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第1話 島津左近

 月をどんよりとした黒い雲が覆い、ゆっくりと雨が降り始めていた。

 しとしとと降っていた雨は、だんだんと雨脚が強くなるような予感を感じさせ、白いジンベイを着た少年は、長屋の一番奥にある医学所(病院)の戸締りをし始めていた。

 

 「いやな雲行きですね。何もなければいいのですが・・・」

 

 まだあどけなさが残る顔立ちをした少年から出た言葉は、落ち着きを持ち人生に重みを感じさせる口調だった。

 少年の予感が悪いほうへ的中してしまったのか、雨脚が強くなる中、砂利道を走り、泥が太ももに跳ね上がっても、そんなことを気にする様子もなく医学所のほうへ走ってくる女性の姿が見えた。何かを胸の前で抱きかかえ、息を切らしはぁはぁと呼吸を整えることもできず必死の形相で少年の前に立つ。その様子から緊急性を感じ、少年が医学所の扉をすばやく開けならが中に入るよう促す。

 

 「さぁ中へ、それから寝台のほうへ」

 

 まだ息が整わないせいで声が出ないのか何度も頭を下げ、腕に抱えていた赤ん坊を寝台に下ろす。少年は顔が赤く染まりぐったりとした赤ん坊を手際よく診察していく。目の下、木で出来た聴診器を胸に、背中に当てていき、呼吸音などを確認する。

 女性は、少年が行っている診察が何をしているのかわからないが、両手を胸に心配そうな顔で少年の診察を見守る。

 少年の診察が終わると、ふぅーと息を吐き笑顔で女性に症状を話し始める。

 

 「どうやら風邪のようですね。今から調合する薬と水をしっかり飲ませてあげれば、大丈夫。治りますから」

 「あ、ありがとうございます。”先生”本当にありがとうございます」

 

 何度も頭を下げ、安心したのか少年の手を握り、涙を流しながらさらにお礼を言われ、少年は首を縦に振りながら問題ないですよと、女性を安心させる。

 一旦落ち着いた所で、女性の顔がこわばっていき申し訳なさそうに尋ねてくる。

 

 「あ、あの先生。お代のほうは?」

 「組合のほうから頂いておきますので、今日は今から渡す薬を持って、もう帰ってもらって大丈夫ですよ。もし嘔吐、下痢が止まらないなどの症状が続く場合はもう一度きてください。」

 「そうですか。わかりました」

 

 安心したようにほっとした顔で、女性が赤ん坊のほうへ向き直り愛おしそうに頭をなでる。そんな女性を少年は心ここにない様子で見つめる。

 医療を受けるのに平民ではあまりに高額で個人で支払う事はできなかった。そこで長屋の平民達が集まって作られた町内組合を通して、病気などで多額のお金が必要となった場合にそこで集められたお金を利用して、医療を受けられる制度があった。

 町内に住んでいると必ず徴収され、1軒から徴収される金額は微々たるものだが、集まったお金は町内の人々にとっては大きな心の支えになっていた。

 少年は薬の調合を行う為、隣に設置された薬剤室に入っていき、棚にしまってある複数の木の壷を手に取り、並べて調合していく。

 耳掻きのような先が少し丸みを帯びた棒を使って目分量で図り取り、同じ配合をした薬が10薬ほど並べられ、右手で挟んだ護符を薬の上にかざして術を唱える。

 護符の上を半球体の青い光が現れ、それを見ながら次、また次とかざしていくと、青色の球体が、赤色に変色した薬は取り除き、また次と護符をかざしていく。すべてかざし終わって赤色に変色したのはすでに取り除いた1薬だけ。護符に息を吹きかけると、護符は燃え消える。

 青色に光った薬は1薬毎に紙の真中に集めて、綺麗に折りたたみ5薬ほど手に持って寝台のある部屋に戻る。

 

 「お待たせしました。こちらが薬になります。5日間、朝だけ飲ませてあげてください。できればご飯、あ、お乳になりますかね?食事をされた後にこの薬を、白湯で飲ませて上げてください」

 「わかりました。本当にありがとうございます」

 

 赤ん坊を抱いて1礼をし、女性は帰っていく。ほっとしたのもつかの間、複数の男女がこちらに走ってくる。

 

 「「先生!!!」」

 

 今日はこんな日なのですねと、手ぬぐいで汗をぬぐいながら少年は、紳士的に患者達を対応していく。

 すべての患者を対応し終わったのが、少し太陽が空を明るくし始めた頃。あれからさらに増えていく患者に追われながらも、少年1人で順番に対応していき、時には患者の付き添い人が、乱れた列を整備してくれたりなど、助けられながら気がつけばそんな時間になっていた。

