒキガエルをさらに潰したような顔の老人が気持ち悪い笑みを浮かべて立っていた。
「こより、今日からこの人が父となる篠 道灌様です。ご挨拶を」
母からは感情といえるものが含まれていない紹介をされて、何も言うことができなかった。
呆然と目の前の醜い老人を見ていると、大きく口をあけ罵声と共に、突き出した足が少女のおなかに飛んでくる。
「人殺しの娘が、わしの寛大な温情により篠家の娘に加えてやるのだ。ありがたく思え」
誰も望んでいない吐かれた心無い言葉と臭い口臭。おなかの痛みを感じる前に嫌悪感を先に感じた。
どうしてこんなヒキガエルが父になるのでしょうか?神様私は何か悪い事をしたのでしょうか?呪詛を唱えるように頭の中を駆け巡る。
この時より花右京家がどんよりとした異様な雰囲気に包まれた気がした。
母は自分の前では毅然に振舞っているが、いつも自室で泣いているのを知っている。
あんなヒキガエルとは離れてほしいといいたくなる。
しかし幼い自分にもアレが、相当な権力者と言う事はわかる。
父の名前である花右京を守るため、母はアレと戦っているのだと家の者達が話しをしているのを耳にする。
お母様、泣かないで。お父様はきっと帰ってくる。
次にお父様を見たときは物言わぬ状態として帰ってきた。
急にこよりの霊体がビクゥ!と跳ね上がり、波動が傷口から吹き上がる。
「まずい!!」
メスを床に捨て、両手を合わせると今までにない長い術を唱え始め、唱え終わる瞬間に心臓がある位置に両手を重ね、最後の術を唱える。
こよりの霊体がさっきより跳ね上がり、まだ吹き出る波動を見て、もう一度最後の術だけを唱える。
すると、吹き上がっていた波動は、ゆっくりと止まっていき落ち着きを見せる。
「今のは危なかった」
折鶴を見ると、半分まで赤く染まっている。後2割から3割ほど赤く染まっていたらこよりは廃人となっていたかもしれない。
一息つき、さらにメスを入れながら、こよりの深い深い悲しみが、左近の精神力をかなり削っていた。
左手を見れば指が軽く痙攣を始めている。
それでも手術を続け8割方、切り終わった頃には左近は、疲れと削られた精神力により顔が蒼白になっていた。
右手も軽く痙攣し始めるが、左手で押さえ込み、どうにか新たなメスを用意する。もう何本メスを作り出したのかわからない。
切り込みを入れていく左近にまたも、思わぬ事態が発生する。
急に”鬼の芽”が大きくなり始め、波動の喪失量が増え始めたのである。
「どういうことですか?!今までこんな事は・・・」
今まで手術を行ってきてこんな現象は初めてだった。
抑えていた左手を使って右手を霊体から離し、ぶんぶんと左手を使って右手の床にメスを落とす。
すでに限界を通り越しており、右手を開く事すら困難になっていたのである。
それでも左近はうつろな目線を机に向け、別の護符を用意し術を唱える。
”鬼の芽”を中心に三角形の結界が浮かびあがり、どうにか”鬼の芽”の進行を抑える。
この状況で一刻の猶予もなくなった左近は、最後の賭けに出るように切り込みを先ほどより大きくする。
脳に流れてくる情報量も大きくなり、思わず声を上げてしまう。
左近自身も、脳に送られてくる情報量が多ければ精神が焼ききれてしまい、廃人と化してしまう可能性がある。
それでも、切るのをやめない左近は、苦行を行う僧のように無心になり、すべての切り込みを入れる。
護符で鉗子を作り出すと、”鬼の芽”を結界ごと引き上げると本体と根っこが一緒に引きあがり、うねうねと気持ち悪く根が動いている。それを大きな護符で包み、左近は疲れたようにその場に座り込もうとするが、左足で踏ん張り、切り口からゆっくり噴出す波動を見て、ふらふらした状態で開創器を取り外し、護符を細くくるくると棒状にすると術を唱え、細長い糸が出来上がる。
頭から用意していた桶に入った水を頭からかぶり、気持ちを引き締める。