 さすがに疲れたのか、医学所は散らかっており、片付けるには眠気でやる気が起きない。医学所の前に患者達が勝手に持ってきて設置された長いすに横になり、春の風が心地よく感じながら目が重たくなっていく。

 夢現ゆめうつつの中、気持ちよくなりかけた頃、ヌメ~っとした何かが顔の頬を舐める。寝ぼけていてそのヌメりから開放するために右腕で払いのける。

 しかし、払いのけた感触がなく、一旦ヌメりから開放されるが、またヌメ~と感触が襲ってくる。ふらりとした体で、目をあけるとモォ~と鳴く牛がいた。

 

 「う、牛?」

 「失礼、よく眠っておられたので。起こすつもりはなかったのですが、あなたが巷で有名な医師、島津左近様ですか?」

 「あぁ~はい。私が島津左近です」

 

 べったりと顔についた牛のよだれと寝ぼけた顔のせいで情けない顔になっているが、本来は誰もが認める眉目秀麗な少年。

 そんな左近に声をかけてきたのは腰に刀を差し、身なりが整った長身の男性だった。

 

 「あの~どちらさまですか?」

 「これは失礼。私は花右京家の家長を勤めます篠木しのぎ薄志はくしと申します」

 「は、花右京ってあの花右京家ですか?」

 「いかにも」

 

 花右京家とは、最近とある上級貴族と婚姻が発表され、その傘下に入った下級貴族である。

 結婚が決まる前は、都の下級貴族が区間に住んでおり平民に近い立場でまつりごとを行い、平民よりの意見を多く取り入れ当時は人気があったが、今は上級貴族区間に移り住み、平民達から離れた暮らしをする事になり、お門違いな話ではあるが平民たちからは裏切られたと思われ、そのおかげでそれ以来、花右京家の話はあまり良い話は聞こえてこない。

 がそれよりも、左近が気になって名前を聞き返したのは、花右京が嫁いだ先の貴族と少なからず縁があるからである。

 面倒な事に巻き込まれたくないなと言う気持ちが顔に出てしまったのか、篠木は急に頭を下げる。

 

 「お気持ちは、察しておるつもりです。わが花右京家は、あなたもご存知の通り、あの貴族との婚姻により、いまや上級貴族として扱われるようになりましたが、はっきり言って上も下も敵ばかりになってしまいました。しかし、それはそれとしてどうしてもあなたにお願いしたい事がございまして」

 「お願いですか?」

 「こより様を、何卒こより様をお助けいただきたいのです!!」

 「事情を聞くより、行ったほうが早そうですね。支度をしますので少し待ってもらえますか?」

 「いいのですか?まだ詳しい事情も説明せずに」

 「事情は道中で聞きましょう。それより急ぐのでは?」

 「かたじけない」

 

 左近は、長屋に設置されている井戸に行き、水を引き上げると頭からかぶり、手ぬぐいで顔を拭いた後、医学所に戻って変わりのジンベイに着替えて綺麗でつやのある黒い長髪を後ろで束ね、赤色の紐で結ぶと先ほどの情けない顔から凛々しい医者の顔になっていた。

 表で待っている篠木が乗る牛車で、花右京家までの道中に話しを聞く。

 まずは花右京こよりという少女の話。

 年齢は9歳で、花右京家の長女として生まれ、例の貴族と結婚する前の男性との間に出来た子供である。

 こよりの母、さよりの美しさは都で有名だった。そんな美しさに目をつけた上級貴族は権力を武器に花右京家を弾圧し、裏で陰謀をめぐらせ、殺傷事件を起こしたと無実の罪を着せられた夫と別れさせた後、さよりと無理やり婚姻を結んだのだった。

 その上級貴族とは、この国を治める朝廷の2大政党の内の一つ”篠家”であり、この国の平均寿命が50歳でありながら、篠家当主、篠 道灌どうかんは現在55歳という年齢でありながら、好色爺として知られており美人と聞いては下級貴族の女性達を権力で傘下にいれ、婚姻を結ばせる卑劣なやり方を繰り返してきた。

 

 「しかし自分の娘となるはずのこより様の体調が優れないという話ですが、最高の医療を施したりしないのですか?だってあの方は・・・」

 「本当の娘ではない、こより様にそこまでお目をかけようとは思っておられないのでしょう。さより様の手前、どうにかすると一点張りな様子で。このままではこより様にお命に関わると判断し島津様に診に来ていただけないかと極秘に動いた次第でございます」

 「この事がばれれば、あなた方はただですまないのでは?あの方の面子を潰す事になりかねないわけですし」

 「篠様はさより様に、今はご執心の様子。無理に花右京家と争う構えは見せないと思われます」

 「事情はわかりましたが、こより様の症状とは」

 「・・・・。”鬼の毒”だと思われます」

 