「カァーーーー!!!」
大きな声を出して自分に活を入れると、両手で顔を強く叩きこよりに向き直る。
糸は護符で作った針に通し、切り口を綺麗に合わせて縫っていく。
さっきまで震えていた右手は、活を入れたことですでに止まっており、繊細な指使いで切り口が縫合されていく。
最後に護符を縫い合わせた切り口に貼り付け、折鶴を見るとギリギリの所で赤く染まっているのが止まっている。
折鶴の色がだんだん底に下がっていき波動の喪失量が正常になっていくのが確認できる。
手術が成功した事に、左近は気を緩めその場に座り込む。
数分後、ようやく左近が立ち上がり、自分の羽織っている白衣をこよりの上に掛けると、結界を解き外で待っていたさよりに声をかける。
「しゅ、手術は成功しま・・・し・・た」
声もまともに出せない憔悴しきった左近を見て、さよりは驚き篠木を呼ぶ。
手術が終わった時刻はすでに朝から始めて夜になっていたが、左近の手際の良さがあってまだ時間で済んでおり、もう少し長くかかっていればこよりの波動は尽きてしまい廃人となっていたことだろう。
左近はまだやる事があるとふらふらだったが、意識を手放すわけにはいかなかった。
次の日の早朝、小鳥達の鳴き声に反応した、こよりが目を覚ますと腕を組み、ゆらゆらと船をこぐように目をつぶっている美少年がいた。
「もし、もし?大丈夫ですか?」
こよりに声をかけられ目の下に隈を作っている左近がゆっくりと目を開けると、おはようございますと声をかけてくる。
状況がつかめないこよりは、どう反応していいのかわからず、少年の行動を警戒する以外になかった。
失礼と声をかけられ、そっと少年に右手首を捕まえられる。
思わず悲鳴が出そうになるが、乱暴というよりそっと優しくつかまれたのでその声は出ることはなかったが、ドキドキと心臓の鼓動が速くなる。
少年の顔は疲れきったようだったが、笑みを浮かべ、こよりに優しく話しかける。
「もう大丈夫そうですね。あ、申し遅れました私は退魔医術士をやっております島津左近と申します。今回、こより様の手術を担当させていただきました」
早口で語られる左近の言葉に、質問だらけで何からどういえばいいのかわからず、とりあえずお礼を先に言うことにする。
「よくわかりませんが、お医者様が私を手術していただいたという事でしたら、ありがとうございました」
「ゆっくり詳細を説明させていただきたいんですが、一旦大丈夫そうなので、それは後日という事でまた伺います。手術を行った経緯については、さより様よりお聞き下さい。では」
左近はすぅ~と立ち上がり、こよりの部屋を後にする。
こよりはただただ、大きな目を左近の後姿に向けることしかできず、左近がふすまを閉める際に座った状態で一礼する。
廊下に出たところで、左近は篠木に呼び止められた。
「左近様、このたびは誠にありがとうございました」
篠木にお礼を言われるが、それに答えようと顔を向けた時にふらっと体が泳ぐ。
「ああぁ、すみません。ちょっと疲れておりまして」
「それはいけません。ご自宅まで送っていきましょう」
「いえ、牛車に揺られると多分途中で気分が悪くなると思いますのでゆっくり歩いて帰ります」
「では一度、当屋敷でごゆっくりされていかれては」
「いえ本当にお気持ちだけで」
「あ、報酬ですが」
「近日中に、こより様の容態を伺いに着ますのでそのときに、では」
篠木の止める声を振りきり、そのまま花右京家の屋敷を出て、ゆらゆらと街道を歩き貴族が住む区間をもう少しで出ようかという所で、川沿いの道端に倒れてしまう。
(あぁ、まずいですね)
うつぶせに倒れ、そのまま意識を手放す瞬間、声をかけられる。
顔を上げてるが朝の逆光がまぶしくてあまり見えていなかったが女性とわかる大きな胸が特徴的なが人影が目に映り、そこで意識が暗闇に吸い込まれていく。