 左近は息を呑み、言葉をなくす。

 この世には、人を襲う化け物が存在する。人間達は大きなくくりでその化け物を”鬼”と呼んでいた。感覚的に言えば”犬”と同じである。

 ”鬼”にも種類、大きさや見た目が違うモノ、人間に近い体格をしたモノまで存在し、ひとくくりに、”鬼”と呼んでいいものかわからないが、何種類いるのか見当がつかず、今は分類に分けるより化け物は化け物として認識できればいいと”鬼”と呼ばれていた。

 ”鬼”は人間を襲い、家畜、畑なども荒らす事から発見次第、討伐の対象となっており朝廷から”鬼”討伐の軍を現地に派遣するようになっていた。

 ”鬼”は、刀などで切りつけて殺す事も可能だが、それだけではある一定の期間を過ぎると復活、土からよみがえってくる事が確認されている。

 そこで、”鬼”を殺した後、魂を浄化させ復活できなくなるようにする”陰陽師”という存在が地位を確立していき、現在2大政党の1つ、島津家が陰陽師達を束ねる長として君臨している。

 篠家は、”鬼”達との戦いで傷ついた人間を治療する退魔医術士達を束ねる長として君臨しているが、島津家に権力としては今一歩及ばず、虎視眈々とその地位を狙っている。

 退魔医術士の役目は、人間に対する外科的医学の向上と、”鬼”から受けた瘴気による”鬼の毒”の治療を行うことである。

 現在、どちらかと言えば、外科的医学の向上より”鬼の毒”の治療が主な活動であり、”鬼の毒”は軽症、重症に関わらず、治療しなければ必ず死に至る毒であり、症状は体に入り込んだ瘴気が体のどこかで凝固し、植物の芽のような形から毒を体に循環させていき最後には全身から血が噴出し死に至る。

 その芽を探すのに、体全体を切り刻むわけには行かず、霊的外科手術にて診察していき、芽を特定した後、霊的切除を行って治療するのだが、これができる退魔医術士は、ほんの一握りと限られている。

 退魔医術士の育成を国を挙げて行っているのだが、”鬼の毒”に対する恐怖と症例が少ない事で育成がうまくいっていないのである。

 強引に医術士の数だけ増やそうと篠家は、屋敷の敷地内に篠医学所を設置し、下級貴族たちの息子達をそこに入学させ、医術を学ばせている。

 ある意味人質にとられている下級貴族たちは篠家に頭が上がらず、無理やり島津家とも対立させられたりしている。

 左近は数少ない”鬼の毒”を治療できる医術士であり、高額な治療費を取る篠家に対して、安価な治療費で、医療を受けられると今巷で有名な医師なのである。

 高額な治療費ながら、頓珍漢とんちんかんな治療を受けたり、そのまま肉体を切り刻まれて帰らぬ人になったりと黒い噂が絶えない篠家とは違い、的確な治療と、その容姿とあいまって左近の人気はうなぎのぼりとなっているが本人は特に気にした様子はないのだが、所属する部署は篠家の下という事もあり立場的に微妙な所がある。

 さらに花右京家は、篠家の政略で島津家とは敵対した形をとっており、左近に治療を依頼した事がばれるのは非常に地位を危ぶまれる所がある。

 ただ篠木の話があったとおり、篠 道灌はさよりに執心しており、左近の治療が明るみに出た場合、どうなるかは出たとこ勝負な部分もある。

 

 「しかし、普段屋敷内で”鬼”と出会う可能性はかなり低いはず」

 「我々もこより様がどのように”鬼の毒”に犯されたのか判らず、それゆえに判断が遅れてしまって」

 

 都は陰陽師達が張った結界で守られており、”鬼”達が侵入してくるとは考えにくい。かといって、9歳のこよりが屋敷から出て都から外に出るとも考えにくく、一旦経緯については保留となった。

 屋敷の裏側に着き、左近と篠木は裏口から屋敷に入りこよりがいる部屋へと向かっていく。

 

 「さより様、島津左近様をお連れ致しました」

 「篠木、ありがとう」

 

 部屋のふすまが開けられると、まだ10代といわれれば通用する幼げで美しい女性が布団に寝かされている少女の隣で心配そうに座っていた。

 

 「初めまして、島津左近と申します」

 

 左近が一礼をし顔を上げるとさよりから感嘆の声が上がる。

 

 「ほふぅ~、あ、これは失礼しました。花右京家当主を勤めます、花右京さよりと申します。このたびはわがままをお聞き入れいただきありがとうございます」

 「いえ、では早速ですがこより様を診断させて頂きましても」

 「よろしくお願い致します」

 

 さよりが頭を下げ、その場から離れる。

 退魔医術士 左近の治療が始まろうとしていた。

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